第5話 疑心

「どう思う、ユノー」

 ガンスティールはユノーに相談した。どうあってもユノーが死ぬような話を彼女本人に相談するのも奇妙な事だとは思ったが、何より彼女自身が相談するよう頼んできたので彼は正直に全てを話したが、ユノーは自分自身の生命の存続についてはまるで執着していないようだった。もっとも、そのように教育したのはガンスティールだったが。

 なにより彼がユノーに相談したのは、彼女ならば何を言っても理解してくれるだろうという期待があったからだ。

 ユノーは少し考えてから自分の意見を述べた。

「今からでも飼育法を変えることは出来るでしょう」

 ユノーはあっさりと提案した。

「自覚症状はなくても既に私も脂肪肝を発症しているかもしれません。ですが、その方法が正しいのであれば試す価値はあると思います」

 あくまで冷静にユノーは自身が最善と思う案を提示した。

「では、ユノーは首から下を埋められて強制的に食事を流し込まれるようになっても良いと言うのか」

 ガンスティールはわずかに興奮してユノーに食いついた。

「お父様が今まで通り娘として愛してくださるなら、埋まっているかいないかの違いでしかありません」

 ユノーは正直にそう言った。エルフィン肉が食卓に並ばなくなったとはいえ、ユノーの食卓はいつも溢れかえっていたからだ。

 そのユノーの指摘にガンスティールの興奮はわずかに冷めたが、機嫌は悪くなったようだ。

「ユノー、私にはお前が何を考えているのかわからない」

 ガンスティールは抱えた不安を紛らわす為に自分からユノーにすがりついたはずだが、わざと彼女を突き放すように呟いた。

「お父様、わかって貰えなくていいです。私はエルフィンですから」

 諦念を露骨に声に出してユノーは応えた。ユノーからしてみれば、言動が不可解なのはガンスティールの方であった。

 だが、疑心暗鬼に駆られたガンスティールはユノーの消極的な反抗に対して過敏に反応した。

「私はお前の為を思って言っているんだ、なぜ分からない」

 そうして、声を荒げたガンスティールは大きく足音を立ててユノーの部屋から出て行った。

 一人残されたユノーは、逃げる背中を見つめて呟いた。

「お父さんの、ばか」

 深い悲しみと僅かな怒りを込めて言ったそれは、彼を父親と認めてのささやかな反抗期だったのかもしれない。


 ガンスティールの精神的な恐慌状態は長く続いた。ユノーはいつもと変わらぬ態度で彼に接したが、むしろそれがさらに彼を逆上させた。

 やり場のない怒りと不安を抱えるガンスティールの下に見過ごせないニュースが飛び込んできたのは、リト工場訪問から三週間後。年が明けて間もない頃の事だった。

 ガンスティールの農場へ地元の町から通う従業員の一人が持ってきた新聞に書かれていたことは苛(さいな)むガンスティールに追い討ちをかけた。

 ガーベントパブリッシング紙の伝えるところによると、昨年の暮れに領主イサクのマキシム領の精肉工場がエルフィン熱に感染し焼却処理されたのだという。ガンスティールはその記事を読んですぐにそれがリトの農場の事だと察した。

 エルフィン熱とはエルフィン同士で空気感染する流行病であり、濾過(ろか)性病原体によって引き起こされるといわれる。通常状態では人間に感染することは無い。しかしエルフィン熱にかかったエルフィンは全身に強毒性の毒素が貯蓄されるため、その肉を食べた場合は重篤なショック症状を起こすと言われている。蓄積された毒物はエルフィン自体には無毒なのだが風邪の症状が治まった後も分解される事が無い為、食用肉にはすることが出来ない。病原体の潜伏期間は二週間ほどであり、発症したエルフィンが発見された農場は即座に焼却処分され、その農場の周辺は広範囲にわたり長期間進入禁止になる。今回の件でも同様の処理がなされたが、問題の精肉工場がマキシム領の中心地にあったことで交通やその他の機関に多大な影響が予想されるそうだ。その精肉工場の工場長は焼却処分される工場の中に飛び込み行方不明となったとも伝えられている。

 ガンスティールはその記事を読んだとき、恐ろしい想像が現実のものになったと確信した。リトは『満足なエルフィン』の秘密を知りすぎてしまったのだ。そして秘密警察に捕まり、エルフィン熱というもっともらしい理由を付けられて暗殺されたに違いなかった。

 もしかしたら、とガンスティールの思考はさらに悪い方へと流されていく。もしかしたら自分が彼と接触してしまったのがいけなかったのかも知れない。『満足なエルフィン』の伝令を受けた農家同士は交流してはいけなかったのかも知れない。しかしそんなルールは聞かされていなかったとガンスティールは憤慨した。そして、次に消されるのは自分かもしれないと恐怖した。

