第30話:葛藤の最中、動き出す【道徳なき暴食】


「手を伸ばせば届きそう……でも、曇って美味しいのかな?」


 硝子張りの窓に片手を添えて、ふとそんな下らないことを呟く。


 窓の向こう側。

 景観の半分を埋めるのは、空がすぐ側に感じるほどの鈍色の雪雲。

 はらはらと舞っていた雪は、いつしか大ぶりになっていた。


「まぁあんな色の綿飴があっても、食べたくなんてならないけどね」


「…………っっ(ぷるぷるぷるっっ)」


「……大体予想はつくけど、ルイはなんて?」


 街明かりは点々としていて、灯の温もりは感じられず。

 闇にぽっかりと穴を開ける街灯の下を通る住人はいない。


『見えてる範囲で良いから、全部食べたいと言っておるのじゃ』


「はは……無理だね。絶対無理。その見えてる範囲が果てしなく広いって、ルイはいつか気づける日が来るのかな」


 十時の枠付きの窓から眺めるヒースヴァルムは、気持ち程度の橙と、キャンパスの大部分を占める味気ない白と灰色に染まって、どこか静黙としていた。


『其方……そんな調子で大丈夫かえ?』


「……うん」


 かく言う僕も、全く調子が出ない。


「――んにゃぅ……おにい、ちゃん……んぅ……」


 振り返れば、いつみても可愛らしい、けれど心憂い寝顔。

 その寝言から察せられる情景は、幸せなものだろうか。



『私たちが叔父さんと叔母さんに引き取られてから少しして、今度はお兄ちゃんが事故に遭ったの。原因は川に転落したこと。端の方で遊んでいた私が落ちそうになって、それを庇ったのよ。……叔父さんが急いで駆けつけてくれたけど、お兄ちゃんはもう……』



 ……それとも。

 彼女にとっては二度も目にしたくない、悪夢のようなものだろうか。


 苦しげに寝返りを打ったエルウェ。捲れたリネン服から艶めかしい太股が付け根まで露呈しているが、今の僕は欲情だとか、そんな気は起こらなかった。


 僕の鎧の中にいるルイに「音立てちゃダメだよ」と忠告してから、静かにベットによじ登り、風邪を引かないように布団をかけ直す。


 明日からは本格的な迷宮探索が始まる。体調は万全で挑むに尽きるからね。


 しばし寝顔を堪能し、謎の器官へとエネルギーを充填すると、ベットをおりて再び窓際に腰掛けた。相も変わらず窓の外は凜然としていて、黒に白い斜線が幾重にも奔っている。


 きっと明日は積もった雪の除去が大変だな――なんて考えていると、ふいに背後で草臥れた扉が軋む音がする。ギイィィ――と。


 半透明の硝子越しに見やれば、まず眼に入るのは闇に浮かぶ小さな鬼火。

 次いで額で鈍く輝く紅宝石ルビーと華奢な四肢、小柄な身体。


 身体ごと振り返りながら、待ち人ならぬまち猫の名を呼んだ。


「……フラム先輩」


「何だァ、まだ起きてたのか新入りィ?」


 幸を呼ぶ幻獣こと、カーバンクルのフラム先輩だ。

 彼は今日一日姿を見せず、いつものようにふらりと帰ってきたと思ったらこの時間帯だ。どれだけ、エルウェがどれだけ心配していたか。わかっているんだろうか?


