夜食 at コンツバインドーム周辺

 何だか胸の辺りがもやもやする。

 

 これで良かったのだろうか、と。


「……サル? 何か考え事してるでしょ」

「ん? うーん、まぁ」


 何でバレたのだろうか。

 まぁ、お嬢は案外鋭い時があるからな。


「イブのこと?」

「んー。うん」


 フォッヅ改めイブスタシアと別れたのは、21時を少し過ぎた頃で、天井のパネルには濃紺の夜空にわずかにチリチリと小さな星が瞬いていた。全く芸が細かい。

 この時間ともなると街灯もほんの少し暗くなる。そのな星が良く見えるようにと、そうしているらしい。

 まぁ確かに、つい見上げてしまいたくなるような空だ。


 その星空の下を俺達は歩いている。

 この地下都市の出口に向かって。


 次はどこへ行くんだ、と問い掛けようとした時だった。


「――ねぇ、私達、大切なこと忘れてるんじゃない?」


 やけに真剣な顔でお嬢が言った。


「大切なこと?」


 それは一体何なのだろう。

 そう問い掛けるよりも先に、お嬢が俺の手を取った。


「探しましょう!」

「――探すって、何を?」

「決まってるじゃない、イブよ!」


 そう言って、お嬢は俺をぐいぐいと引っ張りながら駆け出した。

 ……まぁ、どちらも足はかなり遅いんだが。

 

 飛んだ方が速くないか、と言いそうになったが、こんな天井の低いところで飛ぶわけにはいかないので黙っていた。



 しかし、この巨大な都市を闇雲に走り回ったところでたった一人を探し出せるわけもない。

 俺達は捜索開始5分ですでに走るのを止めた。けれど、足は止まらない。

 イブスタシア――フォッヅと初めて会った場所と、ベナソル=ファレッダ・ダイナーの周辺を歩き回り、最後にニャロンジゲートパークを目指す。


 あの時。

 イブスタシアが自身をそう名乗った時。


 やはりは泣いていたのだ。

 ぴんと背筋を伸ばし、新しい人生が始まるのが楽しみだと言うその気持ちもきっと嘘ではないのだろう。彼女は産まれた時からイェッジヴィータなのだ。

 だけどきっと、チューブ・フライの試合には出たかったに違いない。


 誕生日があと数日ズレていたら。

 そう悔やまなかっただろうか。

 だから薬を飲んでいたのだ。

 それが不自然なことだとわかっていても。


「そうか、もしかしたら――」

「わあっ!? ちょっとサル、どうしたの?」


 俺が急に立ち止まるとお嬢は小さく叫んだ。眉根を寄せ、抗議でもするかのように頬を膨らませている。手を繋いでいるから、俺が立ち止まれば、お嬢もそれにつられて立ち止まらざるを得ない。


「お嬢、最終手段だ」

「え? ここで?」


 そう言い、お嬢は辺りを見回す。

 ニャロンジゲートパークへと続く道は案外人通りが多い。パークは夜も開放されておりそこだけは夜でもかなり明るいのである。翌日の仕事がない者達が夜通し飲むのには最高の場所らしい。


「結構人が多いわよ? 恥ずかしくない?」

「仕方ないだろ。俺達だって時間がないんだ。だって明日はどこに行く?」

「明日は……うんと北かしら。北の国って案外盲点なのよね」

「だろ? だったらなおさらだ。早く探さないと、朝食に間に合わない」

「そっ……! それは困るわ!」


 主人の了承をいただけたところで、俺はその場にすとんとしゃがみ込んだ。そして足元の雑草をさわさわと撫でる。


「……すまん、人を探している。ほんの少しだけいただくからな」


 そう断って、針山のようにぴんぴんと立っているその雑草の先端を少しだけちぎり、口へと運んだ。噛むと新鮮な青臭さが口一杯に広がる。もちろんこれは食用の雑草ではないので、真似をしてはいけない。毒はないが、決して美味いわけでもないし。……いや、悪かった。お前にはお前の良さがあるって。などと言い訳をする。


 ――ビンゴだ。

 この辺の雑草はイブスタシアの姿を見ている。もちろん、彼女がどこへ向かったのかも。ぽつりとこぼした独り言までも上手く拾っていた。


「お嬢、わかった。コンツバインドームだ。パークを抜けて西にある」

「よし、行きましょう! 急ぐわよ!」

「いや、急ぐと言っても……」


 残念ながら、正直、俺らの足ではそう『急げ』ない。


「飛べば良いのよ! 簡単なことだわ」

「お嬢は簡単に言うなぁ。超低空飛行だぞ。少しでも気を抜いたらパネルにぶつかる」

「だぁ~いじょうぶっ! 集中するから! さ、さ!」

「……まぁ、お嬢が出来るって言うなら」


 結局俺達は――いやまぁ、主に俺だけなんだが――パネルに2度3度頭をぶつけながら目的であるコンツバインドームへと到着した。

 

