第3話 日常

 次の日の朝、ユノーは自然と目を覚ました。

 エルフィン舎ではガンスティールの点検の際に飼育されたエルフィンが起床する。その時間感覚を体が覚えているようで、ユノーが彼女の自室で目を覚ますのは夜も明けない早朝であった。上半身を起こして彼女が横を向けば、すぐベッドの横の窓から遠くにエルフィン舎の明かりが灯るのがいつも見えた。

 屋敷からエルフィン舎へ向かうガンスティールの後姿を窓の影から見送り、夜が明けて帰ってくる姿が見えるまでユノーは一歩も動かず窓辺で外を見ていた。窓から見えるものは濃紺から次第に青に変わる空、朝霧でかすんで見える対面の山肌、屋敷よりも大きいが遠くにあるためそれを感じさせないエルフィン舎、侵入者を警戒するために一定間隔でそびえる見張り台。また広大な農場を囲う壁は途中から遠く小さく見えなくなっている。

 ガンスティールが屋敷に帰る頃には当然エルフィン舎の中は餌の時間なのだが、ユノーは屋敷にいるため食事の時間が農場の中の彼らより数十分遅れる。

 ユノーは栄養を求めて鳴る腹をさすりながら、時間に正確な自分の腹時計を恨めしく思った。

 そしてぼんやりと景色を眺めながら、ガンスティールのことを思い出してユノーはその時感じた愛おしさを心の中で反芻した。

 ガンスティールの思惑があくまで職務上の責任感から生じた物であったことをユノーはこの時まだ把握できていなかったが、ユノーにとっては『自分を特別な物として気にかけてくれる』というガンスティールの姿がただ嬉しかった。今までエルフィン舎で飼育されていた時にはただの消耗品としての一生が運命付けられていた。同じ場所で飼育されている他のエルフィンと同価値の無個性として扱われていた自分が、唯一の物として扱われる。それを彼女は嬉しいと思ったのだ。

 彼女は気付いてほしかった。自分の『個性』を。消耗品の身であれば決して許されないはずの、唯一の自分を。一般的な人間からは特に気にも留められないことだったが、エルフィンにも感情や個性がある。それなのにエルフィン舎の中で彼女はいつも『7741326番のエルフィン』だった。

 しばらくそうしていると、ガンスティールがエルフィン舎から出るのが見えた。

 彼の帰宅にあわせて、ユノーは自分の部屋を出たのであった。

「おはよう、ユノー」

 昨日のこともあってか、ガンスティールは珍しく気恥ずかしそうな表情をしていた。

「はい。おはようございます、お父様」

 平坦に挨拶をして、ユノーは自分の席に着いた。

 ユノーにとって朝食は戦いである。適度の運動をした後の夕食であれば栄養を取るためにも食事は必要だが、数時間前まで寝ていただけの朝は特に食欲がない。

 ユノーにとって朝食は味気ない小麦粉粘土のような物で十分だったのだが、ガンスティールの娘としてこの屋敷に住んでからは一回に出される食事の量が急激に増えた。

 自分は繁殖用だと思っていたのだが、どうやら半年前に彼の気が変わったらしい。ガンスティールは気付いていないが、自分が食用として出荷される事をユノーは理解していた。

 だからユノーは食べる。

 食用になるからには肉を増やすのは当然であろうと分かっていた。

 食欲を増すために香辛料の多いものから食べ、食べ物を胃に流し込むためにビールを飲み、一定のルールに沿って食べ進んでいった。


 しかし。ユノーは思う。毎回必ず食卓に並ぶ肉料理だけはどうにかならないものか。

 そう思いながらもユノーは作法通りの逆手のナイフで同種族の加工肉を切り分け、食べる。

 この半年間で感覚が麻痺したのか、食べる事だけには抵抗はなくなった。むしろ最近では味の違いも楽しめるようになってきている。どうやら自分は人間に近くなってきたのかもしれない。何故なら人間はかつて共食いをする種族だったから。

