夕食 at ニャロンジゲートパーク
珍しく、間食――おやつを食べないまま、夕食の時間を迎えた。
あのお嬢が、だ。珍しいこともあるもんだろう?
まぁ、ちょっとしたドタバタがあったというか。
そして、その責任の一端は俺にもある。
――スられたんだ。
お嬢のペンダントを。
俺が彫ったダイアナアザミのトップがついたヤツである。
あの後、ベナソル=ファレッダ・ダイナーでフォッヅと別れ、やはりお嬢は早速、というのか、おやつの物色に入った。
ここらは飲食街らしく、とにかく飯屋が多い。
移民も多いので、色んな国の、色んな種族の飯屋があるのだ。
それでも『色んな国』の料理はその『色んな国』で食べれば良いわけで、お嬢と俺はむしろ、この土地でしか食べられないものを食べたいのである。この土地でしか食べられないのであれば、朝食のようなチェーン店でも一向に構わないわけだ。
だってワイルド・バーガーはこの国にしかまだない。
あれも良いわね、これも美味しそうね、などと言いながら、ショーウィンドウのサンプルを眺めていた時だ。
俺はそれをはいはいと流しながら、彼女の後ろを歩いていた。
そこでふと気が付いた。
彼女のうなじの中心――ペンダントの革紐の結び目に、小さな緑色の蝶々がとまっていることに。
それは『コルベッレラ』という品種で、一生涯のうちに3度脱皮をする蝶だ。
ちなみに朝食べたバーガーの『コルベラソース』というのは、風味付けにこの蝶の抜け殻が使われていることからその名がつけられた。そのまま食べる場合は、良く煎ること。そうすると水分が抜けてサクサクになり、香ばしい。栄養価が高く、その上ヘルシーなおやつとなる。
……と、蝶のことはさておいて。
とにかく、お嬢のうなじにその蝶がとまっていた。
先述した通り、それは革紐の結び目の上だったから、お嬢も気が付かなかったのだろう。けれど、悪いことに、なんとその蝶はそこで脱皮を始めたのである。
もしいまお嬢がこちらを勢いよく振り返ったりすれば、蝶はそのまま地面へ落下してしまうだろう。脱皮に入れば、それが終わるまで当然
だから俺はそぅっとお嬢に近付き、彼女を驚かせないようにゆっくりと落ち着いて事情を話した。するとお嬢は、
「それじゃ、その脱皮が終わるまで、ペンダントを外したら良いんじゃないかしら」
と提案したのである。
蝶が落ちないよう、細心の注意を払ってペンダントを首から抜く。チョーカーではなく、長さにゆとりのあるペンダントにして良かったと思う。
そして、ゆっくりと俺の手のひらに乗せた。
幸い、コルベッレラの脱皮はそれほど時間がかからない。
最初の脱皮はそれなりに時間がかかるが、翅の色ももうだいぶくすんだ色をしていることから、これはもう3度目であることがうかがえた。さすが慣れたもので、手際(というのだろうか)が良い。
最後は、するり、と身体を器用にくねらせて、無事に脱皮は完了した。
コルベッレラは革紐の結び目に脱け殻を残したまま、翅を広げて何処かへと飛び去ってしまった。3度目の脱皮を終えれば次は繁殖に向けてパートナーを探さなくてはならない。彼らにはのんびりしている時間などないのである。
「どうするお嬢、脱ぎたての殻だけど、どこかで煎ってもらって――」
適当な店屋を指さして、俺はそう言った。そして、食べるか、と続けようとした時だ。
ふわ、と、俺とお嬢の間を風が通り抜けた。
いや、そうではない。
風なんかではなかったのだ。
その証拠に――、
「あ! ない!!」
俺の手のひらの上にあったお嬢のペンダントが姿を消していたのである。
風が抜けていった方向を見れば、何やら紐のようなものを持って走っていく男がいた。
「盗られた!?」
「盗られた!!」
顔を突き合わせてそんなことを言っている間に、その男は、雑踏にとけ込んでしまったのである。
お嬢はその場にへなへなとへたり込んでしまった。
「私の……私の……」
うわごとのようにそう呟いて。
俺もその場にしゃがみ込み、お嬢の背中をさする。
「すまなかった、お嬢。俺がもっとちゃんと持っていれば」
「ううん、脱皮に見惚れて呆けてた私も悪かったのよ。すぐに首に掛けていれば……」
弱弱しい声でそう返し、お嬢はほろほろと涙をこぼした。深緑色のワンピースに小さなシミがいくつも出来る。お嬢の涙で濡れた部分は、そこだけがどんな闇よりも深い。
騒々しいさっきの涙とは違う。
しんしんと、静かに、けれどはっきりと、それでいて弱弱しく、彼女の絶望を訴えているようだった。
「泣かないで、お嬢。新しいの、また作るから」
「嫌よ」
「あれよりもっとすごいのを作るから」
「駄目よぅ。そういうことじゃないの。あれが良いの、私は。あれじゃなきゃ、嫌なのよぅ」
どうしてお嬢がそんなにもそのペンダントに固執するのか。そんなことが俺にわかるわけもなく。
2人で途方に暮れていると――、
「ねぇ、そんなところで座ってたら邪魔だよ」
少し掠れた高い声が頭上から降って来た。
顔を上げてみれば、不思議そうな表情でこちらを見つめているフォッヅがいる。
さっきと声が違う。風邪でも引いたのだろうか?