 観葉植物の鉢の隣、部屋全体が見渡せるように腰掛ける。

 背中には冷気を漂わせる窓、足が手持ち無沙汰にぶらぶらと揺れた。


「夜中ならまだしも、エルウェに黙っていなくなるなんて……どこで何をしてたのさ?」


 エルウェの悲しそうにする顔が脳裏に過って。

 僕の発した言葉は声量こそ抑えてあるものの、確実に刺し毒を回す棘があった。


 一方で、フラム先輩はいつも通りに振る舞う。


「……どうでもいいだろゥ。それより、明日からは本格的に迷宮探索を始めるンだろうがァ。主とくっついて寝ないと体力が回復しないって言ってたくせによォ、またさぼるのかァ?」


「……フラム先輩」


 声が尖る。

 心外だな。僕は今、戦線の兵士並に死に物狂いなんだよ。


「あァそうだ、謝るのが遅れたァ。今日は悪かったなァ主を任せっきりにしてェ。詫びに明日はオレが働こゥ、お前はだらしなく主の太股に抱きついていればいィ」


「フラム先輩」


 さらに尖る。

 そうだね、それもすごく魅力的だ。

 だけどね、とてもじゃないけど今はそんな気分になれないんだよ。


「でも最近のお前は真面目に強くなろうとしてるんだったかァ? 結果的に主を守れるし、最強の魔物使いになるっていう目標にも近づくゥ。それなら――」


「――フラム先輩ッ!!」


 僕はフラム先輩の言葉を遮って、鋭く叫んだ。

 こんなに真剣マジになるなんて自分らしくもない。だけど、だけどさ……


 身体の奥が全身の体温を吸っているように寒い。

 胸がムカムカして気持ち悪い。吐き気を催しそうなくらいに。

 沸々と湧き上がるこのなんとも言えない感情が、僕を急かすんだ。


「……言いたいことはわかってるつもりだァ。だがあまり大きな声をだすなァ、主が起きるゥ」


 大きな声に反応してもぞもぞと動いたエルウェを横目に、フラム先輩は観念したように呟いた。確かに彼女の睡眠を邪魔してしまってはいけない。というより、今は起きて欲しくない。それはフラム先輩も同じだろう。


「……ごめん。でもそうやってのらりくらりと躱そうとするのはやめてよね。秘密にしたいことがあるのは別に構わないけどさ、エルウェを悲しませるんだったらそれは別だよ。教えて。僕たち……同じ眷属かぞくじゃんか」


「…………」


 フラム先輩はだんまりだ。

 でも、気づいた。自分で言って、気づいてしまった。


 ――エルウェを悲しませるなら別?


 それは、僕が彼女に隠していることにも当てはまるかも知れない。

 現状進行形で悲しませてはいないけれど、今後ともそんなつもりもないけれど。


 シェルちゃんは人族側のドラゴンだ。そして至上の『超克種』が一体。

 彼女から受ける恩恵は、例えバレても問題ないだろうと思う。露見したら殺される……などという不穏なことも言っていたけど、それは極一部からって意味だろうし。


 でも……仮に謎の多い『六道』が悪を象徴するスキルだったとしたら。この身を蝕む呪いが周囲にも影響を及ぼすものであるとしたら。


 それは結果的にエルウェを悲しませることになるんじゃないだろうか?


「…………言えないなら、せめて僕の質問に答えて」


 そして、その懸念が僕の追求を踏みとどまらせた。


 何てことだろう。自分にも非があるかも知れないからって、こんな。惨めで情けない。エルウェを守るって豪語していた僕はどこに行ったのだろうか?


「答えるかどうかは別だが……言ってみろォ」


 フラム先輩は僕の正面、机上にちょこんと腰を下ろすと、いつもの低い声で囁くように言った。その表情は険しく、目元には影が縁取っていた。

 

 僕は自分の不甲斐なさを噛みしめながらも、性悪にフラム先輩を追い込んでいる自覚がありながらも。フラム先輩自身のために、誰よりもエルウェのために。


 一つ、ゆるりと息を吐いた。

 そして、意を決して口を開く。



「フラム先輩はさ、罪のない人間を――殺したことがある?」



 薄闇の中、仄明かりに照らされた僕の兜に黒と橙が蠢く。

 背後で元気がなさげに項垂れていた、尻尾の先に灯っている炎が揺らめいた、、、、、


「……さァな」


 僕は紫紺の瞳を瞠った。偽の心臓が早鐘を打ち始める。

 持ち前のポーカーフェイスを生かして続けた。今にも喉が詰まりそうで、声が徐々に掠れていく。


「……それも、何人も……何十人も。その綺麗な炎で、それこそ身元がわからなくなるまで黒焦げにしたことは、無上なまでに焼き殺したことは……ある?」


「……さぁなァ」



 ――ぼわ、と炎が小さく揺らめいた。

 