 養殖エルフィンであり同時に人間の娘となったユノーの食卓は今日も緩やかな狂気に見舞われていた。

 共食いに対する危機感に薄れたユノーであったがそれは味や食感だけに限られた事であり、視覚的な嫌悪感だけはいつまでも拭えない。特に今日の骨付き肉などは特に忌まわしく思えた。

 ユノーは次第に気づいていた。

 

 死んだ同族に対する同情心は無い。彼らは人間の食料として生まれてきたのだから今日誰が食卓に上がろうとそれに対する悲しみは湧かない。

 だが自分も食用になるのだと悟ってから、目の前に並ぶ料理が自分の死後の姿であるかのように見えてきた。部位ごとに切り分けられ加熱され調理されるのであろう。野菜などで飾り付けられて緑や赤で彩られるのだろう。逆手のナイフで切り分けられて濃厚なソースに漬(ひた)されるのだろう。

 目の前の料理を見るたびに、ステーキにされた自分や炒め物・揚げ物・煮物・刺身にされた自分をリアルに創造できる。味わうたびに、自分はこの肉より美味しくなれるのだろうかと考えさせられる。

 必死で料理を味わうユノーを、ガンスティールは穏やかに見守っている。

 いっそのこと本当に人間の子どもになれたらどれほど良いかとユノーは思った。

 きっと人間の子どもたちは自分の肉の味など想像もしないだろうに。


 今日も、食べきれなくなるまで食べるさまを終始観察された。

 丁寧にナイフとフォークを置いて並べて、汚れた口元を拭う。

 満腹になるたびに醜く膨れ上がる自分の腹を恥ずかしいとは思った。

 しかし食べれば食べるほどガンスティールが嬉しそうに笑うものだから、ユノーもつい限界まで食べてしまう。

 食事の時間が終わればガンスティールは仕事に行ってしまう。そうすれば夕飯の時まで会えない。エルフィン舎にいるときは働く彼の姿を見かけることも出来たが、今では自分がエルフィン舎には行けなくなったのでそれも出来ない。時折彼の思い付きで服を着させられたり屋敷の外に連れ出されたりしない限りは、意地悪な給仕たちがうろつく屋敷の中で自室にこもるしかない。

 だから食事のときぐらい楽しく過ごしたかった。胃が重く苦しくてもガンスティールが喜ぶ姿が見られれば、何となくユノーも嬉しかった。なぜ嬉しいのかは分からないが、彼が自分のために尽くしてくれ気を使ってくれるというのは悪い気はしなかった。


「ご馳走様でした、お父様」

 ユノーは満腹になるまで食べた事をアピールするため満面の笑みでそう言って席を立ち、表情筋を戻して自室に戻ろうとしたとき、不意にガンスティールに呼び止められた。

「ユノー。少し、いいかい。」

 ぎょくりと喉が鳴る。何かまた突拍子も無い事を思いついたのだろうか。それとも昨日の事を咎められるのだろうか。エルフィン舎でユノーが教えられた事は、感情を表に出してはいけないという事だった。それを昨日はつい感情にまかせて泣き出し、本音を口に漏らしてしまった。教育的指導を受ける事になるかもしれない。

 また、ガンスティールの様子がおかしいのはユノーにとって屋敷に来てからいつもの事だが、昨日は特に彼は落ち込んでいたから心配でもあった。

 何事かと心配しながら様子を見守るユノーだったが、逡巡しながら彼が言ったのは意外な言葉だったので安心し、拍子抜けもした。

「料理は、美味しかったかい」

 意外なのは、彼が初めて料理の味を彼女に訊ねたことだった。それまではユノーの食べる様子から彼女がどれを好んでいるかを推測するだけだったのに。

「はい。美味しかったです、お父様」

 本心である。ユノーは料理の味を美味・不美味で判断する事も出来た。もちろん彼女個人の判断基準によるもので。味を楽しむ余裕が出来てから彼女は料理の好き嫌いもはっきりと認識するようになっていた。

 今日も料理は見た目はともかく味は好みのものだったので総合的に「美味しかった」と答えた。

「料理はどの、どれが美味しかったかな」

 ガンスティールは普段に増しておずおずとユノーに訊ねた。

 いつもガンスティールがユノーに話しかけるときは、良く言えばいたわる様な、悪く言えば割れ物を扱う様な態度だった。それはそれで、まるで物語のお姫様のような気分にもさせられたのでユノーにとって悪くない。しかしその内容はいつも一方的なもので、彼女の個人的な感想を聞くことなど無かった。

