第8話 終焉(しゅうえん)

 ガンスティールらのエルフィン農場主が解放されたのは、ドミノ・オムニバル開催の二日前。

 準備会の者が手回しをしていた。それぞれの農家の自慢のエルフィンが国王の宮殿に集められていた。そして、それぞれの農家はドミノ・オムニバル十日目のメインイベントでのゲストとして宮廷内に控え室があてがわれていた。

 釈放された夜、ガンスティールは宮廷の使用人に案内されその部屋に行った。

「旦那さま、ご無事で」

 『ガンスティール・ビノシェの控え室』では、給仕のシェンレイが彼を迎えた。

 彼女は逃げなかった。もちろん、主人の娘であるユノーを救おうと獣医を呼びに行ったのだった。

「エメトさんはお屋敷で旦那さまの帰りを待ち侘びていました」

 シェンレイ、エメトは彼を見捨てなかったのだ。

 我儘なエゴイストであった、それでも彼女らは彼を主人として仕えていたのだった。

 そしてシェンレイは控え室の窓際を指差す。

 緑色のドレスを着た少女がそこにいた。褐色の肌、白く長い髪、振り返り見つめあった瞳は、透き通った紅。

「ユノー」

 ガンスティールは駆け寄り、ユノーを抱きしめた。

 ユノーも彼の背中に手を回し、彼にしがみついた。

「お父さん」

 彼を『お父様』ではなく『お父さん』と呼んで、ユノーは顔をぐしゃぐしゃに歪めて泣き出した。

「良かった、生きていて」

 ユノーは自分の肉を食べたせいでガンスティールが死んだものと思ったそうだ。そのためシェンレイの連れてきた獣医によって回復し、屋敷に彼がいないと知ると酷く荒れたのだという。

 シェンレイが泣きじゃくるユノーをなだめながら、そのいきさつを話した。

「お父さん、もうどこにも行かないで。私はずっと、お父さんと一緒にいたい」

 ユノーは涎と涙で濡れた顔をガンスティールに押し付けて彼を抱き締めた。

 その時である。

 控え室の扉が開かれ、衛兵が二人入ってきた。

 何事かと身構えると、その二人に守られるように一人の男が部屋に入ってきた。

 見覚えの無い老人である。しかし、その禿げ上がった頭部に乗せられた王冠は見た事がある。

 現ウェルトゥム国王、アラクト陛下であった。

 アラクトは聞き取りづらい発音で難解な貴族語を話した。

 貴族語は王の言葉である。主に王からの伝令に使われるが、これはつまり王からの言葉であるという権威を示す為のものでもある。現在では文書の機密を守る為の暗号のように解釈されるが、古来その国の王にのみ許された神の言葉であるとされている。つまり会話にそれを用いる事が許されるのは国王だけ。伝令役は王の口の代わりであった。

