#2

「見て見てっ、この猫ちゃんチョーカワイイよ。私も猫飼いたいなあ……ねえパパぁ?」


「世話できないだろう」


「できるもーん! 毎日一緒にご飯食べてなでなでして抱っこしてあげるもん」


 キラキラにデコレーションされた携帯の、今時の大画面をナイフとフォークを指先に摘まんで小さく綺麗にパンケーキを切り分けているウォーヘッドへと向けて見せるミュール。そこに映し出されている映像は数匹の仔猫が戯れているだけのそれだけのものであった。


 携帯を手元に戻したミュールはその映像を熱心に見詰めながら猫を飼いたいという願望をウォーヘッドに伝えるが彼はそれに否定的であった。まだ肯定できないともいうのだが。兎も角、駄々をこねるミュールにはもう慣れたものであり、彼女の事を無視してフォークに刺したパンケーキを口に運びその甘い味わいを堪能するウォーヘッド。そして一度その二つのカトラリーを皿に掛けて置くと、彼女は彼女で動画に夢中なミュールを見下ろす。


「良いか、トイレのしつけや餌やり、掃除や諸々。動物を家族に迎え入れるというのはとても大変な事なんだ。確かにペットは人生を豊かにしてはくれるだろう、だがそれは同時にペットの人生は飼い主が豊かにしてやらなければならないと言うことだ。抱っこして撫でてやるだけでは駄目なんだぞミュール。責任だ、責任を負う覚悟が必要なんだ」


 椅子が軋むためにあまり派手に動くことができないながらもメープルシロップの付いた唇をナフキンで拭いながらウォーヘッドはミュールへと語った。お説教である。


 如何に強力無比な力を持っていようともミュールは年相応。物を壊した訳でも無し、ついうっかり悪漢を痛めつけすぎた訳でも無し、実際に何か失敗をした訳でもないのにされる説教など聞きたくもないようで、少し不満そうな顔をして"はーい"と適当な返事を返すばかりであった。

 彼女は結局は猫など飼わせてくれないことを知っていて、それでも一応と訊いてみた。それだけ。しかしこうも大真面目に言い返されてしまえば、どれだけウォーヘッドの性格を理解していようとも面白くはない。


 ミュールはこれ以上恋しくならないために仔猫の動画を閉じると、画面の暗くなった携帯をテーブルに置いて、湯気立つカップを小さな両手に持って口に運んだ。中身はウォーヘッドのものと同じ、甘いココアだ。恨めしげにウォーヘッドを見上げながらカップを傾けたミュールだったが、まだまだ熱いココアが波打って想定していたよりも多く唇に押し寄せてくると"あちっ"と小さな悲鳴を上げる。


「気を付けなさい。冷まして上げるから」


「へーきだから、大丈夫だってば。もう子供じゃないのよ、わたしは……あちっ!」


 同じ失敗を繰り返し、今度はその恨めしげな目をココアに向けるミュールを見てウォーヘッドは呆れつつ、私物の入ったメッセンジャーバッグから読みかけの小説を取り出してしおりの挟んである箇所までページをめくっていった。


 なんだかんだとありながらも、ニューヨーク襲撃の一件以降、能力を持った悪人や呆れた科学者が起こす小さな事件はありつつも、ウォーヘッドとミュールの二人が巻き込まれる事件は少なく、平穏な時は過ぎていた。だがウォーヘッドにとっての気掛かりは無くならない。彼はちらりと小説の文字列から退屈そうに携帯を弄るミュールに視線を移す。彼女の母親、ベアトリクスはまだ生きている。デトロイトに残る部屋をその後確認に戻りながら、ベアトリクスの姿は無く、また何かをしようとしている気配も無い。


 何処か、誰も知らない場所で朽ち果てたと言うのならばそれで良し。しかしあの最悪の魔女がそう簡単に死ぬとはウォーヘッドには到底思えなかった。


「――パパ、あの光、なに?」


「……む?」


 小説を手に持ったまま、暫し思考の海に沈んでいたウォーヘッドだったが、それをミュールの声が引き上げた。彼女が指差した先は窓の向こう。見てみるとビルの隙間から空に向かい伸びる光が確かにあった。


 店に居た客も皆、彼らの席の近くに集まり共に光を見詰める。通行人たちもだ。


 良からぬ何かであることは明白。しかしならば、だからこそ関わり合いになるべきではない。だがしかし。ウォーヘッドが思考を再び巡らせようとすると、彼がテーブルに置いた手に何かが触れた。見るとそれはミュールであった。


「……だが……」


「わたしたちなら誰にも負けないわ。悪いやつらならやっつけないと……パパ」


 彼女は彼女なりの覚悟を決めている。向けられた瞳を見詰め、ウォーヘッドは吐息を一つ。


「……出るぞ、ミュール」

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