 コンツバインドームというのはその天井の高さが10mしかなく、チューブ・フライのために作られたと言っても過言ではない球場である。さすがにこの時間は閉館しているのだが、隣接している酒場やら屋台の方はというと、夜はこれからだとばかりに酔いどれ達が酒を酌み交わしていた。


「こんなところにイブがいるのかしら」

「さぁ。もしかしたらもう移動したのかもしれないな」


 キョロキョロと辺りを見回すが、あの特徴的な美しい青髪を持つイブスタシアの姿はどこにも見えない。


「――あっ!」

「ん?」


 機嫌良く酒を飲んでいた酔っぱらいの一人が、俺達の方を見て指を差した。いや、その指は確実にお嬢を差していたように見えたが。


「ちょっと! 何でを持ってるのよ!」


 酒で顔を真っ赤にした酔っぱらいは、酒瓶をその場にぽいと投げ捨てると、どすどすと足を踏み鳴らしてこっちに向かってきた。お嬢にもしものことがあれば大変だと、彼女の前に立つ。


 朝の『半分男の女』だった。

 女の方の化粧は落とされている。それでもまぁ女の顔ではあるのだが、これならほぼ男といっても良いかもしれない。


「どこを探してもなかったのよ!! アンタ、さてはウチに忍び込んだのね? 泥棒!」

「俺はそんなことしてない。それに第一、最初にこれを盗ったのはそっちだろ。泥棒っていうのはお前のことだ」

「あぁ~ら、盗ったなんて人聞きが悪いわぁ。落ちてたのよ。私はそれを拾っただけ」

「落ちてた? 俺の手の上にか?」

「そうよ!」


 そんなやり取りをしていると、周りに人が集まり始めた。


 とりあえずいまわかったことは、イブスタシアはペンダントを話し合いで返してもらったのではなく、どうやらコイツの家に忍び込むなりして取り返して来たらしい、ということだ。

 アイツ、結構とんでもないな。


「いや、手の上にあるものは落ちてるとは言わんだろ」


 そう反論すると、ギャラリーの中の数人は「そりゃそうだな」と同意した。


 それが気に入らないのはもちろん男の女である。彼女はその声の辺りをギッと睨み付け、「見てんじゃないわよ!」と吠えた。


 そして、怒りの矛先をそちらへと向けたのか、睨み付けたままずんずんとギャラリーへと向かい――、


 すれ違い様にお嬢の首からペンダントを奪っていった。


「……っ!!!」


 警戒はしていたつもりだった。

 こいつがあまりにもお嬢のペンダントに固執していたので、それを守るように腕を伸ばしていたのだが。


 革紐を切られたのである。

 そのわずかな隙間を狙って――というか、俺の腕ごと切りつけて。


 刃物なんていつの間に、とヤツを見たが、それらしきものを持っている様子はない。もしかしたら身体の一部が刃物になっている種族なのかもしれない。


 半分男の女はそのまま野次馬をかき分けて駆け出した。

 もちろん追い掛けたい気持ちはある。

 例え俺の足がどんなに遅かろうと。

 でも、いまはそんなものよりも大事なものがあるのだ。


「お嬢! 大丈夫か? 怪我は?」


 革紐を一瞬で切断出来るほどの切れ味なのである。

 数cmだろうと数mmだろうと、お嬢の首に傷をつけるなんて許せん。

 と思ったが、幸い、お嬢の方は無事だった。


「わ……私は大丈夫……みたい……」


 とはいうものの、お嬢の顔色は真っ青だ。

 俺がついていながら、全く情けない。

 その場に座らせ、ぎゅ、と抱き締める。お嬢はおれの腕の中で小さく震えている。


「お嬢が無事で良かった」

「よ、良くないわよ! サルの腕の方が大変なことになってる! うわぁ、ざっくり! ざっくりやられてるじゃない!」

「俺は大丈夫だ。痛いだけだし。だから、お嬢、ここで待っててくれ」

「えっ……? ちょっ、どこに行くの、サル?」

「アイツを追う」

「無理よサルの足じゃ」

「はっきり言ってくれるな。無理でも、あれはお嬢の宝物なんだろ。俺はオンナゴコロなんてちっともわからないけど、お嬢があれを気に入ってくれてることは充分わかったから」

