間食 at カミカクレ社 ヒミコ婆自宅

「一応案内はするけどさ」


 そう言いながらも、何だかフジシロは不満気である。

 恐らく、せっかく用意した『とっておき』がお預けになってしまったからだろう。鮮度が落ちないようにと、水で満たしたガラス製の鉢の中に透き通った魚を入れ、それを背負いながら歩いている。『シンゲンシラウオ』という名の小さく透き通った魚が、狭い鉢の中で悠々と泳いでいた。


「俺、絶対呪いとかそういうんじゃないと思うけど」

「まま……ままま……」

「そうかなぁ」


 お嬢は真っ赤な顔を左右にふらふらさせながら、相変わらず「ままま」と呟いている。


「どっからどう見ても何かしらの呪いにかかってるだろ、これ」

「いやぁ、何ていうかさぁ……。サル君もそれ真面目に言ってるんだよね? 怖いなぁ」

「怖いって何が」

「いや何でもない。あー怖」


 怖い怖いと言いながら、フジシロが案内してくれたのは、『カミカクレやしろ』というところだ。ここに住むヒミコ婆という女性が、この島で最も優秀な呪術師らしい。


「おぉーい、ばーちゃーん」


 ガラガラと引き戸を開け、フジシロは中に向かって叫んだ。呪術師の住むところというのはもっとこう神々しいものかと思っていたのだが、何というか、倒壊寸前、という言葉がぴったりなほどの――まぁはっきり言えばボロ小屋だった。


「何じゃね」


 奥から出て来たのは、ボロボロの布きれを纏った、というか、身体中に貼りつけただけのような老婆だった。身体のあちこちが錆びついていて何とも歩きづらそうである。彼女もまたナウマリなのだ。


「ばーちゃん、ちょっと話聞いてやってよ」

「何じゃね」

「このお兄さんがさ、連れの女の子の呪いを解いてほしいんだってさ」

「ふむ……、呪い、とな」


 錆びついた瞼をぐぐぐと持ち上げ、ヒミコ婆はお嬢をじぃっと見た。そして、何やらむにゃむにゃと上下の唇をこすり合わせると、ボロ布の上に削られた錆がパラパラと落ちた。それを右手でササッと払う。


「ヒミコ婆、治るだろうか、お嬢は」

「まぁ半々ってところかねぇ」

「俺に何か出来ることはないか」

「もちろんあるさね。アンタにしか出来んことがね」

「何、俺にしか出来ないのか」

「そりゃそうだろなぁ」


 フジシロが、つまらなそうに言う。


「とりあえず、ワシの錆をきれいに落としちゃくれんかね」

「錆? それくらいお安い御用だ。ちなみにヒミコ婆、根を張ってた経験はないか?」

「なぜそんなことを聞く。あるわけなかろう。こちとら人間じゃぞ」

「いや、仕上がりにたぶん差が出るかな、と。いや、ないなら良いんだ」


 ヒミコ婆とフジシロは不思議そうに首を傾げた。いや、こっちの話だから。


 渡されたヤスリは3本、すべてが平ヤスリで、幅の広さが異なる。それはそのまま削る部分の範囲に合わせて使い分ける。

 例えば塗装を施す前の研磨作業のように目の粗いもので表面の汚れや錆を落とし、そこから目の細かいものを使って滑らかに仕上げる、といった作業は必要ない。何せ下から皮膚が出て来るのだ。表皮も割と厚くて硬いようで、多少ヤスリが当たっても痛くはないらしいが、それでも削りすぎれば当然血も出るし、風呂に入れば沁みる。

 だから、うっすらと肌の色が出て来たら、後はゆっくり慎重に作業する必要がある。腕や足などは一番太いヤスリで一気に落とし(さすがに衣服を纏っている部分は錆びにくいので、露出しているところだけで良いのだとか)、指先や顔は細いヤスリで丁寧に、だ。


