第20話:黄昏の花園


 迷宮攻略初日。


 その日はエルウェの疲労に加え、到着していた頃には日も落ち始めていた為、冒険者の手によって迷宮前に造られた雑多な市街――《ラズマリータの街》という愛称で呼ばれているらしい――の宿屋で一泊し、次の日の朝に備えた。

 

 ヨキさんには、今回の迷宮探索からは二泊三日で戻ると伝えている。


 本来であれば昨日のうちに下見を終わらせて、次の日に迷宮で一泊してから《皇都》に戻るつもりだったわけだが……まぁ概ね変更はない。下見が出来ていないため些か不安は残るが、準備は万端だ。予定通り今日から迷宮亜竜の巌窟に泊まり込みで挑み、明日冒険者ギルドへ帰還するつもりだ。


 こういった莫大な人気を博し、小規模の街ができあがっている迷宮には、『派遣冒険者組合』という名目の酒場が設置されている。例に漏れず僕たちも適当な依頼を見繕ってから最終的な装備確認を終え、いざ迷宮へ。


 昨日の寝坊を反省し、今日は朝七時という早朝。

 僕たちは受付嬢や門衛が大人数で管轄している、迷宮前の大扉の前に来ていた。


「ふぁあああ……すごく、すごく大きい扉ねっ!? これが迷宮ダンジョンふぁあああ!」


 ただでさえ大きな目をさらに大きく見開き、その銀眼には幾つもの流れ星がキラキラと行き交っている。もはやキャラが崩壊する勢いで目を輝かせているエルウェだが、入る前からこんな感じで大丈夫だろうか。通りすがる同業者達の「新人なのね……」という生暖かい目が痛い。


「フラム先輩、エルウェのテンションがいつになくおかしいけど大丈夫?」


「あァ……主は早く迷宮ダンジョンに行きたいってずっと言ってたからなァ……それも召喚獣がドラゴンだってわかってからは特にここにご執心でなァ」


「はぇー、《亜竜の巌窟》……ドラゴンと盟約を結んでる国で一番人気の迷宮がここって、いろいろ大丈夫なのかなぁ?」


「そんなことどうでもいいわ! 早く行きましょう!」


 エルウェが「おー!」と元気よく片手を上げて歩き出す。こんなキャラだったかは置いておいて、迷宮に入るためには形だけではあるが受付が必要だ。入場者の冒険者カードを魔導具で読み込んで記録ログを残すのらしい。


「主ィ、向こうで受付しないと入れないぞォ」


「えっ、あ、そうだったわね。ちょっと興奮しすぎて、つい……」


 肩から頬をぺちぺちと叩くフラム先輩のおかげで気を取り直したエルウェは、少し恥ずかしそうに受付前の列に並んだ。



 ****** ******



 《亜竜の巌窟》上層部――3階層。


「……グァ、グググ、ゥグギャギャギャァコォオ――ッ!!」


 そんな意味のわからない濁声を発しながら迫るのは、醜悪な面をした小鬼族ゴブリンに酷似した魔物。

 

 通常のゴブリンと違う特徴としては、何列にも生え揃った鋭い牙が口腔を突き出ていて、体長ほどもある蜥蜴の尻尾が腰部から生えている。そして何より、木の棍棒ではなく牙ののこぎり歯が痛そうな骨の棍棒を使用してくること。


 ゴブリンの亜種――その名もドラゴブリンである。


「ほんとに絶え間なく生み出されるのね……エロ騎士、前のドラゴブリン三体を引きつけて! その間に後ろから来てる五体をフラムッ、速攻で燃やし尽くしなさい!」 


 背後のゴツゴツとした壁の岩肌が陥没、緑色の魔石が剥き出しになるや否や黒の魔素マナが収束し肉体を生成、五体のドラゴブリンが生まれ落ちた。


 それを素早く把握したエルウェが指示を飛ばす。


「僕の活躍をその目に焼き付けるんだよエルウェー! ひゃっはーッ!!」


「あァ、任せろォ!」


 ほぼ同時に地面を蹴った僕とフラム先輩は各々ドラゴブリンに肉薄する。

 僕のテンションが爆上がりなのは気にしないで頂きたい。


 背後で爆音が轟く中、僕が担当するのは前方から走り寄る三体。


 まだ3階層という上層部に出現する最弱の魔物の一種であるが、その肉体は細いながらも筋肉質かつ僕の二倍の背丈はある。1、2階層で戦っていたオタマジャクシみたいな魔物――半蛙デミ・フロッグよりは強いだろうし、油断は出来ない。