 時折咳き込みながらか細く話すアラクトの姿は、ガンスティールが噂に聞くほどの大食漢とは思えぬまでに小さく見えた。

 アラクトはこう言った。『私の部下が失礼をした。君のエルフィン料理を楽しみにしている』と。

 ガンスティールはそれに対し当然貴族語は使わず、一切の言葉を出さずにひざまずいて一礼した。一介の下級貴族が王に対して許されるのもまた肯定のみであった。

 アラクトはガンスティールの後ろに隠れるユノーを見つけた。

 衛兵に支えられながら彼女に近づき、その右の手を取って見た。親指が無いその手を。

 アラクトはそれに気付いたようで、ゆっくりとガンスティールに向き直り、また口を開いた。

『おいしそうなエルフィンだ。つまみ食いは許そう』と。

 ガンスティールはひざまずいた姿勢からさらに頭を深く下げた。

 アラクトは咳き込みながら、その長い髭が揺れるほどに笑った。

 それが、この一年間ガンスティールを狂うまでに悩ませた男の姿だった。

 アラクトは衛兵に左右を支えられながらゆっくりと部屋を出て行った。

 ガンスティールは分かった。あの老体が十一日後にはユノーを食べるのだ。

 このまま何も無ければ、確実に。

 再会の感動が失せるほど、部屋は重い空気に入れ替わってしまった。

 ガンスティールは激情に歯を軋ませる以外できなかった。

 それがドミノ・オムニバル・二日前の夜の出来事。


 ドミノ・オムニバルに前夜祭は無い。オムニバル自体が盛大な前夜祭だからである。

 例年、オムニバルの十日目の夜が明けると、聖屍節と呼ばれる記念祭に移行する。

 聖屍説とは歴史上の聖者の屍が年に一度蘇り町を歩くと言われる日である。その日は日の光の当たる場所には出てはいけない。死んだ聖者の屍が一年を通してその節だけ太陽の光を浴びる事が出来るからであり、日の光を浴びたものは聖者の屍と共に墓に連れて行かれるとされる。

 そして聖屍節では食べ物がみな死者のための物となる。これも、一年を通してその節だけ屍が物を食べる事が出来るからである。聖者の屍に捧げる為に、オムニバルの間は日の当たるところに食べ残しを放置することになっていた。一説によれば、これは他の宗教にも見られる断食の儀式に理由をつけるものであったそうだ。オムニバルの間に多くの食べ物で腹を満たし、聖屍節の間の空腹をしのぐようになったとも言われる。

 夜行と断食は一週間続く。それが明けた日に人々は空腹を満たす為自然と多くの食事をとるので、メインのオムニバルでの暴食と断食明けの暴食をさして『オムニバル・マヨル』『オムニバル・ミノル』と呼ぶこともある。

 オムニバル・ミノルは各家庭において規模の違いがあるが、オムニバル・マヨルは国を挙げて暴食を行うものだ。各市町村のメインストリートを巨大な食堂に見立て、金のあるものが材料を出し合ってそこに料理を並べる。そして誰が食べてもかまわない。貧しい者でも最高級の料理が堪能できる祭りだった。またその華やかさを競う為、各地方の領主は私財を投げ出して町に料理を溢れさせる。

 ドミノ・オムニバルの前日、王都の城下町は様々な料理の匂いで溢れている。ガンスティールはユノーとシェンレイを連れて王都のオムニバルを見学していた。王都の町並みはマハエル城下町に似ている。元は領主アラクトのオルパス領であり、アラクト城を中心に八本のメインストリートが放射状に伸びているメインストリートからは隣のメインストリートに向かって横道が伸びているので、上空から見ればまるで蜘蛛の巣のようであった。

 赤煉瓦造りのメインストリートには白いテーブルクロスをかけられた大きな食卓が並んでいる。また路上に点々と簡易の屋台が並んでおり、料理人が仕込みに追われている。街中の背の高い住居同士の間には華やかな装飾がかけられている。そして、オムニバルで夜中にも食べ続ける事が出来るようにと一定間隔で街路灯が設置されていた。

 この日がオムニバル前日ということもあり、メインストリートには多くの人が溢れている。その中をはぐれないようにガンスティール、ユノーは手を繋いで歩いていた。二人の一歩後ろをシェンレイが歩く。これからの十日間、今よりももっとメインストリートには人が集まるのだろう。

 ガンスティールはドミノ・オムニバルを楽しむつもりは無かった。だがユノーを連れて逃げる事は出来ないとわかった。それは、宮廷を出て以降周囲に一定の距離を取って数人の監視の目がガンスティールたちを見張っていることでわかった。彼らは食材の身に危険が及ばないようにと保護してくれているようであったが、それは同時にガンスティールが逃げ出すのを阻む事になっていた。王都の駅は他の領地からの観光客が溢れていて身動きも出来ないであろうし、近づけば監視の者に止められるだろう。

 ユノーが国王に献上され食われるというのは、避けがたい運命になってしまったとガンスティールは感じた。諦めたくは無かったが、諦めざるを得ない。

 ガンスティールはしばらくメインストリートの屋台を見て回ったが、日が暮れた頃には偶然を装った衛兵に引き止められ、宮廷へと送られた。

 アラクト城は既に老朽化し、象徴としての建造物だけになっていた。そのアラクト城の周囲に新たに作られたのが宮廷である。宮廷の食堂ではアラクトを含むウェルトゥム王国の二十四領主が一堂に会し、晩餐会を開いていた。その中にはもちろんガーベント領主マハエルの姿もある。マキシム領主イサクは遅れるとの事で、今日はその姿が見えなかった。

