間食 at ヨウゴスラナ族のデリ市場

「ああん、もう! 目移りしちゃうわぁ!」


 胸の前で両手を合わせ、頭を左右にぶんぶん振りながら、お嬢はキャッキャとはしゃいでいる。


 カラフルなのぼりの横には、試食を勧める売り子がおり、「良いのよ、別に買ってくれなくたって。さ、食べて食べて」なんて言われれば、お嬢が断るわけがないのだ。


 おかげで俺なんかは試食だけでも腹一杯になりつつあるんだが、やはりこの大食い魔女はそうでもないらしい。


 もうとにかく試食したものを片っ端から買おうとするもんだから、俺じゃなくてむしろ売り子さん達の方が慌てたものである。


 小一時間ほどむしゃむしゃもぐもぐしながら市場をねり歩くと、もう俺なんかは一食丸々食べた後のように腹一杯になってしまった。一歩進むごとに勧められるもんだから、最早何を食べたのかすらわからない。


「……お嬢頼む、ちょっと休憩しよう」


 降参と両手を上げると、お嬢は「仕方ないわねぇ」と言って、木陰にあるベンチを指差した。広げた傘のような形の大木――ヒメコサランカの下にあるベンチは、休憩場所にしては最適なように思えた。――のだが、その脇には少女が何やらしゃがみ込んで作業しているのである。大きな深めのたらいの中に手を突っ込んで、何かを洗っているようにも見える。


「あれ、何してるのかしら」


 と、お嬢は何やら弾んだ声を上げて、うきうきいそいそと少女の元へ向かう。恐らくそれも気になったからあのベンチを指定したのだろう。だってここ以外にも屋台で買ったものを食べられるようなベンチはそこかしこにあるのだから。


「ね、ね。あなた、それ何やってるの?」


 近付いてみると、その盥の中はぎっしりと砂が詰め込まれており、少女はその中でもぞもぞと手を動かしているようだった。


「――へ? わ、私? 私に聞いてます?」


 かなり驚いたような声と共にその少女は顔を上げた。


「そうよ。あなたしかいないもの」

「そ、そそそそうですよね……えへへ……」


 照れたように笑いながら、その少女は砂の中から手を引き抜き、手首で額を拭った。


「あら、その手……」


 と、お嬢が思わず声を漏らす。すると少女は「すみません!」と慌てて再びその手を砂の中に埋めた。


「ちょっとちょっとぉ~。隠さなくたって良いじゃなぁい。せっかくとってもきれいな銀魚肌ぎんぎょはだなのに~」


 ぷくぅ、とお嬢が頬を膨らませる。


 確かに。

 確かに見事なまでに美しい銀魚肌の手だった。

 砂にまみれてはいたけれども、その肌はヒメコサランカの葉の隙間から差し込むわずかな日の光のすべてを反射して、きらきらと輝いていた。


 この銀の鱗は、世界で最も美しい肌とされるフェイショアナ族特有のものだ。


 しかし、頭のてっぺんから足のつま先まですべてが銀魚肌である純粋なフェイショアナ族はもう中央保護区にしか住んでいない。住んでいない、というか、そこに集められて保護されている、というのが正しい。彼女、彼らの美しいその肌を装飾品や何やらに加工するのだといって、人間狩りなどという馬鹿げた行為に及んだ愚か者達が一昔前に存在したのだ。その結果、フェイショアナ族は保護の対象種族となったのである。


 といっても、フェイショアナ族は何も他種族との婚姻を認めていないわけではなく、その辺はかなり寛容らしい。だから、彼女のように身体の一部が銀魚肌という、ハーフ、あるいはクォーター・フェイショアナ、というのは各地に存在するのである。

