第7話 追憶
屋敷の前には既に囚人用の馬車が停まっていた。その御者は口の周りを血で染めたガンスティールを見て怖気づいたが、すぐに引きつった笑いを浮かべて言った。
「嬰児食いのビノシェ、また会ったな」
御者の言葉にガンスティールは何も言わず、自らその檻の中に入った。
ただ一人屋敷に残されたエメトに見送られ、ガンスティールの馬車は前後を王都秘密警察の馬車に囲まれて出発した。
ガンスティールの馬車の御者台には二人の男が座っている。御者とオディナロだ。
つまり彼が恐れていた秘密警察は実在したのだ。そしてオディナロがその一人だった
「四年前から、王都の依頼でお前を監視していた」
オディナロは自らの正体をガンスティールに打ち明けた。彼らが知り合ったのは四年よりも前であるから、ある時からオディナロからは裏切られていたのだという事になる。
「さて、ガンスティール・ビノシェ。自分とエルフィンとの子どもは美味かったか」
オディナロは、返事の無い檻の中に向かって勝手に語り続けた。
「分からないのか」
「そんなはずは無いよな」
「お前はかつてエルフィンに子どもを生ませて食っていたそうじゃないか」
「その頃のことを思い出したのだろう」
「それでまた食べたくなったのだろう」
「自分とエルフィンとの子どもを」
馬車はマハエル城下町から鉄道に乗り換えられた。
鉄道の貨物車両に囚人馬車ごとガンスティールは押し込められた。車両の中にはオディナロが見張りとしてついてきている。
ガンスティールは何一つ話すことなく檻の中にいた。
機関車に特有の振動と慣性で吐き気のする車内で、オディナロは再び話し始める。
「人の形をしているが人ではないもの、それがエルフィン・ハーフか」
「それを食べたとして、誰もお前を裁けないだろう」
「エルフィン・ハーフは存在しない事になっているからな」
「そもそも、人間は共食いをする種族だったから、おかしなことではない」
「今でこそ禁じられているがかつては人が人を食った時代があった」
「俺だって、無性に人間を食いたくなる時がある」
「恐らく、俺たちはそういう生き物なのだろう」
「だが人間は共食いによる自滅を避けるためにエルフィンの養殖を始めたんだ」
「今は誰だって、人肉を食いたくなったらエルフィン肉を食うさ」
「お前は耐えられなかったんだろう、人食いの衝動に」
「より人間に近いものを食おうと、農場のエルフィンに自分の子どもを生ませてな」
「もっとも、おまえなんかより悪い奴はいくらでもいる」
「わざわざ人を殺して食う奴もいるぐらいだからな」
「お前が年に一回の楽しみだけで満足していたのはマシだったのかもしれないな」
「その相手は、どう思ったかな」
「自分の子どもを食べていたお前を見たら」
「なぁ、ガンスティール」
「リトの工場にいたエルフィン、あれがお前の」
「いや、いい」
「さぁ、降りるぞ。ここが終着点だ」
「お前の、な」
王都オルパスは、三週間後に控えたドミノ・オムニバルへの熱気に包まれていた。
貨物車両から降ろされた馬車の中で、ガンスティールは笑っていた。エルフィン熱に冒された肉を食べた時から死を覚悟していたが、いまだに生きているという事実が愉快でならなかった。
そして、ガンスティールがかつて渡した友情の証を身に着けていないオディナロの姿を見て、再び笑った。
「リトを殺したのは、お前か」
死者が地の底から呼ぶような声でガンスティールがオディナロに尋ねる。
「あそこは俺の管轄外だ。俺の狙いはお前だけだったからな」
当然だろとオディナロは言い、御者台に乗りこんだ。
「ガンスティール、知っているか。リトはエルフィンだった」
そんなこと、とっくに知っていた。
「奴自身が他所から病気を運んでいたんだよ」
なるほど。
ガンスティールの身柄は王都司法に委ねられた。
司法官は留置所にガンスティールを案内した。