『ドラゴブリン――亜竜系統に進化した小鬼族ゴブリンであろ。弱点は背部と心臓部の魔石。種族等級レイスランクはゴブリンと同等のF、流石に階級レートで言えばF⁺程度の実力はあるじゃろうが――其方なら余裕なのじゃ』


「当たり前だってーのッ!!」


 シェルちゃんの分析を脳内で反芻しながら、腰に佩いていた白金の短剣を抜く。

 正面に逆手に構えたところで、先頭を走ってきてきた個体が棘が生えたような骨の棍棒を上段から振り下ろしてきた――が、僕は冷静に躱して背後に回ると背骨を横薙ぎに切りつける。


「グギャァォッ!?」


「まだまだまだぁっ! 硬化ァ!!」


 続けざまに背後から迫った二匹のドラゴブリンに向き直ると、直ぐに放浪の鎧系統の魔物が持つ固有ユニークスキル『硬化』を発動。ビキビキ、という材質が造り替えられるような音を響かせ僕の全身鎧フルプレートアーマーの防御値が一時的に上昇する。


 右手側から振り払われた棍棒を跳躍で躱したついでに首筋に短剣を這わせ、飛散する血飛沫を背後に最後の一体のドラゴブリンの胸に飛び込み押し倒す。僕の体重は三キロ程度とはいえ、ゴブリンの身長も一メートル程度。しかも血を吹く個体の肩から跳躍し、斜め上からそれなりのスピードでぶつかってくるのだ。


 踏ん張りが効かず安易に背中から倒れたドラゴブリンは、けれどどうにか身体を捻って棍棒を振るってきた。僕は躱すことが出来ず、というか躱すつもりもなく、


「ふんぬぁっ!?」


「グッギャァア!?」


 ――頭突きで粉々に粉砕した。

 兜に直接響く衝撃。痛烈な振動。さすがにちょっと痛い。

 けれど傷と言える程のダメージではない。


 そのまま武器を失ったドラゴブリンの胸部に、容赦なく剣を突き立てる。


 骨とは違う硬質な物を貫く感触。手首を捻って剣を深く押しこめば、魔石ソレは硝子玉のように割れた。僅かな魔素マソを放出し色を失うと、断末魔を引いた醜悪な牙を覗かせるドラゴブリンの口からは、盛大な血が噴き出して僕を濡らす。


 うへぇ……気持ち悪い。

 魔物は血におびき寄せられるとは言うが、中身が人間の僕は恍惚状態になるわけじゃない。特に魔物は論外、怖気しか走らない。人間の血液に限って心臓が早鐘を打つ程度だ。あれ、なんか吸血鬼みたいでカッコイイ。


「フラム、そっち片づけたなら早くエロ騎士の方に――って、何よ……普通に倒してるじゃない」


「へっへーん。見た? 見た? ねぇエルウェ、僕の格好いい姿を!」


 緊張感を帯びたエルウェの声も、僕がドラゴブリンを危なげなく倒した姿を見たからか安堵の色が窺えた。そうさそうさ、僕はやれば出来る子なんだ。ただこれまでは太股という魅惑に敗北していただけであって、やろうと思えば出来る子なんだ。


 ……まぁ、やらないから出来ない子とも言う。


「数の多いフラムの方しか見てなかったわ」


「なぁんだってぇ!?」


 倒したドラゴブリンから討伐報酬として犬歯を抜き取りつつ、エルウェの残忍な言葉に度肝を抜かす。まさか見てくれていなかったとは。頑張ったのに。頑張ったのに……


 落ち込む僕の側に余裕綽々のフラム先輩が歩み寄り、慰めるように言った。


「悪いなァ新入りィ。でもなかなかやるじゃねェかァ。半蛙デミ・フラッグ種族等級レイスランクGの雑魚だからいいとして、お前が初めてまともに戦ってる姿を見たが……剣の基礎がなってるように見えるゥ。それも騎士の本能かァ?」


「そんなもんだよ……ぐすんっ」


 そうだ。剣を扱うのはけっこう得意なんだ。 

 前世の影響なのかどうかは判然としないが、まぁ人並みには使えるんじゃないかな。


「数が少なかったとはいえ、よくフラムと同じ速度で狩れたわね? いつもの感じだとのろのろしてるイメージしかなかったのだけれど……単純に種族等級レイスランクの差かしら?」


