第21話:怪物退治はティータイムの後で

 

 背中に軟らかいようで硬い衝撃。

 視界が荒波に飲まれるように白く染まり、大量の泡が僕を包んでこそばゆい。


 やがてクリアになった紫紺の揺らめきに映るのは、仄かな赤色に揺らめく天井。

 数を減らした宝石のような気泡が、伸ばした腕を超えて昇っていく。

 悠々と天井が遠ざかる。僕は……沈んでいるのだろうか。


『――其方そち……』


 肌を刺す冷水は鎧の身体から体温を容赦なく奪っていく。

 思考が徐々に緩慢に。いっそ溶けて消えてしまいそうな気さえする。


 ドクン、と脈打つ胸の魔石。

 太陽とドラゴンに重なった契約の紋様が、微かに暖かく感じられた。

 けれど、それは雪の上に落ちた涙のように、すぐに温もりは消失していき……


『其方……其方……!』


 沈んでいく。

 僕は光の届かぬ水底へと、どこまでも沈んでいく。


其方そちッ!!』


「がぼ、ごぼぼ? (え、何?)」


 脳内に木霊していた輩の声が一際大きく響き、消失の一途を辿っていた僕の意識は覚醒した。


 その瞬間、腹部が猛烈な勢いで上に引っ張られる。

 その正体はロープ、、、。ただのロープだ。


 けれど僕の腹に何重にも巻き付いたロープソレは猛烈な勢いで巻き取られ、僕は上体を仰け反らせて遠ざかっていた淡赤の天井に接近。


 そのまま魚が跳ねるような勢いで――いや、普通に顔を出した。

 ぷかぷかと冷たい水面に仰向けに浮かんでいる僕。ロープが引っ張られる方へと流れていき、次第に背中に芝生のチクチクを感じ始める。水が完全になくなり、地上に引っ張り出された先に見たものは、


「おかえりエロ騎士。少しはスッキリした?」


 茜色に染められた花が開花するような、美しい笑顔を見せる少女。

 膝を曲げしゃがみこんで僕の顔を覗いているため、さらさらと前に垂れる髪を華奢な指で耳にかける動作は、なんとも様になっていて見惚れてしまいそうだ。


 だから僕は口を開いた。


「ちがぁあああうッッ!! いや僕が汚れてるからって湖に投げ入れるのは違くないッ!? 絶対違うから! 色々間違えてるからぁ!!」


 ちょっと話し合う必要があるのは、僕がこの寒い季節に水中に潜っていた件について。否、あれは潜っていたんじゃない、潜らされていたんだ。否、あれは潜らされていたんじゃない、投げ入れたのだ。


「え? 何言ってるのよ。ちゃんとロープもつけて引き上げてあげたじゃない」


「そうだぞ新入りィ。そもそもお前が血を浴びるような戦い方をするのがいけないんだァ」


 本当に不思議そうな顔をするから僕も不思議でなりませんわぁ!

 でもわかるんですわぁ! それだけは違うってわかっちゃうんですわぁ!

 

「ちがぁあああう!! いやフラム先輩の言い分はごもっともでございますけど、エルウェに関しては全っ然ちがぁあああう!! あるでしょ? ねぇもっとあるでしょ? こう、『汚れちゃったから綺麗にしましょうね』って言って優しい手つきで手洗いしてくれるとかさ? なのに何よ? 『汚れちゃったから綺麗にしましょうね』って言って腹にロープくくりつけて湖に投げ入れるって何よっ!?」

 

 すごい早口で捲し立てた。だが実際そうなのだ。


 なんとこの二人、僕がドラゴブリンを始めとする魔物の血で汚れてしまったからと言って、黄昏の花畑エールデン・ガーデンの隅にある湖へと僕を放り込んだのだ。眷属かぞくを物のように扱うなんて酷い仕打ちだ! いや、えっ? 酷すぎるぞ!?


