昼食 at ナミシブキ漁場内ウタマロ民芸店

「リビちゃん、満足したかい?」

「ん~? うっふふぅ。満足よ、満足ぅ~」


 場所は再び海である。

 チップを握らせると、どうやらそれはフジシロの予想を遥かに超えていたらしく「こりゃあ頑張らないと!」と彼は拳を振り上げた。


「せっかくだし観光とかもするかい? ただ食べるだけってのも味気ないだろ?」

「うーん、私はね、まぁ食べるだけでも大丈夫なんだけど、でも、やっぱり色々見たいかも」

「頼む、フジシロ。お嬢は本当に『食べるだけ』でもイケる口なんだ。時間稼ぎでも何でも良いから、お嬢の気を『食』から逸らしてくれないか」

「成る程。それじゃあさぁ……」


 というわけでやって来たのは漁場内にあるウタマロという名の民芸店だった。

 大して大きくないその店の中には、そこで作っているらしい干物やら佃煮、後はちょっとした飲み物や雑貨なんかが置いてある。


「何だ、土産物の店か?」

「まぁ、基本的にはね。でも、ここに来たのはこーれ、これを買うため。――ヤエガシちゃん、これ、3つちょうだい。そんで、これも借りてくね」


 フジシロはにこにこと愛想良く笑っている店番の女性にそう声をかけた。ヤエガシという名らしいその女性はつるりとしたその顔をこちらに向け、にこにことした表情のまま、唇をほぼ動かさずに「あいよ――……」と返した。フジシロはそれを聞いてからカウンターの上にくしゃくしゃの紙幣と数枚の小銭を置く。あれは俺が渡した金じゃないな、と思う。俺が出す金はいつだってぴんと張っている。


 ヤエガシは眼球だけを下に動かしてカウンターの上の金を数えると、やはり唇のわずかな隙間から「はい、ちょうど――……」という、吐息なのか声なのかわからないような言葉を返した。ガラスを擦り合わせたような、キンキンと高くてかさついた声である。



「さっきの女性は、『ビイトロ』か」

「お、サル君、良く知ってるね」


 店を出た後でそう尋ねると、フジシロは感心したような顔で俺を見た。


 身体が錆化しやすいナウマリは当然だが海の近くで働くことが出来ない。どんなに風が弱くても、例え無風の日だとしても、こんなところにいれば半日で全身が錆だらけになってしまう。

 だから、海のそばで働くのはナウマリ以外の者となるわけだ。


 身体の30%が金属のナウマリに対し、ビイトロはというと、首から上の皮膚の65%ほどにガラスが混ざっている種族だ。

 となると、軽くぶつけただけで顔が粉々になってしまうのではと思うだろう。いやしかし厳密には、表皮と真皮の間に薄いガラスの膜が張られているというだけなので、多少の衝撃は問題ないらしい。中で割れてもきちんと再生する。


 では、生活に不便なことはないのかというともちろんそうではない。表情を変えられないのである。

 皮膚の下にガラスの膜が張られるのはだいたい10歳前後と言われており、一般的なビイトロは8歳を迎えると、自分の好みの表情を保つ訓練を始める。いつ固まっても良いように、だ。

 先のヤエガシなる女性はあの朗らかな笑みのままで固まったらしい。


「……ビイトロは『怒りを買った者』って意味でね。昔々は山に住んでたんだよ」


 フジシロがぽつりと話し始める。それももちろん知っているが。


「ご先祖様が、触れてはいけない木を切り倒し、採ってはいけない花や木の実、キノコも食べてしまったんだって。それでああなった。山に入ると顔の中のガラスが嫌な音を立てるんだ。キイキイって。俺達が聞いてもかなり耳につくから、当人達はもっと辛いだろうなぁ」

「うわぁ、それは嫌ねぇ。顔の中から嫌な音かぁ……」

「それから、あのね、俺達の『ナウマリ』っていうのは『罰を受ける者』って意味なんだ。昔、俺達のご先祖様が魚を捕りまくって海を荒らした。いまみたいに食う分だけ捕るんじゃなくてね。魚はさ、何ていうか……力の象徴っていうかね、たくさん捕れたり、大きいのが捕れたりすると、デカい顔出来るんだよ。それだけの理由で」

「そりゃ神様も怒るわよ」

「そうなんだよ。で、ある年、ぴかぴかに光る銀色の魚がたくさん捕れたんだ。味も良いし、見た目もきれい。ご先祖様はもちろんそれも捕った。海から完全にいなくなるまでね」

「銀の魚か……」

「きっとね、神様からの最後のチャンスだったんだよ。もしその美しい魚を――その種を大事にしていたら、捕りつくしてしまわなかったら、こうじゃなかったかもしれない。その魚を食ったご先祖様達の身体は、赤茶けた錆だらけになってしまったんだ」