 うるさい、うるさい。痛いくらいに脈打つ胸が、鎧を聾してうるさい。

 もうやめておけと警鐘が鳴っている。それでも僕は、過呼吸に陥ったように覚束ない言葉を吐き出し続けた。細々と出てきたのは、縋るような、絶え入るような声。


「っ……フラム、先輩はッ……明日も、明後日もっ、人を殺すのか……っ? いつか、いつかエルウェすらも――殺すのか……ッ!?」


「…………オレは主を守りたィ。夢を叶えてもらいたィ。それだけだァ」



 ――――炎が、揺らめいた。



 僕は俯き、沈黙する。

 全身から力が抜けていた。鎧の表面は燃えるように熱いのに、内部は絶対零度もかくやの冷たさだ。肉体どころか魂すら空っぽになった気さえして。


 《亜竜の巌窟》内に作られた《ラズマリータの街》の宿で、エルウェがこっそり教えてくれた言葉が、僕の空っぽの脳内で何度も反芻される。



『流石にあなたみたいにあからさまじゃないけどね……そうよ、あの子は誤魔化すのが苦手なの。照れ隠しなんてした時はね、すました表情してるけど、もうわかりやすくてそれが可愛くて……ふふふっ』



 そう言って。記憶の中のエルウェは上機嫌に悪戯な笑みを浮かべる。

 その微笑ましい無邪気さが、今は……ただただ胸が痛い。



『何、すごい気になるんだけど。教えてよ、どうやって見分けてるの?』



 こんなことになるのなら。

 面白半分に聞くべきじゃなかったんだ。知るべきじゃなかったんだ。



『ふふふ、本人には絶対に秘密よ? これは多分、フラムも無自覚なんだけどね――揺れるの、尻尾の炎がぼわぼわって揺らめくの!』



 本当は信じたかった。家族を疑いたくなんてなかった。

 でもそれはエルウェに対する同情に近い願望に過ぎず。怪しい点が多かったのも事実だ。

 

 深夜の時間帯になると姿を消し、焼けた匂いと生々しい血の匂いを纏って帰ってくる胡乱さ。さらには《皇都》で発生していた殺人が、何故か僕たちが迷宮に行ったタイミングで迷宮内の《ラズマリータの街》で発生する偶然。


 ホームラの言っていた、『樹海の夜王』が『猫』の姿をしているという噂はどうも繋がりが見えないが、ヨキさんも訝しむきな臭い焼死体……私情を挟んでなお、疑うなと言う方がおかしい。


 挙げ句、僕の曖昧な、けれど急所を突き貫いた質問の結果は……『黒』ときた。


 間違いない。

 確かに潔癖を示す『白』の部分もある。不明瞭な点もある。でもこれだけの疑惑が重なれば、もうほぼほぼ確定といってもいいだろう。


 近頃皇都を震撼させている『通り魔事件』。そして、再来だと言われている約二年前の『連続殺人事件』も、そう。



 残虐極まりない、その犯人は――フラム先輩だ。



 ……どうしてだよ。

 どうしてなんだよ……フラム先輩……ッ!


