間食 at ガラヴィスタ洞窟
「まだもうちょっと食べたかったのに~」
と口を尖らせながら、お嬢はとことこと俺の後ろをついて来る。
まぁ、ついて来るということは、それなりに期待していると捉えて良いだろう。
バウナムコッペン族の男の子が教えてくれた、ここ、ガラヴィスタ洞窟というのは、ヨスルガ島のど真ん中にぽかりと空いている大穴である。穴とはいっても、落ちたからといって、もちろんそのまま海にドボン、などということはない。中は緩やかな坂道になっていて、ぐるりと大きな円を描きながらゆっくりと地下へ潜っていくのである。ゴール地点には地底湖があるのだとか。
俺達が目指すのはその地底湖の一歩手前『奇跡の畑』と呼ばれる場所である。
一体何が『奇跡』なのかというと――。
「勝手に生えてくるの?」
「そう」
「でも、苔とかキノコって元々勝手に生えるものじゃない」
「苔とキノコはな。でもそこでは野菜も勝手に生えてくるんだ」
「へぇー」
「しかも、成長のスピードが凄まじいらしい。今日根こそぎ収穫しても、明日にはもう芽が出て、3日もすれば食べ頃なんだと」
「何それ。逆に怖くない? そんなの食べて大丈夫なの?」
「さぁ?」
「ちょっとー! さぁ、って何よ。ちゃんと美味しいんでしょうねぇ?」
「それは大丈夫だろ」
真っ暗な道をさくさくと歩く。
灯りは俺の手のひらの上だ。
お嬢の魔力を俺の身体に流し込み、小さな火の玉にして手のひらから放出させているのである。
燃えないかって?
お前は木なんだろうって?
いやいやいやいや。
確かに俺は
根から引っこ抜かれればもう『木』ではない。もし俺の肌がゴツゴツした樹皮のままだったとしたら、お嬢はきっととっくの昔に空を飛ぶのが嫌になっているはずだ。だって俺が抱きかかえてやらないと空を飛べないんだから。
人の形の樹人は、主と同じ肌を持つことを許される。主が褐色肌の魔女ならば、褐色肌になるし、最近じゃあまり見かけなくなったが鱗肌の魔女なら、鱗肌の樹人になる。魔女っていうのは色んな種族とのハーフだからな、肌の色も髪の色も目の色も様々だ。
けれど、揃えるのを許されるのは肌の色だけであって、髪や目の色は生まれ持ったものだ。お嬢曰く、「それが良かった」らしい。
話が逸れた。
とにかく、俺は魔女の炎で燃えたりはしない。特に熱さも感じないが、それは俺だからなので、決して触らないように。
「――お、これか、『キラキラ』は」
500mくらい歩いただろうか、手の上の灯りによって、時折、壁がきらりと光るようになってきた。灯りを近付けて見ると、壁から何かの結晶がにょきりと顔を出している。指で突いてみると、それは案外脆いらしく、音もなくぽろりと欠けた。慌てて火のない方の手で受け止める。もちろんこれが何かなんて俺には皆目わからない。
「あら、これは発光糖かしら」
俺の手の中にある結晶を覗き込み、お嬢がポツリと言う。
「ハッコウトウ?」
「発光する糖、って、まんまか。でもそれ以外に言いようがないのよね」
「とにかく光るっていうのはわかった。さすが、魔女は何でも知ってるなぁ」
「うふふ。ここなら私、サルよりも物知りなのよね。気分良いわぁ」
そんなことを言って、お嬢は発光糖の欠片をぱくりと食べた。
「あんまーい。サルも食べなよ」
「どれ。……ほんとだ。味は普通の砂糖だな」
「そうなのよ。ただ光るだけだから。でもね、これは熱に弱いから、そのまま食べるのがベターかな」
「ふうん。でもさ、お嬢」
「なぁに」
「腹が光ってるけど大丈夫か?」
「だぁいじょうぶ、大丈夫。一過性よ。お腹の中で溶けきったら消えるから。――ほらね」
その言葉どおり、ほんのりと発光していたお嬢の腹は、しゅん、と消えた。それと同じことが俺の腹でも起こっているのだろう。
「さて」
キラキラと光る発光糖を横目に、ずんずんと奥へ進んでいくと、かなり開けたところに出た。
「ほぉ。これは見事」
これは確かに『畑』だ。
シャンデリアのように天井からぶら下がっている無数の発光糖に照らされているのは、これまでの樹人生で一度も見たことも聞いたこともない奇妙な色形のキノコや花、野菜だった。そのどれもが生で食せるらしい。
きれいな円形のその畑には、様々な種類が寄せ植えのように丸く集まっている。しかし彼らにも縄張りというのがあるらしく、互いの領分にはみ出したりなんてこともしない。その様は、さながらカラフルな時計だ。