 二十四領主の食卓から一段低い位置に、今回のドミノ・オムニバルのゲストとして呼ばれた各領地のエルフィン農家のための食卓が用意されていた。こちらも席は二十四個。ただし座る者は二十三人である。エルフィン農家の二十三人は今ではお互い見知った仲だ。三週間ずっと同じ部屋に入れられていたのでお互いの名前も知った。彼らの誰もが、自分のエルフィンこそが一番美味いと豪語していた。そのはずである。彼らが一年間すべてをかけて、そして美味しくなると信じて育てた自慢のエルフィンだったのであろうから。

 これから十日間、人々の食に対する狂気を見るのかと思い、ガンスティールは食欲を失った。今宵の晩餐会は国王アラクトが満腹になるまで続いた。


 ドミノ・オムニバル一日目、収穫宴。

 今日という日を祝福するかのような晴天に見舞われた。

 オムニバルは全行程十日間の中で、一日ごとに食材を変える。例えば今日の一日目であれば草食祭。草、葉、根、果実やキノコなどを主に食す。原初の食べ物としてあり続ける植物からの恵みへ感謝を表す為にそれを食す。

 晩餐会が夜遅くまで続いたので宮廷の控え室で昼まで寝ていたガンスティールは、宮廷の使用人に起こされてやっと目を覚ました。使用人はガンスティールの部屋の中に料理を運んできたのだった。

 ガンスティールは濃厚な匂いを嗅いで、今日がオムニバル一日目であることを思い出した。

 使用人によれば、十日間のオムニバル中は宮廷の外には出る事ができないという。それは食に狂乱する民衆で街路が埋め尽くされているからであるが、同時にエルフィン農家の者たちを反アラクト派から保護するという意図もあったようだ。少なくともこの宮廷内は国王アラクトを崇める者しかいないようだった。

 ガンスティールは思う。今はアラクトの治世、たった十日で世の中が変わることも無いだろう。ユノーと共に生きるにはどうすればよいのか。

 ガンスティールは控え室の中でユノーらと共にオムニバル料理を食べた。ユノーの好きなゴボウの料理もある。ユノーは頑張ってニンジンを食べようとフォークですり潰して細かくしている。「あぁ、今この瞬間はこんなにも幸せなのに」ガンスティールはせめてこの光景を目に焼き付けようと、目の前のユノーを見つめる。彼女と目が合う。「あぁ」「お父さん、やっぱり私、ニンジン嫌いみたい」「いつか食べられるようになるさ」「うん、そうだね」

 ガンスティールはこうしてオムニバル一日目を浪費した。


 ドミノ・オムニバル二日目、狩猟宴。

 獣と同様、人間も肉を食べる。かつての人間は狩りをして獣と戦い、危険を冒しながらもその肉によって生きた。この日は四足獣と猛禽類に扮した民衆によるパレードがある。そしてパレードの行列の最後尾には毛皮を着た人間が歩いて古代人類の狩りを模す。この日食べるのは四足獣と鳥の肉である。

 パレードは各領地の城下町でも行われるように、この王都オルパスでも同様に行われる。宮廷ではそのパレードを見学する為、最上階に特設された観覧席に王と領主が集まっていた。

 この日、ガンスティールは他の農家の者に会いに、自分の控え室から出て宮廷ロビーに行った。宮廷内は廊下にテーブルが設置されており、常に料理が絶やされる事が無かった。ロビーでは数人の農家の者が談笑しながら肉を立ち食いしていた。

 ガンスティールはそこでの話し合いに一日中付き合わされることとなった。夜になっても廊下の食事は絶えることなく、胸焼けするような匂いの中ガンスティールは自室に戻った。


 ドミノ・オムニバル三日目、農耕宴。

 人は農耕技術を身につける事により安定した食を自給する事が出来るようになった。その古人の知恵と恩恵に感謝し、この日はムギやコメなどの穀物の料理、パンやピラフを食べる。