 顔の錆を取り終えると、ヒミコ婆は数度瞬きをして、睫毛に絡んだ錆を払ってからゆっくりと瞼を開いた。右の瞳は黒かったが、左の方はこの周辺の海のように澄んだ青緑だった。


「きれいな瞳だな」


 顔を近付け、まじまじと見つめてそう言うと、フジシロはぎょっとした顔で俺をヒミコ婆から引き剥がした。


「なっ、何だよ」

「だからさぁ! サル君ってほんとにさぁ!」

「何? 俺ってほんとに何なんだよ!」

「いくらウチのばーちゃんが御年98のよぼよぼでも、一応、女なんだぞ!」

「そりゃいくつになったって性別は変わらないだろ。あれ、でも確か成人すると性別が変わる種族がどこかにいたっけ」

「そういうことじゃなくて! もう何? 怖いんだけど!」

「何だよ。怖いことなんて一個もしてないだろ」

「もう、そういうのはリビちゃんにやれよぉ。ウチのばーちゃん誘惑すんなよぉ」

「誘惑なんかしてないだろ。なぁ、お嬢?」

「ままま……ままま……」

「ああもうお嬢もこれだもんなぁ。ヒミコ婆、なぁ、次は何したら良いんだ?」

「そ、そうじゃな……。では、錆も落ちたことじゃし……いや、服の下にも錆があったような……」

「何だ、服の下にも錆があるのか、仕方な――」

「ば――――――ちゃ――――――んっ!!!! それは俺がやるから!!」


 いそいそとボロ布を剥ぎ取ろうとしているヒミコ婆の手を取って、フジシロは声を荒らげた。そりゃ俺みたいな余所者がやるよりは見知った島民がやる方が良いだろうしな。ていうか、ヒミコ婆ってフジシロのリアル婆ちゃんなのかな。


「と……、とにかくさ、ちょっと落ち着こうって、皆」

「いや、俺はずっと落ち着いてるけどな?」

「そうじゃ、騒いでおるのはフジだけじゃろう」

「もう一旦黙れ!」


 フジシロは肩でゼェゼェと息をしている。

 何度か浅い呼吸をしてから、フゥゥ――、スゥゥ――、と大袈裟に深呼吸をする。そうしてやっと平静を取り戻したらしく「まず!」と言った。


「せっかく持ってきたんだからさ、食おうよ。俺準備するから。リビちゃん、いつもより全然食ってないんだろ?」

「そうなんだよなぁ。さっきも無理やり食わせたんだけど、何か上手く喉を通らないっていうかな」

「食わせたの……? まぁほんとそういうところっていうかさ」

「だから、どういうところだよ。しかし、悪かったな。もうめちゃくちゃ美味かったんだが、俺じゃあんまり伝わらないだろ。お嬢は俺なんかよりめちゃくちゃ美味そうに食うんだよ」

「そんなことないよ。サル君も美味そうに食ってたよ。たまんないだろ、とれたてのアメフラシジゴク」 

「いや、本当に。いままで食った貝類の中でダントツだった! 身はぷりぷりだし、出汁も最高!」

「わははー。だろ? ただ、アメフラシジゴクはとれたてじゃないと食えたもんじゃないんだ。アイツら死ぬと体内でアンモニアガスを作るからさ。まぁ、切り込みを入れてガス抜きすりゃ良いんだけど、まー、臭くって食えたもんじゃない」


 そう言いながらフジシロは部屋の中を歩き回り、折り畳みのテーブルを出したり、棚から食器を取り出したりしている。


「ガス抜きしたやつは殻から外して泥味噌に3日漬け込むんだ。そうしてから燻製にする。それでやっと『まぁ食えるかな』程度になる。酒のつまみだな、俺は飲まないけど。で、それを島の外に売りに行くんだ」

