Scene 2.
「はい、では私から猫スパイ説について、いかなる経緯でその説に至ったか説明いたします。
猫は昔から我々の身近にいながら謎の多い存在でした。
その科学的に証明できない謎は、猫が地球外生命体であり、その目的がスパイ活動だとすると、これ以上なく明確に証明されることから猫スパイ説は提唱されております。
この説はまた、この家猫撲滅協議会の根幹を成すものでもあります」
そこで一号は一度口を閉ざした。
この場にいる全員の耳目が自分に集まっていることを確認するようにして間を取り、そして再び口を開いた。
「まず第一に、猫はその身体構造、行動に不可思議なことが多い。
猫は地球上のどの哺乳類よりも多く、
これは色覚の基礎となる、眼球にとって重要な細胞ですが、猫の持つ錐体視細胞は必要以上に数が多い。
これは何を意味するのか。
また、猫といえば高所から落ちても怪我をすることのない、非常な身ごなしの軽さが特徴です。
これも他の哺乳類に見られない特筆すべき能力です。
なぜ猫にだけ、このような能力が備わっているのか。
そして、猫といえばあののどをゴロゴロと鳴らす習性。
あの音を鳴らす仕組みさえ、実は今まで正確なところは解明されていないということをご存じでしょうか。
仕組みのわからない謎の音、それは何のために鳴らされるのか。
これらは全て、地球人をあらゆる場面で監視するため、そしてそこから得た情報を、秘密裏に地球外へ報告するためにこそ備わったものであるのです」
一号は、今度は長台詞に渇いたのどのために口をつぐんだ。
つばを飲み下して間を置かずに言葉を続ける。
「次に、ではなぜ猫は我々をスパイしているのか。
これは、宇宙からの侵略を目的とした事前工作であると考えられます。
決して
なぜなら、その侵略計画の一端が、すでに我々を脅かしているからです」
自分の発言の効果をみるために一号はまたしても間を作ったが、彼が思っていたほどには、他の弁論者にこの発言は衝撃とはならなかったようだった。
一号は軽くせき払いをして気を取り直すと、整然とした口調を崩さずに続ける。
「それとはまず、愛猫家の異様な増加。
ペットとして一般的な動物に挙げられるのは、まず犬と猫でしょう。
犬派、猫派などと言われるように、ペットとしてその人気を二分してきた犬と猫ですが、統計上、長く犬の方が猫を上回る飼育数を記録してきました。
しかしながら、以前よりその数が逆転の傾向を見せていたことは皆さんご承知の通りです。しかも、急激に。
そして、現在では猫の飼育数は犬を遥かに上回り、今なお増加傾向にあります。
実際に猫を飼っている人口だけでなく、猫好きを称する人、猫をモチーフとしたゆるキャラなどのマスコット、雑貨、コミック、書籍などのコンテンツも著しく増加しています。
この世界的な猫コンテンツの増加傾向、異常と言わざるをえません。
なぜ猫だけが? これは、何か裏があるのではないか」
弁論者たちに向かって、そしてカメラに向かって、一号は熱弁を振るう。
彼はもはや自分の発言がどう受け取られているかなど構う風でなく、ひたすら真剣だった。
「更に、猫の個体数自体も増加し、自然の生態系にまで影響を及ぼすようになった。
屋外に自由に出られるように飼育されている家猫、増えすぎた野良猫が、野生動物を襲うようになって自然の生態系を乱しているという報告は多く上がってきています。
貴重な小動物、野鳥など、特に保護機関によってその生態を繁殖から観察保護されている野生動物が被害に遭っている。
これは直接的な、地球の生態系に対する攻撃ではないのか。
最後に、これこそ決定的な事実ですが、航空管制の拾った謎の交信音があります。
とある国の航空管制が、レーダーにとらえられた識別不能の飛行物体から電波による干渉を受けたとのこと。
管制塔がコンタクトを試みたところ、その謎の飛行物体が発したのは猫の鳴き声によく似た交信音であった……と」
弁論者一号は、そしてゆっくりと一同の顔を見渡した。
だが当然、衝立にさえぎられて、彼の熱弁に他の弁論者がどんな表情を見せたかはわからない。
「……以上のことにより、私は猫スパイ説をまぎれもない事実として立証するものであります」
そう締めくくって、弁論者一号は満足げな溜息と共に席に着いた。
「議長、今の一号氏の発言について、意見を申し上げてよろしいでしょうか」