 ガンスティールは昨日の話から、『エルフィン・ハーフ』の研究をしている者が自分に会いたがっていると知った。留置所で知り合った者の一人だ。領主ラッシュのパンゲ領でエルフィン放牧をしているという農家ライムユートである。それは、集まった二十三人の農家の中で唯一の女性であり、男ばかりの留置所内で人一倍それなりの苦労していた者だった。

 ガンスティールはライムユートを尋ねるため、彼女の控え室に行った。しかしそこには彼女の執事を名乗る者がいるだけで後は誰もいなかった。執事の男からライムユートの行方を聞くと、彼女は宮廷の中庭に仮設された飼育所にいるそうだった。もちろんガンスティールはすぐにそこへ向かった。

 宮廷の中庭は、アラクト城を取り囲む堀にそって円形に一周するものだった。そこには白くて四角い大きな箱がいくつかあった。それはどうやらゲスト農家の為のエルフィン飼育所のようだ。四角い箱は全部で二十四個あったが、うちいくつかはつかわれていない。

 ガンスティールは二十四個の箱の中を一つ一つ見て回った。しかしライムユートの姿はない。

 改めて中庭を見渡すと、数匹のエルフィンを連れて歩く者がいた。それがライムユートだった。

「お久しぶりです、ライムユート」

「ガンスティール、二、三日前に会ったばかりじゃないか」

 ライムユートは春先だというのに厚い毛皮のコートを着て大量に汗をかいていた。体型を隠すその格好と気さくな口調から、留置所では男性用の部屋に他のものと一緒に入れられていたのだった。確かに、領主マハエルのガーベント領の北方に隣接している領主ラッシュのパンゲ領は寒冷な高山地帯である。春でも寒いのだろうがその格好は王都オルパスで見ると気温に対して不釣合いに見える。

 ガンスティールが昨日ロビーで話を聞いたことを告げると、彼女はすぐに本題を話した。

「ガーベント領で農家やっているのは、あんただったよな。私の連れ合いがさ、ガーベントで『エルフィン・ハーフ』を日常的に食べている農家がいるって言っていたんだ。それで、ちょっと話してみたくてさ」

 ライムユートは厚いコートと帽子の下から爛々と眼を輝かせてガンスティールに問いかけた。

「なーなー、どんな料理なんだよー。それって、うまいのか」

 ライムユートはガンスティールが答えられずにいつにもかかわらず、しつこく訊いてきた。

 ガンスティールは、どう答えたものかと思案する。

 ふと彼女の連れているエルフィンを見ると、白黒のまだらな地肌の牡エルフィンだった。ただしどれも去勢している。

 ガンスティールが満足なエルフィンを誤解したように、彼女も『エルフィン・ハーフ』については何かを誤解しているようだった。

 ガンスティールは唐突にオディナロの言葉を思い出す。オディナロはかつてガンスティールが食べていた物の事を『エルフィン・ハーフ』と呼んではいなかっただろうかと。ガンスティールはもちろん『エルフィン・ハーフ』などという言葉も知らなかったのに何故。

 ガンスティールはライムユートの質問には後で答えると前置きしてから、訊ねてみた。

「ライムユート、君の連れ合いの名前は」

「ん、オーミィ。それが何か」

「いや、いい」

 彼は、もし彼女の連れ合いの名前がオディナロであったなら恐ろしいと思ったが、そうではないようだった。

 ライムユートは思い出したように付け加えて言う。

「よかったらガーベントの農家に案内するぞってオーミィに言われたんだけどね、そんとき断ったけど、今こうして会えたからいいかな、なんて。でさ、どうなんだよ料理は」

 ガンスティールはそれに対し、「真実など知ってもつまらないものだ、私もそうだった」と言って中庭を出た。

 部屋に帰る途中、廊下で立ち食いしているユノーを珍しげに見る三人の農家と出会った。

 ユノーを含めた四人は、翌日の酩酊宴で出されるはずの酒を既に呑み始めていた。

「ユノー、帰るぞ」

「えっ、まだ食べてる途中なのですけれど」

 ユノーはまるでリスのように食べ物でほほを膨らませていた。

「それに、農家の方たちと話してる最中ですし、それが終わったらちゃんと部屋に戻ります。いいでしょう、お父さん」

 ユノーはそういうと、口の中のものを飲み込んでもいないのに左手でローストチキンを掴んでいた。前日の余りだが、再加熱されているようである。

 威勢の良い食べっぷりに農家の者たちはすっかり感心していた。

 ガンスティールは、彼らがユノーをエルフィンだと知らないのではないかと思ったが、「愛嬌のあるエルフィンだねぇ」「うらやましいぜ、ガンスティール。こんなに自由奔放なエルフィンは見たこともねぇ」などと囃し立てたので一応ユノーがエルフィンだということは分かっているらしい。