 ガンスティールの心境の変化についていけずいぶかしんだが、ユノーは質問には答える事にした。

「今日の料理では、焼いたジャガイモが美味しかったです」

 料理の正確な名前などは分からないが、ジャガイモを薄く切って焼いてバターで味付けされたものが美味しかったのを覚えていた。

「そうか」

 ガンスティールは給仕に作らせたリストを見る。ウムとうなって黙り込む。確かにそのような料理があったと確認したのか、まだ片付けられていないテーブルと見比べる。

 しばらく不自然な沈黙が続いて、再びガンスティールはユノーに訊ねる。

「では今まで食べた料理の中ではどれが」

 ユノーはガンスティール自身が施した教育のため、自発的に主観を述べるということが無かったが、聞かれたことには全て素直に答える。

「四十三日前の夕食に食べたゴボウの煮物が美味しかったです」

「そうか」

 ガンスティールが訊ねてユノーが答える、というのが何度か繰り返されてユノーはある程度状況を把握した。どうやらガンスティールはユノーの主観をテーマに会話をしたいらしい。それでもユノーがただ質問に答えるだけなので会話が続かず困っているという様子だった。

 そうしているうちに、ユノーはうまく会話が出来ずに困っているガンスティールの様子がいとおしく感じられるようになった。そんな彼の様子がもっと見たくなってユノーは意地悪く、彼の質問に淡々と答え続けた。

「ユノーは好きな食材はあるかい」

「はい、あります」

「そうか」

 沈黙。

「ユノーが好きな食材はなんだい」

「ゴボウです、お父様」

「そうか」


 そんな様子で会話が途切れ途切れに三十分も続いた頃には、ユノーはすっかり楽しくなって自然と笑みがこぼれるようになっていた。そしてその笑顔につられてガンスティールも緊張が解けたようで次第に会話も滑らかになっていく。

「ユノー、君はニンジンをよく食べ残しているね」

「はい、お父様」

「ニンジンが嫌いなのかい」

「はい、お父様」

「なぜ嫌いなんだい」

「苦いからです、お父様」

「好き嫌いしないでちゃんと食べないといけないよ」

「はい、お父様」

 今にも吹き出しそうに笑いをこらえながら、二人は会話を続ける。

「今度からニンジン料理だけ出そうかな」

「それはいやです、お父様」

「じゃあ、今度からニンジンも食べるかい」

「……それは困ります、お父様」

 どちらも耐え切れなくなり笑いあった。その姿は確かに本当の父娘になったかのようだった。

 屈託ない笑顔で笑いあう二人を、給仕たちはどうしたものかと見守っていた。まさか自分たちの主人がエルフィンと談笑することになろうとは思いもしなかったのである。


 いつもは、朝の食事を終えるとユノーは主に一人で自室にいる。日がな一日窓の外の景色を眺め続け、夕食の時間になるとダイニングルームへ行く。そして夕食が終わったら給仕に連れられて浴室に行き体を洗われ、寝間着に着替えて自室で就寝する。

 それがユノーにとって退屈だが幸せな日常であった。

 ユノーは、自分がいつ死ぬ事になっているのか知っている。

 来年のオムニバルの時、「国王」に食べられる事になっているらしい。

 オムニバルについてはエルフィン舎の書庫で関連図書を読んで知っている。「王様」は分からない。ただ、自分が王様に献上されるエルフィンなのであれば自分の身が不用意に危険にさらされる事も無いだろう。

 食欲や睡眠欲などの生理的な欲求が満たされ、期間限定ではあるが身の安全が保障されている。退屈だなんて言うのは我儘かもしれないが、この日常が幸せである事は確かだ。

 ただ、今日は違った。ガンスティールが仕事の合間に暇を見つけてはユノーに会いに来たのだ。そして何をするでもなく他愛ない話をして仕事に戻る。そしてしばらくしてまた会いに来て話をする。観察するだけでは分からないユノーの心の機微を直接の会話によって聞きたいと思うようになったのだろう、と彼女は解釈した。初めのうちは自分の主観を述べることや自分から発言することにも抵抗があったがすぐに慣れた。それも娘の役割だろうとユノーは多少の我儘も言ってみた。果物が食べたいと言えば給仕も呼ばずにすぐに自分で果物を取りに行ってくれた。

