#22

 向かい合う二人の魔女。

 転生を果たし、肉体を回帰させた最悪の魔女ベアトリクス。その娘であり、守り救うと決意を新たにした希望の魔女”オーバーサイク”ミュール。


「今のが全力のはずでしょう? 私には通じない、もうあきらめて、”ベアトリクス”」


 決別の証、オーバーサイクはベアトリクスを母と呼ぶことは無い。けれど、もう憎しみに囚われ彼女の命を狙う事も無い。先程の激突、あのサイクブラストはこれまでの戦闘から鑑みて間違い無くベアトリクスが発揮できる最大出力であった。そしてオーバーサイクはそれを防ぎ切って見せた、余力もある。


 投降しろと言うオーバーサイクに、ベアトリクスはまずあれが全力である事を認めるように頷きながら、しかしその表情は相変わらず。ふにゃりと口角の上がった口元ととろんとふやけて垂れた目元、上気した柔肌。くすくすと笑い声を上げながら、ベアトリクスは一糸纏わぬ幼い体躯を曝して立ち上がる。そしてそれでも地面に付く程長い髪を揺らし、同じく長い前髪の隙間から真紅の瞳を覗かせて彼女は言った。


「本当に強くなった、誇らしいわ。想像以上。確かに”今の私”じゃあ敵わないかもしれないわね。けれど、これからよ、私も……ねえミュー、貴女が成長して強くなるように、私もなの。成長し、強くなる……」


 足元に落ちる、これまでのベアトリクスが纏っていた黒の装束。それが独りでに浮かび上がると形を変えて彼女の裸の体へと巻き付いて行く。話している合間にもそれは形を整えて行き、一頻りベアトリクスが話を終える頃にはレザースーツ状だったそれは材質からして変化し、白い丸襟の黒いワンピースが完成。長かった髪も整えられ、梳いてすらあるのは服にそれを織り込んでいるからのようだった。


 その出来上がったワンピースの裾、その両端を摘みながらその場でひらりと踊って見せるベアトリクス。浮かれ気分でいる彼女に対し、油断を見せないオーバーサイクの眼光は鋭く、威圧しながら再度彼女に向けて投降しろと告げる。その両手には魔力の光が灯っていた。加えて、空中から降りてきたウォーヘッドからなる三人。オーバーサイクの傍らにイヨが駆け込みブラスターをベアトリクスへと向ける中、アルテッサを連れてウォーヘッドとレオンがその二人の後ろに立ち並んだ。


「ベアトリクス、報酬の金は例の口座に……」


「今は黙ってろよ相棒。Hey! ベアトリクス、ちんちくりんになったところで俺は引き金を引くぜ、帰ってマタタビをキメてえんだ、さっさと地べた這いつくばってお縄につけよ。犬みてえにな」


「おい、クレイジー。犬みたいにとはどう意味だ? このレイシストめ、地べたに這いつくばるのは猫の方ではないか」


 気が付くとぎゃあぎゃあ言い争いを始めているイヨとレオンの獣人二人。叱るオーバーサイクと呆れるアルテッサ、そして笑うベアトリクス。最終的にその二人を両手にそれぞれ掴んで持ち上げたウォーヘッドにより静かにはなるが、お陰で彼にはベアトリクスに空けられた胸の穴にかけて”チェストホール”と言う不謹慎極まりない仇名が付いてしまった。


 兎に角、ベアトリクスに投降の意思が無いことが分かり、オーバーサイクは自身の身に雷を纏わせる。速攻に於いて他の追随を許さないアルテッサの雷の魔法。彼女はそれをここに再現し、一瞬すら遅い領域でベアトリクスの無力化を行おうとした、けれど彼女が纏った雷はしかし徐々にその勢いを弱めて行き、遂にはぱちんと音を一つ残して毛先から最後の電気のその一筋が消失。


 戸惑うオーバーサイクであったが、アルテッサにはその現象に覚えがあった。遺跡から溢れ出た泥である。明らかにベアトリクスの意思に応じた効果を発揮していた泥であるが、見渡すとそれは最早何処にも見当たらない。いつの間にと疑問に彼女が思い、では何がオーバーサイクから魔力を奪ったと言うのか、新たな疑問が生まれ出た頃、しかしオーバーサイクは再びその身に雷を纏おうとしていた。吸収されても、それを上回る程の膨大で色濃い魔力。可視化する程の濃度になって初めて判明する、オーバーサイクの体の至る箇所に繋がった管の様な何かが。それを見たアルテッサは彼の者の名を口にする。