 それ以降、ガンスティールは常に何かに怯え、また他人に対して深い猜疑心を持って接するようになった。いつ自分が『秘密警察』なるものに目を付けられるか不安で仕方が無かったのだ。ユノーに対しても心を開かなくなり、二人の関係は昨年のオムニバル直後の状態よりも疎遠になっていた。そうして次第にエルフィン舎に籠もるようになっていった。


 一方のユノーは、そのようなガンスティールの態度に苛ついていた。エルフィン舎からなかなか帰ってこない彼を待ち侘びていつも窓の外を眺めていた。

 彼女がエルフィン舎にいた頃などは、いつも書庫にこもって本を読んでいれば暇つぶしも出来た。ユノーはエルフィン舎の書庫で、隠れて本を読むのが好きだった。読むのはどのような物でも構わなかった。

 エルフィン舎の書庫は歴代の農場主が舎内で時間をつぶす為に外から持ってきた物であった。農場主がいない間に隠れて本を読むのは一部のエルフィンたちの娯楽であった。

 ユノーが特に好きこのんで読んだのは幻想小説などのフィクションであった。架空という概念を生み出すフィクション作品に彼女は憧れを抱いていた。幻想小説の典型として「騎士が竜を倒し、囚われの姫君を助ける」といった作品を読めば、自分が囚われの姫君にでもなったつもりで心をときめかせたものだった。

 そんな楽しい読書の時間も、この屋敷の中では楽しめない。

 だからせめて、彼女はシェンレイと遊ぶほか無かった。

 もっとも、シェンレイにとってはユノーで遊んでいるという程度の感覚だったようだが。

「ユノーさまったら、また今日も旦那さまのことばかりみていらっしゃったのですね。それといつにも増して不機嫌の様で」

「そうね」

 ユノーの部屋には今、シェンレイとユノーしかいない。シェンレイは普段屋敷の中で仕事をする時と変わらぬ態度でユノーに語りかけていたが、ユノーは表情に翳りがあった。

「ねぇ、シェンレイ。『幸せ』って何かしら。『満足』になると『幸せ』になれるのかな」

 唐突に、ユノーは言った。それはもしかしたら、誰に聞かせるつもりでもないただの独り言であった。

「お父様は王都からの伝令で『満ち足りた生活を送ったエルフィン』を飼育するように言われたそうだけど、それをすぐに『エルフィンを幸せにしろ』と解釈してしまっているようなのよ。

 『満ち足りる事』と『幸せ』とを同じだとお父様は思っているということなの。

 でもそれは完全にイコール、同一の物かしら。確かに、誰であれ満ち足りたと感じた瞬間と同時に幸せを感じることはあるでしょう。

 だけど欲求の不満足を満たしたとしてもそれは本当に一瞬の出来事。

 穴の開いたコップが水を満たす事が出来ないように、満足の状態を維持すると言う事は不自然な事なのよ。

 何らかの欠乏を感じたときにそれを満たそうとする衝動が起こるからこそ、満たされたときに充実感、幸せが発生するのではないかしら」

 取り留めの無い妄言を紡いでいるだけのようなユノーを眺めて、シェンレイはため息をついた。

「ユノーさま。ややこしい話は私には分からないのですが、確かに今の旦那さまは様子がおかしいですね。国家的な陰謀やら、秘密警察やら、私はこの国にそんなものがあるとは思えません。まったく誰の入れ知恵なのでしょうね。それに」

 シェンレイは一息入れて、こう付け加えた。

「秘密警察だなんて、童話の中にさえ出てこない無粋なものです」


 ドミノ・オムニバルまであと二ヶ月に迫ったある夜、草むらの闇にまぎれてひとつの影がガンスティール邸に忍び寄った。硬く閉ざされた正門を避け、その両脇にある鉄柵の隙間から敷地内に潜入する。屋敷の蝋燭の灯が消されているため、中庭を照らすのは月の光のみであった。その月を厚い雲が覆ったとき、中庭さえも真の闇に閉ざされた。

 その機を待ちわびたかのように影はゆっくりと中庭を走り抜け、屋敷の壁の赤煉瓦にぴったりとその身を添わせた。月が再び顔を見せた時その光は褐色の肌を照らした。

 進入口を探す為その一人の影は屋敷の裏に回った。裏手にはエルフィン舎が遠く見える。見張り台が点々とそびえているのが見えなければ、影はそのままエルフィン舎に向かったかも知れない。だが影はそれをすぐに察知し屋敷を見回した。植え込みに身を隠し、息を潜めていた。

 見張り台の回転灯が屋敷の壁を舐める様に照らしていく。薄暗闇の中に隠れていた影は、勝手口を見つけるとそこから屋敷の内部へ侵入した。

 影の動きは遅い。しかし何らか明確な目的を持っているかのようにしっかりと、明かりが灯っていない屋敷の中を迷い無く動いていた。まるでどこに何があるのかを把握している様子だった。