 夕方になって仕事に戻ろうとするガンスティールに「まだ行かないで」「自分も連れて行って欲しい」等と言ってみたが、そういった要求を叶えてくれるわけではなかったようであった。


 その日も夕食を食べ終わり、いつも通り給仕と共に浴室に行こうとしたが、今日はガンスティールがユノーの体を洗う事を申し出た。給仕も断る理由が無いのでそのまま彼女を引き渡し、別の仕事をしにいった

 ユノーはガンスティールと一緒に更衣室で服を脱ぐ。生まれてから半年前まで服を着ずに生活してきたユノーにとって、裸でいることに恥ずかしさを感じるという概念は無かった。ただ夕食で膨れた腹をガンスティールに見られるのは恥ずかしかったので腹を隠すようにして浴室に入った。

 浴室で彼に体を洗ってもらい、彼は自分で体を洗った。彼が洗い終わるまでユノーはその様子を浴槽でじっと見ていた。

 エルフィン舎にいるときもユノーは体を洗う事はあった。屋敷での入浴のような穏やかなものではなく、朝晩の二回の洗浄の時である。あとは書庫に入る前や何かで汚れた時などに体を洗う事があった。しかしそれは自動洗浄器による洗浄であり、洗うという行為ではなくただ洗われているだけだった。

 しばらくして体を洗い終わったガンスティールが浴槽の中に入りユノーの隣に座った。

 ガンスティールが何かを話そうとしていた。何か特定の話題があるわけではなくただユノーと会話がしたいようだった。

 ユノーはその様子を見て、ある事柄について語りかける事を決意した。

 それは形式上、質問の形を取っていたが、ガンスティールにある決断を下してもらおうとするものだった。

「お父様、質問があります」

 突然のユノーの言葉に、ガンスティールは助け舟を出された気になった。会話が出来ず考えあぐねているのを察してくれたと感じた。だからその質問を聞こうと思った

「なんだい、ユノー」

「お父様にとって私は人間ですか、エルフィンですか」

 ユノーはガンスティールを困惑させるつもりは無かった。

 彼が昨晩あれほどまでに思いつめそして今日は何事も無くむしろ今まで以上にユノーに対して親密に接してくる事から、彼はすでにある決意を持っているだろうと感じたため、その決意を聞きたかった。

 ガンスティールは半年間、エルフィンであるユノーを自分の娘として育てようとした。人間としてのマナーやルールを教える一方で王に献上されるエルフィンにするための下準備を続けていたのだ。その矛盾をガンスティールは明確にしないまま悩み続けていた。

 そしておそらく彼は今日その問いに対する彼なりの答えを出したはずだった。

 ユノーが思ったとおり、ガンスティールはその質問にはすぐに答えた。

「エルフィンだ。そして人間でなくとも私の娘だ」

 ユノーが予想したとおりの答えだった。予想したとおりだったからこそ、寂しさを感じた。良い意味で期待を裏切って欲しい、そう思っていたが当ては外れたようだった。

 ユノーは思った。ガンスティールは自分の矛盾を言葉でごまかしているだけだと。

 だがガンスティールが自分の質問にまじめに答えてくれようとしている事も感じられ、ユノーはそれを嬉しく思った。だから、自分が最も訊きたいことも答えてくれるだろうと期待した。

「では、何故私を娘にしようと思ったのですか」

 ユノーは、ガンスティールにとって答えにくい質問であるとは分かっていた。それでも、自分がどれほど考えても理解できない事だったので直接訊こうと思った。ただ直接訊いたとしても彼自身が理解していない事かもしれないし、ユノーがそれを理解するには不足している情報があるから分からないのかもしれない。