一号の向かいに座っていたシルエットが挙手する。
その理知的な女性の声を発したシルエットに向かって議長は言った。
「どうぞ発言してください、弁論者六号」
「ありがとうございます。
今の一号氏の長大な弁論、なかなか説得力のある論理的なものだったと思いますが、しかし、猫が宇宙からのスパイだとしても、それを理由に撲滅せよとはあんまり乱暴に過ぎませんか」
弁論者六号の発言が反論であると察して、一号は堅い声音で聞き返した。
「というと?」
「たとえその正体がスパイであったり、地球外生命体であったとしても、猫は現在、私たちと共にこの地球上に生きている生命です。
何であっても、命あるものをむやみに
「あなたの博愛精神は立派なものだが、人類の敵に対しても同じことが通用するものだろうか」
「たとえ敵であってもです。
人類は歴史上、多くの愚かな行為によって、罪もないたくさんの命を殺してきました。動物であれ人であれ、無分別に。
その無思慮、無分別な行為による罪を、宇宙にまで広げることはないと思います」
弁論者六号の発言に更に反論を重ねようとした一号よりも先に、六号の左隣の席から鷹揚な女性の声が上がる。
「六号さんの意見にあたしも賛成いたします」
「発言をどうぞ、弁論者七号」
議長の許可を得て、弁論者七号は詩でも読み上げるような口調で発言した。
「命とはすべからく尊重されるべきもの。
なぜなら、全ての命は神から贈り物であるからです。
命が貴重であり、それを害することが罪であるのは、すなわち神の意志に反するからです。
同じ神から命を与えられたもの同士――」
朗々と続けられそうな七号の発言を、弁論者一号が静かに、だがきっぱりとした口調でさえぎった。
「七号さん、ここは個人の宗教観を述べる場ではない。
あなたが信仰心厚い方であることは充分わかったので、論題に外れた発言は控えていただきたい」
「論題から外れてはいませんよ。
一号さん、あなたは先程、見事な論理で猫がスパイであると立証されたつもりのようですが、あたしは少々、違った考えを持っています」
「何です、それは」
「猫は地球外生命体である、それはいいでしょう。
ですが、スパイであるとは考えません。
猫は、神があたしたち人間に使わした神聖なる御使いなのです」
「……何ですって」
七号の口から飛び出した予想外の言葉に、対していた一号だけでなく、その場の全員が呆気に取られた気配がした。
くすり、と上品な笑みをもらす七号を、カメラだけが動揺することなく見据えている。
七号は幼い子供を教え諭す風情で言葉を継いだ。
「何を馬鹿なと言いたいのですか。根拠はあります。
家猫の起源は皆さんご存じですか。
古代エジプト、その偉大な文明の誕生のとき、すでに猫は人間のかたわらに
古代エジプトの民は、猫を家族として愛し、死ねば人間同様に哀しみ、その亡骸を弔ったといいます。
猫の姿をした神が、古代エジプトで深く信仰されていたことは文献や壁画などからも明らかです。
猫こそはあたしたちと神をつなぐ架け橋、いえ、むしろ猫こそが神なのです!
それを撲滅せよとは、何という冒瀆でしょう」
そう言って、七号は悠々と弁論を終えた。彼女との間に流れる空気の温度差に他の弁論者たちは困惑しているらしく、すぐには反論が出なかった。
それに気づいていない弁論者七号は、優雅とも不気味とも取れる笑い声を立てている。
「宗教論は結構だと言っただろう。
もっと科学的な意見を言ってもらいたい」
困惑から気分を立て直して、弁論者一号は憮然とした口調でようやくそれだけ言った。
しかし、その台詞に円卓の端からぼそりとした声が上がる。
「……まるで、自分の発言は科学的、みたいなことを言いますね」
「何だ。
今、発言したのは誰だ。
弁論するなら、もっとはっきりしゃべるべきだろう」
自分の発言を揶揄する声に、一号はとがった声を上げて円卓を見回した。
いらだっている様子の一号を視線で押さえて、議長が相変わらず抑揚のない口調で仕切った。
「先程の発言は弁論者三号ですか。
意見があるのならどうぞ発言してください」
議長の指名に、卓上カメラがくるりと七号の向かいへ首を回した。
カメラと弁論者たちの視線を受けて、弁論者三号はめんどくさそうに溜息をつくと、若い男の声で話し始める。
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