夕食 at ポトンツク村のかか屋

 これは一体どういう状況なんだろう、とやけに満足げな表情を浮かべているお嬢を見て思う。


 いつものように、お嬢を抱き抱えて空を飛んでいるのだが――、


「……ほ、ほほほぇぇぁぁぁああ!!?」


 この声はもちろんお嬢のものではない。

 お嬢のリズナンテのものである。


「たっ、高いっ! 高いですっ!! おっ、下ろしてくださぁいっ!」

「だぁめよぉ、あともう少しの我慢! よね、サル?」

「そうだな。あともうほんの3時間だ」

「――さっ、さささ3時間んんん?!! む、無理です! 無理! 第一、これ、一体どこに向かってるんですかぁっ!?」


 あのきれいな銀の鱗を手製のロンググローブで隠し、それで口元を覆いながらリズナンテは叫んだ。

 何だよ、3時間なんてあっという間だろ? と思ったのだが、そういえば人間というのは俺達よりもずっとずっと短命なのだ。だから、まぁ、長い時間なのかもしれない。


「ケイルヒッツ砂丘区よ。ポトンツク辺りが良いかしら」


 お嬢はリズナンテの腰に手を回し、彼女をぬいぐるみのように抱き抱えながらさらりと言う。


「け、ケイルヒッツ……? どうしてそんなところに?」

「そこがあなたを求めてるはずだわ! 私には、わかぁ~るっ!」

「わ、私を?」


 会話をすることで少しは落ち着いたらしい。リズナンテは下を見ると怖いということにやっと気付いたらしく、さっきまで口元を覆っていた手で両目を隠している。


「あそこって『かか屋』があるでしょ?」

「『かか屋』……。名前くらいは聞いたことがありますけど……」


 『かか屋』というのは、まぁ平たく言えば民家を使用した食堂だ。

 ケイルヒッツ砂丘区では、だいたいどの村でも平均して全世帯の約3分の1から半分がかか屋として登録されているらしい。

 かか屋の『かか』というのは、古ケイルヒッツ語で母親を表す『カッ=コゥ=ア』という言葉から来ている。昔はその家の母親のみが炊事を担当していたためにそう名付けられたのだが、いまは父親が腕を振るうかか屋も増えているのだとか。


 基本的にかか屋が利用出来るのは夕食のみで、メニューは1つしかない。といってもおかずが一品だけ、という意味ではなく、主食、メイン、副菜に汁物、これで1つ、という意味だ。メニューは1週間の日替わりだが、毎週同じものと決まっている。もちろん、具材を多少変えるとかタレやソースのバリエーションを増やすくらいは良いらしいのだが。


 観光客向けに、メニューは夕方になると家の前にある掲示板に貼られるので、それをチェックして、利用したい者はそこに名前を書く。何せメニューは固定だから家同士で被ることもない。伝統的なケイルヒッツ料理を作る家もあれば、他の地域の料理、果ては完全なるオリジナル料理を作る家もある。


 定員はその家の大きさにもよるが多くても10組程度。家人は掲示板の名簿を見て、利用客の人数を確認し、それから料理の仕込みに入る。人気のかか屋は一週間ほどで、そうではないかか屋のひと月分を稼いでしまうのだとか。

 飛び込みは基本的に観光客にのみ許されているが、もちろん予約優先のため、空きのあるかか屋にしか入れない。



 それからしばらくの間、お嬢とリズナンテはぽつぽつと色んな話をしていた。話題を振るのはもっぱらお嬢の方で、内容はというと、どこで何を食べた、というのが主だ。リズナンテはあのデリ市場しか世界を知らないため、興味深げに相づちを打っているだけだったが。