 養殖エルフィンには過ぎた行為かもしれない。しかし今ユノーは知りたい、理解したいと言う欲求に衝き動かされていた。

 ガンスティールが答えないので、ユノーは質問を重ねた。

「私がオムニバルで国王に食べられる事と、何の関係があるのですか」

 オムニバル、と言う単語が出た時ガンスティールは目を大きく見開いた。彼はユノーを娘として以来一度もユノーにその運命を語った事は無かったからだ。『オムニバルで国王に食べられる』など口にした事も無いつもりだった。給仕たちにだって、王に献上することは言ったとしてもユノーを娘にした理由を明確には言わずにきた。

 彼女の質問に答える事も忘れてガンスティールはユノーに向き直り、彼女の両肩を掴んで問いただした。

「知っていたのか、どこで、誰に」

 ユノーから見てもガンスティールは異常に興奮していた。ガンスティールにとって最もユノーに知られたくなかったのは、彼がユノーの運命を知りながら娘として接しているという事実についてだった。皮肉にもその事実は彼がそうする以前から彼女に知られていたのだが。

 取り乱すガンスティールの指がユノーの肩に食い込んだ。上質なエルフィンの肉は柔らかく、指が皮膚を貫きそうになっていた。しかし痛みに悶える事もなく、ユノーはガンスティールが落ち着くまで待った。生きたまま内臓を食われる事に比べればその程度は痛みとも呼べないのだろうが。

「百六十四日前、私が初めてエルフィン舎からこの屋敷の応接室に連れえてこられたときに、私を品定めしていた男が言っていました。その後お父様からも説明を聞きました。覚えていませんか」

 品定めをした男についてガンスティールは思い出した。王都から来たエルフィン品評委員会のイルストル卿の事だとすぐに分かった。それではユノーは初めからわかっていたということなのだろうか。

 ガンスティールはユノーに、もっと詳しく教えてくれるよう頼んだ。


「一般に、エルフィンは人間よりも知能が低いと言われています。でもそれはそうであった方が人間にとって都合が良いからというだけ。十歳のエルフィンでも成人した人間ぐらいの知能はあります。

 一般のエルフィンが言葉をしゃべれないのは教えられていないから。もちろんしゃべらない方が都合がいいからというのもあります。エルフィン舎では自発的な発言は禁止されていたから誰も会話をしようとはしなかった。エルフィンは言葉も喋れないから知能が低いと言うのを私は正しいとは思いません。エルフィンと人間のどちらの方が高い知能を持っているかは分かりません。エルフィンが早熟なだけかもしれないし、まずエルフィンにはその知能を示す術が無いですから。各地の農場で飼育されているので団結する事も出来ません。その方が人間にとって都合がいいですから。

 都合というのは、人間がエルフィンを支配する正当性についてです。エルフィンは知能が低いから人間が管理して飼育しなければならない、という理由に正当性をもたせるために団結させず言語を禁止していると私は考えます。あくまで私個人から見た場合ですから、おかしいと感じるかもしれません。

 エルフィン全員の意見を聞いたわけではありませんが、それでもエルフィンはあえて人間に支配されているのだと私は考えます。エルフィンは野生でも力が強いわけではありませんから動物に襲われたらすぐに食べつくされ、いえ、人間から見たらエルフィンも動物ですね。ともかく、自分たちを守る術が必要だったのです。またエルフィンが飼育されていない頃の人間は共食いによる精神的異常を起こしていたと言われています。ジク病と呼ばれるものがそれです。感染性タンパク質が捕食によって脳に蓄積し発狂するというのがジク病の正体のようです。当時のエルフィンは、ジク病により絶滅寸前の人間に目をつけました。そして人間と契約したのです。エルフィンの肉を差し出して共食いの絶滅から人間を救う代わりに、外敵から身を守ってもらおうと。そうして出来たのがエルフィン農業なのではないかと私は考えます。

 伝統的なオムニバルの演説は自己正当発言と言うよりは史実だったのでしょう。『我々は古代種が抱えた罪と罰を』から始まるあれです。そうして人間とエルフィンの共存が始まって、エルフィンも人間の食欲をそそる様に進化してきました。早熟で多産なものや、肥えやすく脂肪が多く肉が柔らかいもの、頑健で病気にかかりにくいものなど多くの亜種が人工的に作られ、時には再配合されました。褐色肌に白髪に紅眼という私の品種など、おそらく自然界には存在し得なかったでしょう。

