#14

 力を無くした竜の腕を振り払い、頭に昇っていた血が下って行く感覚に目眩を覚えながらもベアトリクスは状況を確認する為に眼球を動かす。

 切断された腕を即時再生させたオーバーサイクと、彼女が見上げるその先。ベアトリクスはオーバーサイクの視線を追いかけ、自らもそちらを見る。そして見付けたものは白銀の体躯をした巨漢、ウォーヘッドであった。

 ウォーヘッドはオーバーサイクの支援無しに飛行する術を持っていない筈、それがこうしてオーバーサイクとベアトリクスが交戦する空中へとどうやってやって来たと言うのか。答えはすぐに判明した。ウォーヘッドの背中に生えた二枚の翼とリパルサーリフト。あれはレオンのリパルサーチェアーに搭載されている物だ。


 ベアトリクスは項垂れたまま、レオンの姿を下に捜した。するとそれはすぐに見付かった。いつもはリパルサーチェアーにふんぞり返っている筈の彼がどうしてか今は地べたに座り込んで茶を啜っている。

 目を細め、レオンの精神へと介入するベアトリクス。


(私の邪魔をする気なの?)


(抜かせい魔女め、強奪されたんじゃ。早う取り返してくれ、雑菌が目に見えるようで堪らん)


 突然の精神感応に何ら動揺した素振りも見せず、レオンはいつもの調子で威圧的なベアトリクスにも物怖じせずに逆に自らの記憶を見れば良いとさえ言い返す始末であった。今の彼にとって何より恐ろしいのは土壌の細菌たちらしい。

 ベアトリクスはレオンの記憶を辿る。

 ほんの少し前、本当に数分前の出来事だ。二人の争いを見上げているウォーヘッド。彼は傍らのレオンが座るリパルサーチェアーを奪い取り、そして自らの体とそれを結合させた。レオンの推測によればウォーヘッドを構成する流体金属による機器への擬態、リパルサーチェアーのシステムへと同調し同化。それが持つ機能を読み取り、リパルサーチェアーを基礎として彼が飛行出来るまでに足りないものを自らの体を変形させて代用させたようだった。


 ウォーヘッドの背中に備わった翼はレオンが開発した空戦メカボット"バルチャー"の物。重力制御ユニットであるリパルサーリフトを備え、自由自在の空中機動を可能とする装備一式が彼の物となった。空を手に入れた彼が今対峙するのはベアトリクスでは無く、これまで共に居たオーバーサイク、ミュールである。


「いたい……じゃない……なんで、パパァ!?」


 彼女の魔法を使えば腕の一つや二つは完全な再生が可能だが、断ち切られた痛みはどうすることも出来ない。再生が終わるまで生じた激痛は短くともしかしオーバーサイクの全身に大量の汗を滲ませ、両目からは涙が溢れ返っていた。


 それを見たウォーヘッドは目を伏せそうになるのを堪え、泣き叫ぶオーバーサイクを見据える。そして刃に変形した右腕を彼女へと突き付けて、言う。


「お前に彼女は殺させない。もし、それでも殺そうと言うなら……言う、なら……ッ」


 二人のやり取りを見詰めるベアトリクスは未だに自らを握り締めたままの竜の腕を魔法によって崩壊させ、その拘束から逃れる。そして光を放つ遺跡とオーバーサイク、そしてウォーヘッドをそれぞれ順に見て行った後、これまでの事など彼女の私怨を晴らすべくその目に輝きを宿した。そしてオーバーサイクを前にして最後の言葉を中々紡げずにいるウォーヘッドの背へと向けて、その両目の輝きを爆発させた。


 それを受けたウォーヘッドはオーバーサイクの悲鳴の中で、しかし決して振り返ることはせずオーバーサイク、つまりミュールを見詰めたままで、なおかつ、彼女にも自分から目を離してはならないとその目で伝える。


 ウォーヘッドの背中に照射されたサイクブラストは炸裂を起こし、彼の背中に生えた翼の一部が弾け飛ぶ。翼だけではない、彼の背中も爆発が繰り返される度に着実に削られていて、それは人と同じく痛みという信号でウォーヘッドへと危険を知らせていた。

 彼は隕石からオーバーサイクの魔法によって作り出された存在であり、当初は痛みなど感じることは無かった。しかし人の社会に溶け込み暮らす為、人と接する為、何より人であるオーバーサイクを育てる為には痛みが必要と気付いた彼は彼女に痛みを感じる為の機能をその身に作らせていた。


 自身が危険に曝されている事を分かっていながらも、ウォーヘッドはオーバーサイクを見詰め続け、そんな彼から目を離せなくなっていたオーバーサイクの瞳には痛みからとは違う涙が浮かび始める。

 それは彼が身を削っていることか、それか彼がこれから何を言おうとしているかが分かったからか、もしくはその両方からか。


 蚊帳の外にされているベアトリクスの苛立った感情が乗ったかのような、一際大きな爆発が起こり、魔力の爆炎がウォーヘッドの大きく仰け反らせた。だがまだ、ウォーヘッドの翼は折れず、そして漸く躊躇って閉じてしまっていた口を彼は開く。


「――私は、彼女を守る為に、お前とも戦うぞ……ミュール」


 どうしようもない悪人であれ、殺したいほど憎い相手であれ、誰かの命を奪う権利は自分たちには無く、そしてまた私怨で誰かを手に掛ければそれは自分たちが抱えたる責任を捨てた事になる。

 ロシアから始まった二人の出会いと、その時とその後に行った凶行。既にウォーヘッドもオーバーサイクも、ベアトリクスと違わないのだから。


 彼は自分も、そしてオーバーサイクもベアトリクス以上の悪に墜ちない為に、その為には娘であるオーバーサイクとも戦うつもりでいると断腸の思いで以て遂に告げるのだった。

 そしてウォーヘッドに目に映るオーバーサイクの表情は驚愕、絶望、恐怖。もっと色々な色が混ざり合った混沌としたものに変わって行く。


 何故味方の筈の父と慕うウォーヘッドが、何故敵と憎む母を守ると言い、そして自分と戦うなどと言うのか。自分が母を殺すという我がままを、父との約束を破り行おうとしたから。


 母のせいで今まで独りぼっちだとミュールは思っていて、それは確かに間違いの無い事実であった。けれど彼女の父となったウォーヘッドは、こればかりは彼女自らが原因となり離れてしまいそうになっている。嫌だと、ミュールは本当に、本当に小さく呟いた。


「……私はもう二度と誰も殺さない、良き父となると決めたから。ミュール、お前にも殺させない。だから、ベアトリクスを殺すというのならば、私は彼女を守る為にお前とも戦う。ミュール、お前はそれでも良いと言うのか?」


「――……だ……」


「良いと、言うのか――ミュール!」


 嫌だ。そう彼女がはっきりと叫んだ時、混沌としていたその表情が一気に晴れて行った。彼女が見たのは本意では無いことを告げる為のウォーヘッドの苦しんだ顔では無く、穏やかな笑みを浮かべたいつか見た優しい父親のそれであったから。


 やはり父は自分を見捨てたりはしないのだとオーバーサイクが彼の元へと近寄ろうとした刹那、鋭い音と共にウォーヘッドの体に亀裂が走った。そしてオーバーサイクが見詰める中で、彼の胸を突き破り現れたのは腕。ベアトリクスの細腕、それだった。


 そして覗くベアトリクスのにやついた顔。その大きく裂けた口が言う。


「嫌ね。私の前で、そういうの……本当に気に食わない」

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