「ちょ、ちょっと! サル! サルメロ! 戻りなさい!」


 お嬢の制止を振りきって、アイツが逃げた方へ走りだす。

 俺がなかなか追って来ないので安心しているのか、どうせ逃げ切れると馬鹿にしているのか、とりあえず、アイツは目で確認出来る程度の距離にはいた。ちらりとこちらを見て、ニヤニヤと笑っている。


 畜生。自分としてはかなり頑張っているんだが、ちっとも差を縮めることが出来ない。

 このままただただ体力を消耗させるだけなのか。

 俺は何も出来ないのか。


 ただでさえ遅いのに、だんだんと速度が落ちていくのがわかる。

 もうどうあがいたって追い付けない。

 

 もう駄目なのか、と思った時だった。


「――なぁ、サルメロ。君って、多少の痛みは我慢出来る方?」


 背後からそんな声が聞こえた。

 やや不安定な、掠れた、高い声だ。この声は。


「……イブスタシア!」

「ちゃんと名前を覚えてくれてたか、よしよし。で? どうなんだ?」


 イブスタシアは俺と並走しながら尚もそう尋ねて来る。


「多少なら、まぁ。しかし何でいきなりそんなことを聞くんだ」

「大丈夫なんだな。まぁ、痛いのは一瞬だからな。よし、それならもう5mほど走って立ち止まれ」

「何で!」

「ペンダントを取り返したいのだろう? 良いから、僕を信じたまえよ」


 そう言われれば、もうそうするしかない。さっきだって彼女は約束通りペンダントを持って来たのだ。

 まぁ、そのやり方がまずかったせいで現在こんなことになっているわけだが。


「わ、わかった」


 イブスタシアの言う通り、5mほど走り、ぴたりと止まる。


「おい、後は何を――――、ってぇ!!!!????」


 立ち止まり、次の指示を仰ごうと振り返ろうとした瞬間、背中に激痛が走った。

 そして「いきなり何すんだ!」と言い終わるか、というタイミングで俺の鼻先を真っ白い弾丸が掠めていく。


「背番号2番は伊達じゃないだろ?」


 その弾丸を発射――いや、ボールを打ったイブスタシアは晴れやかな顔をして、いましがた振り終えたばかりのラケットをこちらに向けていた。


 遠くで「ぎゃあ!」という声が聞こえたのは、それからもう間もなくのことだった。



「ほら、サルメロ。今度はきっちり取り返したぞ。君の手柄だ」

「……全然そんな感じはしないな。むしろイブスタシアの手柄だ」

「何を言ってる。君ほど優秀な的はいなかったさ。柔らかく、凹凸もある癖にボールがきちんと僕の方へ跳ね返ってくるなんてね。――さ、早くオリィに渡したまえよ。念のため、首に掛けるのはここを発ってからの方が良いと思うがね」


 じゃ、と踵を返して去ろうとする背中に向かって「待て」と声をかける。


 そうだ、俺は、俺達はのだ。


「何だい。僕だって暇じゃないんだよ? 何せもうすぐ完全な女になるんだ。美容のためにも早く床に就かなければ」

「すぐに終わるさ。俺はお前に大切なものを渡すのを忘れていた」

「大切なもの? 僕に?」


 イブスタシアが首を傾げると、柔らかそうな青髪がさらりと揺れる。いまは短いが、この髪もきっとこれから長く伸ばすのだろう。


「手を」

「手?」


 怪訝な表情と共に差し出されたその手は白い。地下で暮らしているわけだから日に焼けるなんてこともない。その白い手を両手で、ぎゅ、と握る。手の中に伝わる異物感にイブスタシアはさらに眉を寄せた。


「サルメロ? これって――」


「――あぁ、いたいた! サル! あら、イブスタシア! ちょうど良かった!」


 ぶんぶんと手を振りながら、お嬢が走って来た。その姿を見て慌てて手を離す。


「私、大切なこと忘れてて」

「何だい、オリィも? だったらたったいまサルメロから――」


 そう言ってイブスタシアは握り締めていた手の平をふわり、と開き、そして――、


「えぇ? これは……ちょっと……」


 と、目を丸くした。


 お嬢もまた彼女の手の中を覗き込んで、「んん?」と唸った。


「サルメロ、何だこれは」


 手の中の紙幣をぎゅっと握り、憤怒の表情で詰め寄ってくる。


「俺としたことが、。遅くなってすまない」

「はぁ? 僕は君達のガイドになったつもりなんてないんだけど!」

「とっておきのダイナーに連れて行ってくれたじゃないか。本来はあの時の食事代だってこっちが全額払うのが筋だ。それに、さっきのワイルド・バーガーもお嬢と俺で食ってしまったしな。その代金もある」

