昼食 at 空の上でカルナベスタサンドイッチ
「ねぇ、トラさん?」
「何だ? 森まではもう少しかかるぞ」
「そうじゃなくて」
「腹が減ったのか? ちゃんとエリザベスの分も買ってある。俺の鞄の中に――」
「そうじゃなくてね」
エリザベスがじっと俺を見つめる。何やら怒っているような、不満たらたらな顔で。
「何だよ」
「トラさん、あなた、あたくしの箒になってくださらない?」
「何でだよ。お断りだ」
「あら、魔女に楯突いて良いの?」
「良いも何も、俺は既にお嬢の所有物だからな。これは俺の意思じゃない」
口にしたのは自分なのに、『所有物』という響きに何だか背中が寒くなる。
わかってる。樹人とはそういうもんだと。
それでも、自分でその事実を口に出す度、全身を冷たい水が廻っていくような感覚になる。
森で根を張っていた頃は心地良いと思っていたはずなのに、温かさを知ってしまった後では、山から流れて来る雪解け水の冷たさを思い出してみても、ただただ切ないだけなのである。雪解け水は廻り廻ってまた空に上り、雪になるのに、俺達はずっと地上にいて、同じ景色を眺めるだけ。
引っこ抜かれた後だって、誰かの所有物なのだ。俺達は未来永劫ずっと本当の自由を知ることはない。けれども。
それでも、俺はお嬢とだったら、お嬢が行きたいというところに行きたいし、お嬢が見たいものを見たいと思う。箒代わりの『物』としてではなく、パートナーとして。
しかし、お嬢はそう思っていないかもしれない。だって彼女は魔女だから。このエリザベスのように、俺がくたびれたらその辺に捨てて、新しい箒をスカウトしに行くのだろう。
「ふぅん。でもトラさん、あなた全然愛されてないじゃない。見てよ、ほら」
エリザベスは俺の背中の方を指差した。他人の箒ではやはり飛びづらいのか、お嬢はやや離れた位置にいた。よたよたと左右に揺れながらも、なぜか楽しそうな顔をして。久し振りの箒飛行が楽しいのだろうか。
「リヴィお姉様、とっても楽しそう。あんなしょぼくれた箒なのに、華麗に乗りこなしてらっしゃるし。もしかして、箒の方が性に合ってるんじゃないかしら?」
「そんなことは――」
ないなんて、俺が言い切れるのだろうか。
もう一度お嬢の方を見る。
決して乗りこなしているようには見えない。
そもそも彼女は北北西の魔女なのだから、魔力だってかなり弱いのである。それを俺達が増幅させて空を飛ぶわけだから、あの箒では上手く飛べるはずがないのだ。
「わからないんでしょ? 愛されてるかなんて。だったら、あたくしみたいに若くて将来性のある魔女に使われた方が良いに決まってるわよ」
「だとしても、それは俺には決められない。交渉ならお嬢に直接するんだな」
もう信じるしかないのだ。
旅の初日、酒に酔っぱらったお嬢が言ってくれた『一目惚れ』という言葉を。見た目に惚れ込んだだけだとしても、それが繋ぎとめる理由になるんなら。
「そうね、そうする。さぁーって、サンドイッチ、いただこうかしら」
「どうぞ」
「まさかと思うけど、トラさんは食べないわよね?」
「何でだ?」
「信じられない! 食べる気?」
「そりゃ食うさ。俺は箒じゃないからな。ものも食うし、飲む」
「そうじゃなくて!