「さぁ、着いたぞ」


 と、いつものようにお嬢を下ろす。そのお嬢に抱えられていたリズナンテは、自分の足が地面に触れたのを確認すると、安堵からかその場にぺたんと座り込んだ。


「こ、怖かったぁ……」

「そう? 慣れれば気持ち良いわよ?」

「慣れる……機会なんてありませんよぉ!」


 そりゃそうだろうな。人間が空を飛ぶ方法は色々あるけれども、さすがにこの飛行スタイルは魔女にしか出来ない。


「さてさて。それはそうと。どこが空いてるかしらねぇ~」


 と、ポトンツク砂丘村を歩く。リズナンテはまだ膝に上手く力が入らないのか、かくかくとおかしな歩き方をしている。

 

 もうどっぷりと夜も更けており、どのかか屋も賑わっている。オレンジ色の灯りがカーテンの隙間から漏れ、上機嫌な客達の笑い声まで聞こえて来る。どこも満員らしい。この様子だと俺達が入れるところなんて――、


「あ」


 あった。

 一軒だけ。

 そこだけが、しんと静まり返っている。とはいえ、火が焚かれていないわけでもなく、煙突からは、ふわり、もわり、と煙が上っている。

 客の声も聞こえず、家の前の掲示板に貼られた名簿にもただ一人の名前もない。


「ふんふん、今日のメニューはキューベックデュルルボンのポンツネ煮込みにモリヤンジーのモイモイサラダ、スープは……やった! 砂丘魚の濃厚コンソメスープだって。よっしよっし、ここにしましょう!」


 ここにしましょうも何もここしかないだけだけどな。

 しかし、何も言うまい。よくわからないが、お嬢にはお嬢の考えがあるらしいのだ。


「たぁーのもぉーうっ!」


 食堂に入るのにおよそ似つかわしくないような挨拶と共にドアを開ける。


「……お、おう……?」

「……えぇ――……?」


 テンションMAXのお嬢とは裏腹に、俺とリズナンテはもうそれくらいしか言葉を発することが出来なかった。

 外から見る分にはそこまででもなかったのだが、室内の悲壮感がとんでもない。一体いつから客が入っていないのか知らないが、テーブルクロスの上にはうっすら埃が溜まっているし、椅子も塗装が剥げて何だか汚らしい印象を受ける。そしてそれ以上に――、


「おおお客さんかい?」


 出迎えてくれた『かか』らしき老婆がもう、あとは棺桶の蓋を閉めるだけ、くらいの状態なのである。その『かか』が、よろよろ、よぼよぼと大きく左右に揺れながらゆっくりゆっくりと歩み寄ってくるのだ。


「そうとも、私達はお客さんよ! もうお腹ぺこぺこなのよね。表に書いてたご飯、すぐ出してもらえる? 3人分。出来れば私のは大盛りね!」


 目の前の老婆の状態を見ればどう考えても料理なんて無理だと思うのだが、お嬢はさらりとそう言って、椅子の上の埃をさっと手で払い、それにどっかと腰掛けた。


「ほら、あなた達も早く座る座る」

「えっ、いや……座るけど……」

「オリヴィエさん、でも……」

「良いから良いから」


 俺達が席に着くと、その老婆はやはりよぼよぼとUターンした。厨房に向かうのだろう。調理場はきちんと掃除されているのだろうか、と、不安を抱えていると――、


「ブラックロック! お客様だよ! 急いでおひやをお出ししなァッ!」


 さっきの弱弱しい掠れ声ではなかった。声量自体はそれ程ではないものの、うんと遠くまで届くような、一本の矢のような声だった。

 薄汚れた暖簾のれんがぺらりとめくれ、銀縁の眼鏡をかけた男が顔を出す。


「そんなに大きな声を出さなくたって、お客様が来たことくらい聞こえてるからね」

「ああそうかい、だったらもたもたしてないで、さっさとおし!」

「それもわかってる。いま行くところだったんだよ」


 それがあながち嘘でもなさそうなのは、彼が持っているトレイの上にはちゃんとグラスが3つ乗っていたからである。うん、グラスは大丈夫だ。変に曇っているわけでも、汚れているわけでもない。