「エンチャントアーム……エンチャンターの能力を真似て……」


 エンチャンター。かつて”ハッピーチャイルド計画”により生み出された超人インフェルノの模造品と呼ばれた男。人の中にある門を強制的に解放しようとしたその計画はエンチャンターを生み出したことにより失敗に終わったが、解き放たれたエンチャンターは人類、ひいては世界を恨み、同じハッピーチャイルド計画の被験者やニューヒューマンを率い破壊活動を繰り返し行っている。


 そのエンチャンターが有する能力こそが見えざる手”エンチャントアーム”。不可視の触手は本来エンチャンターの中に開かれた門からの力を他者に与えるなどする為のものであるが、その逆もまた可能。その能力に酷似したものであるとアルテッサが告げると、ベアトリクスは笑いながらその場でくるりと回って見せる。それ自体に意味は無く、ただ彼女の気分がそうさせただけで、再び面々を前にすると彼女はアルテッサに頷いた。


「前々から良い力だとは思っていたの。門、”ヘイロー”の力は真似できないけれど、コンセプトはとても素晴らしい、ふふふっ……ねえ、落ち着いてミュー。もう私はお腹いっぱい。少し消化しないと破裂しちゃいそうよ」


「それでも私は構わないのだけれど……ッ……」


「ええ、そうでしょうね。けれど、楽しいひと時はもうお終い。実はお仕事が残っていてね? それを済ませようと思うの」


 何を。そうオーバーサイクが訊ねようとした時、また裾の両端を摘まんだベアトリクスが一同に向けて首を垂れると、そして踊るように跳ねながら回ると共に宙へと浮かび上がり始める。


 逃げられると思ったオーバーサイクは雷に肉体を完全変換するのでは吸収されている現状間に合わないと踏み、その魔力を瞳へと収束させ、白光のサイクブラストを放つ。魔力を奪われながらでは圧倒的な破壊力を生むことは叶わないが、絞り込みレーザー光線の様にすることにより仮に障壁を展開されてもそれ突破できるようにすると同時に急所を避けた攻撃を可能とし、それは希望の魔女としてのオーバーサイクの心構えが如実に現れた工夫であった。


 一筋の閃光は上昇して行くベアトリクスへとすぐに追いつくものの、やはり命中の寸前で障壁に拒まれでしまう。じりじりと細かな火花を散らしながら、しかしそれへの対策がされたオーバーサイクのサイクブラストは障壁を突破する。だがそれを理解しているベアトリクスもまた対策を講じていた。一転集中のサイクブラストは脆いのだ。弱く、脆い。魔力に流れを作り、それにサイクブラストを乗せてやるだけでも簡単に狙いは逸れる。


 危ないとウォーヘッドが叫ぶのと同時に、サイクブラストはその矛先を逸らしてベアトリクスの頬を掠めて行く。しかしそれだけでは無く、湾曲したそれは球状に展開されていた障壁の表面を不規則に飛び交い、やがて飛び出した一筋がめちゃくちゃに全方位を切り刻み始める。岩壁を削り、レオンの機材を焼き切り、遂には照射を続けるオーバーサイクにすら迫り来る。突然に対応出来なかったオーバーサイクは痛みに耐える覚悟を決めるものの、その痛みはいつまで経ってもやって来ない。代わりにがりがりと金属を削るような音が響いた。


 そこでは側面からオーバーサイクに迫ったサイクブラストを己のまだ地球外金属で構成された右腕で受けて、彼女を庇うウォーヘッドが居た。右腕を伝い、肩、そして背中へと掛けてサイクブラストに切り付けられたウォーヘッドは苦悶の表情を浮かべながらもオーバーサイクを不安がらせない様に声だけは出さないでいた。すぐに瞳を閉じて照射を中断したオーバーサイクが彼へと振り返ると、ウォーヘッドは彼女に無事かとだけ訊ね、膝を付いて地面に左手を突く。


