Scene 3.
「そもそも僕は、この弁論の論題に疑問があります。
なぜ、猫が地球外生命体で、宇宙人からのスパイだっていう前提で話を進めようとしてるんです?
そんなの、馬鹿馬鹿しいくらい非科学的ですよ」
「何を言う。
君は私の話を聞いていなかったのか」
「聞いていましたよ、あの理論派ぶった穴だらけのご高説。
全部、昔ネットで流れた都市伝説の丸暗記じゃないですか。
子供だって本気にしませんよ、あんなの。馬鹿らしいったらない」
「何を……」
まだ若いらしい弁論者に頭から馬鹿にされて、年長の一号は明らかに怒っていた。
一号が席を立ち、一つ席を挟んで座る三号の方をにらみつけたのがシルエットでもわかる。
当の三号は無関心そうに天井を仰いでいた。
不穏な様子に部屋の空気が緊張するのを、議長の淡々とした声が振り払う。
「弁論はお互い冷静に行ってください。
議論の中に感情を差し挟まないように」
議長の言葉に、弁論者一号は三号をにらみつけながらも席に腰を落ち着けた。
一号が大人しく座り、何となくほっとしたような空気になったところで、議長が一同に向かって改めて口を開く。
「前提として、この場では猫スパイ説は正しいものとして弁論していただきます。
この場にいる皆様は、私も含めて宇宙生物学の専門家ではありません。
この場で猫の正体について特定させることは不可能です。
そのことについては、別の場で専門家、研究者が今現在も鋭意調査を進めております。
ですので、ここでは猫がスパイであるとまさしく証明された場合、撲滅することに賛成か反対か、という観点で議論してください」
議長の言葉に、何人かのシルエットが小さくうなずいてみせた。
落ち着いた様子の弁論者たちを見回して、議長は一つうなずくと仕切り直して言った。
「今のところ、反対派の意見が積極的に出されているようですが、賛成派の意見はいかがでしょうか。
弁論者一号以外の方で、発言したいという方いらっしゃいませんか」
議長が発言をうながすのに、しかしすぐさま応える者はいなかった。
全員がお互いの様子をうかがって沈黙しているのを、カメラが漫然と映していく。
もやもやとした沈黙の中、ややあって、険悪そうな一号と三号の間に挟まれてしまった席のシルエットが、おずおずと細い手を挙げた。
「あの、私から賛成派の方へ質問があるのですが、構いませんか?」
遠慮がちなか細い女の声に、議長は大きくうなずいて言った。
「どうぞ、弁論者二号。質問も構いませんよ。
その方が賛成派の皆様も発言しやすいでしょうし」
議長のその言葉に後押しされて、弁論者二号はいくらかはっきりとした声で質問を発する。
「では、質問させていただきます。
猫を撲滅するということですが、そうなった場合、具体的にどういう手段を取られるおつもりですか?
世界中の猫を残らず……となると、大変な規模になるかと思うのですが」
言って、二号は不安そうにきょろきょろと他の弁論者たちを見渡した。
皆、その質問に考え込んだようで、また場に沈黙が下りた。
が、挙手するシルエットにその短い沈黙は破られる。
「はい、弁論者五号、どうぞお答えください」
議長に指されて弁論者五号が発した声は男性の重低音だった。
「確かにとんでもない規模になるでしょう。
ペットとして登録されている猫だけでなく、届けの出ていないものや野良猫までを含めることになりますからね。
しかし、どれだけ大規模になっても、猫がスパイである以上、一匹たりとも生かしておいては危険です。
その一匹から、私たちの情報が宇宙へと筒抜けになるんですから」
「では、撲滅の対象は全ての家猫であると?」
問いかける二号の言葉に、五号は重々しくうなずいて言った。
「そうでなくては撲滅とは言えんでしょう。
手段としては、なるべく猫に苦痛を与えないものがよろしいでしょう。
六号さんではないですが、殺生はなるべくなら避けたいもの。
やらねばならぬというなら、せめて相手を苦しませないことが人道だと考えます。
薬などを使って安楽死させるのがいいのではと」
その弁論者五号の発言が終わるのを待っていたかのように、議長の右隣の席から声が上がった。
「俺はちょっと意見が違うんですが……あ、発言していいですか?」
そう言うその男の声は、この場には少しそぐわないくらい軽妙で快活だった。
カメラが首を巡らせるタイミングを待って、議長は彼の発言を許可して言った。
「はい、弁論者八号。
あなたは最初に、論題について賛成と言われていましたね」
「はい、賛成なのはそうなんですが。
でも、必ずしも殺す必要はないんじゃないかなって思ってます」
その弁論者八号の言葉に、議長がかすかに首をかしげて先をうながした。
「といいますと?」
「猫がスパイだったとして、確かに、四六時中、宇宙人から見張られてたり情報がもれてたりってのは、気持ち悪いとは思うんです。
けど、だからって殺しちゃうのはかわいそうっていうか……猫だってスパイやりたくてやってるわけじゃないかもしれないし……」
「何が言いたいんだ」
まとまっていない発言に苛ついた様子で一号が言う。
結論をせっつかれて、弁論者八号は慌てた様子で説明を続けた。
「いや、だから、問題なのは猫が人の生活に入り込みすぎてることだと思うんです。
密着しすぎてるから、情報もダダもれになるわけで。
だったら、猫を人の生活から隔離しちゃったらどうですか?