「だからって……多すぎるだろ」

「それが多いか少ないかは払う側が決めることだ」

「あのなぁ、僕は――」


 掴みかからんばかりの勢いでそう言い返したイブスタシアは、そこで、ぐぅっ、と喉を詰まらせた。


「……僕は悪党なんだぞ」

「――は?」

「僕は――、時々アイツらを手伝ったりしてたんだ。アイツらがトラブルを起こして、僕がそれを解決する。……そして、もらった金を分ける」

「そうなのか。何でまた」

「薬を買う金が必要だったから。あと1週間、最後の試合が終わるまでの約束で」

「じゃ、いまのも全部?」

「途中まではそのつもりだったんだが――、アイツの家からペンダントを取り返してしまったからな。関係は解消だ。もう終わりにする。君達を見てたら、何かどうでも良くなった。このまま女になるのも悪くない」

「成る程」

「だからこの金は受け取れない」


 そう言って突き返した金を、ぐい、と押し戻したのはお嬢である。


「何言ってんの?」

「え?」

「私、イブが悪党だろうが何だろうがあんまり興味ないのよね。美味しいものを教えてくれたんだから、お礼はするべきだわ。その方法がお金だったってだけよ。ねぇ、サル?」

「あぁ。俺には人を裁く趣味なんてないんだ。イブスタシアはお嬢の腹を満足させてくれた。だったら礼はする。この金はあの味に見合った額だ」


 そう言うと、イブスタシアは「参ったなぁ」と呟いて髪をかき上げた。


「こんなにもらったら、もう1食くらいサービスしないといけないじゃないか」

「そうそう! そうなのよ! 私、イブスタシアに移動中にも食べられそうなスイーツを聞こうと思ったの!! それで探してたのよ!」

「――は?」


 え? お嬢?

 え? そっち?


「成る程。そういうことならば話は早い。実はこの近くに最高のスイーツを扱っている屋台があるんだ。ついてきたまえ」

「はいはぁ~いっ! ほら、何してんの、サル? 置いてくわよ?」

「え……あ……? お、おう……」


 そうして、お嬢はイブスタシアのお勧めらしいスイーツを山ほど――本当に山ほど買い込んだ。そして、ほくほく顔で「さ、行きましょう」と言うのだ。


「いや、お嬢、この量を飛びながら食べる気か?」

「え? 駄目?」

「駄目っていうか……。駄目」

「ちぇー、何でよぅ!」

「ここで食べてくこと。ガサガサ食われちゃ飛びづらくて敵わん。それに一応俺は怪我を――」


 ほら、と、ざりざりに削られた腕を見せる。

 そりゃ俺には血なんて一滴も流れてないけど。

 それだけに修復には結構時間が――、


「――ん?」


 ちゅ、とされた。

 腕に。

 ざりざりに削られた腕に。


「ちょっと、早く」

「――は、はぁ?」

「魔法! まーほーう! 治すから! 早く!」

「いいいいつもこんな感じじゃないだろ!」

「今日はこんな感じで使うの!」

「わ、わかったよ……」


 不思議と、なぜかいつもより早く腕は治った。


 お嬢の唇が触れた部分は、そこだけ何だか体温が高い気がする。


 その不思議な温かさに首を傾げる俺を、イブスタシアは目を細めて見つめている。そして――、


「僕もきっと君達みたいになってやる。この僕をぐずぐずに甘やかしてくれるパートナーを見つけてやるんだ」


 そう高らかに宣言すると、「またいつか会おう」と言って、ぴんと背筋を伸ばし、去っていった。


「またね! きっとまた来るわ!」


 お嬢がその背中に手を振る。

 俺もまた、治ったばかりの腕を力いっぱいに振った。


「また会おう、イブスタシア!」

 




【夜食:コンツバインドーム】

 ヤフイシオ=デュ=ヴォン(パリパリに凍らせた綿菓子)

 モモコサカナ(型抜きクッキーのミルクジャム漬け)

 コキジのくるりん揚げ(コキジ……西南ベニナスビ)

 24色のまんまるライスボール

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