 また彼らの様子から、ユノーの事情をある程度分かっている風にも見えた。ユノーに対して優しく見守っていてくれているようでもあった。

 ガンスティールは安心し、彼らにユノーを頼むと言って自分は部屋に帰った。自分が見ていない隙にユノーを食うというならば、彼らはガンスティールが中庭でライムユートを探しているうちにもそれが出来たはずであるから。

 自室にも運ばれてきた料理を食べていると、泥酔したユノーが帰ってきてそのままベッドに倒れこんだ。

 そこでガンスティールは消灯し、三日目を終えることにした。


 ドミノ・オムニバル四日目、酩酊宴。

 三日間の暴食の小休止として、四日目は酒類を飲む。前三日間に比べれば穏やかな日だった。天候も程よく雲が太陽を隠し、わすかに肌寒い程度だ。

 ユノーは前日に農家の男たちと呑み比べをしたといい、朝から既に二日酔い状態になっていた。

 ガンスティールが宮廷のロビーに出ると昨日ユノーと話していた三人がロビー備え付けの椅子で寝込んでいた。そっとしておく。

 あと六日で亜人宴、エルフィン料理の日になる。このまま運命に流されて良いものかとガンスティールは思う。なんとかユノーに未来を。

 ロビーの食卓には野菜料理、肉料理、コメ料理、酒が並んでいる。こうして一日ごとにテーブルに並ぶ品目が増えていくと、どうしてもその最後にユノーが料理として並べられる姿を思い浮かべてしまう。それを避けることは出来ないのだろうか。ガンスティールにいま思いつく術が無かった。

 そして、彼は昨日会ったライムユートを思い出す。そうだ、彼女ともっと詳しく話をしていればと悔やんだ。彼はなりふりを構わずライムユートを探す事にした。しかしこの日彼女に会うことは出来なかった。

 何の解決の糸口も見つからぬまま、ドミノ・オムニバル四日目が終わった。


 ドミノ・オムニバル五日目、蠱毒(こどく)宴。

 人は虫も食べる。害虫、益虫を問わず虫は貴重な蛋白源であるから。人は足りない栄養をどのような形であれ取らねばならない。山間部であればコオロギやイモムシ、沿岸部であればカニやナマコのような一見グロテスクなそれでさえ食物として見れば貴重な恩恵である。それらの日用の恩恵へ感謝し、この日は甲殻類などを主に食べる。

 天候は昨日よりも雲が増し、宮廷から見える景色も薄暗いと感じるほどだった。しかしメインストリートの熱気は上々、これまでの四日間よりもさらに加熱しているようであった。

 ガンスティールは焦った。宮廷内で許された場所の全てを歩き回った。何人かの農家にあって話を聞くことはできたが、彼が抱える問題の解決が出来そうな情報は無かった。

 夜になり五日目も諦めて部屋に帰ろうとしたとき、彼の控え室の前で待つ人影があった。

「ライムユート」

 ガンスティールが昨日探し回っていた女性農家、ライムユートだった。

「話を聞いて、ガンスティール」

 彼女は周囲を確認し、ガンスティールを人気の無いところへ誘った。中庭の使用されていないエルフィン飼育所、そのひとつに二人は入った。

 彼女は後ろ手に飼育所の入り口を閉ざし、明かりもつけないまま話を始めた。

「あんたは知っているんだろ、『エルフィン・ハーフ』の作り方。教えてくれないか」

 ライムユートは多少興奮していた。それは焦りかもしれない。あと数日で国王にエルフィンを献上しなければならないのだから。何とか正解を導きだして処罰を免れたいのだろう。その気持ちはガンスティールにもわかった。