「躾って……。特に……されてないな」
むしろ食事のマナーの話でいえば、お嬢の方が行儀は悪い。
「有り得ない……! 有り得ないわ……!」
「そんなに有り得ないことなのか?」
「当たり前でしょう! ていうか、そもそも、主と同じものを食べるのだっておかしいんだから」
「そうなのか。それなら、俺達は何を食べれば良いんだ?」
「そうね……、主の食べ残しとか、傷んで食べられなくなったやつとか、後は、花の蜜でも啜ってれば良いんじゃない?」
「成る程」
「とにかく、主と同じものを食べるなんて言語道断よ。覚えておくこと」
「成る程。もし俺がお嬢以外の魔女につくことになったら、そうする。でも少なくとも、お嬢はそれを望んでない」
「何ですって?」
「お嬢は俺にも同じものを飲み食いすることを強制してるんだ。一緒に、同じものを食いたいんだと」
そう言うと、エリザベスは何だか悔しそうに、ギリリ、と歯を鳴らした。
成る程、こんな考えのやつならあの箒があそこまで傷むのも納得だ。
「ちなみに聞くけど」
「何かしら」
「あの箒とは長いのか?」
「そうね……20年てところかしら」
「何だ、随分短いんだな」
「まさか。持った方よ。箒なんて使い捨てですもの。10年持てば良い方だわ」
「わかった、もう良い」
もう会話をするだけで疲弊する。
お嬢も飛んでいる間はぺらぺらぺらぺらしゃべりまくるタイプで、それに付き合うのも結構疲れるんだが、それとはまた違った疲労感が襲って来る。
もうとっとと森に下ろしたい。
もっとスピード出してくれれば良いのにと切に願う。
ちらりと後ろを見れば、お嬢との差はどんどん開いていた。まぁ、お嬢は道も知っているし、最終的に森で会えば良いんだけど。
そんな俺の気も知らずにエリザベスはというと、サンドイッチを一口かじって「不味っ」と顔をしかめ、その歯型付きのを俺に寄越して来た。
口を付けた部分を避けてかじってみたが、なぜそんな顔をするのかと思うほど美味い。
確かにクルペッタグリズリーは独特の臭みはあるけれども、それが良いのに。それに、ゴルゴンニンニクもたっぷり入っているし、このズンナベラハーブがまた良い仕事をするのだ。そこへ俺とお嬢が作ったバラフローレンチーズ。この完璧なハーモニー。
――何? アシガラヤマネコの方もか?
まぁ、これは尾の肉だからな。多少硬いは硬いけれども、この軟骨のコリコリした食感が良いのに。それに、スライスしたコーコンのシャキシャキとした歯ごたえに、おぉ、すりおろしたキノロギ! これは力がみなぎる。さすがは肉体労働者のためのサンドイッチ!
ちょっと待て。ピクルスも、ブルケッタもか?
おいおい、スープまで拒否とはどういうことだ。
「トラさん達、いっつもこんなの食べてらっしゃるの?」
「こんなのって言われても……。どれもこれもかなり美味かったけどな」
「あんな臭い獣の肉に、臭いだけの野菜やら葉っぱやらって……。あんなの家畜の食べ物だわ」
「だったらエリザベスは普段何を食べてるんだよ」
「スイーツよ。決まってるでしょ? ふわふわのスポンジケーキになめらかにとろけるチョコレイト、それから――」
「だったらほら、これでも食っとけ」
エリザベスに『ポン=ポンニ』を渡すと、彼女はそれをつまらなそうに一瞥し、ぽい、と投げ捨てた。
「あっ! おい!」
「冗談じゃないわよ、こんな安物」
「食べ物を粗末にするな!」
「うるさいわねぇ」
「口に合わないなら食べなきゃ良いだけの話だろ。何も捨てなくたって!」
「何よもう、樹人の分際で。成る程ね、やっぱり人型だとこういうのがあるのね。これは確かに邪魔だわ」
駄目だ、コイツ。もう限界だ。
もう本当にここから落としてやろうか。
魔女なら落ちても死なないだろう。
そう思ったその時だった。
「ヘイヘイヘ――イ! やっほ――いっ!」
やたらと機嫌の良いお嬢が風のような速さで追いついて来たのだ。
「お、お嬢!?」
「リヴィお姉様!?」
お嬢は俺達の隣で急ブレーキをかけてから速度を調整し、悠々と並んで飛び始めた。左右によたついたりなんかせず、まっすぐに。
「お嬢、その箒そんなにスピード出せるのか?」
「リヴィお姉様、その箒はもう寿命で……」
「うっふふー、リヴィ姉さんを舐めんじゃないわよぉ?」
「いや、舐めるとか舐めないとかそういうんじゃなくて」
「そうですわ、リヴィお姉様! その箒ったら、全然言うことも聞かないし、反応も鈍くって……!」
エリザベスが必死にそう訴えるも、お嬢は涼しい顔で「そお?」と返すのみである。そして、すっかり変色している柄の部分を優しく撫で――、