「何よ、最初は洗おうとしたじゃない。でも私が触るとエロ騎士、変な声だすんだもの。キモチワルイからパパッと済ませようと思って……」


「そうだぞ新入りィ。変態性もそこまで極まったら主に嫌われるぞォ」


「ふぇえええすみませんでしたぁああ」


 うんうん、ここは素直に謝っておこう。

 そういえばそうでした。最初はエルウェが湖の浅いところで洗ってくれようとしたのでした。でもあのエルウェの柔い手でまさぐられると思わず……はい、僕が悪かったです誠にすみませんでした。


「まったく。ほら、拭いてあげるから……手上げなさい」


「はぃぃい……」


 そう言って腰のポーチから小さめの手ぬぐいを取り出すエルウェ。

 僕は成されるがまま。もはや小さな子供を世話するお母さん的な感じになっているエルウェ。え? プライド? 美少女と関わるうちに何処かへ落っことしちゃったよ。多分もう帰ってこない。


『格好悪いのぉ、其方そち……』


(うるさい。……そういえばシェルちゃんさ、さっき僕のこと呼んだ? 何の用だったの? もしかして心配してくれたりして? どんだけ僕のこと好きなの?)


『はぁ……いやの、少し水底に不穏な影が……まぁ其方に危害が及ばなかったみたいじゃから、もう気にすることもないであろ』


(あ、あぶなーっ! 危険な魔物がいたってこと? 僕ってば二人の無邪気なおふざけのせいで死ぬところだったの!? あ、あぶなーっ!)


 シェルちゃんが言うには、水底にそれなりに強力な魔物がいたらしい。

 まぁこの5階層自体が安全地帯セーフティーゾーンに間違えられるけど、実際のところ魔物はいる。


 今も横を見ればのそのそとのんびり歩いている姿が目に入る。


 内包する悪性がこの領域エリアの美しい花々のおかげで浄化されているとかなんとか、少し嘘っぽいが人間に対して敵愾心を持たない小さな蜥蜴。スライムより害のない《亜竜の巌窟》のみ生息している愛玩用と言っても過言ではない魔物だ。


 ましてやこんな辺鄙な湖に魔物が存在するなど誰も気づかないだろうね。関わらないことまったなし。襲ってくる様子はないので早く離れるべきだろう。


「これでよし、と。それじゃぁさっそく――お茶会をしましょうっ!」


「おォー!」


「お、おぉ~……」


 エルウェが実に楽しそうに鼻息を荒くしている。フラム先輩もノリノリだ。

 もうここが迷宮だって完全に忘れてるよね。お茶会なんて女の子らしいと言えばらしいけど……普段は大人っぽいエルウェも女の子なんだなぁ。


 ということでお茶会をするらしい。

 うんうん、そうだね。唐突に僕を綺麗にしようという案が浮上したのも、この夕焼け色の景色を楽しみながらお茶したら楽しそうねって提案したエルウェのせいなんだよね。

 

 それで湖に投げ入れられるんだから堪ったもんじゃない。

 やっぱり納得いかないなぁ……と内心ふて腐れる僕であった。



 ****** ******



「うん、この辺ね……エロ騎士、敷物出して」


「はーい」


 しばらくウロウロと彷徨っていたエルウェだったが、ようやくお気に入りの場所を見つけたのか、そう言ってこちらを振り向く。なだらかな丘陵、花畑が見渡せる位置だ。


 僕は軽く返事をしつつ面甲ベンテールを開き、固有スキル『鎧の中は異次元ストレージ・アーマー』を発動させた。兜の内部で渦巻く闇、この中には体積や質量を度外視して様々な物が収納されている。ましてやドラゴンまで収納されてるなんて誰が思うだろうか。


(シェルちゃん敷物とって~)


『む? そうじゃったな、えーと、どこにやったか……お、あったあった、これじゃな。ほれ』


 なお、意外と意識した物だけを取り出すのは難しいため、その役目はシェルちゃんに任せている。彼女目線では灰色の世界に収納した物がふよふよ浮いているらしいのでね。たまに探し当てるのに苦労するのが難点。


 三秒ほどして、事前に準備していた花柄の可愛らしい敷物が煙を巻くように出てきた。


「……何度見ても不思議な能力ね。空間魔法がかけられてるっていう魔導収納袋アイテムポーチはお屋敷を買うくらい高いから助かるけれど……」


「まさか放浪の鎧にこんなスキルがあるなんてなァ。よかったな新入りィ、これでドラゴンが孵っても荷物持ちっていう立派な役目ができたじゃねェかァ」


 手渡すと二人ががそんなことを言う。


 確かに迷宮の『遺物』として稀に発見される神代の不思議アイテム魔導収納袋アイテムポーチは、レア度8に分類される非常に値段の張る品物だ。そもそも発見するのが冒険者である以上、その有用性から売られることが滅多にないのでほとんど手に入らない。


