第9話 狂宴

 ドミノ・オムニバル十日目、亜人宴。

 人はかつて共食いにより自滅の危機に瀕した。それを救ったのが亜人エルフィンだった。

 古代人類とエルフィンは契約を結んだ。人がエルフィンを守り、エルフィンが肉を提供するという共生関係である。

 人より優れた知恵を持ちながらそれを封じ食肉となった彼らに感謝する為に、この日人々は盛大にエルフィンを食う。

 雲ひとつ無い青空が紅い夕日に染まり、やがて満天の星空を迎える頃。

 夜の闇を打ち消すかのような無数の松明の灯火が、煉瓦の町並みを朱く染める。

 十日にも及ぶ祭典を経てなお、人々の熱気は冷め遣らない。むしろ日に増して加熱する勢いであった。

 ドミノ・オムニバル。聖・狂食祭と名付けられたこの祝祭も十日目を迎えてやっとメインイベントへと運ばれることとなった。

 この時ばかりは王都オルパスの宮廷は民衆にも開かれる。正門から宮廷までの前庭は熱狂する人々で溢れた。ただし、その興奮を胸の内に秘めて静かに庭園を満たす。

 庭園に招かれた人々は皆、テーブルいっぱいに盛り付けられた料理を眺めたまま静かに垂涎している。誰もが、今にも肉に飛び付かんばかりの勢いを抑えながら開式の辞を待っているのだ。

 やがて宮廷のバルコニーに男が現れた。大いなる権力者であろうことは、そのいかにも荘厳な佇まいからも想像に難くない。誰もが知る現国王、アラクトである。

 国王は民衆がよく見える位置へとさらに一歩前に出た。それはつまり民衆からも彼の姿がよく見えるということでもある。

 その異様な姿に、人々は神妙な面持ちでそれを凝視する。小柄でありながら丸々と太ったその姿はまるで強制的に太らされた食用エルフィンの様でもある。

 街路の熱狂とは対照的に静まりかえる庭園を見下ろして、国王は唐突に口を開いた。

 国王の声が響く中、民衆はそれに耳を傾ける。

 国王にのみ許された貴族語による開会の辞。エルフィンとの契約を守り今まで繁栄してきた人とエルフィンの歴史を独特なイントネーションで語る。

 それは辺境で略式に語られる演説と違い、まるで一つの長い歌の様であった。小柄の老人の口から紡ぎ出される声は、あるメロディーを完成させていた。日常の場面において国王が語る言葉や伝令役などが読み上げる貴族語は、全てこの長い歌から単語を拾い上げて作られた断片的なツギハギでしかない。この貴族語はこの歌の中で初めて完全な形となる。

 アラクトが唄い終えると、それが開会の合図であった。

 先ほどの歌の余韻に浸りながら、人々は庭園に用意されたエルフィン料理を食べ始める。もちろんすでに加工されたエルフィン肉であり、エルフィンの鳴き声など聞こえるはずも無かった。

 アラクトはその様子をしばらく眺めてから宮廷の中に戻った。

 宮廷の中ではアラクト聖誕の記念式典が始まろうとしている。

 ドミノ・オムニバル前日に行われた晩餐会でも使用された食堂に、ガンスティールはいた。彼の隣にはシェンレイが控えているが、ユノーはそこにいない。国王に献上する料理としての下ごしらえを受けていることだろう。ガンスティールとユノーの別れは実にあっけないものだった。ガンスティールがまだ寝ている間にユノーは連れて行かれた。次にユノーがガンスティールに会うのはきっと食卓の上の料理としてだろうと彼は思った。

 

 アラクト王の誕生を祝う式典は、あからさまに異常だった。

 アラクト王を除く二十三人の領主たちが無言で見守る中、アラクト王もまた終始無言でテーブルに盛られた料理を食べ続けている。

 果実を食べ、肉を食べ、穀物を食べ、酒を飲み、虫を食べ、羊の乳を飲み、魚を食べ、トカゲを食べている。

 これから起こることを誰も知らないだろうし、誰もが知っているのかもしれなかった。

 常人にはありえないほどの料理を次々と食べていくアラクト王は、もしかしたら全身に料理を詰め込んでいるのかもしれないと思わせる姿だった。

 やがて料理人が現れた。その場にいる者の殆どが知らない事であり、知る必要も無い事だが、その男こそが神聖帝国サージェスの宮廷料理人キーン・ヴァイオンである。

 領主たちが囲む輪状の食卓の中央に料理台があり、料理人は今日の為に集められたエルフィンたちを引き連れてそこへ行った。

 どうやら、国王の前で料理をしてみせるつもりのように見える。

 料理人が引き連れるエルフィンの群れの中に、ユノーの姿もあった。ユノーがまだ生きていることにガンスティールは僅かな安堵を覚えた。

 料理人が調理道具の用意をしている間に、使用人たちが今日の亜人宴で民衆に振舞ったのと同様のエルフィン料理を運んできた。ゲストの農家に振舞う為のようだ。

 それらは大層豪華なエルフィン料理だと言えよう。生きたまま切り身にされているものや、手足をもぎ取られ揚げ物にされているものなど、人間の死体を連想させるものばかりだった。