 やがて影はある部屋の前にたどり着く。そこは、かつてこの屋敷の主人が恋人を住まわせていた部屋だった。今では主人の娘の部屋となっているが、そのことを影が知るはずも無い。

 力ない手がその部屋の扉を開けた。

「誰」

 扉の正面にある窓辺から、現在その部屋の住人である少女の声がする。月明かりから陰になっているので部屋の中は照らされなかったが、見張り台の回転灯が一瞬だけ部屋の中を横切った。

「あなたは」

 窓辺の少女は、部屋の中に突然現れた影の正体をしっかりと確認してしまった。

 リトの工場で給仕をしていた長白髪の耳無しエルフィン、レナだった。


 ユノーは驚いた。そのはずである。目の前に現れたのは皆殺しにされたはずのリト精肉工場の給仕として働いていたエルフィンだったのだから。その姿を確かめようとユノーがランタンに灯をともすと、その彼女は炎に反応してひどく怯えた声を上げた。

「あ、あ」

 灯の光を避けるように彼女はユノーに背を向けた。かつて背中の辺りまであった長い白髪が肩の辺りまで焦げて無くなっていた。体を隠すように巻きつけられた黒いローブの下から覗く手足には高熱で溶けたと思われる衣服が皮膚にめり込んでいた。

「お願い、消して、その火」

 その懇願する横顔は皮膚が引きつれたまま固まっている。ユノーは言われたとおりランタンの火を消した。再び部屋は闇に包まれる。一度強い光を見てしまったのでよりいっそう暗く感じられた。

 レナが何も言わずうずくまってしまったので、ユノーはどう扱っていいものか思い悩んだ。彼女は何をしにここまで来たのだろうか。火傷を負っているようだがこれは例の焼却処理の時の傷なのだろうか。ユノーには分からない。

「ねぇ。出てきて」

 ユノーは優しく声を掛けてみた。彼女に害意があるのであればすぐに襲われているだろうから、それをしないところを見るとレナは助けでも求めに来たのだろうとユノーは解釈した。

「ね、何もしないから」

 レナか隠れた物陰に向かって声を掛ける。返事がないとまるで一人芝居のようだとユノーは思った。

 様子を伺うかのような沈黙の後、物陰からか細い返事が聞こえた。

「わかりました」

 レナは体力的に弱っていたが怯えているわけではないようだった。ゆっくりと立ち上がり、窓際のユノーのところへ近づく。

「レナさん。何故ここに来たのでしょうか。あの工場は、リトさんはどうなったのか、教えていただけますね」

 訊きたい事は山ほどあるがユノーはとりあえず彼女の目的を知りたかった。遠く離れたガーベント領まで来たのは何故なのか訊ねてみる事にした。

 レナはなかなか答えてくれなかったが、少しずつ打ち明けていった。

「昨年の暮れに、エルフィン熱を発症したものが農場で発見されたのです。リト様はすぐに問題のエルフィンを処分して様子を見ました。その時には既に多くの食肉用エルフィンが感染していたようで、その事に気付いたときには農場全体が汚染されていました。通常であれば発症したエルフィンのいる区画だけを隔離すれば済むはずだったのですが、どうやら従業員として働いていた者が病原体を運んでしまったようで、取り返しのつかない状態になっていました。すぐに衛生局の者がやってきて、有無を言わさず工場を周囲の民家ごと丸焼きにしました。私はちょうど買い物に出ていたのですが、焼かれている工場の中にリト様がまだいることを知って工場の中に駆け込みました。工場の中には耐熱服を着た衛生局の者が残っていて、耳が無かった私は人間と間違われてすぐに外に連れ出されました。火傷はそのときに負ったものです。焼け崩れる工場からは」

 レナは怯えながらも長く話を続けたが、体力が尽きたのか途中で途切れて倒れこんでしまった。慌てて抱き上げるとレナは静かに寝息を立てていた。

 結局大事な事を訊く前にレナが寝込んでしまったので、ユノーは一旦彼女を休ませることにした。火傷の傷は乾いているようなので薬は要らないだろうが、成人したエルフィンを安全に運ぶ体力はユノーには無かったのでどうしても誰かの力が必要になった。

 意を決し、ユノーは現状で信頼するに足る人物としてシェンレイに助けを求める事にした。


 深夜であるにも拘らず、シェンレイはレナのために部屋を探した。といっても屋敷はそれほど広大というわけでもなく使用されていない部屋が少ないので、とりあえず寝る事だけは出来る屋根裏部屋を用意した。

 ユノーはシェンレイと共にレナをその部屋に運び、このことを誰にも言わないようにと約束を求めた。シェンレイは何の異議も申し立てずにそれに応じた。ユノーはそれに安心し、その日は寝る事にした。

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