 お嬢がそれを飲む前に、一口飲んでみる。リズナンテも大丈夫ですか、とでも言いたげな顔で俺を見ていた。うん、まぁ良いけどさ。大丈夫、ただの水だ。



 少々驚いたのは、案外すぐに料理が出て来たことだ。

 予約の客は0でも、俺達のような飛び込みの観光客向けにあらかじめ仕込みだけはしてあるのだろう。どこの店も賑わってたしな、飛び込むとしたらここしかない。


 で。


「……成る程ね」


 料理を食べたお嬢の言葉である。

 こう言っちゃ何だが、正直なところある程度覚悟はしていた。何ていうか……たぶん……まぁ、ご覧の通りの閑古鳥なわけだから……というか。

 それでも残さないんだから恐れ入る。いや、俺も食ったけどな? リズナンテもどうにか完食はした。

 しかし、問題は……。


「あなた! どういうつもりですか!」


 リズナンテが、ブラックロックという名の青年の胸ぐらを掴んでいるのである。彼の方がだいぶ背が高いので、彼女はめいっぱい背伸びをしながら、だ。


「ど、どういうつもりって……?」

「さっきの砂丘魚です! 砂抜き処理が下手すぎます! ジャリジャリじゃないですか! それに身もくたくたのパサパサ、海水の味を誤魔化すためだと思いますけど、味も濃すぎです!」

「そ、そんなこと言われてもさ……」


 ブラックロックは助けを求めるようにこちらを見た。

 まぁ、その気持ちはわからんでもない。

 砂丘魚の砂抜き処理はとにかく難しいのだ。むしろリズナンテがあそこまできれいに砂を抜けることの方がおかしいというか。


「不可能なんだよ、完全に砂を抜くことは。君にはわからないかもしれないけどね――」


 と、ブラックロックが呆れたような声を出した。その時。


「わかります、私には」

「――は?」

「私には出来ますから。完全な砂抜きが」

「嘘だ。そんなこと無理だね」


 ブラックロックはそれを鼻で笑った、が――。

 俺達はそれが嘘ではないことを知っている。


「無理じゃないわよ。私、食べたもの」

「えっ?」

「食べたわよね、サル?」

「おう、食べた。しっとりふわふわだった」

「そんなわけない! 砂丘魚っていうのはどうやったって砂は残るし、身もパサパサだし、海水の味で正直美味くも何とも――あいてっ!?」


 ばっちん、と。


 乾いた音が響き渡った。

 ブラックロックの頬を強かに打った音だ。

 誰がって?

 そりゃもちろん。


「美味くも何ともなくしてんのはあなたよ! 砂丘魚が悪いんじゃないわ! 無能なコックが悪いの! 恥を知りなさいっ!」


 リズナンテだ。

 一応お嬢も、そして彼の母親も平手を食らわせる準備だけはしていたのだが、出遅れたのである。つまり、ブラックロックは、いまの発言で一気に3人の女性を敵に回したということになる。


 リズナンテはつかつかと厨房へ行き、大きなたらいを持って来ると「皆さんついて来てください」と言って玄関を出た。


 外に出たリズナンテは、外壁に立て掛けてあるスコップを使い、盥の中にざくざくと砂を入れていく。少し深いところまでスコップを刺してから掬い上げると、砂の中に数匹の砂丘魚が混ざっており、それも中に入れる。


 そしてその場にしゃがみ、少しためらってからグローブを脱いだ。するり、と現れた銀色の腕に、ブラックロックが息を飲む。


「良いですか。砂丘魚の砂抜き処理は砂の中で行うんです。砂の中でエラから下の鱗を剥がしてやれば良いんです」


 そう言いながら、砂の中で手を動かしている。


「そんなこと出来ないよ。透明な水ならまだしも、砂だろ? 手元が見えないのに刃物なんて――」

「刃物なんていりません。私にはこの手があります。私の鱗に引っ掛けて剥がすのです。鱗の流れに逆らうように優しく優しく撫でると、きれいに剥がれます。そしたら――」


 する、と砂丘魚を掴んだ手を砂から抜く。鱗を取り除かれた砂丘魚はそれでもまだ生きていた。生きているうちに鱗を剥がすと吐砂口を開閉させる筋肉の一部も破壊されるらしく、そこはだらしなく開いたままになってしまう。塞ぐことが出来なくなった吐砂口からはさらさらと砂が抜けていく。死んでから鱗を剥がしても、吐砂口が閉じたままなので砂を抜くことは出来ないのだ。