もちろん裁判はすぐには行われない。
ドミノ・オムニバルが近いからだ。
今のガンスティールの罪は公金の私的流用。
これは彼の意思に関わらず必ず罪に問われる事だったようだ。なぜなら、留置所には二十三人のエルフィン農場主が入れられていたからだ。
二十四人目であったはずのリトはもういない。
ここにいるものは全て、ドミノ・オムニバル準備会から助成金を給わって王に献上するエルフィンを飼育させられていた者たちだった。
その中で、王都の財政に詳しい者が事情を説明した。
「王都は今、財政難に見舞われている。というのも、かの暴食王アラクトの食道楽が原因だ。彼の食欲を満たす為に王都オルパスの市民は過酷な税金を強制させられている。王都の中で対立している勢力は二つ。国王の食道楽を擁護するアラクト派と、アラクトを王位から引きずり落とそうとする反アラクト派。ドミノ・オムニバル準備会はアラクト派だ」
その男は説明を続ける。
「この一年間、アラクトの『食費』は急増した。ここにいるものなら分かるように、『満足なエルフィン』『左手の埋葬』『エルフィン・ハーフ』といったエルフィン料理の研究が進められていたからだ」
男が今言ったものの全てをガンスティールは理解できなかったが、それらのいずれかをここにいるものが指示され作らされたのだろうと理解した。そして他の者も皆、莫大な給金を与えられてきたのだろうとも分かった。
「いよいよ財政は悪化した。そこで反アラクト派は秘密警察を雇い、二十四の各領地でエルフィン農家を調査したということだ。助成金はどう使ってもいずれ王都に連行されるものらしい。反アラクト派からすれば、アラクトのために料理を研究する事自体が国家に対する反逆だという理屈になるからな」
ガンスティールはリトの言葉を思い出した。確かに彼の言っていた事はある程度当たっていた。そして、なぜ彼の言葉をもっとよく理解しこの日のために対策を練っておかなかったのかと悔やんだ。ガンスティールは他人からの言葉をただ聞くだけで、その言葉について調べようと努力をしてこなかった事を悔いた。
その時、他の男たちが声を上げた。先ほど中心で話をしていた男と揉めている様だ。
誰彼かまわず言い争いを始める。
「それじゃあ、俺たちはどうすればよかったって言うんだ」
「準備会の言うとおりにエルフィンを飼育すれば秘密警察に連行され、エルフィンが上質に育たなかったらオムニバルでアラクト王に処刑させられるんだろう。理不尽だ」
「そうだ、準備会から目を付けられたのが運の尽きと言うほか無い」
「いや、対立勢力の板ばさみになっているだけだ。決着がつけばどちらかに助けてもらえる」
「じゃあ何か。どちらかの決着が着くまで俺たちは両方から目を付けられているのか」
そこにいる二十三人、ガンスティールを除いた二十二人はそれぞれ自分の身に降りかかる不幸を嘆いた。
その喧騒の中でガンスティールは静かに時が来るのを待った。
破滅でも救済でもいい。現在から抜け出すものが欲しかった。
その日の夜。一通り議論を終えて気が済んだのか、そこにいたものはみな口数が極端に減っていった。
誰もが、この一年間を思い出しているようだった。
それぞれがそれぞれの愛し育てたエルフィンの身を案じているようだった。
ガンスティールもユノーを思い出した。
あの日ガンスティールはユノーの肉を食べた。しかし彼は今こうして生きている。
ユノーはただ体調を崩しただけだったのだ。それを勘違いしてあれこれ思案していたのかと彼は脱力感に見舞われた。そして同時に、希望がわいた。
ガンスティールはユノーを連れて逃げる事を諦めてはいなかったのだ。
彼は救済を望む事にした。
三週間後、彼らは釈放された。国王の恩赦だった。
そして、ドミノ・オムニバルが始まった。
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