「フォッヅ……?」
「何してるんだい、2人して」
とりあえず、通行人の邪魔になるからと道の端にあるベンチへと移動し、そこで事情を話す。
「成る程……。大事なペンダントを盗られちゃったってわけか」
「そうなの」
いつもならとっくに腹の虫が
「そんなに高価なものなのかい?」
「いや……そういうことはない。お嬢の家の庭に生えてた千年月樹の枝を1本拝借して俺が彫ったってだけのものだ。革紐も別に高価なもんじゃない」
「へぇ。サルメロってプロの木彫り職人か何か?」
「いや?」
「それで飯食ってるとかじゃなくて?」
「全然?」
「そうなんだ。でも、オリィはその花のペンダントが気に入ってるんだろ?」
「そうよ。だってサルメロが私にプレゼントしてくれたものなのよ? 一番の宝物なの」
「だから、プレゼントならまた同じのを作ってだな――」
「ち~が~う~の~~!!」
足をばたつかせてぶんぶんと首を振る。子どもじゃないんだから、と嗜めたいところだが、さすがに口をつぐんだ。
「まぁまぁ。サルメロが女心を1mmも理解してないことは良くわかったから、ちょっと落ち着きたまえよ、オリィ」
「落ち着いてなんていられないわよ!」
「暴れたってペンダントは返って来ないだろ?」
「うぅ……わかったわよぅ」
フォッヅはいとも簡単にお嬢を嗜め、「よし」と言って俺と視線を合わせた。
「僕に任せたまえ。オリィのペンダントを盗ったヤツらに言って、返してもらってくる」
「そんな簡単に見つかるのか?」
「なぁに目星は付いてる。この辺りでそんなセコいことをするヤツなんて限られてるからな。サルメロが朝絡まれたアイツとか、アイツとか、アイツとかさ」
「アイツだけじゃないか!」
そう言うと、「そうさ」とフォッヅは笑った。
「まぁ、僕に任せたまえよ」
「しかし……一度盗ったものを返してくれるか?」
もう売り払われてるんじゃ、と言うと、フォッヅは、「それは無い無い」と手を振った。
「この辺の質屋は今日休みだし、売るとすれば明日だ。素人が彫ったものだと言えばすぐ返すさ」
「そんな上手くいくだろうか……」
そうは思うものの、フォッヅは何やら自信満々なのだ。二言目には「僕に任せたまえ」なのである。
そこまで言うならお願いしてみようということになった。駄目で元々、というか、俺達が闇雲に探し回るよりはずっと確率は高い。
それで、俺達はフォッヅの指示でここ、ニャロンジゲートパークの中央にある噴水の向かいのベンチに座っているというわけだ。
あれからかなり時間が経ち、冒頭でも述べた通り、夕食の時間を迎えてしまっているという状況である。
きゅるる、とお嬢の腹の虫が鳴いた気がしたが、それについて言及もしない。お嬢は固く握った拳を膝の上に置いて、俯いている。ちらりと顔を覗き込んでみると、泣いてはいなかったが、あと一歩で泣く、というところまで来ている。
腹減ったんなら何か買ってこようか、と提案しようとした時、
「――ピクルスの香りがするわ」
と、お嬢が顔を上げた。
言われてみれば確かに、と、前を向く。すると、噴水の影から、「やぁ、お待たせ」とフォッヅが現れた。
片方の手にお嬢のペンダントを、もう片方の手にワイルド・バーガーの紙袋を持っている。
「私のペンダント!」
そう叫ぶや否や、お嬢はすっと立ち上がり、フォッヅへと駆け寄る。俺も遅れてその後に続いた。
いつものお嬢なら真っ先にその紙袋の中身について尋ねると思うのだが、余程ペンダントの方に気持ちを持っていかれているらしい。
「まさか本当に返してもらえるとはな」
「言ったろ、僕に任せたまえって。――ほら、オリィ」
「ありがとう、フォッヅ!」