 つまりその魔導収納袋と同じ能力を有している僕は少なく見積もってもレア度8の価値はある――多分エルウェの元を離れてどこに行ったとしても必要とされる人材だろう。


 まぁそれは他の所に行く場合であって、どこにも行くつもりのない僕としては彼女との距離をもっと縮めたいのだ。好感度を高めていちゃいちゃしたいのだ。

 

「うるさいうるさいっ! 僕はエルウェの騎士になりたいんだい。エルウェを守れる眷属になりたいんだい! 好きになってもらいたいんだい! 荷物持ちなんてまっぴらごめんだね!!」


「相変わらず自分に正直な子ね……でもすごく助かってるのは本当よ。ありがとね」


 憤慨する僕の頭を優しい手つきで撫でてくれるエルウェ。


「僕は永遠にあなたの荷物持ちです」


 にへら、と笑うとすぐに手が引っ込んだ。

 褒めていた事なんか忘れたように準備を進めるエルウェ。フラム先輩は「ひどい掌返しだァ」と呆れている様子。もうね、エルウェの側にいれるなら何でもいいや、と僕は完全に開き直った次第であります。


 それからヨキさんが持たせてくれた魔物よけのランプを中心に置き、車座でリオラさんがこっそりくれた紅茶と茶菓子を楽しむ僕たち一人と二匹。ティーカップもお湯も僕の異能で運んできたものだ。


 数週間前にスキルの詳細を語ってからというものの、エルウェは割と自由に僕をこき使っている。荷物持ちとしてだが、彼女に頼られるのは悪い気はしない。


 でもさ、エルウェ。

 ここが迷宮ダンジョンだって自覚、あるかなぁ?

 まぁ楽しそうだから良いんだけどね!


 ズズズ……エルウェのいれてくれた紅茶はおいしいなぁ。


「それにしても最近は物騒ね。《皇都》の通り魔……この迷宮に来てる冒険者の中でも専ら噂になってたわ。夜更けに人目に付かない場所を一人で通ると襲われるんですって」


 夕焼けに照らされてほのぼのとしていると、エルウェが急に怖い話題を切り出した。その表情からは若干のおびえが見て取れる。


 魔物使いはパーティを組まないからなおさらだろう。


「へぇ、夜更け。夜更けねぇ……」


『なんじゃ、何か気になることでもあるのかえ?』


 僕が紅茶を啜りながら歯切れ悪く呟いていると、シェルちゃんが語りかけてくる。ちなみに紅茶の行方はよくわからない。


(いや、気になるっていうか何ていうか……フラム先輩も毎晩どこかに出かけてるんだよね。何してるのかーって聞いても教えてくれないし)


『……どうじゃろうな。小娘の召喚獣はドラゴン、ということは必然カーバンクルは元魔物であろ。今は契約に従順な眷属とはいえ大なり小なり悪性は持っているじゃろうし……』


 ふむ、と考え込むシェルちゃん。


(でもカーバンクルって幸せを呼ぶ幻獣だよ? 確かに気性が荒くて通りすがった魔物に挨拶がてら不幸を振りまいてはいるけど……あれ、すごい不安になってきた。違うよね? カーバンクルって不幸をまき散らす幻獣の間違いじゃないよね?)


