第33話:禍殃種だけは嫌だ
赤茶色の岩肌には薄赤の光を発する結晶が繁茂し、同じ材質の地面には所々に緑も根ざしている。《亜竜の巌窟》はこのように洞窟型の迷宮であり、低階層であれば魔物の
だからこそ今の迷宮内は、《
「……ねぇエルウェ。あの気色悪いやつって、何者?」
絶え間なく下層から伝わってくるズズン、という鈍い振動にただならぬ空気を感じながら、僕は太股からご主人様へと控えめに詰問した。
「…………『神薙教』の話は前にしたわよね。大陸全土に蔓延る最悪の組織……その中でも七人いるって言われてる大司教よ」
「通称【七つの罪源】の一人、【
「あー、あの黒い触手……なんとなく想像がつくなぁ」
僕はぶるる、と背筋を走る悪寒に震えた。
あれには何か底知れない悍ましい力を感じた。きっと防御力に秀でた僕でも関係なく喰われるだろうね。
天蓋からはパラパラと砂塵が舞い降り、迷宮を揺るがすほどの化け物が今もなお暴れていることを証左している。
「……それで、言いたくないんだったらいいんだけどさ。エルウェとフラム先輩……もしかして、あのグラトニーって奴と因縁があるの……?」
また地雷に触れてしまうんじゃないかと思うと聞きづらいけれど、やっぱり気になるのだ。先のエルウェの驚愕し葛藤していた表情や、フラム先輩の無尽蔵に爆発した怒り様。
僕が知る限りでは神薙教にエルウェの故郷が滅ぼされ、同時に父を失い、だいたい二年前にもフラム先輩が殺されかけたって話だけど……もしや、それら全部にグラトニーが関わっているのだろうか。
「……そうね。ちょうどエロ騎士が秘密を話してくれたから、私も昔の話をしようかしら……良いわよね、フラム?」
「……あァ」
そう言って肩を見やるエルウェ。フラム先輩は静かに肯首した。
魔物は次々に生まれ落ちているが、如何せん冒険者の密度が高く僕らが出る幕はない。
「確か《
「もちろん覚えてるよ。途中で
運命めいた繋がりの予感があって、僕は憂慮を滲ませた視線で主を仰ぎ見る。エルウェはこちらを見ずに一つ頷くと、訥々と語り出した。
「そうよ。その日も今日みたいな大雪の日でね、あの男――グラトニーと鉢合わせたの。実力差なんかわかりきってるのにね……心の何処かに隠れ潜んでいた復讐心に我を忘れて、私は無謀にも挑んだ」
「復讐……?」
「あの男は私の故郷を滅ぼして、お父さんを殺し、家族を離ればなれにした全ての元凶なのよ……今だってそう、殺せるなら殺してやりたいわ」
聞き、僕は静かに瞑目した。
……これで先の二人の様子に合点がいった。やはり関わっていたのは【暴食】。
「そっか、あいつが……それで、前も思ったんだけどさ。あんなやばそうな奴に目つけられて、よく生き存えたよね。いや、エルウェとフラム先輩が生きててくれて嬉しいよ? でも仮に僕が狙われたって想像するだけで百回は死ねるからさ」
そう、これは前にも感じた純粋な疑問だが、
さっきグラトニーは僕とフラム先輩を見て興奮してた。本当にきもい。
話を聞く限りでは、奴はスキルで人体改造する壊れ魔物使いみたいだし。レアな魔物であるはずのカーバンクルをそう易々見逃すとは思えない。
「特にフラム先輩とか、カーバンクルっていうすっごいレアな個体だしさ。言っちゃ悪いけど、真っ先にあの黒い触手でとっ捕まえられて陵辱されそうだよね」
「お前なァ……とにかく死ぬ気で戦ったンだァ。コイツにとって……
フラム先輩に話を振りながら、僕は注意深く観察する。
エルウェの背中側に垂れている彼の尻尾に変化はない。篝火のような柔らかい炎が灯ってるだけだ。でも、コイツ……? 誰を差した三人称だ?
