全世界家猫撲滅協議会
宮条 優樹
Scene 1.
部屋の中は灰色だった。
壁も床の天井も、部屋の真ん中に置かれた大きな円卓も灰色で統一されていた。
壁際に設置されたカメラが、ぐるりと部屋をねめ回す。
寒々とした白い照明が、壁にも床にも真っ黒な影を作っている。
その様子を、カメラはゆっくりとまんべんなく映した。
部屋は天井も高く広々としているのに、開放感などまるでない。
厳重に密閉された箱のようだ。
その箱のような部屋からは、余分な物も人も音さえも排除されて、代わりに冷たいような空気が満ちていた。
大きな円卓にしつらえられた席は九つ。
均等な間隔で並んだそのうちの八つには、それぞれ前面と左右に半透明の
衝立に映った八人分のシルエットを、円卓の中央に設置されている小型カメラが順番にとらえていく。
背筋を伸ばして座っている者、緊張した様子でいる者、落ち着きなく周囲を見回している者、逆に周りなど気にせず悠然としている者……八人それぞれの様子を眺めて、最後にカメラは九つめの席でその動きを止めた。
この部屋の中でカメラにその姿をさらしているのは、その九番目の人物だけだった。
濃紺色のスーツを身にまとい、銀縁の眼鏡をかけている以外は特徴もない顔立ちの、三十がらみの男だ。
スーツの男は、卓上のカメラが自分の前で静止したのを確認すると、静かに席から立ち上がる。
「――皆様、準備も整いましたようですので、時間通り始めさせていただきます」
スーツの男の言葉を合図に、段取り通り、といった様子で衝立の向こう、八つのシルエットも立ち上がった。
椅子の鳴る音がやむのを待って、スーツの男は抑揚のない声でカメラに向かって宣言した。
「只今より、〈第四回・全世界家猫撲滅協議会〉中継弁論を始めます。
今回も、私が議長として司会進行を務めさせていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします」
スーツの男――議長が一礼するのに合わせて八つのシルエットも軽く礼をした。
手振りで議長が着席をうながすと、またひとしきり椅子の立てる音が室内に響き、それがやむのを待って、議長はカメラに向き直って口を開いた。
「今回で四回目となりますこの中継弁論ですが、初めてご覧になる方のために、今一度この協議会の趣旨について説明いたします。
この〈全世界家猫撲滅協議会〉は、名前の通り、世界中に存在している家猫を撲滅すべきであるという一つの主張の元に発足したものであります。
元は極小規模な集まりであったものが、次第に賛同者を増やしつつ拡大し、今では全十三カ国の承認を得て国際的な活動を進めております。
今年で十六年目となりますこの協議会の活動にいよいよ結論を出すため、こうして中継弁論が開催される運びとなったわけであります。
それではここで、この弁論での論題を発表いたします」
淡々とした長広舌を、議長は一度も台本に目を落とすことなくカメラに向かってよどみなく言い切った。
議長は効果的な間合いを計って、カメラを無表情に見据えて言った。
「論題は『宇宙からのスパイ生物である猫を地球上から撲滅すべきか否か』」
その言葉の意味が波紋のように広がり、そして静まっていくのをかみしめて、議長は改めて口を開いた。
「――第一回の弁論から引き続き、ここにお集まりの八人の弁論者には、この論題について発言していただきます。
八人の弁論者にはこの場で大いに意見を出しあっていただき、充分な議論を行った上で、最終的に賛否の結論を判定いたします。
一つの生物の、種の存続がかかった議論です。
皆様、発言には自信と責任を持って臨んでくださいますようお願いいたします」
壁際のカメラが議長の背後から八人の弁論者たちを映す。
議長の言葉に、シルエットはそれぞれ重々しく、あるいはおざなりにうなずいてみせた。
「そして、この弁論会は全世界に中継されています。
ですが、この会の趣旨が、猫が宇宙からのスパイであるという仮説の元にあるため――」