 ひび割れそうなくらい、力強く拳を握りしめる。

 自分のことじゃないのに、何でか悔しくて。いたたまれなくて。


 気味の悪い衝動に駆られるまま、顔を跳ね上げた。

 込み上げる醜く汚い言葉を、何やってるんだよと責め立てる言葉を、罪を犯した同僚へと直球にぶつけようとして――


「――んぅ……ぁれ、フラム?」


「――――」


 ――僕の開いた口からは、何の音も出てこなかった。


「よかった、帰ってきたのね。ふわぁあ……こっちに……おいで……いっしょ、に……寝る……の……」


 目を覚ましたエルウェは寝ぼけ眼でフラム先輩を見て、心底嬉しそうに顔を綻ばせると。布団を少しだけ捲ってから、安心したように再び寝息を立て始めた。 


 ……エルウェがこのことを知ったら、どう思うだろうか?

 僕は、僕はッ……どうすれば、いいのだろうか。


 再度ぐっと頭を俯かせると、僕は果てしない葛藤に震えた。

 ややあって、大きな溜息と一緒に、喉でつっかえていたものをどうにか絞り出した。


「…………そ、っかぁ……」


 出てきたのはあまりにも情けない、蚊の鳴くような声。


「……気は、済んだか? オレは眠い、もう寝たいんだがなァ」


「うん……僕も。もう寝るよ、今日は本当に、疲れた……」


 窓際から飛び降りると、着地に失敗して転がった。それでもどうにか起き上がって、今にも倒れてしまいそうな、ふらふらとした足取りでベットまで進む。布団の中に潜り込むと、エルウェの胸に深く顔を埋めた。


 フラム先輩も少しだけ遅れて布団に入ってきたのだろう。

 優しい温もりが増した。寒い冬の日の夜。さぞかし快眠できることだろう。


「…………」


 でも、僕はこれっぽっちだって眠れる気がしなかった。


 明日からは本格的に迷宮探索を開始する。

 様々な経験を積み、レベルを上げて進化を遂げて。信頼だってまだまだ、エルウェを惚れさせる作戦も考えなきゃ。最強格にいたる道のりは険しくとも、僕らならば楽しくやっていけると。


 ……そう思っていたのに。


 僕ら眷属かぞくの力で、エルウェの悲願である『最強の魔物使い』を目指す。最果てと言ってもいいこの旅は、まだ始まったばかり。これから、これからだというのに。


 ――僕は、どうすればいい?

 ――どちらの選択をとっても、きっと元通りにはならない。

 ――必ず大切なナニカが、壊れてしまう。では、どうすればいい?


 当てもなく発せられた疑問に、答えは帰らない。


 雪の積もる音さえ聞こえてきそうな、不気味なくらい静謐な夜。

 大好きなエルウェに密着しているというのに、今すぐ逃げ出したい衝動に駆られて死にたくなった。本当に自分らしくもない。


 ――僕は。僕は。僕は。僕は…………


「…………? (ぷるぷるぷる?)」

 

 ルイが鎧の中で震える。何となく、僕を心配してくれている気がして。


 なんだか無性に、泣き出したい気分になった。



 ****** ******



 世界が夜闇に覆われている時間帯に、活動している冒険者は極めて少ない。

 さらには怪物の饗宴グリアパレードが同時発生した場所であり、後押しとばかりに直近の《ラズマリータの街》で殺人が起こったのだ。


 もはや人っ子一人の影すらない《亜竜の巌窟》5階層――《黄昏の花園エールデン・ガーデン》。夕焼けを思わせる暖かい光が照らすその階層の端、小規模な湖の前にて。


「――やぁっと静かになったねぇえ。どぉう? どうどうどうなのぉ? 予定どぉりぃ、材料、、はぁ集まったのぉお? わくわく」


 黒の外套を纏った紫髪の人物が一人、怖気の走るような気味の悪い語調で口を開く。彼の骨格は彫りの深い男のものだが、後ろ一メートルほど地面に散らばるくらい長い髪は、語り口同様に異様だ。


 一秒の間を置かず、橙色の光を遮った岩や木々、花々によって生じた影から、音もなく人影が生じた。深く被ったフードのせいで顔は特定できないが、その数――三十は下らないだろうか。