『早く、食べて』

 ガンスティールの脳裏には、先ほどから死に掛けのエルフィンたちの叫びが聞こえ続けていた。それらはすべて、喜んで人間に食べられようという彼らの願いであった。

 これから起きる事をガンスティールはひしひしと感じていた。その出来事の中心にどうやら自分がいるらしいとも感じていた。

 そして、そこにある狂気が最高潮に達する時が来た。


 初めに動いたのは、王都のエルフィン農家セージュだった。彼はおもむろに席を立ち、調理道具の準備を終えた料理人キーンのもとに近づいた。その動作を止める者はいない。

 セージュはアラクト王に向き直り、調理台を指して言った。

「古き人間の王よ、準備は整った。古代の契約はこの日をもって終わりとしよう。この調理台に乗るがいい。今宵のメインディッシュは貴方だ」

 この王国のしきたりとして、王の地位と権力は先代の王の肉を新しい王が食することで引き継がれることになっている。

 ここでアラクト王の肉をこの場にいる者で分け合えば、王という古い制度は終わることになる。

 だがアラクト王はまるで聞く耳を持たず、目の前の料理を次々と食べ続けていた。

「強欲な化け物め、貴方の時代はもう終わったのだ」

 セージュは苛ついた様子で、アラクト王を無理やりにでも調理台に連れて行こうと彼の食卓に近づいた。

 そしてアラクト王の王冠を奪おうと手を伸ばした。

「さあ、その王冠を捨て」

 セージュが伸ばした手をアラクト王が掴んだ。とても老人とは思えない俊敏な動作であった。そして、その手首から先を噛み千切り、噛み砕いた。セージュが痛みに気づいたときには彼の手はすでに飲み込まれていた。

 悲鳴を上げる間も無くセージュは王の食卓に引きずり上げられ、まるで木の葉が滝壺に飲み込まれるようにセージュはアラクト王に食べられていった。

 アラクト王はすでに食欲だけの存在になっていると誰もが察した。しかし誰も動くことが出来なかった。

 肩まで食べられたところでセージュは食卓から転げ落ちた。血が噴き出す傷口を押さえながら彼は笑っていた。そして叫ぶように呪いの言葉をあげた。

「良い。良いぞ。この狂った世界の終わりに相応しい」

 セージュは苦痛に悶えながらも満足げだった。彼は傷口から大量に血を流し、やがてその場で動かなくなった。


 狂気の宴は続く。 

 セージュの失敗を見て、宮廷料理人キーンはその場にいたエルフィンを調理し始めた。もしアラクト王の食卓が空になれば王は手当たり次第に物を食べ始めるだろうと彼は察知したのだった。

 キーンの調理台に集められたエルフィンたちは恐れる様子も無く彼に腹を割かれ、肉を刻まれていった。

 まず、数頭のエルフィンが料理と化した。

 それさえもアラクト王は食い散らかした。

 すると、食材の群れから一頭のエルフィンが飛び出した。ユノーだった。

「王様、次の料理は私です。どこからでも好きなところからお食べください」

 ユノーはそう言うと着ていた服を脱ぎ捨てた。褐色の肌、白い髪、紅い目をすべてアラクトに向ける。

 エルフィンが言葉を話している事にアラクトはまるで驚きもしなかった。そしてアラクトは目の前のテーブルを押しのけ、ユノーに手を伸ばした。

 ユノーは毅然とただそこに立っている。ガンスティールには止める間も無い事だった

 しかしそれを止めた者がいた。

 宮廷の衛兵たちの間から姿を現したのは、ガンスティールにとって見覚えのある男、オディナロだった。

「恐れ多くもウェルトゥム国王陛下であらせられるアラクト王に進言いたします、そのエルフィンは一月ほど前に病に冒された物。国王陛下、そのエルフィンを食べてはいけません」

 壇上にどよめきが走る。オディナロはユノーを壇上から降ろそうとその手を引く。

「何をいまさら。ここまできて止めないでください」ユノーがオディナロの手を振り払う。

「国王陛下、そのエルフィンは毒です。衛兵、このエルフィンを捕らえろ」オディナロは周囲の衛兵を呼んだ。衛兵たちは『食欲の怪物からエルフィンの少女を保護する為』にユノーを取り囲んだ。すでにこの場にいるものはすべてアラクト王を王位から退けようと思う者のみであった。