 話がそれましたね。私が何を言いたかったのかというと……、ええと」

 唖然として話に耳を傾けていたガンスティールの前で、ユノーは言い澱んだ。

 言っても良いものかと逡巡した後、再び口を開いた。

「エルフィン自身も人間に美味しく食べてもらうためのたゆまぬ努力を続けているという事です。永きに亘る畜産業の歴史から、エルフィンは人間に食べられる事を遺伝子レベルで理解しています。だから」

 ユノーは一旦言葉をとめてガンスティールと見つめ合った。

「罪悪感など持たなくて良かったのですよ、お父様は。少なくともお父様の農場のエルフィンは、人間に食べられるために生まれたことを理解し受け入れています」

 そして「私もね」と付け加え、深呼吸してからユノーは微笑んだ。また「こんなに長く喋るのは初めてだったから少し疲れました」と嬉しそうに話す。

 ガンスティールにも理解できない事をユノーに一気に言われて、彼は混乱していた。

 実際、ガンスティールは彼女が話した事の半分も分からなかった。だが、農場に置いた書庫からエルフィンたちは実に多くの知識を吸収していると言う事は分かった。そして、一般に言われている「エルフィンの知能は低い」というのは自分たちの思い違いかもしれないとも感じた。

 ガンスティールはユノーを含めたエルフィンを過小評価していた。国王に献上されるという話はエルフィンにとって難しいと決め付け、どのように教えれば理解してくれるかと考えあぐねていたのだ。もちろん彼女からすればそれはガンスティールの取り越し苦労でしかない。

 ガンスティールは、もう自分が何を言ってもユノーは理解してくれるだろうと思ったようだった。

 だから彼はようやく自分の口から全てを話した。王都からの伝令、『満足なエルフィン』の育成についてを。


 結局ガンスティールとユノーは長時間にわたり浴室を占拠した挙句、すっかりのぼせあがった。ガンスティールの部屋にぐったりとしたまま運ばれてきたユノーは「私はエルフィンだからこれが自然体なのですよ」と頬を膨らませながら言って裸で彼のベッドにもぐりこむと、そのまますやすやと眠ってしまった。

 ユノーにとって、今日ほど退屈しない一日も今まで無かっただろう。疲れ果てたようですぐに寝込んだ。思えばユノーは露骨に感情を表に出すようになった。エルフィンがこれほどまでに感情豊かだったとはとガンスティールを感心させるほどに。

 「毎日が退屈」と怒っていた。「給仕が意地悪だ」と愚痴も言った。「エルフィン肉の料理が大嫌い」と悲しげに言われて初めてガンスティールは自分の粗忽さに気付いた。そして「お父様が大好き」と照れながら言った。最後に「私はいつまでもお父様の娘ですよ」と寂しそうに言った。

 ガンスティールは今日の出来事をしっかりと日記に書きとめると、消灯しユノーを起こさないように自分もベッドに入った。小さな白髪頭を撫でて、自分も就寝した。

 翌朝なかなか起きないガンスティールを呼びに来た給仕からは大いに誤解された。

 それからというもの、いよいよユノーが退屈しない日常が始まった。快活に話をしたり笑ったりと毎日あわただしく生きる彼女に対し、高齢の給仕であるエメトなどはさらに疎ましく思ったようだったが若い給仕たちは彼女に対して友好的に接するようになった。その様子をガンスティールは嬉しく思った。そして彼もまた今までに比べユノーには積極的に接するようになった。時には自分の意見を正直に言うユノーと衝突し口論になることもあった。だが、そんなときには給仕たちがユノーをかばう程であった。一番若い給仕のシェンレイなどは、まるで自分のペットが出来たかのようにユノーとはしゃいでいた。

 王都の指示から七ヶ月、ユノーはしっかりと肥えていた。もともと細身だった体に、不自然な贅肉が定着しつつあった。

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