「やっぱりどんな形でも、コミュニケーションって大事なのよね」
と言った。
「――は?」
「コミュニケーション?」
俺達は揃って素頓狂な声を上げる。
「いやいや、あのね。この子ってば、ちょーっと気難しいタイプみたいでね? 最初は『何でお前が乗るんだよ!』みたいな感じで結構抵抗されちゃったんだけど、何ていうの? こう、色々お話したわけよね、まぁ私が一方的にってやつだけど。そしたら、ほら」
お嬢はその場でくるりと回って見せた。
「良かったね、ベスちゃん。そんなわけだから、この子はまだまだ現役だよ。たまに柄を固く絞ったタオルで水拭きしてから、柔らかい乾いた布で磨いてあげて。それから、穂の部分はブラッシングしてあげると良いわよ」
「――え? リヴィお姉様、何言ってるんですか?」
「お手入れ方法だけど?」
そう、あの箒は使い込まれて傷んでいる、というよりは、単に手入れを怠っているように見えたのである。
「ウチのトラちゃんは自分で自分のメンテが出来るけど、箒ならメンテは魔女がやらなくちゃ」
「いや、いやいやいやいや。何言ってるんですか、リヴィお姉様」
「ん? 何が?」
「おかしいじゃないですか。どうして魔女が箒の手入れなんかしないといけないんですか」
「何でって、常日頃お世話になってるじゃない。空飛んだりとか、魔法使ったりとか」
「お世話って……。それが樹人の仕事じゃないですか」
「仕事でも何でも。助けてもらってる側よ、こっちは?」
「おかしいですよお姉様達。トラさんにも聞きましたけど、同じものを飲み食いしてるとか……」
「え~? そんなおかしいことかなぁ。美味しいものは一緒に分かち合いたいじゃない。ねぇ、トラちゃん?」
「お、おう」
魔女達のバトルに俺が口を挟んで良いのだろうか。そう思いつつ同意する。
「美味しくもなかったですわ! あんな家畜の餌みたいなもの!」
うわ、言っちゃったよこの子。
お嬢の前でそれは駄目だ。
絶対に。
「……家畜の、餌?」
「そうですわ! 誇り高き魔女が口にするようなものじゃありませんわよ!」
「……何ですって?」
「お嬢! 落ち着け! こいつはまだ子どもだ!」
「あたくし、子どもじゃありませんわ!」
「子どもでも何でもね、言って良いことと悪いことがあるのよ。ていうか子どもならなおさら、大人が教えてあげないといけないわねぇ」
「お嬢! よせ!」
お嬢は片手でエリザベスを俺から引き剥がすと、うんと冷たい目で彼女を睨みつけた。
「このまま手を離したって良いのよ。でもね、一応この箒がアンタに義理があるみたいで止めてくれっていうから勘弁してあげる。とっとと私の前から消えなさい」
怯えるエリザベスの手に箒の柄を無理やり握らせると、自分はひょいとそこから俺の方へと飛んだ――というか、俺がどうにかキャッチしたというのが正しいが。
「その子、アンタの命の恩人なんだから、粗末に扱ったら承知しないわよ」
ぶら下がったまま、どうにか体勢を立て直そうともがいているエリザベスに向かってそう言うと、とりあえず、涙混じりの声で「はぁいぃっ」という返答だけはしっかり聞こえて来た。
「はー、とんでもない寄り道しちゃった」
「そうだな」
「ねぇ、サルはあのサンドイッチ、美味しかったわよね?」
「もちろん」
「あのグリズリーのサンドは、あの臭みが良いのよね?」
「同感だ」
「ヤマネコの尾肉だって砕いた軟骨のコリコリ食感が良かったわよね?」
「全くもってその通りだ」
「そうよねそうよね! あぁ良かった! もしかして私の味覚がおかしいのかと思っちゃったじゃない」
「俺だって」
お嬢は俺の腕の中でけらけらと笑う。
さっきのおっかない魔女とは別人のようである。
「ねぇ、サルちゃん、せっかくここまで来たけど、私さっきのマルシェで美味しそうな屋台見つけちゃったのよね」
「何? じゃ、引き返すか」
「でも、色々魔力使ったから、すぐお腹空いちゃうかもなぁ~」
「仕方ないなぁ。とりあえずもうちょい頑張ろうぜ。ほら、俺のポン=ポンニやるから」
「やったぁ。ぃようし、もうちょい頑張る」
どうかマルシェまでお嬢の魔力が持ちますように。そう願いつつ。
けれど一応、この近くに一休み出来そうな集落でもないだろうかと探しつつ、俺達は、再びタラージウニ・マルシェへと向かったのである。
【昼食:空の上】
クルペッタグリズリーの頬肉ハンバーグサンド
アシガラヤマネコの尾肉ウィンナーサンド
トーピグニピクルス
ブルケッタのオイル漬け
アオノロギとパンチョオニオンの冷製チーズクリームスープ
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