 だが、今彼女に本当のことを教えれば彼女は絶望しかねない。かつてガンスティールがリトから『満足なエルフィン』の真の姿を教わった時のような困惑と焦燥と悲慨を彼女も受けてしまうだろうとガンスティールは危惧した。

 今ここに招待されたゲスト農家の中に、正解にたどり着いた者などどれだけいるだろうか。はたして、正しいエルフィン料理を完成させる事が正解なのだろうかとも彼は思った。

 我々は何を望まれているのか、それを知らねばならないとガンスティールは感じた。

 しかしそれに気付くのが一年遅かった。

 ガンスティールはその後、彼女に『エルフィン・ハーフ』の全てを打ち明けた。彼女から軽蔑はされたが拒絶はされなかった。また、彼女は絶望などしなかった。自信を持って自分の自慢のエルフィンを献上すると言った。

 全てを打ち明けたお礼をしたいとライムユートが提言したが、彼はそれを丁重に断り自室に戻った。

 そして、残り時間が少ない事を悔やんだ。


 ドミノ・オムニバル六日目、母乳宴。

 母乳とは、哺乳類が生まれて始めて口にする栄養源だ。母体から切り離されてから自分で食料を得る事が出来るまで、哺乳類は母乳を与えられて育つ。その栄養価に目をつけ、人は動物の母乳を蓄える術を知った。この日はウシ、ヤギの母乳のほかに珍しくエルフィンの母乳も振舞われた。

 ガンスティールがエルフィン乳を飲もうとするのをユノーが顔を真っ赤にして怒ったので、この日はユノーをなだめる為に一日中ずっと自室でユノーと食事を楽しんだ。

 それはそれで、久しぶりに楽しい一日となった。


 ドミノ・オムニバル七日目、大漁宴。

 人が肉を得るのは地上からだけではない。ウェルトゥム大陸沿岸部では四足獣の肉よりも魚介類の方が身近で、また豊富に取れた。交通機関の発達によりその消費は現在では広範囲にわたる。近年エルフィンの飼料として注目されているのも、魚類の肉である。

 この日の空はまるでガンスティールの心情を表すかのように暗雲に包まれ、今にも泣き出しそうであった。ただし、それでも民は食べる。恩恵への感謝を忘れぬ為に。

 生きるということは食べ続けるということだ。それがいつしか飽食を引き起こしたとして、問題は無いはずだった。

 自然界の生態系は、食べる者が増えれば食べられる者が減り、結果食べる者が餓死して食べられる者が再び増える。人間もその大きな流れのひとつだ。繁栄し過ぎれば、滅びる。大きな流れから見れば、種としての人間もわずか一瞬煌めいて消える星の光のようなものなのだろうか。ガンスティールは思った。どんなに永く輝く星も、いずれ消える。それがどんなに短い間でも、同じ。

 ガンスティールはユノーの死を受け入れる覚悟をした。

 残りの三日間、どれほど上手く立ち回れるか分からないが、ガンスティールはこの饗宴が終わるまでに答えを見つけたいと願った。ユノーにとっての幸せとは何かを。

 どのような形であれ、ガンスティールは彼女を幸せにしたいと願ってしまったのだ、一年前に。ならば最後まで彼女に付き合うことが自分に課した義務だとガンスティールは思う。

 ユノーは死を覚悟している。そしてガンスティールもそれを受け入れると決めた。ならば彼に出来る事はひとつ。

 逃げ出さずに、彼女に幸せな死を。

 ガンスティールは今まで避けてきた『ドミノ・オムニバル十日目』の調査を始めた。

 その調査は、逃げ出す算段をすることに比べて比較的楽に機会を得る事が出来た。

 王都オルパスでエルフィン農業を営む男、セージュ。留置所に入れられたときに中心人物となり状況の説明を行っていた者だ。彼は歴代オルパスの領主に仕えて宮廷の為のエルフィン肉を供給してきたため、王からの信頼も厚い。恩赦によって留置所から出る事が出来たのもそこに彼がいるからとさえ言われていた。

 ガンスティールの頼みを、彼は快く受け入れてくれた。そして九日目には最終日の式次第の写しを渡してくれると約束した。その式次第にはいつどのようにエルフィン献上が行われるかが書いているとの事だった。