「あらら……」

もりを研ぐヤスリで削ると、中から皮膚が出て来る。それですっかりきれいにして海にいくと、また錆が」

「それじゃ海に近付けないわね」

「そう。だから漁はビイトロにしてもらう。俺達ナウマリはビイトロが分けてくれる魚を食って生きてる。それでお返しに俺らはビイトロにキノコや木の実を採ってくるんだ。でもね、これでもだいぶ金属やガラスは薄くなってきてるんだよ。きっともう少ししたら神様からお許しが出て、どっちもきれいに抜けた子どもが産まれる。それまで俺らは罰を受け続けなくちゃならない」


 そんなことを、フジシロは明るい声で言った。その場にしゃがんで、先程買った物を何やらごそごそとやりながら。


「『マホロシ』っていうのは、『贖罪』って意味なんだよ。だからここは贖罪の島なんだ」

の島ね、成る程……」

「……お嬢。たぶん、お嬢が言ってるのは字が違うと思うぞ、俺」

「違わないわよ、大丈夫。その山の木の実やキノコってのも大いに気になるわね」

「ほらやっぱり」


 俺達のそんなやりとりを横目で見ていたフジシロは「出来た!」と言って立ち上がった。

 じゃーん、という効果音付きで目の前に差し出されたのは、簡素な釣竿である。


「釣り?」

「そ。うーんまいの、釣れるんだぜ」


 フジシロは白い歯を見せて釣竿を軽く振った。1mほどの長さの木の棒の先に糸がくくりつけられていて、それを巻き取る物はない。先端には金属製の輪が取り付けられている。


「餌は付けないのか?」

「これが餌だよ」


 指を差したのは金属製の輪である。


「食べられるのっ?!」


 お嬢が瞳をキラキラさせながらフジシロと輪を交互に見つめる。とうとう金属をも食らうのか、この魔女は。


「駄目駄目、リビちゃん。さすがに無理だよ」


 それを笑い飛ばしてくれてとりあえず安心する。味を占めたら飲食店のカトラリーが犠牲になるところだ。


「でも、魚の中にはこの色だとか、質感っていうのかな、そういうのに惹かれてしまうヤツもいるんだよ。だから別に食うわけじゃないんだ。そうなると『餌』って表現はおかしいけど」

「言われてみれば、確かに特定の金属に絡みつく魚や、へばりつく貝もいたっけなぁ」

「そうそう。サル君物知りだねぇ。で、これから釣るのは、シロブショウヒゲっていうナマズウナギの一種だよ。とれたてを捌いて白焼きにすると格別なんだぞ」

「えぇ~!!! 楽しみ!」

「ここで釣ったら、さっきのウタマロで調理場を借りれるから。あとは適当におにぎりとか買ってさ。あぁもちろん、ヤエガシちゃんが握るおにぎりもまたサイコーなんだ!」


 得意気に胸を張ってから、フジシロはやはりお嬢の手を取って岸へと向かった。俺の手は引いてくれないのかよ、と不満に思いつつ。そして、またも赤くなり始めたお嬢の顔色を心配しつつ。


「ほい、リビちゃんはここに座って。俺が優しーく教えちゃうからっ!」

「あ……、ありがと……」

「俺は? 俺はどこに座ったら良いんだ?」

「うーん、サル君は適当にその辺かな? 離れて離れて、リビちゃんから離れて」

「離れるのか? お嬢から?」

「そ。あんまり近いとさ、糸が絡んじゃったりして危ないんだ」

「成る程。それは危険だな」


 俺は2人から5mほど離れたところに座り、フジシロのやり方を横目で見ながら、えいや、と糸を投げる。やはり見様見真似ではフジシロのように遠くへ飛ばすことは出来なかった。お嬢の方はというと、彼がしっかり手を取っているだけあり、上手く飛んでいた。

 しかし、いつもなら「うわーいっ! 飛んだ飛んだぁ~!!! 私ってば、やっぱ天才?!」くらい騒ぎそうなところなのに、随分と静かである。真っ赤な顔で水面ばかりを見ている。