嬉々としてベンチに戻り、ペンダントを首に掛け、お嬢はニコニコしながら木彫りのダイアナアザミを撫でている。
ワイルド・バーガーの紙袋もちゃっかり隣に置いて。
良かった、いつものお嬢だ。
「手荒なことしたり、されたりはしてないのか?」
「僕が? まさか。するわけもないし、されもしなかったさ」
「知り合いなのか?」
「うーん、まぁ、ちょっとね」
「そうなのか」
無事ペンダントが戻ると、心にほんの少し余裕が生まれる。
そう、例えば、目の前にいるフォッヅの服が、やけに派手な色だなぁとか、背中に番号が描かれていたなぁとか、そういうところにもちゃんと目が行く、というか。
「なぁ、その恰好って……もしかして」
俺がそう言うと、「ん?」と首を傾げた後で自分の恰好に気付いたらしく、何だか自虐気味に「あぁ」と吐き捨てた。
「チューブ・フライのユニフォームだろ。背番号が2番だ。練習してきたのか」
「いや、してない。もう終わったんだ。もう、ね」
その顔もやっぱりどこか自虐気味というか、やけくそ、というか、何だか色々と諦めたような笑みだ。片方の頬が引き攣っている。
そこで思い出す。
チューブ・フライには酷く前時代的な規則がある、ということを。
それはつまり、女性はボールに触れることはおろか、コートにすら入れないとかいうつまらないヤツだ。
それに反発した団体がデモを起こし、そのせいでさんざんに踏み荒らされたんだと憤っていた
「……フォッヅ、女だったのか。――いや、違うな。なるんだな、もうすぐ」
「いいや、実はね、僕はもうとっくに成人の儀を終えてるんだ。ベニーさんも呼んでたろ、『イブ』って。いまの名は、イブスタシア=フォッヅ。だけど、どうしても最後の試合に出たくて、チームメイトに内緒で薬を飲んでた」
だけどね、と続けてフォッヅはお嬢の方をちらりと見た。彼女は空腹を思い出したらしく、フォッヅが差し入れてくれたワイルド・バーガーにがっついている。癖の強いシュルストピクルスの香りはこっちまで漂って来ていた。フォッヅはその様を見て、くすりと笑った。
「金が尽きた。いつものように練習に行こうと思ってドアノブに手を掛けて、挨拶をしようと、こほん、と咳払いをしたんだ。異変に気付いたのはその時さ。僕の声は女の声になりかけてる」
「あぁ、確かに」
まだ不安定で掠れてはいるが、慣れれば澄んだ高い声になるだろう。
「それで引き返した。喉がやられてしゃべれないって手紙をドアに挟んでね。このまま辞めると思う」
何て声を掛けたら良いのだろう。
残念だったな?
それとも、気の毒にな?
でもそれは俺が決めることなのか?
イェッジヴィータ族にとってははそれが『普通』のことで『自然』なのだ。
それでいえば、薬で成長を止めたり、性別による規制のあるスポーツに手を出すことこそ『不自然』なことなのである。しかし、だからといってすっぱりと割り切れるものでもないだろう。
「おいおい同情なんかするなよ。これが僕達なんだ。僕はちっとも可哀想じゃない。だってこれから新しい人生が始まるんだぜ? ワクワクして仕方がないよ。だからね、良いかい?」
目の前に人差し指を突き立てられた。目を潰されては敵わないと、ほんの少し後退する。
「これからは僕のことを『イブスタシア』と呼びたまえ」
月を背負い、凛とした声で、イブスタシアはそう言った。涙が一粒こぼれ落ちたように見えた。
今日はとにかく涙を見る機会が多くて困る。
だから俺は。
その涙は見えなかったことにした。
【夕食:ニャロンジゲートパーク】
メインカークインポテトのフライ(ラージサイズ)×3
パッカニラコーク(ラージサイズ)×3
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