 ガンスティールは彼に感謝し、ゆっくりとその日を終えることが出来た。


 ドミノ・オムニバル八日目、討竜宴。

 ユーラ地方特産の大トカゲ、通称ドラゴン。その圧倒的な力により、彼らは永きにわたって地上に君臨し続けた。しかし、知恵を身につけた人間にとっては既に飢えを満たす栄養源でしかなかった。

 人が自分よりも強い者を食べるということには意味がある。それは知恵により強者を征した証であり、また強者の肉を食らう事でその力を自分の者にしようとする事でもある。

 食べる事は、相手を自分の内側に受け入れる事。同化と征服。人は全てを食らう事で生態系の頂点であると自らを誇示した。

 この日は大雨に見舞われた。雨は街路灯を消したが、それでも人々は路上で歌い、踊り、食べ続けた。それこそが自らの証であるかのように。

 ガンスティールは雨が降る町を眺めながら、ユノーと共にドラゴンの肉を食べていた。

 ドラゴンの頭の丸焼きが部屋に運ばれたとき、ユノーはじっとそれを見ていた。珍しいのかも知れないと思ったが、どうやら別に思うところがあったようだった。

「お父さん。これ、ドラゴンの牙でしょうか」

 ユノーはドレスの胸の谷間から首飾りを取り出した。そして目の前のドラゴンのそれと比べて、形が同じである事を示した。

「ユノー、それはそこで手に入れたんだい」

 ガンスティールは見覚えのあるそれの出所を訊いた。まさかユノーがドラゴンを倒した事も無いだろうし、誰かから貰ったのだろうけれど。

「これは、オディナロさんがくれたものですよ」

 ユノーはあれこれ思案し「たしかに、そうです」と言った。

 オディナロ。ガンスティールを裏切り秘密警察として彼を監視していた人物。そして彼をこのオルパスまで連れてきた人物であった。

 またその首飾りはガンスティールがかつて友情の証としてオディナロに渡した物のはずだった。

 これをユノーに渡すとは、どういうことだろうか。ガンスティールはその意味を考えた。友情と決別するという意味か。どうあれ、今のガンスティールにとっては見たくもない物だった。

 そして夜、ユノーが寝たのを確認してガンスティールは部屋を出た。

 というのも、彼の給仕シェンレイが先に部屋を出て行ったからだった。

 ガンスティールは不審に思う。シェンレイは一体何をしに行ったのか。

 宮廷の中は真夜中であっても足元が見える程度に明かりがついていた。オムニバル中は昼夜を問わず飲食が出来る事になっていたからだ。おかげでガンスティールの服にもすっかり服に匂いが染み付いている。彼にとってはまるで自分が料理にでもなった気分だった。

 シェンレイがどこに行ったのかガンスティールには分からなかったが、とりあえず宮廷内を探索するには一度ロビーに出なければならない。

 ロビーでは三人のゲスト農家が巨大なドラゴンの丸焼きと格闘していた。格闘、と言っても苦労しながら食べる事ではない。既に動かなくなっているドラゴンを相手に、食事用ナイフを剣に見立てて大げさな演技をしていた。

 そのように盛り上がっているところを他人に見られたら恥ずかしいだろうと思い、ガンスティールは彼らの視界に入らぬようそっとロビーを通過した。

 シェンレイがどこにいるかは分からないが、もし誰かと会うのであれば中庭だろうと彼は思った。そして中庭へ抜ける為に作られた石の回廊を中ほどまで歩いたところで、ふと足を止めた。

 わざわざ逢引きを見に行くものでもない、そう思い彼は引き返そうとした。その時、彼が今行こうとしていた中庭の方から足音が響いた。

 ガンスティールはその場を見回したが隠れる場所も無く、どうしたものかとも思ったが宮廷ロビーへ引き返す事にした。

 ロビーでは先ほどと変わらず演劇口調の声がする。先ほどと違うのは、料理を運んできたのであろう宮廷使用人が演劇に参加させられていることだ。なるほどあの時見つかっていたらこれに参加する事になったのかとガンスティールは思い、彼らに見つからぬように姿勢を低くして自室に戻り、その日は寝た。シェンレイは帰ってこなかった。