「島では食わないのか?」

「食うわけないだろ。それより遥かに美味いもん食ってんだぞ? 捨てるのがもったいないからそうしてるだけだ」

「そうだな。食えるもんを捨てるのはもったいない。良くない」


 うんうんと頷く。同感だ。


「ところで、それはどうやって食うんだ? その黒い液体は何だ? タレか?」


 テーブルの上には、さっきまでフジシロが背負っていたガラス製の鉢が中心にどんと置かれている。そしてそれを取り囲むように小皿とハシが3人分。フジシロはその小皿に赤黒い液体を注いでいる。


「これ? これは魚醤ぎょしょう。これに付けて食うんだよ。踊り食いって知ってる?」

「何? 『踊り食い』だと!?」


 おいおい、今日の目的のヤツじゃないか!


「おい、お嬢! おぉーい! 『踊り食い』だぞ?! ご所望の!!」


 顔を近付け、両手で挟むようにして、ぺちぺちと軽く頬を叩く。さすがにあまり力を入れるのは可哀想なので、あくまでも軽くに留めたが。


「いやーサル君さ、そういうのは悪化すると思うけど俺」

「そうなのか? でも……」

「いや、案外ショック療法でいけるかもしれんぞ?」


 ヒミコ婆が割り込んでくる。かさついた唇をこすり合わせながら。恐らくもう癖になっているのだろう。


「色男、うーんとキツいのかましたれ。ほれ、耳元で囁いてやらんかい」

「耳元で? 何を?」

「何でも良いじゃろ。低い声で名前を呼ぶとか……そういうのじゃ!」

「成る程」

「ばーちゃん、焚き付けんなよなぁ。俺知らないぞ」

「やれやれー! やったれー!」


 何だかヒミコ婆は楽しそうに拳を振り上げている。この地の解呪の儀式なのだろうか。


「ほれ、肩を抱き寄せんしゃい! ぐーっと、ぐぐーっとぉ!」

「ばーちゃん、若返ったなぁ」


 フジシロは何やら呆れ顔だ。


「ほほほ、ええのう、ええのう。そこだ、言ったれ!」

「ばーちゃんがムード壊してる気がするけど」

「フジ、うるさい! さぁ、色男! いまじゃ! やっちまいな!」

「お、おう」


 お嬢の肩を抱き寄せ、耳元に口を近付ける。

 お嬢は相変わらず真っ赤な顔で力なく「ままま……」と呟いている。もうそれ以外の言葉を忘れてしまったかのように。


「おじょ……」


 お嬢、じゃ駄目なんだった。

 

 一瞬いつものようにそう呼びかけて止める。名前で呼ばなくちゃいけないらしい。


 ちらり、とヒミコ婆ギャラリー①を見ると、


『は・や・く!』


 と口の動きだけで指示を出している。片やフジシロギャラリー②の方はというと、これまた、


『は・や・く!』


 なのだが、指を差しているのは鉢の中である。わかってる。早く食いたいんだよな? いや、かな?

 わかってる。わかってるって。


 こほん、と小さな咳払いをひとつ。そして――、



「……お、オリヴィエ……?」



「まま……まぁ?」


 ひたすら棒読みで吐き出し続けていた『ま』に、色が付いた。


 そして、ギギギ、とゆっくり首を回して俺の方を見る。何せ、俺はお嬢の耳元に顔を近付けていたわけだから、かなりの至近距離である。鼻息がふわりとかかる、そんな距離で。


「ンまァ――――――――――――――――――っ!!!!!?????」

「いってぇぇっ!!!!????」


 ばっちん、とやられた。

 右の頬を、パーで。


「何すんだ、お嬢!」

「何するんだはこっちの台詞でしょお?! 何でこんな近くにいるのよ!!!」

「俺はただ、お嬢の呪いを解くためにだなぁ」

「解くために何よ! 何してくれたのよ、サル!」

「名前を呼んだだけだろ!」

「なっ……名前っ!? ほんとにそれだけ?」


 それほんと!? とでも言いたげな目でお嬢はギャラリーをギッと睨む。ヒミコ婆もフジシロも「ほんと、ほんと」と深く何度も頷いてくれた。よし、これで身の潔白は証明されたな。


