#12

 そもそも、どうしてミュールは母たるベアトリクスを憎むのか。悪の蔓延る街に居て、肌の白い彼女が無事に過ごせていたのは、偏に母のベアトリクスのお陰であることに間違いない。

 ナイフも銃もレイプも恐れる必要は無い、ベアトリクスが行使する魔法があれば、デトロイトの街全てが敵に回ったとしても制圧は容易い。事実として、彼女があの街へ訪れた時から、街に巣食う悪は残らず彼女の前に平伏した。


 暴力を暴力により叩き潰し、それに伴う恐怖が全ての者を震え上がらせ支配を可能とする。全てを破壊し、殺し尽くさなかったのは、それはベアトリクスにミュールが居たからだろうか。それを知るのはベアトリクス、彼女だけ。ミュールも誰も、それを知る由も無し。

 しかし、ベアトリクスの行いもまた紛れも無い悪であり、悪を成して手に入れた平穏が真に平穏と呼ばれることなどまず在り得ない。歪んだ平穏は、本当の平穏を望んだミュールに苦しみだけを与え続けた。幼い彼女こそを歪ませてしまう程に。


 ――いっしょに遊びましょう?


 一体幾つこの言葉を投げ掛けた事だろう。誰も聞いてくれない、返事をしてくれない。それでもきっと自分の言い方が悪かったのだろうと、態度が良くなかったのだろうと自らを咎め、次からは良い言い方で、良い態度で、苦手だけれど笑う努力もして、そしてまた友達になれそうな子供たちを見付けては辛気臭い子供に思われない様に元気良く、笑顔を咲かせて、そして言う。


 ――いっしょに遊びましょう?


 決して実を結ばない努力を繰り返し、そしていつしかそれに疲れ。いつもミュールは独りだった。母もそこに居るだけ。彼女を虐めもしなければ、しかし可愛がることもしなかった。独りが辛く、泣いていた時も、母はただ彼女を見詰めるだけだった。


 この街では、殴らず、食事も用意するだけでそれは十分に立派な親と呼ぶことが出来る。そもそも親が共に居り、住むにも着るにも食うにも困らず、薬に心を病むことも無い。一見すれ幸福な暮らし、しかしそれ故に彼女は独り。周りとは、それだけ違うのだ。アニメやドラマの様な、今は酷くても最後には笑い合える家族。友人はあり得ない。同じ地平に居ることが出来なければ、出来ない限り、あり得ない。


 それを、ほんの子供が理解するだろうか。出来ない。

 どうしてこんなにも寂しいのか、泣き続けなければならないのか、皆はどうして自分から逃げて行くのか。

 彼女の記憶は、いつかのある日に耳にした言葉を思い出させた。


 ベアトリクス。


 ベアトリクス。母の名前。自分がいつも独りぼっちで、寂しくて、辛くて泣いていても、泣かなくて済むように頑張れども成果を得られないのも、それはきっと母のせい。全て、全部、母のせいだ。


 父が居れば、父ならばきっと守ってくれるし助けてくれる。母を叱って、きっと自分を励ましてくれる。


 母は要らない、自分を守ってくれる、助けてくれる、世界一強いパパが欲しい。世界一優しいパパが欲しい。


 彼女の願いは果たして、彼方へと届いたのだろうか。ミュールがそう、間違いでも、歪んでいても、しかしそれほど強い願いはきっと”彼”をこの星へと呼び寄せた。それがきっと、皮肉な形であっても、真の魔法だったのだ。その結果無実の命が散ることになり、無辜の人々に恐怖を植え付けることになったとしても、父が欲しいという彼女の願いは魔法を唱えたのだ。


 だから、今のこの幸せの時をまた母に奪われるわけにはいかない。例え、ウォーヘッドとの約束を破ったとしても。

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