 不気味な集団を呼び出したリーダー格の人物に、その中の一人が腰を曲げて耳打ちする。


「ふぅむふむ。ふむふむぅ。へぇえ~そぉなんだぁ。足りなかったんだぁ。へぇ~? それはどぉしてかなぁ~?? いらいら」


 満面の笑みを浮かべていた紫髪の男は、険のある言葉とは裏腹に、その笑顔のまま間延びした甘ったるい口振りを続ける。対する耳打ちした人物は、少しだけ慌てたように再度耳打ちした。


「ふぅむふむ。ふむふむぅ。えぇ~もう一度ぉ怪物の饗宴グリアパレードを引き起こしたらどうかってぇ~?? もぉ冗談きついなぁ。疑いのぉ目を向けられないようにぃとはいえぇ、あれぇってすぅんごく時間かかるんだよぉ~? なぁんのために新人さんばかりのぉ階層を狙ったと思ってるのぉ~? ぷんぷん」


 そう、この背の低い紫髪の男こそが、美食迷宮内では『災害』として処理される怪物の饗宴グリアパレードを影で操っていた人物だ。そんなことができるのも、この男の特殊な権能のおかげである。


 男は駆け出し冒険者が多い《亜竜の巌窟》内で、さらには憩いの場として活用されている《黄昏の花園》で、とある狙いのために部下を動かしていた。


 薄気味悪い笑顔を貼り付ける男よりは、若干質素な黒外套を着用する集団から前に出たその人物。仮に教徒Aと称するならば、彼は言葉に窮したのか首を傾げた。その代わりに反対側へとまた別の黒外套がやってきて、同じように耳打ちする。


「ふぅむふむ。ふむふむぅ。想像以上にぃ、強い魔物使いがいたってぇ? きゃぁ~なぁにそれ運命感じちゃうぅ~!! 新しぃ風が吹いてるのねぇ? それでぇ、それでぇ、その魔物使いはどんな眷属を使役してたのぉ?? あちしのコレクションに入れそうな子なのぉ~? どきどき」


 男は同職の人物像に期待……というよりは、使役されていた眷属に興味を示した。陰謀が上手く回らなかった件については、既に頭にないのか目をきらきらと輝かせている。


 教徒Aの反対側から耳打ちしている人物を教徒Bとし、教徒Bから続けざまに告げられた言葉の内容に、紫髪の男はゆっくりと目を見開いた。


「なぁになにぃ~? あぁっ、例の、、新種ちゃんとぉ……カーバンクルぅ? う~ん? ちんぷん」


 前半は楽しげな口調だったが、後半は若干の疑義の響きが感じられた。

 ゴツゴツした指、細く長い爪を自身の顎に当て、首を傾げる。


「カーバンクルってぇ、確かぁ二年くらい前もぉ出会えたよねぇ。その時も運命感じちゃってぇ~。え、知らなぃ? あのねぇとぉっても元気な子だったからぁ、生きたまま『基』にしようと思ってたのにぃ、勝手に死んじゃったのぉ。おかげでぇ、お気に入りだったこの子、、、がぁ怪我しちゃってぇ。作戦延期ぃ、カーバンクルもぉ死骸しか残らなかったしぃ、もぅさんざぁ~ん! って感じぃ? ちょべりばぁ」


 もはや理解できている者はいないだろう、支離滅裂な発言だ。

 紫髪の男とその側に寄った教徒Aと教徒B意外は微塵も動いていない。半ば独り言ちっているような状況にもかかわらず、彼はつらつらと淀みなく言葉を並べた。


「えぇ~でもそっかそっかぁ。あちしの狙いは【炎龍王】ちゃんと例の子、、、だけどぉ、ついでにカーバンクルもいただいちゃおうかなぁ? え? 割と昔からいたぁ? もぉ早く言ってよぉ~! それなら今度こそ、、、、生きたまま捕まえなきゃねぇ。それにぃ、中域で暇してるあの子、、、のぉ、お友達になってくれるかもぉ! うきうき」


