間食 at 空の上でポン=ポンニ

 俺はいま、樹人みきじんの森に向かって空を飛んでいる。


「こうやって空を飛ぶのもまぁまぁ良いものね」


 ただし、


 話は2時間ほど前に遡る。



「あの……もしかして、樹人みきじんさん……?」


 マルシェ内でお嬢と別行動をしていた時のことだ。

 右の肩甲骨の辺りをとんとんと突っつかれ、振り向いてみると、お嬢よりももう少し背の低い魔女が俺を見上げていた。


「そうだけど」


 そう答えると、その小さな魔女は急に明るい表情になって、その場でぴょんと跳ね、そしてくるりと背を向け、身体を丸めた。


「ぃよっしゃ! あたくしってばツイてる!」


 ツイてる? 何が?


 そう聞こうとした時、その魔女は、かなりの勢いで再び俺の方を向いた。そして、ずいずいと顔を近付けて来る。その気迫に圧倒されてしまい、言葉が詰まった。


「ねぇ、樹人さん。あなた、お名前は?」

「な、名前? えぇと、名前は――」


 うっかり名乗りそうになったその時、強い風が吹いて、一瞬視界が夕焼け色に染まった。


よ」

「――ん?」

「この子の名前。トラツィヴスタ=トラナモルっていうの。ねーぇ、?」

「お、おう……?」


 さっきの夕焼け色はお嬢の髪だったのだ。

 いつの間にか近くにいたらしく、お嬢は突風のように颯爽と現れ、俺と、その小さな魔女の間に立っていたのである。もう当たり前のように、手には『ポン=ポンニ』がぎっしりと詰まった紙袋を持っていた。


 そして目の前の小さな魔女にそう言ってから俺の方を向き、ぎろりと睨み付けて来る。


 ――怖い。


「魔女に名乗るなんて愚行中の愚行よ。ていうか、浮気?」


 うんと小さな声でそう指摘され、ギクリとする。

 

 しまった、そうだった……。


「へぇ、トラツィヴスタさんっていうのね。あのね、あたくしはエリザベスっていうの、そちらのきれいなお姉様は?」

「きれいなお姉様!? 私のこと?」

「そうですわ、お姉様。こんなに麗しい魔女様、あたくし初めてお会いしました」

「うっふふー。やぁっだ、もう! 私はね、オリヴィエっていうのよオホホ」


 お嬢はすっかり上機嫌である。

 こんな見え透いた世辞で。


 いや? そりゃあな? お嬢は美人だとも。会う人会う人みーんな口を揃えて別嬪さんって言うもんな。それは間違いない。けれども、だ。


「まぁ、素敵なお名前ですこと。リヴィお姉様ってお呼びしても?」

「オッケーオッケーよ、ベスちゃん!」

「ベスちゃんだなんて……、光栄ですわ、リヴィお姉様。では、そちらのトラツィヴスタさんは何とお呼びすればよろしいかしら?」

「俺は別にどうとでも。トラでもトッツィでも」

「まぁ! それならあたくし、トラさんってお呼びしますわね」


 何か最初とキャラがだいぶ変わったなぁ、と思いながら、エリザベスを見つめる。


 エリザベスの髪も赤といえば赤なのだが、お嬢の髪がややオレンジがかった赤なのに対し、彼女の髪は少し茶色っぽい。赤銅色、というか。

 肌の色はお嬢よりも黒い。もしかしたら南の方の魔女なのかもしれない。南方の魔女はウェダナツメムギのような美しい褐色肌を持つ者が多いと聞く。まぁ、それよりは白いが。

 そして、瞳の色は、黒。これは東方の魔女に多い色ではある。


 しかし、エリザベスは箒を持っているのだ。その辺の店で買ったものでも、それなりの木を削って作ったものでもない、樹人の箒を。


 もしもエリザベスが南方や東方の魔女なのだとしたら、樹人の箒など使わずとも空は飛べる。むしろ、魔力が溢れて邪魔なだけだ。だからきっと、肌や瞳の色はたまたまなのだろう。身体の色で出身地を決めつけるなんて一昔前の考え方なのだ。