「……それは言うまでもないよ。僕はエルウェと結婚するんだから、お嫁さんを守るのは夫となる騎士の役目なのさ」
正直、僕はフラム先輩をどう扱って良いのか捉えあぐねていた。
僕の中で彼は『通り魔事件』を引き起こした張本人だと確定している。一方で、エルウェを想うその気持ちに嘘は見当たらない。
『――いつか、いつかエルウェすらも――殺すのか……ッ!?』
昨晩の宿でのやり取りを思い出す。
僕のこの台詞に対して、彼の尻尾は揺れた。つまり殺す予定があるのか、もしくは常日頃から殺したいと思ってるかって事だ。
エルウェを『殺したい』。でも、エルウェが『命よりも大事』
……どういうことだ? 考えれば考えるほど、わからなくなってくる。
何が真実で、何が嘘なのか。矛盾だらけだ。何かを忘れている気がする。
何にせよ、フラム先輩は僕が疑っている事に気がついてるはずだ。
いつ消されてもおかしくはないし、前に
「結婚するかどうかは置いておいて……フラムが頑張ってくれたのは本当よ? それにね、グラトニーの眷属は私のお父さんが殆ど倒しちゃってたから……あの日は一匹しか連れていなかったわ。私が今生きてるのは、お父さんのおかげでもあるの……」
などと脳内で考えていると、エルウェは慈しみの溢れた表情でフラム先輩の頭を撫でながら言う。言葉尻は雑踏する洞窟内では掻き消されそうな声量で。
よくよく見れば、眷属を撫でつける手は震えていた。
「そっか。それで無事だったんだね? いくら【七つの罪源】とかいうやばそうな
「だが、事はそう簡単じゃなかったァ。最初に言っただろォ、オレは死にかけたんだァ。つまりはサシでの敗北ゥ……あの野郎が連れていたその一匹が問題だったわけだァ」
尻尾の篝火が仄かに揺れる。
「…………」
フラム先輩に強く遮られ、僕は推し量るように黙った。
眉根を寄せて、歯をギリギリと噛みしめる彼の様子に、固唾を呑んで次の言葉を待つ。
そして、エルウェが通路の壁際によると緩やかに足を止め、壁に当てた拳を強く握りしめながら、周囲には漏れない程度の小声で言った。
「…………『禍殃種』――だったのよ……」
「っ――それ、で……あの時……なるほどね」
僕は紫紺の瞳を見開き、すぐにゆるゆると萎ませる。
ようやく、理解した。理解できた。
《ラズマリータの街》の宿でエルウェが『原戒種』という言葉に過剰反応を示したわけを。話題に出すなと嫌悪感に濡れた表情で僕を怒鳴りつけたわけを。
――『
それは最悪にして至上の存在――『原戒種』に連なる魔物の分類だ。
つまるところ進化前。『
そしてその種の魔物に襲撃された結果、エルウェとフラム先輩は死の淵に立たされたと。そりゃあ拒絶反応もでるよね……いよいよ僕も道を違えられなくなったなこれは。どうかエルウェの期待どおり、真っ直ぐに進化を遂げられますように。
『…………どうじゃろうなぁ』
余計に心配を煽るようなことを言ってきたドラゴンは無視する。
大体シェルちゃんが『超克種』なんだから、加護をもらってる僕もそっち方面に進化しないといろいろ不味いでしょ。君に外聞的に……ああ、そういえば『裏切りのドラゴン』なんて呼ばれてるんでしたね。急に不安になって来ました。
(シェルちゃんが闇堕ちしてるから、不安だなぁ……)
『闇堕ちって……何だか格好良い響きであろ』
(まじで殺すよ)
こっちは低いとは言え可能性が捨てきれないだけで、心臓がキリキリ痛むんだっての。
「そいつは
「しかも『禍殃種』、特殊個体でしょ?