猫を全部一カ所に集めて人と関われないようにすれば、スパイされることもないし、殺す必要もないし」
八号の言葉に、質問者である二号は感心した様子で大きく何度もうなずいた。
「なるほど……」
「甘い!」
不意の大音声に、ぎょっとして全員が声の主――弁論者一号に視線を向けた。
衝立に堅く腕組みをしている一号のシルエットが映っている。
「えっ、結構いい案じゃないかと思ったんだけど、ダメですか?」
せっかくの発言を一言で斬って捨てられて、八号は思わず一号に食い下がって言った。
一号は衝立越しに八号をにらみ据えながら、強い口調で言い放つ。
「君は猫という生き物の持つ悪魔的な魅力を理解していない。
そして、人間が誘惑に弱いということも!
この中継弁論が始まってから、全世界の視聴者がどういう感想を持っているか知っているか?」
「いえ、知らないですけど……」
「 “スパイとか怖いけど、猫かわいいから許す” とか “むしろにゃんこに一日中スパイされたい” とか “もう地球の支配者にゃんこでいいし” とか――!」
「へー……」
気の抜けた声が八号の口からもれる。
紳士の口から飛び出した妙に崩れた台詞に、その場の全員が軽く身を引いた。
「それもネットのまんまじゃん」
ぼそりとつぶやかれた三号の台詞は、一号の怒声にあっけなくかき消された。
「由々しき事態だ!
もはや、猫はスパイ活動に止まらず、我々を洗脳し始めているのだ。
人類がその尊厳を忘れ去って猫の支配を嬉々として受け入れるなどどうかしている!
この事態を打破するためにも、この世からありとあらゆる猫を抹殺しなければならないのだ!」
「え、抹殺って……」
物騒な一号の台詞に、すぐ隣に座っている二号が椅子ごとびくりと身を引いた。
しかしそれにも一号は気づいていない様子で、不穏な熱のこもった発言をまくし立てていく。
「家猫だけではない。
人類を洗脳から救うには徹底的に猫的なものを排除しなくてはならない。
ネコ科の動物はライオンも虎もチーターも抹殺だ!
猫をモチーフにした絵画も彫刻も、猫耳カチューシャも肉球ストラップも全部排除だ!
何なら、国語辞典からも百科事典からも “猫” の項目を消し去るべきだ!」
「そんな無茶な……」
「どうかしてるのはこの人だよ……」
弁論開始時の整然とした口調はどこへやら、人が変わったかのような無茶な発言に、六号と三号がそれぞれ唖然とした様子でつぶやいた。
息巻く一号に向かって、七号が内心の動揺を穏やかな口調で押し隠して尋ねる。
「洗脳だなんてそんなことあり得ますか?
あのように小さな姿のものが……道具も何も持ち合わせていないというのに」
「トキソプラズマというものをご存じないか」
一号の言う耳慣れない単語に一同が首をかしげる中、ひとり三号は冷淡な口ぶりで言い返す。
「あれは寄生虫でしょう」
「寄生生物の生態で、最終宿主に寄生するために中間宿主を操るものがあるだろう。
中間宿主の姿をえさに似せるために変化させたり、普通なら捕食されにくい場所へ隠れる習性のあるものを、捕食されやすい場所を好むよう変化させたり。
カタツムリに寄生するロイコクロリディウムというのがそうだ。
これは、ある種の洗脳では? 好みや習性を変えてしまうのだから。
猫が我々に対して同じことをしていないと言えますか?」
力説され、七号の押し隠した動揺が声の表面に浮かび上がる。
「そう……なんでしょうか……」
「そうでもなければ、世界的な愛猫家の異様な増加、巷にあふれる猫コンテンツという社会現象に説明がつきません!」
「何か、俺……こんがらがってきました。
ちょっと話が飛びすぎて、ついて行けてないんですが……」
言って、弁論者八号が頭を押さえるのがシルエットになって映る。
他の弁論者たちもそれぞれに困惑しているらしい様子を、カメラは淡々と見つめていく。
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