 でもまぁ、フジシロが後ろから覆いかぶさるような感じでしっかり手を握っているし、海に落ちるなんてヘマはしないだろう。


 などと、お嬢の方ばかりも見ていられない。何せ、さっきから糸がくいくいと引っ張られているからだ。


「おい、フジシロ、こうなったらどうすれば良いんだ?」

「あー、もう来た? 運が良いなぁ、サル君は。そしたらさ、糸を手繰り寄せて。シロブショウヒゲは一度輪の中に入ったら滅多なことじゃ逃げないから」

「お、おう……。どうやらそうみたいだな。全然逃げる気配がない」


 手繰り寄せたその先にいたシロブショウヒゲは、小さな輪の中にその身を滑り込ませており、ぴちぴちと長い身体をうねらせている。


「で、そこに海水を張ったたらいがあるだろ? その中に入れてよ」

「了解」


 次はもっと遠くに投げるぞ、と意気込んでみるものの、やはり近くにぽちゃん、と落ちた。


「俺もたーっくさん釣るぞ~! リビちゃんに腹いーっぱい食わしてやるからねっ! ……ねっ?」

「――ひゃあぁっ?! そ、そそそそうね! たたたたっくさん食べるわね、私!」


 急に顔を覗き込まれたお嬢は何やら可愛らしい悲鳴を上げて飛び上がった。思わず竿を持つ手を放してしまう。


「わ、わわわ……!! や、やばっ!」


 あ、あぁ! 竿が落ちる……!!

 俺も思わず腰を浮かせる。しかし、どう考えても、俺がここから走ったって間に合うわけがない。


 ――と、いうところで。


「だーいじょうぶっ、俺がついてる~!」


 フジシロが、それをはっしと捕まえる。

 お嬢に覆いかぶさっていた彼は、彼女まで落とさないようにと左手1本でその身体を支え、右腕をめいっぱい伸ばして竿をキャッチしたのだった。


「ちょ、ちょちょちょちょ……!!!!」

「はい、リビちゃん。竿、ちゃんと握ってないと駄目だよ」

「そ、それはわかった! わかったから、ちょっと離れて!」

「ちぇー、つれないなぁ、リビちゃんてば。やっぱり俺じゃ駄目なんだなぁ」

「だだだ駄目に決まってるでしょぉっ!!」


 何やら2人は口論しているようだ。

 その隙に、というわけではないのだが、俺は次々とかかるシロブショウヒゲをひたすら盥の中へと放っていた。


「なぁフジシロ。結構捕れたけど、まだいるのか?」


 どうやら向こうはさっぱり釣れていないらしい。もしかしたら俺の近くに集まってしまっているのかもしれない。だとするとちょっと悪いことをしたような気もするが。

 

 フジシロは俺の言葉で立ち上がり、その場から盥の中を覗き込んだ。そして、目をまん丸くして飛び上がった。


「も、もう良いよ、サル君! いつの間にそんなに捕ったんだよ!」

「いつの間にって……フジシロとお嬢が何やら言い合ってる間かな」



 盥の中は20匹ほどのシロブショウヒゲが、うにょろうにょろと泳いでいる。結構な重さのあるそれを俺とフジシロで持って、ウタマロへと戻った。

 フジシロはその中に手を突っ込んで1匹を掴み上げると、それをカッティングボードの上に置いた。まだ生きているシロブショウヒゲが黙っていられるわけもなく、彼らはその狭いボードの上で右へ左へとごろごろ転がり、どうにかフジシロの刃から逃れようとしている。けれど彼の手から逃れる術はなく、シロブショウヒゲ達はあっという間に開きにされてしまった。

 それを調理場にある炭火コンロで皮の方から焼く。ひっくり返すと身がすべて落ちてしまうため、焼くのは皮の方だけだ。特に味をつけたりはしない。

 しばらく焼くと、うっすら桃色だった身が真っ白くなってくる。それが焼き上がったサインだ。表面にうっすらと桃色が残っているうちに火からおろすのがポイントなのだという。すべてが真っ白になってしまうと硬すぎるのだとか。


「ふわっふわだわ! ふわっふわ!」

「あぁ、確かに。でも、皮の方はパリパリだ」

「あぁん、もうこのおにぎりも美味しい~っ! ヤエガシちゃんってばお料理上手!」

「いくらでも食えるな、このおにぎり」

「中の具はウタマロ特製『クニトリイナゴの佃煮』と『ダイミョウウシのシグレ煮』。佃煮はさっきばーちゃんトコでも食ったろ? ここで買ってるんだよ」

「そうなのねぇ。殻がパリパリしてて良いわぁ」

「こっちのシグレ煮も肉がほろほろほどけてたまらん」

「ぐふふ、そうだろそうだろ」


 まるで自分が作ったかのように胸を張るが、このおにぎりと具に関しては、そこでにこにこと笑っているヤエガシが作ったものである。お嬢も俺もわかっていたが、あえて口には出さなかった。




【昼食:ウタマロ民芸店】

 シロブショウヒゲの白焼き

 ヤエガシ手作りおにぎり(クニトリイナゴの佃煮とダイミョウウシのシグレ煮)

 マルマゲペッピン茶

 

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