「あとは軽く水で流します。ここで砂丘魚は死にますが、生きているうちに全身の砂が吐砂口付近に集まるので、水洗いすることできれいに取り除くことが出来るのです。これなら、余計な味もつきませんし、鱗もないので加工もしやすくなります」


 ブラックロックが、きれいに水洗いされた砂丘魚を、つん、とつつく。鱗のない砂丘魚は白く透き通っている。それを見て――、


「ごめん」


 と彼は言った。砂丘魚に向かって頭を下げ、次にリズナンテに向かい、もう一度同じ言葉を吐いた。


「ただ同然の魚だからって甘く見てた。多少処理が甘くてもそれだけ安くしてるんだからって思ってたんだ」

「そんなんだからここはいつも暇なのよ」


 そう吐き捨てたのはお嬢だ。


「頼む、旅の人。僕にはそんな便利な手はないけど、どうしてもその技術を会得したい。親父が残してくれたこの家を守りたいんだ! お願い!」

「え? えっと……」


 いきなり銀魚肌の手を取られ、リズナンテが怯む。


「どうか、ここに住んで僕に指導してくれないか」

「で、でも、私宿代もありませんし……」

「いらないいらない! 少なくて申し訳ないけどもちろんお金も払うし、3食出す。雑事は全部僕がやるから! どうか! どうか!」


 きらきらと星の光を受けて輝くその手に額を擦り付けながら懇願するブラックロックの姿に、とうとうリズナンテが折れた。


「……わかりました。けど、あなたが砂抜き法をマスターしたら、私は帰ります。それで良いですね?」

「も、もちろんさ! 母さん! 一番良い客間を空けて! 先生、いや師匠、いや、僕達の女神様をそこに!」


 彼のそんな声で、天への階段に足を乗せていたはずの老婆は急に張り切り出す。


「はいよ、任せなぁ! さぁさ、女神様、お疲れでしょう、こちらへ、こちらへ」

「えええ? ちょ、ちょっとぉぉお?」


 あっという間に3人が姿を消し、俺とお嬢が残された。


「……どうする?」

「……どうするって何?」

「今夜はここに泊まるか? それとも近場の宿を探すか? ってこと」

「成る程ね。うーん、でも、はリズナンテのものなのよね? だったら、どこか近場の宿に行きましょうよ。それで、朝イチに美味しいものを食べましょ」

「了解。それじゃケイルヒッツで一番栄えてるところに行こう」

「良いわね。そうと決まれば、行きましょ」


 家具を移動させているのか、どすんばたんなんて聞こえてくる2階に目もくれず、お嬢はさっさと玄関のドアノブに手をかけた。


「リズナンテに何も言わなくて良いのか?」

「またそのうち顔出すわよ」

「その頃にはもうあの市場に戻ってるかもしれないぞ?」

「それはないわね。だってここは彼女の家になるんだから」


 何もかもお見通しといった顔をしてお嬢は、ふふん、と鼻を鳴らした。


「近いうちにきっとね、ブラックロックは彼女に落ちるわ。リズナンテは可愛いもの」


 そんな予言まで残して、俺達は暖かな笑いまで聞こえてきたそのかか屋を後にした。


 あのかか屋はすぐに繁盛するだろう。賑やかになって、古い家具をきちんと手入れし、そうすれば――、


 もしかしたらここにも角小人幸せの使者が住み着くようになるかもしれない。




【夕食:ポトンツク砂丘村のかか屋】

 キューベックデュルルボンのポンツネ煮込み

 モリヤンジーのモイモイサラダ

 砂丘魚の濃厚コンソメスープ

 コルツボネのフォッサグラタンババロア


 

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