 俺が箒を見つめていることに気付いたエリザベスは「あぁ」と言って、胸の辺りで両手をぱちんと打ち鳴らす。


「そうでしたわ、そうでしたわ。あたくし、トラさんにというか――樹人さんにお願いがありまして」

「俺に?」

 

 エリザベスはわざとらしくヨヨヨと俺にしなだれかかり、上目遣いで見つめてきた。てっきりお嬢が「離れなさいよ」とか言ってくれんじゃないかなって期待してたんだが、そんなこともなく。


「実は、共に旅をしていた箒がとうとう寿命のようですの」


 その言葉で、お嬢と俺はエリザベスの箒に注目する。そう言われれば確かにかなりくたびれてはいるようだ。しかし、使い込まれて、というよりは――、


「ふぅん。確かにねぇ」

「それでそろそろ新しい箒を、と思ったのですけれど、この箒では、樹人の森まで行けるか不安で」


 エリザベスは救いを求めるように弱い声で訴えた。しかしその眼力は凄まじく、「何がなんでも、絶対に、助けてもらうわよ」という強い意思が明確に伝わってくる。


「成る程ねぇ。でも困ったわ」

「お姉様?」

「私達そろそろお昼なのよねぇ。ほら、腹が減っては――っていうじゃない? 朝に仕込んだチーズが出来上がる頃だから、それを使って何か作ってくれるところ探さないといけないのよ」


 腹が減っては、というのは確かにそうなんだが、少なくとも、そんなことは大量の『ポン=ポンニ』を持って言う台詞ではない。けれども、一応それに乗っかることにする。


「そうだ。あのチーズは出来立てが一番美味いからな。逃すわけにはいかない」

「そんな……お姉様ぁ……」


 今度は矛先をお嬢に向けたエリザベスは、小首を傾げつつ、潤んだ瞳で彼女をじっと見つめている。お嬢の視線はしばらくチーズの入った袋と彼女を交互に移動していたが、さすがの食い道楽もやはり同胞の頼みには弱いと見えて、大きなため息を一つ吐き出してから俺をちらりと見た。


「……トラちゃん、空の上でも食べられるものって何かしら」


 お嬢がこんなに困った顔をするのは、35種類あるアイスバーを買った時以来だ。

 お嬢の腹と懐事情を考慮して5本までと制限した時も、確かこんな顔をしたのだ。

 結局、あの時は俺が負けて10本買わされたが。

 

 で、俺が小走りで探し当てたのは、大きめの魚介屋で、そこの店主の奥さんが作っている『カルナベスタサンドイッチ』である。


 いまはもう閉鎖されてしまったのだが、昔、この地区には大きな炭鉱があって、そこで働く労働者が短い休憩時間でも手早く食べられるようにと考案されたものである。『カルナベスタ』とはその鉱山の名前だ。

 もちろんただ手早く食えりゃ良いってもんじゃない。採掘作業はかなりの重労働だから、炭鉱夫はとにかく量を欲するし、身体を動かすためのエネルギーも必要になる。


 というわけで、このサンドイッチは、とにかく具材が多い。そしてそれがこぼれないように、という配慮から、2枚のパンでそれらを挟むのではなく、分厚いパンに切り込みを入れてその中に具を入れる方式をとっている。


 さて、そのカルナベスタサンドイッチの具だが、葉野菜は申し訳程度に2枚ほどしか入っていない。これは単に『食感要員』だからである。サンドイッチであるからには、生の葉野菜のあのシャキシャキとした食感は必要だろう、と、炭鉱夫達がそう言ったらしい。