「パパ!! っ……ベアトリクス!!」


 恐らくはオーバーサイクを狙えばウォーヘッドが動く。今までの堅牢さを失くしている彼であれば容易く傷を負い、確実にオーバーサイクに隙を生じさせられる。ベアトリクスの企みに気付いたオーバーサイクは父の身を足りない両手で一生懸命に抱き締め案じながら、母を見上げる。その先では子供の様な笑い声を上げたベアトリクスが高々とその両手を広げ、魔法を紡ぐ天使の言葉とは違う、何か不気味な雰囲気すら孕んだ歪な不協和音の様な言語を笑いを引っ込め代わりに口走り始めた。


 その言葉に呼応するように、花の形をした遺跡はその形状を再度変化。岩か金属のようであったそれはまるで粘土のようにぐにゃりとうねり、たこの様な触腕を無数に形成するとそれらは共に絡み合いベアトリクスへと上り詰めて行く。そしてやがてその先端が彼女へと到達すると人の手を模した触腕が新たに生え、まるで籠のように彼女を取り囲んだ。


「チクショウ! 最大出力で……くたばれ!!」


 地面のイヨがやる気の無いレオンからブラスターを引っ手繰ると、二丁ともに出力を上限まで上昇。両足に履いた特別製のスニーカーから爪を突き出して地面に引っ掛け、尻尾すら付けて支えにすると。両脇に抱え込んだブラスターの引き金を絞り核エネルギーのビームを放った。狙いはベアトリクス。戦車の装甲であろうが簡単に溶解させ得るそれは瞬く間にベアトリクスへと襲い掛かるが、相変わらず不気味な言語を口走る彼女を取り囲んだ触腕の前にそれは弾かれてしまった。


 その事に一番動揺したのはイヨでは無くレオンであり、傑作の一つであるブラスターが通用しなかったことに驚き、そして触れるのも嫌だった筈の地面に対し地団駄すら踏む程であった。


 異常な程の強度、それを誇る不気味なオブジェはやがて鼓動を始め、そして脈を打ち、その度に暗い光が触腕の塊を伝い昇って行く。それはベアトリクスを囲む籠の中へと溜まり、次第に彼女の姿はその光の中へと消えて行った。


「――さあ、生まれ変わるのは私だけじゃない。この世界すら、これより生まれ変わる」


 光が爆発を起こし、再び柱となって天へと伸びた。だがその規模はこれまでのそれとは比較にならず、空洞は振動を始めて崩れ始めた。砕け、ひび割れた岸壁からは水が滲み、当初ビーコンを空に放つ為に作られた筒状の建造物も崩壊したのかそこからも大量の水が押し寄せようとしている。


 オーバーサイクは転移門を開こうとするものの、ベアトリクスの仕業か、あるいはあの不気味なオブジェのせいか、ジャミングが発生し上手く門を形成できない。


 光の中でベアトリクスは見上げる、その目は真紅の瞳を除き暗黒に染まり、その中にはまるで宇宙の様な光景が広がっていた。正確には、そこにあるのは星々の輝きでは無く、無数に存在する世界の輝きであり、今彼女の目はそれを見る”遥かなるもの”の目となっていた。


「――超常の世の、始まりよ。精々楽しみましょう」


 立ち昇った暗い光は天高く、成層圏を越えて星を飛び出した直後に爆発を起こした。広がった無数の光の破片を見詰めながら、その目を正常に戻したベアトリクスは腰まで浸かり水に飲まれそうになるオーバーサイクを見下ろした。その目を細め、笑みを失った幼いその顔に代わりに浮かぶ表情は複雑。けれど怒りや憎しみ、そう言った負の面は無いように見える。彼女はその手を届く事のない娘へと伸ばし、撫でるように指先を動かした。するとその先でオーバーサイクは遂に転移門を開くことに成功し、皆と共にその中へと消えて行く。それを見届けたベアトリクスは一人、静かに目を瞑り、己も同じように転移門を開き、この場から消え失せる。間際に呟いた言葉を残して。


「”約束の日”は、すぐそこよ、気を付けなさい。私の娘、私のミュール」

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