食べに来ている者もチラホラいる。俺達のような観光客は1人もおらず、そのすべてがバウナムコッペンの男達だった。
「なぁ、俺達も食べて良いのか?」
いくら地元民が教えてくれたといっても、所詮は子どもである。もしかしたら彼の独断というだけで、実際は余所者には許されていないかもしれない。
「おう、食べろ食べろ。ただし、古いのから頼むぞ。こっちこっち、こっちだ。この辺を少し減らさんと、新しいのが生えんからな」
「どんどん食ってくれよ、若いの」
「調味料が必要なら言ってくれ。少々癖のあるヤツもあるからな」
「それがまた良いんだ」
こちらが拍子抜けするほどの歓迎ムードである。
「ありがとう! それじゃ遠慮なく食べさせてもらうね! えぇと、ここで食べるのよね? 持ち出し禁止ね?」
「そうだ。それだけは本当に守ってくれよ。ここから持ち出しちまうと、もうそれが生えなくなっちまうんだ」
「そんなことがあるのか……」
「あるある。やるのはだいたい観光客だけどな。懐に入れたり、鞄に隠したりして」
「ひっどいヤツらだわ! 私達、そんなことしないもんね!? ねぇ、サルメロ?」
「当たり前だ。俺は『根を張るもの』の味方だ。そいつらが嫌がることなんて絶対にしない」
そう言って胸を張る。
そうさ、そんなことしたら樹人の名折れだ。
「それを聞けて良かった。さぁ、どんどん食ってくれ。満腹になったら、地底湖で泳いで腹を空かせるんだ。そうすりゃ永遠に食ってられるぞ」
「さすがにそこまでして食わないって。なぁ、お嬢?」
レジャーシートを広げながらお嬢に同意を求める。
……駄目だ、もう我慢出来なくてつまみ食いしてやがる。
「お嬢、ほら、ここ座れって」
「あら、ありがとサルちゃん。うふふ紳士!」
お嬢はもぐもぐと咀嚼しながらもぞもぞとシートの上に座り込んだ。
「美味いか?」
お嬢は、シートのすぐ隣にある小さなキノコをぷちぷちとむしっては口に運んでいる。
「美味しい。不思議な食感よ、これ」
「ほう、どれ」
俺もぷちりとキノコをむしる。
親指ほどの大きさで、色はくすんだオレンジ色だ。カサは濃いオレンジと淡いオレンジのマーブル模様になっている。
それを、ぽい、と口に放る。
「へぇ」
意外や意外。シャリシャリしていて、噛む度に酸味のある汁が弾ける。見た目はキノコだが、味と食感は完全に果物である。
もう1本むしってその断面を観察してみると、じわりと汁がにじんで、ぽたりと垂れた。ううむ、やはりこれはキノコじゃないのか?
「ねぇ、これは何て言うの?」
お嬢が近くにいた若い男に尋ねると、既にかなり酔っているその男は「えぇと、その辺は……?」と首を傾げてから、食後の運動に軽く泳いできたらしい全身びしょびしょの老人に「あの辺は何だっけ」と振った。
「あれ? あぁ、あれは『ゴゴサンジ』だ」
「『ゴゴサンジ』かぁ。ふんふん、成る程成る程」
お嬢がそう呟く。
俺はそれをごくりと飲み込む。
爽やかな酸味が喉を通りすぎていく。
胃に到達した『ゴゴサンジ』は、俺の胃壁に根を張ろうともがくが、それは叶わず、しゅわしゅわと溶ける。
溶けて、俺の一部になる。
俺を作る要素になる。
俺になった『ゴゴサンジ』は、俺の中で歌い出す。彼らの命の歌を。
そうか、そうだよな。やっぱりお前はキノコだよな。
「――サル?」
お嬢の声で我に返る。
「どうした?」
見れば、あんなにたくさん生えていた『ゴゴサンジ』はお嬢の近くだけきれいになくなっていた。
「どうしたはこっちの台詞。急にぼけーっとするから。てっきりこのキノコに毒でも入ってるのかと」
「それならお嬢の方が心配だ」
「魔女は毒に耐性があるのよ。病気にも強いし」
「それなら俺だって」
「え~? 木だって病気になるじゃない」
「俺は木じゃない」
そうだっけ、と笑い、お嬢はキノコの隣に生えていた大きな葉っぱに触れた。お嬢の手のひらくらいの大きさがあって、裏にびっしりと柔らかい毛が生えている。
「それは根っこを抜いて食うんだ。苦味があるけど、そこが美味い」
通りすがった老人が教えてくれる。まぁ見事な巨体である。バウナムコッペンの男は短命というが、これならナモ婆と良い勝負かもしれない。
「ありがとー!」
そう言い終わるやいなや、お嬢は茎をむんずと掴み、えいや、と引き抜いた。軽く土を払ってかぶりつく。水洗いなんてことはしない。良いのか、それは?
