第35話:自由を捨てた比翼の鳥


「――ありがとうフラム先輩。大事に使うよ。付け焼き刃だけど、無いよりマシだからね……でもまさか、こんなに早く追いつかれるなんて……くそ、化け物め」


 僕はそう憎たらしげに呟くと、小さく舌打ちする。


 馬車が川へと落下したのは、御者のミスではなく凶悪な怪物を使役するグラトニーの仕業だったのだ。ちらと見たが頭部を触手で喰われたのだろう、制御を失った馬車はそのまま崖を飛び出した。


「それに、グラトニーの狙いはやっぱり……」


 幌馬車で《ラズマリータの街》から逃走したのは、決して僕らだけじゃない。

 にもかかわらずこの狙ったかのような的確さとスピードでは、やはり新種である僕とカーバンクルのフラム先輩を狙っているに違いない。


「……絶対に、二人を渡したり、なんか、しないんだから……ッ」


 たどたどしい口調で言うのはエルウェだ。

 彼女は今、フラム先輩の炎に両手を翳して体温を高めている。服も乾かさなければ、この気温では死んでしまうから。カチカチと歯が鳴る音が、妙に痛ましい。


「ど~こ~だ~ぁ~!? 隠れてもぉ無駄だぞぉ!? 大人しくでておいでぇ、混ざるってぇ気持ちいいことなんだよぉ~!? ほらぁほらほらほらぁ! わくわく」


 絶えることのないその汚らしいあざ笑いは……徐々に近づいてきているか。


 今はどうにか木々の根と灌木の隙間に隠れられてはいるが、発見されるのは時間の問題。僕は考えるより先に、フラム先輩に問うた。


「……フラム先輩、あとどれくらいでエルウェの服は乾く?」


 密着していたエルウェが目蓋を重たそうに見開いた。


「エロ、騎士……?」


「……十分もあれば余裕だァ。だが新入りィ、お前はどうする気だァ?」


 眉をひそめたフラム先輩を尻目に、僕はよいしょと立ち上がる。

 そんなの決まってるじゃないか。


「どうって、時間を稼ぐんだよ――この魅惑的な身体を売りに出してね! ああもちろん、超高額だから易々と購入されることはないよ、安心して!」


「待って! ダメよエロ騎士!」


「ええ、そんなに僕の身体が欲しいの? しょうがないなぁ、エルウェに限って99%引きにしてあげてもいいけど……どうする?」


 身を乗り出して止めようとするエルウェは、身体がまだ動かないのか転びそうになってフラム先輩の尻尾に支えられる。僕はここぞとばかりに厭らしい笑みを浮かべた。つもり。


「買う、買うから! だめよ、行っちゃだめ……お願いよッ!!」


「ふっふふ、言質とったからね――エルウェをよろしく、フラム先輩」


 どうやら買ってくれるらしい。エルウェに初めてを捧げられるなんて幸せだ。

 僕は楽しげに笑ってみせると、次にはフラム先輩へと真剣な眼差しを向ける。カーバンクルが一つ頷き尻尾の炎が揺れていないのを見届けると、僕は灌木の隙間へと身を投げた。


「っ……だめぇ……ッ! 私、あなたにぴったりな名前、考えたのよッ、だから、行かないでぇ……ッ!?」


 今にも泣き出す寸前の子供のような声を背中で受け止めて、僕は駆けた。


 ――そっか。名前、考えてくれたんだ。嬉しいな。


 積もった雪は森が深いせいか足を取られるまではない。

 冬でも葉の枯れ落ちない広葉樹が白い花を咲かせ、怪物の眼から僕を守ってくれる。木々の根を飛び越えて茂る灌木の下をくぐり、僕は大きなため息を吐いた。


「さて、どうしよっかねぇ……」


 正直見切り発車も良いところだ。

 もしかしたら死ぬかもなぁ、こればっかりは。


『其方もようやるのぉ……流石に今回ばかりは無謀じゃて』


「…………っっ!? (ぷるぷるぷるっっ!?)」


 シェルちゃんは呆れ返ったように、鎧の中のルイは何を考えてるんだとばかりに跳ねまわっている。まぁまぁまぁ、旅は道ずれとも言うし、こういうのもいいじゃないかと。


「仕方ないじゃん。男ってのはうんと格好つけて、心配してもらうことで輝く生き物なんだよ」


『はぁ。そうじゃったの、男というのは本当に下らない……其方の耐久力がどこまで保つか……それに、あのカーバンクルに小娘を任せていいのかえ?』


「なんだ、意外と理解あるじゃん……いいんだよ。というか、今はエルウェを守りたいって言ってたフラム先輩を信じるしかない。よし――『吸収反射リフレクション・ファイア』」


 さっそく、白化粧をした冬の森に絶えず木霊していた嘲笑をこちらへと呼び込むために、鈍色の空へ籠手先を向けてスキルを発動させた。


 隠れてるうちに吸収させてもらっていたフラム先輩の炎。

 このために全部放出してしまうわけにもいかないため、威力を調節して放ったそれは、やはり反射倍率三倍という高倍率のためか花火のような爆発を引き起こした。

 