フラム先輩は前を見たまま目を細め、埃を被った記憶を拭き取るように言った。
「カーバンクルの
「それで、願ったわけか……エルウェを守る力が欲しい――って」
尻尾の炎は揺れていない。
でもやけに他人行儀な言い方で、少しだけ気になった。
聞いたこともないスキルだけど、希有な存在であるカーバンクルならばあり得る話だ。言うなれば自爆ともとれる行為とは言え、格上に勝つための条件としてはまともな答えだ。
そして、そんな身を滅ぼす技を使ったにもかかわらず。
目の前にカーバンクルがいるのは何故? 僕は幽霊と家族ごっこでもしてたって言うのか?
「それで、何でフラム先輩は今ここにいるのさ?」
「……それはだなァ――、」
少しだけ冷たい言い方になって、フラム先輩が言い渋る。
人の流れに浚われるように、再び歩き出していたエルウェが「こら、そんな言い方しないのエロ騎士」と言ってコツン、と頭を叩いてきた。
「前にも言ったでしょ? 奇蹟だったのよ。きっとお父さんとお母さんがまだこっちに来るのは早い、これからも娘を守ってくれって、そう言って助けてくれたのよ……目が覚めたらフラムが横にいてくれて、どれだけ嬉しかったかわかる? だから、ね。こうしてフラムは無事だった……それでいいじゃない?」
自分の頬をフラム先輩に擦り付けるエルウェは、ひどく盲目的な目をしているように見えた。
……奇蹟、か。
僕はどちかといえば、そういうタチの話は信じたいタイプ。ロマンチストって言うほどじゃないけど、そういった強い『想い』が不可能を覆す可能性を知ってる気がしたから。信じたい気がしたから。
ま、余計な横槍なんてエルウェは望んじゃいないだろうし、ここは何も言わないでおくが吉だ。
「――見えたぞォ、出口だァ」
そんな話をしているうちに、迷宮の出入りを管理する大扉が視界に入る。
多くの人で混雑しているが、如何せん巨大な扉だ。捌けるスピードは淀みなく、思っていたより早く迷宮外へと脱出することに成功した。
「よかった、ここまで来ればひとまず安心ね?」
「しばらく《亜竜の巌窟》は閉鎖、騎士団と高位冒険者で討伐隊が組まれるはずだァ」
「はぁ、一時はどうなることかと思ったよ……でもあれ、さっきから続いてた揺れが収まってるけど――」
なんて、やっぱり僕が口に出してしまうと事態は悪化してしまうのか。
直後、なりを潜めていた振動が全て収束し、一度に放たれたかのような爆音が耳を聾した。地震もかくやの振動に転ぶ人々が多数、雑な立体都市然としていた景観の一部が崩れ落ちて所々から悲鳴が上がる。
そして、多くの人々の視線を集めた先。
《亜竜の巌窟》の外観である巨大な砦の天辺が、瓦礫混じりの粉塵に包まれていた。その様は火山が噴火したかのよう。真上を飛行していた飛行船が、何かに貫かれたような大穴を開けて、煙を噴きながら高度を下げている。
「――いや、いやいやいや……んな、滅茶苦茶な……まじか」
そして、粉雪の混じる吹きつけた寒風によって、濃い砂煙が晴れた場所には。
「見て見て見てぇオルカぁ!! 餌がこ~んなにいっぱい! ぜ~んぶ食べていいからぁ、もっともっと大きくなるんだよぉ!? ふひ、ふひひひぃっ! にたにた」
褪せた紫髪をたなびかせる小柄な男を肩に乗せた、巨大で歪な
見間違えようがない。男の名は【暴食】のグラトニー。
オルカと呼ばれた歪なナニカは、雪降る世界に重圧な産声を上げた。
「ブボォオオアアアアアアアアアアアアアアア――ッッ!!」
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