「うはぁ、こいつは大人の味! ほろ苦ネバネバ~!!」
お気に召したようだ。
「ねぇ、このくっついてる虫も食べれるの?」
「虫? そうだな。食べても良いし、食べなくても良い。そいつは口の中の臭み消しになるから、えぇと、そうだな。あそこの苔を食べた後の方が良いな」
「オッケー!」
普通なら、「虫も食べれる?」なんてまず聞かないし、そもそも「食べるのかな?」なんて思わない。けれど、この魔女には関係ない。何せ彼女にとって、この世に存在するものは『食べられる』か『食べられないか』の2種類なのだ。
「サルもどうぞ。きっと好きな味だよ」
そんな言葉と共に渡されれば「いや、あんまり苦ネバ系は」なんて言えるわけもない。ていうか、お嬢もそれを知ってて言っているのだ。まったく意地悪なやつめ。
お嬢が見守る中、軽く土を払ってかじってみる。確かに苦味はあるし、粘り気もある。けれども、案外悪くない。うん、悪くないって。だから……、まぁ、そう言うなよ。
「……ちょっとサルちゃん? さっきから何ぶつぶつ言ってるの……?」
「あれ、声に出てたか。いや、何でもないんだ、本当に」
「へぇーんなのぉー」
お嬢が、じとーっと、目を細める。
良いじゃないか、別に。
だって腹の中で抗議するんだ、こいつ。
「あ、これも美味しい。ねぇ、おっちゃん。さっきの根っこを食べるヤツは何て言うの? それと、あれ。あの花はどこをどう食べるヤツ?」
何やら目を細めてお嬢の食べっぷりを眺めていた老人は、『おっちゃん』と呼ばれたことに気を良くしたのか「どぉれ」なんて良いながら、俺らの方に歩いて来た。
「ふむ。さっきの根っこは『ゴゼンニジ』だな。そして、あの花は『ゴゴヨジ』。主に花弁を食べる。甘味が足りなければ花粉を少し振りかけると良い」
「へぇー、どれどぉれ。――おおっ、サクサクね!! お芋を揚げたチップスみたい! でもほんのり甘ぁ~」
小走りで少々離れたところにある花のもとへ行き、それをぱくりと食べたお嬢は目尻を下げ、頬に手を当てている。大方、あまりの美味さに頬が落っこちるのを心配しているのだ。それは迷信のはずだが。
「なぁ、じいさん。さっきからその『ゴゴ』とか『ゴゼン』っていうのが気になるんだけど。『時間』だろ? 本当にそういう名前なのか?」
俺がそう指摘すると、バウナムコッペンの老人は、よくぞ気付いたとばかりに片頬を緩ませた。
「ワシらだって、本当の名なんか知らんさ。『樹人様』でもあるまいし」
その言葉にどきりとする。
しかし、老人は俺がその『樹人様』だということに気付いていないらしい。
「名前はな、ワシらが勝手につけて良いものでもあるまい。だから、そいつらが生えている場所でそう呼んでるんだ。でも分刻みにすると訳がわからなくなるからな。時計の短針で3時の位置に生えていれば『ゴゴサンジ』、3時半の位置なら『ゴゼンサンジ』。そういうことにしている」
「成る程。言われてみれば、なぁ」
確かに『ゴゴサンジ』は3時、『ゴゼンニジ』は2時半、『ゴゴヨジ』は4時の位置に生えている。大体の人間というのは自分達が発見した(と思っている)ものに勝手に名前をつける性質があるのだが、彼らは違うらしい。
まぁ、それに文句を言うようなヤツらじゃないんだけど。
お嬢は「『樹人様』でもあるまいし」の言葉にぴくりと肩を震わせ、ちらちらと俺を見ている。
その目が、『黙ってた方が良い?』と言っているように見えて、俺は小さく頷いた。
【間食:ガラヴィスタ洞穴】
ゴゴサンジ(ドウビカズラフルシェンダケ)
ゴゼンニジ(ヤッコノテ)
ゴゴヨジ(ワモチニャモチノオ)
ゴゼンヨジ(ダイザザサキメラゴケ)
ビョウシン虫(センネンナナフシ)
いずれも生食
※( )内は正式名称
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