「ま、まぁ……そういうことなら……。……って、え? 名前? 呼んでくれたの?」

「何だよ、そのショックで解けたんじゃないのかよ」

「知らないわよ、その呪いだ何だのくだり!」


 いまだ赤みは残っていたが、これだけぺらぺらしゃべれるのだ、もう呪いの方は心配しなくて良いだろう。しかし、名前を呼ぶと解ける呪いか。恐れ多くも魔女に呪いをかけるとは。いや、この場合かかったお嬢が間抜けなのかな?


「はいはい、リビちゃんちょっと良いかな。元気になったんならご飯食べよ? さっき全然食ってなかったんだろ?」

「……はぅっ! ご飯! そうだ! そういえば私としたことが朝ご飯食べてないじゃない! やぁっだ、もう!」

「いや、食べたんだぞ、一応」

「だって記憶にないもの。ということは、食べてないってことなの。ノー・カウントよ」

「すげぇ乱暴なマイルール振りかざして来たな」


 お腹空いたぁ、とお嬢はその場にぐにゃりと崩れた。しかし、視線の先にあるテーブルに何やら食事の用意がされているのを見つけると、急にぴんと背筋を伸ばし膝歩きでそちらへと移動した。

 そして、きちんと正座をし、こちらを振り返る。


「何してんの、サル。早く席に着いて。いただくわよ」

「……多少納得いかないけど、まぁ良いや。フジシロ、頼む」

「おうよ! やぁーっと俺の出番だぁ」

「フジや、ワシの飯も頼むな」

「ばーちゃんはもう食ったろ」

「食うとらんわ! 食う前にお前らが来たんじゃ!」


 そんな2人の微笑ましいやり取りもあったりなかったり。


 さて、お嬢ご所望の『踊り食い』である。


「……う? うふふふふふ……!!!」

「こ、これは……なかなか……!!」


 『ギョショウ』を軽くくぐらせたシンゲンシラウオが口の中で暴れ回る。可哀想、という気持ちがないわけでもない。けれど。


「美味いだろ。外のヤツらは『残酷だー』って言って絶対食わないんだよ」

「自分達も生きてる動物を殺して食うとるのに、何寝ぼけたことを言うのかのう」

「そうさ。俺達だって何もいたずらに捕ってるわけじゃない。漁をすりゃ勝手に引っ掛かるんだ。こいつらは一度引き揚げちまうと真水じゃないと生きられないからさ」

「へぇ、そうなの」

「そう。この魚、透き通ってるだろ? 海の中だと真っ白なんだ。でも一度でも大気に触れると身体から塩が抜けてこうなる。こうなるとこいつらにとっては海水の塩分が猛毒になるんだよ」

「そりゃ海には帰れないな」

「そういうこと。でも、元々が海水魚だからな、やっぱり真水でもそう長くは生きられない。だったら、食うしかない」

「どうせ食うなら、一番美味い食い方をしたいじゃろ」

「もちろん! ねぇ、おかわりあるかしら?」

「そうこないと!」

 

 気付けば丼に山のように盛られていたライスは空になっていた。さすがに踊り食いたけでは、ということで、ヒミコ婆が煮物やら佃煮やらと共に出してくれたのである。はいはい、と言いながら、フジシロが『オヒツ』という木製の容器に詰められたライスを丼に盛る。


「島、サイコーね! 魚介サイコー!」


 頬をぱんぱんにしたお嬢が満足気に笑っている。明らかに食べ過ぎなんだが、今回はまぁ、仕方ないだろう。だって朝食をろくに食べていないのだから。


 それにまぁ、やっぱりお嬢はこうでないとな。




【間食:カミカクレ社】

 シンゲンシラウオの踊り食い

 ゴリョウシロネギとオオジヌシダイコンの煮物

 クニトリイナゴの佃煮



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