 ドミノ・オムニバル九日目、製菓宴。

 人は味覚を楽しませる為に料理を研究し、その最たる物として菓子を作った。それは栄養価を求める物というよりも味覚、視覚、食感において人を楽しませる為にある。

 料理、つまり食品の加工技術の起源として殺菌の為の加熱や腐敗臭を消す為の香辛料などがある。しかし、食を娯楽に変容させるのに大きな役割を果たしたのはやはり製菓であった。

 人間の食文化の進歩を讃えて、この日は多種多様の菓子を食べる。

 これでオムニバルの食卓は全て出揃った。後はこれらの料理を食べながら、最終日の亜人祭、エルフィン食いを成功させるだけとなる。

 この製菓宴では、オムニバル開催地のどこでも必ず民衆全員に配られる菓子がある。それは人の形をしたジンジャー・クッキーだ。このジンジャー・クッキーの起源は諸説ある。オムニバル直後に復活するとされている聖人たちを象徴したという説、人肉を禁じられてからその代わりとしてつくったという説、翌日の亜人宴のためのエルフィンが買えない貧しい人々が代わりに食べるようにとする説。諸説はどうあれ、このクッキーはオムニバルのシンボルとしても知られていた。

 この日、空は見事に晴れ上がっていた。昨夜は雨が降ったようで、控え室から見える街中では民衆の子どもたちが水溜りで遊んでいた。

 ガンスティールは、ジンジャー・クッキーを食べ終えたユノーにせがまれて宮廷ロビーへ行く事になった。ロビーではゲスト農家のために毎日絶やさず料理で溢れていたためだ。そしてこの九日間でユノーは友達を作ったらしい。ロビーに必ずいる三人の農家のことだろうとガンスティールは理解した。

 ロビーでは、いつもどおりのゲスト農家三人が疲れ果てて寝ていた。昨晩遅くまで演劇じみた事をしていたのだろうとガンスティールは推測する。その三人のほかにも疲れ果てた者が周囲のソファーに寝ていたからだ。

 ガンスティールはその中にシェンレイを発見した。昨夜帰ってこなかったのはこの三人に捕まったからだとよく分かった。

 ユノーはまるで死屍累々の様相を呈したロビーの中央にあるケーキ・バイキングが気に入ったようで、「しばらくロビーにいる」と言いケーキを食べ始めた。

 ガンスティールはシェンレイを自室まで運ぶ事にする。すると一人の男がソファーから起き上がって彼にこう言った。「手伝いましょう、ガンスティール」それはオルパスの農家セージュだった。

 セージュは多少足元がおぼつかなかったが、シェンレイを支えてガンスティールの控え室まで付き添った。

「ありがとう、助かった」

 そうガンスティールが彼に礼を言うと、少しうつむいて照れくさそうな表情を浮かべてから彼はこう言った。持ち上げた顔は真剣そのものであった。

「ガンスティール、ここだけの話として聞いてくれ」一段階ほど声を潜めてセージュはこう続けた「一緒にこの狂った世界から抜け出さないか」と。

 ガンスティールは目の前の男の真意を測りかねた。彼はこの王都で、国王アラクトからの信頼も厚い農業貴族のはず。この世界から抜け出すとはどういう意味を持つのかわからない。

「すでにこの宮殿は神聖帝国サージェスに掌握されている。あとはアラクトさえ引き降ろす事が出来ればこのウェルトゥムは変わる。ガンスティールにも分かるだろう、エルフィンは食用とされるだけの価値はない。それどころか、その優れた知性を有効に活用すればこの世界はよりよい発展が出来るはずなんだ」

 セージュは自己陶酔したかのように熱く語る。その様子にガンスティールは辟易し、またこう思った。「街談巷説のたぐいはもうたくさんだ」と。

 そのことをセージュにそのまま伝えると、彼はひどく落胆させられたようだった。

 セージュは控え室を出る前にこう言い残していった。

「ガンスティール、君はエルフィンとあれほど心を通わせている。我々は君に是非、この国の新しい王に就いて欲しいと皆願っている」

 決意を宿した声であった。

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