 顎に当てていた指を離し、今度は両手を頬に添えてぴょんぴょん跳ねる男。

 顔から察せられる歳とは不相応な彼の行動は、遠目から目にする者がいればきっと無邪気な子供だと勘違いさせるものだろう。それが男の不気味さに拍車をかけている。


 教徒Aと教徒Bは、謂わば父と母のようだ。

 素顔は見えないが、そこはかとなく微笑んでいる気がしなくもない。


「でもぉ、今はこの子を強くするのがぁ焦眉しょうびの急だよねぇ? にやにや」


 しかし事態は安寧のまま終わらない。

 醜悪な笑みを浮かべる紫髪の男の発した言葉に、一様にびくりと肩を揺する黒づくめの集団。


「うぅ~ん。君たちぃ、ごめぇん。餌になってぇ☆ ――死ね。ばいばい」


 鋭い言葉尻と同時、能面のような冷徹さを貼り付け、激変した男は何やら詠唱を開始する。慌ただしくなる影の集団をおいてけぼりに完成したそれを、芯の通った声で告げた。


「汝らにぃ『暴食』の裁きを執行するぅ――『混沌招来カオス・カオス』」


 その瞬間、男が背にしていた湖から間欠泉の如く水飛沫が上がった。

 水滴が天井の結晶から発せられる光を反射し、宝石のように輝く。その間隙を縫って、何十、何百もの黒線、、が姿を見せた。その正体は――無数に蠢く漆黒の触手、、、、、だ。


 一つ一つが何列にも生え揃った重圧な牙を備えている触手は、本能のままに『生命』を求め這い回る。近場の木々を、花を、草を土を――そして三十程の人型の集団すらも。


 それら全てを等しく蹂躙し、絡め取り、噛み砕いて貪り尽くす。一度何かを咥えた触手は湖に戻り、入れ替わるように飛び出た何倍もの数の触手が新たなる獲物を求めた。


 ――それからしばらくして。


「うぅ~ん。生きたまま喰わせるのもいいけどぉ、こいつらやっぱり感情が薄いよねぇ。基にするならまだしもぉ、餌にするならぁ人生で一番ってくらい最高に昂ぶってぇ燃え尽きた魂に限るねぇえ? でもぉ、これで完成、、っとぉ! ぱちぱち」


 全てを引きずり込んだ湖の底を見て、満足そうに頷いた紫髪の男。

 湖の底に潜む存在は、男の言うように魂――つまるところの《黄昏の花園エールデン・ガーデン》で果てた魔物と冒険者達の経験値、、、を吸っていた。


 彼は額の汗を拭くような動作をした後、パチン、と指を鳴らす。すると、先の蹂躙劇で激しい凹凸の生じた地面の影から、新たな黒づくめの集団が三十ほど現れる。


「状態異常には弱いかもだけどぉ、メインは対【炎龍王】のためのぉ炎耐性だからぁ、いいのいいのぉ! これを掛け合わせればぁ……うひひひぃっ――んじゃぁ、君たちは引き続きぃ『魔王軍』のお邪魔しちゃってぇ。戦争を隠れ蓑にぃしちゃうよぉ。いよぉーしぃ明日になったらぁ、早速出発だぁ!! おー! めらめら」


 小さく頷き、影に沈むように消えていった黒外套の集団。

 彼らは世界最大の反社会組織――『神薙教』。


 そして自我を持たぬ人形のような盲目的な教徒を操り、破滅と混沌とまき散らす紫髪の男は、神薙教を総括する敬虔な大司教――【七つの罪源】の一人。


 長い紫髪を引きずりながら、男はニヒルな笑みを浮かべた。

 嘲笑が。これから引き起こされる、無上なる悲劇の開幕を告げる。



「神薙教がぁ枢要の七罪源――【道徳なき暴食グラトニー・ウィザウ・モラリティ】の名のままにぃ……ふひっ、ふひひひっ、ふひひひひっひひっひひっひぃ。にたにた」

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