 しかし、葉野菜はそのほとんどが水分で栄養に乏しい。そこで、それを補うのが栄養たっぷりの根菜達である。

 精力がつくとされるアオノロギ、キノロギといった粘り気のあるイモ類や、コーコン、パンチョオニオンに代表されるネギ類は毒消し効果があり、生水を摂取せざるを得ない炭鉱夫達にはなくてはならない食材だ。

 そして、メインの食材は生魚。とはいえ、オイルや酢に漬けたものだが。

 これが伝統的なカルナベスタサンドイッチである。


 しかし最近では葉野菜をふんだんに使い、肉類を挟んだサンドイッチもあるらしい。

 このチーズと相性が良いのは肉系だろう、ということで、隣の精肉店の奥さんの協力も仰ぎ、特製サンドイッチを作ってもらったというわけである。


 ――で。


「何で俺がエリザベスを抱えて飛ぶことになってるんだ!?」


 クルペッタグリズリーの頬肉ハンバーグサンドとアシガラヤマネコの尾肉ウィンナーサンド、それからトーピグニピクルスにブルケッタのオイル漬け、あとはストローで飲めるような冷製のスープという完璧な昼食を買って戻ると、お嬢は準備万端とばかりにエリザベスの箒に股がっていたのだった。


「いやー、箒で飛ぶのなんて久しぶりだわぁ」

「飛べるのか!? 飛べるのか、お嬢!? 箒で!?」

「やぁねぇ、トラちゃん。私のこと馬鹿にしてる? 一応、トラちゃんと出会う前は私だって箒を使ってたのよ?」

「そ、そうなのか……」

「だってねぇ、ベスちゃんたら、この箒はおっかないって言うんだもの」

「だったらお嬢だって危ないんじゃないのか?」

「私は大丈夫。ベスちゃんよりも年上なんだし!」


 果たして年上が関係あるのかないのか。

 それでもエリザベスはこの箒で旅をして来たのだから、やはり癖なんかも知り尽くしてる彼女が乗るべきだと俺は主張したんだが、お嬢は頑として譲らなかった。


 もしかして、俺と飛ぶのが嫌になったんだろうか。


 やっぱり「ちょっと重くなったんじゃないのか」とかいちいち口を出す俺みたいな人型の樹人より、黙って飛んでくれる箒の方が良いのかもしれない。


 そんなことまで考えてしまう。


「さぁ、トラさん! あたくしを森まで連れてってくださいな!」


 お嬢が箒を手放す気がないのだ。

 となればもう、俺はこの子と飛ぶしかない。俺は、魔女にとって樹人というのは、単なる道具なのだ。言葉を持ち、意思を持っていたとしても、それは関係がない。箒の形か人の形か、ただそれだけの差なのである。


「わかったよ。お嬢がそう言うんなら」


 というわけで、俺は渋々、ほんっっっっとうに渋々、エリザベスを抱いて空を飛んでいる。

 やはり彼女の身体は小さく、お嬢のサイズで慣れている俺は正直飛びづらいのだが、エリザベスの方ではそんなこともないらしい。


 こうやって抱えて空を飛んでいると、樹人の方が主導権を握っていると勘違いする者が多いのだが、実際は違う。見た目がこうだというだけで、俺は箒と何ら変わりがないのだ。だから高度や速度の調整はもちろんのこと、どちらへ行くのかという判断もすべて魔女が行う。そりゃその辺まで助けてほしいと言われれば出来なくもないが、あくまでサポートなのである。


 だからそういう点で、エリザベスはなかなか乗りこなすのが上手いと思う。

 こんなに樹人の扱いが上手いのになぜ、あの箒はあんなにもくたびれてしまっているのだろう。


 そんな疑問も抱きながら。


 お嬢から分けてもらった『ポン=ポンニ』をかじりつつ、予想通りの甘さに何か飲み物が欲しいと思いながら、俺達は最寄りの樹人の森を目指した。




【間食:空の上】

 ポン=ポンニ(マルゴエウシミルクアイスのスポンジケーキ包み揚げ)

 

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