 では、彼、あるいは彼女らも狩りの対象となるのかというと、狩人ハンターからすれば、ハーフやクォーターにはそれほどの価値はないらしい。


「まぁまぁお嬢。それで、その砂で何をしてるんだ? 俺も気になる」


 隣にしゃがんでそう尋ねると、少女は「はわ!」と謎の叫び声を上げてその場に尻餅をついてしまった。そのはずみで盥から手が抜け、掴んでいたらしい砂と、それから――、


「きゃあ!」


 蛇のように胴が長く、頭部よりも大きな背びれを持つ魚が、お嬢の頭に降って来た。


「お嬢!? 大丈夫か?」

「だぁーいじょうぶ、大丈夫。ちょっとびっくりしただけよ。あら、これは砂丘魚さきゅうぎょね。活きが良いわぁ!」

「ごごごごごめんなさいごめんなさいっ! いいいいますぐ……!!」

「良いの良いの、気にしないで。砂丘魚は生臭くないし、平気平気」

「確かに砂丘魚って生臭くないんだよなぁ。砂の中にいるからか? でも、食べると結構パサパサジャリジャリして――」


 その名の通り砂丘を泳ぐ砂丘魚は、主に砂を食べる魚である。


 だから身体の中に余分な水分がないし、もちろん食べる際には充分に砂抜きをしなくてはならないのだが、これがかなり難しい。

 というのも、砂丘魚は鱗の下にある吐砂口としゃこうという器官から、経口摂取した砂のうち、生命維持に必要のない分を吐き出すのだが、これは開かない。だから、生きているうちに何らかの方法で吐き出させなければならないのである。

 そのだが――、いまのところもっともポピュラーなのは無理やり海水の中に沈める、というものだ。砂丘魚の方ではいきなり毒の中にぶち込まれたのと同じ状態であるため、吐砂口をパクパクさせながら死に物狂いで泳ぎ回り、そして、ものの数秒のうちに吐砂口をぴったりと閉じて絶命する。そのため、案外砂も抜けない上、海水の塩味がついてしまうのだ。


「わ、私の砂丘魚はパサパサもジャリジャリしません!!」

「――!!?」


 さっきまでどこかおどおどとしていた少女は目をまんまるに見開き真っ赤な顔をして声を荒らげた。そして、俺達がそのことに驚いた顔をしていることに気付くと、また再び背中を丸める。


「す、すみません……」

「いいえ、良いのよ。ねぇ、でも本当? この砂丘魚、パサパサジャリジャリしないの?」

「し、しません……」

「海水に入れるのか?」

「い、入れませんよ! そんなことしたって砂もろくに抜けませんし、第一塩味がついちゃいます!」

「そう、そうなのよね。味のバリエーションが乏しいっていうか……。私、砂丘魚はもっと色んな料理に使われるべきだと思うのよ」

「そうです! 砂丘魚には無限の可能性があるんです!」


 何だ何だ。

 この子、砂丘魚のこととなると目の色が変わったぞ。


「ねぇ、だったら私、どうしてもその砂丘魚食べたいんだけど?」

「も、もちろん!」


 

 この少女の名前はリズナンテといって、いまから16年程前にこのデリ市場に捨てられていたらしい。彼女が入れられていたカゴの中には彼女の身元を特定するようなものは何もなく、その数日前にふらりとやって来た観光客の中にそういえば腹の大きな女性がいたという証言はあったものの、その女性は姿を消してしまい、いまも見つかっていない。

 とにもかくにも、リズナンテは、このデリ市場で育てられた。


 ヨウゴスラナのスラングで『リズナンテ厄介者』なんて名をつけられ、蔑まされながらも、それでも飢えることはなかったのは、何せここは市場だからである。客の食い残しも、野菜の切れ端もある。さすがに赤ん坊の頃は見かねた若い母達が母乳を恵んでくれたが、育ってからはそういった残飯や余った食材で食いつないだ。


 彼女が人々からそこまで酷い扱いを受ける理由は、何も捨て子だったからではない。この市場ではそれくらいは案外珍しいことでもなかったりする。


 だから、その――彼女の手だ。

 きれいだとは思うのだろう。何せそれを狩ろうとする者がいたくらいだから。けれども、ただひたすら気味が悪い。自分達と違う、ということが。

 