「議長、少々お待ちを」
流暢な口上を唐突にさえぎる声が上がる。
卓上のカメラが議長のすぐ左隣に座したシルエットを映した。
そのシルエットの主は声から壮年の紳士らしいと知れた。
発言を求めて挙手をしているシルエットを見やって、議長は自分の台詞をさえぎったことを
「何か発言ですか、弁論者一号」
「今の議長の発言、訂正していただきたい。
猫がスパイであることは、仮説ではなく厳然たる事実です。
我々はこれまでの議論の中で、そのことを証明できたはずですが」
議長に向かってその弁論者一号は、毅然とした口調でそう発言した。
一瞬、議長は手元の進行台本に視線をやると、すぐに顔を上げて自分の発言を訂正して言った。
「失礼いたしました。ご指摘ありがとうございます。
猫が宇宙からのスパイであるという事実のため、この弁論会の内容を猫に知られることはできません。
そのため、中継は全世界百三十五カ所の映画館でのみ視聴できます。
劇場内での録音、録画機器の使用は禁止されております。
また、劇場内に猫を連れて入ることも決してしないでください。
映画館にペットの持ち込みは禁止されております。
何より、この場においてはそれは全人類に対する重大な裏切り行為です。
以上、毎回の注意事項の確認となります。ご承知ください」
顔からは表情を消したまま、その口調は大真面目に議長は長々とした説明をカメラに向かって続ける。
「尚、今回も前回までと同様、弁論者は全員、全世界から無作為に選出されております。
判定は弁論の内容によってのみ判断できるよう、弁論者のパーソナルデータは伏せられております。
年齢、国籍、人種、学歴、その他いかなる個人的な事柄も、弁論の内容に一切影響を与えるものではありません。
弁論者には、個人的な事情、感情等に基づいたものではなく、客観的かつ説得力のある発言を期待します」
議長の説明する声を受けながら、卓上のカメラがまた一人一人の弁論者のシルエットを映し出していく。
じっと席に着いたシルエットの様子から、緊張しているものか退屈しているものかはわからない。
カメラが円卓を一巡りし、再び議長の前で静止したタイミングで、心なしか議長は声を高めて言った。
「賛否の判定は第三者によって行われます。
第三者とは、今、劇場でこの中継をご覧になっている、あなたです。
弁論者の発言を十分に吟味し、公平、公正な判定をしていただきたく思います」
そう言って、議長はようやく自分の席に着席した。
「それでは、前置きが長くなりましたが、これより弁論を開始します。
まず始めに、論題について各弁論者の主張が賛否いずれであるかを確認いたします。
では、弁論者一号より、順番に発言ください」
議長はそう言うと、左手で弁論者一号を示した。
卓上カメラは一号から順番に、弁論者を一人ずつ映していく。
彼らが発言するのに合わせてゆっくりと、カメラは首を巡らせていった。
まずは弁論者一号から、
「私は賛成です」
続いて、その左手に座る弁論者二号が、
「私は反対」
その更に左隣に座った弁論者三号が、
「反対です」
続けて弁論者四号が、
「賛成」
短い発言に続けて弁論者五号は、
「賛成です」
そこにすかさず弁論者六号が言う。
「反対」
続く弁論者七号は口調も強く、
「断固、反対です」
最後に、弁論者八号が、
「賛成します」
と言った。
合計八名の弁論者から賛成反対の発言を得て、議長は念を押すように一同のシルエットを見回すと、静かに弁論の進行を始めた。
「……以上、賛成派四名、反対派四名の同数となっています。
では、賛成派を代表して弁論者一号、この論題の根幹になっています猫スパイ説について、改めてここで説明をお願いします」
議長の指名を受けて、弁論者一号は起立した。
衝立越しにカメラがじっと見つめる前で、弁論者一号は堂々とした様子で説明を始めた。
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