 楽しげな声が、こちらへと意識を傾けた気配。

 木々をなぎ倒す振動と高笑いが近づいてくる。


「……でさ。僕ってば知らなかったよ」


『む? 何をじゃ?』


「あれだよあれ。シェルちゃんってばイカした二つ名持ってるんだね。なんだっけ? 『裏切りのドラゴン』? すっごい男心が擽られる響きなんだけど。いいなぁかっこいいなぁ。そういうことは早く教えてよねぇ、水臭いなぁもう。僕たちオトモダチだろ?」


『ふぇえぇえごめんなさいなのじゃぁあ……ッ!?』


 再びエルウェ達とは真逆方向へと走りながら、これだけは聞いておきたかった話題を出した。


 エルウェが言っていたことだ。伝承に語り継がれるほどの偉大なる金龍だったはずのシェルちゃんは、何故か『裏切りのドラゴン』として人々に認知されているらしい。


「で? どういうことなの? シェルちゃんって元々人族に味方する立場だったよね?」


『それは、三百年も昔の話であろ? 其方は意外と昔の時代から転生したのかもしれぬな……まぁ、そうよな。其方には……いや。話したところで、わかってもらえるとは思わんのじゃ……だから、』


 確かにそうかもしれない。

 ヒースヴァルムを見たときだって時代が進んでる感が否まれなかったし。三百年前のシェルちゃんの立場を知ってるって事は、よくよく考えれば僕もその時代以前に生きていたって事だ。


 本題に関しては言い渋るシェルちゃん。


 僕は心当たりがあるので挙げておく。だって本当にもう、時間がないから。次から次へと立ち上る噴煙となぎ倒される木々が、ふり返った僕の視界に入り始めた。敵はすぐそこだ。


「また例の『男』が関係してるわけ?」


『……そうじゃ』


「それで?」


『へっ……? それでって、その、だから……』


 僕の淡々とした物言いに、シェルちゃんがおろおろと狼狽する。


 【金龍皇シエルリヒト】が今もなお契約を遵守し、外界に出れないのはその『男』とやらが原因だった。聞く限りではシェルちゃんを片手で捻るくらい強く、多分シェルちゃんの思い人。そして――故人。


 でも、そんなことはどうでもいい。


「それで、シェルちゃんは後悔してるの?」


 僕が聞きたいのは『やりたいことをやれたのか』……それに尽きる。

 自分の思い通りの軌跡を残せたのか、そのための副産物が不名誉な称号なのか、言及する点はそこだ。



『――してないのじゃ』



 即答だった。

 自信に溢れたその言葉は、すん、と僕の心に染み浸る。


『するわけがないであろ! 我はあの日、あの時の選択を、今でも間違いだったとは決して思わぬのじゃ! それに――、』


「あーもういいもういい! それだけ聞ければ十分だよ。正直僕にモラルがどうのこうのとか言われても困るんだっつーの! 僕だってエルウェの命をとるか世界の安寧をとるかって言われたら、鼻くそほじりながらエルウェの太股に抱きつける自信があるもんね」


 僕は人柄的にも聖人君子にはなれない。それどころか好きなもの意外どうでもいいと思ってるくらい。きっと社会に出れば馴染めず不出来だと指を差されて淘汰されるのだろう。


 でも僕はこれでいい。これが僕なんだから。

 その点、シェルちゃんも同類だと知れて嬉しい気持ちが沸いていた。責めるなんて以ての他、逆に好感度が増したね。調子に乗るからこれは言ってやらないけど。


『くふ、くふふふっ……其方はやはり、あの男に似ておるのじゃ。自分にとって大事なものだけをその背中に背負い、どこまでも自由奔放に世界を飛び回るヤツじゃった。ついてきてよかったと心からそう思うのじゃ。本当に、本当に似ておる……その一途な所も、な――』


 シェルちゃんは素で笑うと、出会ったばかりの頃のようなことを言う。

 言葉尻は酷く掠れていて聞こえずらかったが、少しだけ寂しげな声色だ。


「僕たち、家族になることを前提としたオトモダチだしな」


『それ、どこか婚約するみたいな響きなのじゃぁあ……っ』


「…………(ぷるぷるぷる)」


 いつの間にかルイも落ち着きを取り戻していて、三人で笑いあった。


 そして。

 それ、、は僕の上空を過った。

 寒気のする声と巨大な影が落ちて、次には――、


「今度こそぉ~みぃ~つけたぁぁああぁっっ!? げひげひ」

 