 幸せを象徴する幻獣らしさを一度も垣間見たことがなくて割と焦る僕。


『まぁヨキという男が言っていた通り、通り魔が出るようになったのは二週間前……それまでそう言った事件はなかったのであろ? 其方に嫉妬して、というのは性格からしてありえんじゃろうし……まぁ何の関係性もないから大丈夫であろ』


 心残りは幾分かあるが、だよねー、と軽く心の中で返しておく。


 ヨキさん情報からするに、通り魔が発生しているのは僕がヒースヴァルムを訪れた二週間前から。そしてフラム先輩が夜中に出歩いているのは、恐らく僕が来る前からの日課のようなものなのだろうし。僕が来たタイミングで人殺し始める理由なんかないだろうし。


 何よりフラム先輩はエルウェの信頼をこれでもかという程得ている。嫉妬なんか以ての外だ。

 彼女が悲しむようなことをするとは思えないし、思いたくない。


「……面倒な連中、ねェ。騎士団が総動員しているらしいしィ、ヨキのヤツが言ってたのは、まさかとは思うがァ……」


 同じく尻尾で器用にカップを傾けて紅茶を啜り、猫舌故か涙目になっていたフラム先輩が口を開く。同調したのはエルウェだ。


「そうね、また、、神薙教の仕業じゃなければいいのだけれど……」


 かんなぎきょう……何だそれ。

 ここで知らない単語が出てきたので聞いてみる。


神薙教かんなぎきょう? 何ソレ、なんかの宗教? 強そうな名前だね」


「神薙教っていうのは世界で一番の反社会的組織、支離滅裂な思想を掲げてる危ない連中よ……そうね。エロ騎士には話してた方がいいわよね……二年前の話を」


「……あァ、そうだなァ。話しておくべきだろうよォ」


 ちらりと向けられたエルウェの視線に、フラム先輩が重々しそうに頷く。

 その異様な雰囲気に、僕は無意識に居住まいを正していた。


「二年前になるわ……私とフラムは一度、成人になるのを待ちきれなくて《荒魔の樹海クルデ・ヴァルト》に行ったことがあるの。おじさんには止められてたんだけどね。その時の私は自意識過剰だった……それで言いつけを破ったのが悪かったのよ」


 フラム先輩が正面を見据えたまま、紅い双眸を吊り気味に細めた。


「あァ、結果――死にかけた、、、、、ァ」


「死に、かけた……?」


 フラム先輩が鼻面に皺を寄せて言った言葉に、僕は疑問を感じ得ない。


 なぜ、どうしてだろうか。

 いくらエルウェが年若かろうがフラム先輩の強さは昔も健在だったはずだ。浅域の魔物は強くてD程度……種族等級レイスランクBのフラム先輩が後れを取るとは思えない。


「いや、え? 死にかけたって……フラム先輩がいたのに? 中域、いや深域にでも潜ったの?」


「ううん。ほんの少し腕試しをしようと思っていただけだから、私がいたのは浅域だったわ……もちろんフラムが浅域の魔物に負けるはずはないし、実際負けたりしなかった」


「だがなァ、主が満足して帰ろうとしてた時だァ――神薙教の団員に鉢合わせた。恐らく偶然、だがオレを……カーバンクルを見た時に目の色が変わった感じだったァ」


 なるほどね。僕の知らぬ間に神薙教なる組織が台頭してきて、二年前に偶然遭遇したエルウェはレアなカーバンクルを連れていたせいで襲撃を受けたわけか。


 でもそんな世界的に有名な組織の団員が、種族等級レイスランクBのカーバンクルに追い返されるほどの実力? 言っちゃ悪いけどその程度で名が知れ渡るだろうか?


「そっか、そうだったんだね……でもエルウェとフラム先輩が今ここに五体満足でいられてよかったよ。ちなみにその時はどうやって切り抜けたのさ?」


「それは私も不思議でね、奇蹟だったとしか言えないわ。フラムが――」


 その時だ。


 黄昏の花畑エールデン・ガーデンの出入り口――6階層へ続く側――から十数人の冒険者が駆け込んできて、場が一気に喧騒に包まれる。


「……? ――何だァ?」


 フラム先輩が警戒し尻尾を逆立てる。エルウェと僕も立ち上がり意識を切り替えた。


 次第に大きくなる喧騒がようやく言葉として耳に届いたのは、それから間もなくのことだ。


「そこのお前さん、マスターの義娘の魔物使いだろっ? 儂もテューミア支部の冒険者じゃ! 悪いことは言わん、今すぐこの階層から上に向かって逃げろ――」


 偶然通りすがったのか、どこかで見たことがあるような髭面の男冒険者が、血相を変えてエルウェに言った。



「――怪物の饗宴グリアパレードだッ!!」

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