 リズナンテはデリで育ちながらも、客の前に立つことは許されなかった。

 店の裏で食材の下処理やら掃除やらをし、わずかな日銭を稼ぐ。一応給金はもらえているらしい。

 

「ちょっとちょっと! これどういうこと!? 美味しすぎるぅ~ふふふ」


 頬をぱんぱんに膨らませて砂丘魚を咀嚼しているお嬢が困ったように眉を八の字に下げた。


「全然パサパサしないぞ、何でだ!?」


 共同の屋外煮炊き場で軽く火を通し、コナウシのミルクとチーズで作ったソースをかけた砂丘魚のサンドイッチは、身もふわふわと柔らかく、何より、しっとりとしているのだ。パサパサしていないだけではなく、あのジャリジャリとした嫌な食感がまるでないのである。


「ぐふふ……ぎゅふふふふ……」


 リズナンテはというと、もう喜びを隠しきれないという有様で、それでも必死に我慢しようとしているのか、両手で口元を覆い、奇妙な声を上げている。


「リズナンテ、あなた天才よ! これ絶対お店で出すべきだわ!」

「そうだ。あの砂丘魚をここまで美味く食えるなんて」


 下処理も面倒で味もいまいちな砂丘魚というのは正直食材としてはかなり安価なものだ。わざわざ買うものでもない、というか、この近くにある砂丘に行って、ちょっと深めにスコップを入れただけで嫌というほど捕れてしまうのだ。


「でも……」


 リズナンテはヨウゴスラナの民族衣装の裾をもじもじといじり、俯いた。ヨウゴスラナ族の民族衣装といえば、2mほどの布を斜めに巻きつけて飾り紐で何ヶ所か縛るだけ、というかなりシンプルな構造になっているのだが、とにかく色と柄が派手なことで有名で、飾り紐も富裕層なんかはかなり高価な石を先端に付けていたりする。しかし、リズナンテの服は、ただひたすら真っ赤なだけの布で、紐も申し訳程度の飾りしかない。


「私はこのとおりの厄介者ですし、嫁にもらってくれる人もおりません。身寄りのない独身の女は屋台に立てないのです」

「何よそれぇ~。これが食べられないなんてかなりの損失じゃない!! ちょっとリズナンテ、駄目よそんなの! 良い? この味は、あなた、あれよ、財産よ!」

「ざ、財産……ですか?」

「そう! 一財産築ける味ってこと!」


 そんなことを熱っぽく語りながら、お嬢はもぐもぐとサンドイッチを咀嚼し、に手を伸ばしている。ちらりと俺の方を見て「これ、私のよね?」と確認までしながら。俺はこくりと頷いた。もちろん俺のなのだが、もう何も言うまい。


 やったぁ、とほころんだその顔を見たら俺はもう腹一杯だよ、というか、実際問題、結構満腹なのである。だってここに至るまでにさんざん飲み食いして来たんだから。


 しばらくの間お嬢は珍しく何もしゃべらずにそのサンドイッチを食べていた。が、その最後の一口を、ごくん、と飲み込んだ後で「よし」と言った。


「どうした、お嬢?」


 何かちょっと嫌な予感がするのは、お嬢がそこでにんまりと笑ったからだ。

 これは100%俺が振り回されるヤツだろう。もうさすがにわかってきた。


「……ねぇリズナンテ、ここを出ましょう」


 背中を丸め、うんと低く落としたトーンでお嬢はそう言った。うんと秘密の話を打ち明けるかのように。


 だから俺とリズナンテもそれに倣い、うんと落とした声で、


「えぇ?」


 と返した。


 おい、振り回すのは俺だけじゃないのか?




【間食:ヨウゴスラナ族のデリ市場】

 ありとあらゆる試食(さすがに覚えていない)

 砂丘魚のチーズミルクソースサンドイッチ




 

 

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