 空に轟く、爆発じみた衝撃が炸裂。

 僕の眼前の木々はなし崩しにされ、禿げたようなクレーターができる。もわもわとした雪煙が晴れずとも、歪な怪物がこちらを凝視し立ち塞がっているのが見えた。


 吹き荒れる雪混じりの突風に、頭部から生える白妙の紐をたなびかせながら。

 僕はゆるりと剣を抜き放った。


『――死ぬでないぞ、其方』


「…………っっ(ぷるぷるるんっっ)」


 二つの意味で、僕の中から寄り添ってくれている二人もいる。

 勝ち目なんかどこにも見えない。けれどここで退くわけにもいかない。


「――ブボァァアァアァァァアアァァアアアッッ!!」


 怪物の勝ち誇った咆哮が木霊する。

 僕はボソリと呟いた。


「……ほんと、ままならないなぁ」


 自由に生きるって、簡単そうに見えて実は難しい。


 それは厳しい社会だったり、過酷な環境だったり、道を塞ぐ他者の意志だったり、世の中には弊害となるものが多いからだ。世界に一人ぼっちなら、寂しいけれどそれは正真正銘の自由。でもそれは有り得ない。二人いれば、三人いれば、何億と違う思想を掲げる生命がいれば……確執が生じるのは必然だ。


 でも、それらを全て打倒できる力があるのなら、真の意味で自由に羽ばたける。


 だから僕は戦うんだ。

 道を隔てる壁はぶち破れ。邪魔する敵はぶっ飛ばせ。嫌な事からは全力逃走。


 自分の世界を狭めている鳥籠の扉は、いつだって開錠できる。

 鍵に気づき勇気を持って押し開くかどうかは、自分次第なのだから。


「本当は今すぐ逃げ出したいんだけどな。だって何だよこの怪物、意味わかんないよ……でも、僕が自由に羽ばたくためには、どうしても君が必要なんだよ……」


 だが、今回に限り。今この瞬間に限り。

 ガチガチの南京錠で囚われる美しき姫の鳥籠へ、その鍵を投げ入れる。僕は一人じゃ羽ばたけない、言うなれば比翼の鳥、、、、のような、不完全な存在――『人外』だから。



「ねぇ、エルウェ……どうか――生きて」



 そして蠢く影と、圧倒的なまでの理不尽と……対峙した。


 ――せめて、エルウェが逃げるだけの時間を稼げれば。


 僕は重心を低く落とし、紫紺の双眸を煌めかせた。



「――美少女万歳」



 ****** ******



「フラム、フラムっ……お願い、エロ騎士を……あの子を助けて……っ」


「…………」


 霜の降りた草原のような湿った髪に、燭の柑子色を返照する少女。

 彼女は光源と自身の命を繋ぐ温もりを発する子猫に向かい、唇をわななかせて身を乗り出した。


 一方で、尻尾の篝火を大きくし少女の身体を暖める子猫――幸を呼ぶ幻獣カーバンクルは口を噤むままだ。


「お願いよ……私はもう、誰一人だって失いたくないの……ッ! 私のことはいいから、大丈夫だからっ、あの子を――!?」


 それでも縋り付く少女――エルウェを諫めるように、フラムは俯きながら言問う。


「――それは聞けない願い事だァ。主だってわかってるだろォ? オレはあいつの命より主を優先するゥ。あいつの……新入りの柄にもない自己犠牲を無駄にするなァ。逃げよゥ、オレ達は今すぐ《皇都》に向かい、ヤツを討つ準備をするべきだァ……」


 だがそれは、どこか自分に言い聞かせるような響きで、何よりフラムと付き合いの長いエルウェにはわかっていた――その揺らめきの暗に示す意味が。


「嘘よっ!! フラムだってどうにかしたいって思ってるはずだわ!」


「違わなィ……オレは主に死んで欲しくなィ、それはあいつも同じ、だから行ったんだァ。これは眷属かぞくの総意……なんと言われようが、必ず主を連れて帰るゥ」


「確かに今の私たちじゃ【暴食】に勝てないわ……だから逃げた、逃げ出した……! でもそれは、家族を守りたかったからよ!? なのにその家族を置いて逃げ帰る場所なんて、この世にはないわ!!」


「目先の復讐に気を取られて我を忘れたオレを、正気に戻してくれたのは主だァ。だから今度はオレが言ゥ――新入りは見捨てるゥ。そんでもって《皇都》に帰還するゥ。あの街にはヨキのヤツや先代ギルドマスターだって……」


「嘘よ、嘘よ嘘よ嘘よッ!? いくらフラムの言うことでも、こればっかりは私、受け入れてあげないんだからっ!? それに、フラムあなた――尻尾の炎を揺らしてるじゃない!?」


「っ……あァ? どういう意味だァ……?」


 魔物使いと眷属の稀に見る怒号の応酬は、主の言葉で終止符を打たれる。


 そして。

 訝しげに眉を寄せ、意味のわからないことを宣う主人を仰ぎ見るカーバンクルは。


「今は説明してる時間も惜しいわ……でもこれだけは言える。あなたは昔から隠し事をするのが苦手なのよ。私には何でもお見通しなんだからね! フラムだって今すぐエロ騎士を助けたいって、そう思ってるのよッ!!」


「――っ……」


 息を呑み、紅い瞳を揺らした、カーバンクルは。


「…………主は、主は気づいてるのか……?」


 震える声で、カーバンクルは。



「オレが…………偽物、、だって――」



 カーバンクルは――

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