 しかしユノーは動こうとしない。

 ユノーは再び両手を広げて食べられる時を待つ。

 しかし彼はユノーを食べることなく席に戻った。

『食欲をなくした、もう良い。下がれ』

 アラクトは興味を失ったように手を振った。

「王様、どうしてですか。私はこの一年間ただ食べられる為だけに生きたのに」

 ユノーは叫んだがアラクトは聞かなかった。

 そこでユノーは衛兵の腰に提げられた小剣を奪い、王の足元に走り寄る。衛兵がそれに気付いて止める間もなく、ユノーは自分の腹を縦に引き裂いた。

「ほら、これが私の全て。『満足なエルフィン』です、どうか」

 ユノーは縦に裂かれた傷跡から自分の臓物を取り出して言った。血液と汚物の悪臭が壇上に流れた。

 痛みにユノーは、体液で顔を汚しながらも懇願した。

 それでも王は顔を背ける。

 ユノーは腹腔から内容物をこぼしながら衛兵に引きずられ、ガンスティールのもとにたどり着いた。

「ユノー」

 ガンスティールの問いかけに、ユノーは虚ろな目を向けて応えた。

「お父さん」

 ユノーは横隔膜より下の器官のほとんどを失い、それでもガンスティールに言った。

「ごめんね」

 ぽつりと言った言葉はガンスティールの心をえぐった。

「お父さん、がんばったのにね」

 ユノーは既に視力を失っているようで、虚空を見つめて彼女は言った。

「しょうがないから、私の肉はお父さんが食べてね」

 声は少しずつ弱まる。延命できない状態であった。

「そうすれば私はお父さんの血と肉になって、いつまでも一緒にいられるから」

 ガンスティールはユノーの手を強く握り、応える。

「わかった。これからはずっと一緒だ、ユノー」

 ガンスティールの応えが彼女の耳に届いたかは分からない。ガンスティールがそういい終わる前に力を失ったのだった。

 しかし、きっと彼女にその言葉は届いたことだろう。


 ガンスティールは立ち上がった。彼は自分が何をするべきか分かっていた。

 彼は大きく息を吸い込み、空気を震わせて歌を歌い始めた。

 子守唄のようなメロディー。それに乗せられるのは禁じられた貴族語での返歌だ。

 貴族語の演説とはつまり、古代人類と古代亜人類が交わした契約の歌。それに対して返歌は契約が満了する事を意味する。

 歌声は宮廷の外の庭園まで響いていた。

『ありがとう、人間たち。私たちは感謝している。今まではあなたにつき従い命を紡いできた。これからは共に生きよう。共に歩こう。共に互いの肉を食らおう』

 ガンスティールは、脳裏に響く歌声に合わせて歌っていた。それはもしかしたら、この国に生まれたすべてのエルフィンの総意であったかもしれない。

 その場にいた食材用のエルフィンたちは彼に合わせて歌い始める。

 庭園の民衆は亜人の肉を食するのも忘れてエルフィンの歌に聞き入っていた。

 やがて、歌声は新たな幻想と狂気を生み出していった。

 食材用ではなく、すでに料理となったはずのエルフィンたちでさえも、その歌に合唱を始めたのだ。

 濃厚なスープに浸かりながら、煮崩れたエルフィンが鍋の底から歌いだす。

 切り身になったエルフィンが皿の中から立ち上がり歌う。

 その情景はまるで、聖屍節に聖者が蘇るという伝承がいう亡者の宴そのものである。

 懸命に歌うガンスティールの足元で、何かがゆっくりと立ち上がった。

 ユノーの屍までもがその合唱に参加してきたのだった。

 庭園からは人間たちの悲鳴が聞こえた。この場所からは見えなかったが、蘇る料理たちに驚いていることだろう。

 歌が続く中で、蘇ったエルフィンのいくつかがアラクト王に飛び掛った。

 あまりの出来事に呆然としていたアラクト王はあっけなくキーンの調理台に運ばれた。

「よく、ここまで肥えたものだ」

 キーンは湾曲した包丁をアラクト王の腹にあてがう。

『何をするつもりだ』

 狼狽するアラクト王だが、両手と両足を屍のエルフィンに押さえつけられて身動きすらとれずにいる。

「何を、ですか。しいて言うならば、これは『革命』ですよ。聞こえていたでしょう。もう、人間がエルフィンを食べるだけの時代は終わったのですよ」

 獰猛な笑みを浮かべてキーンは言った。彼の両耳は人間のように短く丸いものだったが、彼がどちら側なのかは誰も知らない。

 あてがった包丁で、彼はアラクト王の腹を下から上へ縦に割いた。たったそれだけのことで、アラクト王は豪勢な一品料理と化した。やはり彼の体の中には隅々まで多種多様な料理が詰まっていたのだ。

 二十三人の領主たちはようやく席を立ち、かつて王だった者の肉を切り分けて食べ始めた。

 それをきっかけにして、次第にそこかしこから、人間のものともエルフィンのものともつかない鳴き声が上がった。

 人間もエルフィンも対等に、互いが互いを食べ始めたのだろう。

 亜人宴は大いに盛り上がった。人間の前には良く肥えた亜人。亜人の前には良く肥えた人間がいたのだから。

「ねぇ、お父さん」

 唄い終えたユノーが、ガンスティールを見上げてにこりと笑った。

「なんだい、ユノー」

 宮廷に満たされた食事の音にまぎれないように、ガンスティールは大きめの声で応えた。

「わたしね、お父さんに食べてもらいたいの。きっとおいしいよ」

「あぁ、そうだろうね」

 ガンスティールはユノーの右手に軽く口付けをした。

 そのしなやかな指先から美味しく頂くことにした。

 ガンスティールがその場で食べた彼女の指は、以前食べたときよりもさらに美味であった。

 彼女は幸せの味に違いないとガンスティールは強く思った。

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