「そうだよそうだよ。EがFに負けるはずないだろ? それに僕の階級レートはもっと高いんだからね」


 エルウェの抱いていた印象は置いておいて、今回の場合は僕の動きが速いんじゃなくてドラゴブリンが遅すぎるのだ。


 僕はこれで種族等級レイスランクEの流浪の白鎧。さらに個の強さの指標となる階級レートに至ってはD⁻の域に達している。


 これらの数字は一段階違うだけで雲泥の差が生じ、例えば種族等級レイスランクGとFの魔物同士が戦えば、十戦中九戦はFの魔物が勝つ。それも残りの一戦は引き分けである。そのくらいに差があるものだ。


 もちろん階級レート種族等級レイスランクを上回っていればその限りではないんだけどね。


「でも少しだけ見直したわ、エロ騎士。あなたって太股に抱きつくしか能のない魔物じゃなかったのね。すごいすごい」


「ふぇ? そ、そう? ふ、ふふふっ、そうだよね? もっと褒めて褒めてぇ~」


「皮肉なんだけれど……待って、止まって待って! 来ないで!? まさかとは思うけどそんな血ぬれで私に抱きつかないでよッ!?」


 諸手を挙げてご主人様の下へ帰ろうとした僕の頭をげし、と足蹴にするエルウェ。止まる気のない僕の足は空振るばかりだよ。酷いなぁ、酷い。酷いけど……ああ、何か変な物に目覚めてしまいそうだよ!


「なんでそんなにニヤけてるのよキモチワルイ……」


「こいつにとっては主から受ける辱めもご褒美みたいなものなんだろォ」


 エルウェは怖気が走ったように身体を震わせ、フラム先輩が呆れたように嘆息した。

 僕の表情を察するとは流石である。好き。



 ****** ******



 その後も亜竜系統に派生している低位の魔物達を屠りながら、順調に迷宮を下っていった。

 

 エルウェが余裕のあるこの機会に僕の戦闘力を見ておきたいからということで、フラム先輩はしばらく彼女の肩でお留守番。挟まれた時だけ対処する形に。


 かくして僕単体での戦闘となったわけだが、それといって苦戦することはなかったかな。


 生息している魔物の種族等級の低さはさることながら、上層の魔物は生まれ落ちてすぐ多くの冒険者に狩られる。ゆえに個としての成長、進化を成す時間がなく、階級レートの高い個体が少ないのだ。


 敢えて挙げるならば、ルイと同じスライム型の魔物には少しだけ手こずった。

 

 といっても二本の角が生えた緑色のスライムだったけどね。ルイとは比較にならないほど弱いが、身体に粘着してくるのは参った。鎧の隙間から内部に侵入しようとしてくるし、そうなったら処理のしようがないだろうと少しだけ焦ったのだ。


 そこで僕の発想力が素晴らしい思いつきを降臨させたのだが、それはまた今度。

 まぁ簡単に纏めると僕の剣技が栄えたかなって感じ。目算だがエルウェが惚れるまであと少しといったところである。


 そして、難なく最初の目標であった階層に辿り着いた。


「ふぁあああ……ここが5階層――《黄昏の花園エールデン・ガーデン》」


 エルウェが感動に噎ぶように口を手で押さえてそう零した。


 これまでの階層は細い洞窟型だったわけだが、その階層はただただ広い。


 まず見る物の目を輝かせるのは、見渡す限りの花畑。

 大きな花、小さな花、丸みを帯びた花、細長い花、樹に咲く花、紅い果実――その種類は千差万別だ。点々とした木々や灌木もバランス良く景観を整えており、薄赤の結晶が花々の隙間から覗いている。


 そしてそれら全てが、茜色に染まっていた。

 

 その理由としては、天井から生える幾本もの巨大なクリスタルが太陽の如き光源を齎しているのだ。クリスタルの内部は燃えるような紅い魔素マナが渦巻いており、視界に映るもの全てが夕焼けに照らされているような色合いに染まっている。


 結果として迷宮という魔境に生じたのが『黄昏の花園エールデン・ガーデン』――この《亜竜の巌窟》が数多く存在する迷宮の中でも特段に人気な理由のひとつである。


「なんていうか、写真でみるより百倍は綺麗ね……」


「あァ……こういうのを見てると、心が癒やされるなァ」


 エルウェとフラム先輩がさっそく黄昏れている。

 近くの丘陵に腰を下ろし、風の精に連れられて舞踊ダンスを踊る色とりどりの花片を目で追いかけていた。順応が随分と早いことだ。


 『写真』というのは魔導カメラなるもので、レンズに映る光景を切り取って記録したデータをそのまま紙に転写したものらしい。飛行船と同じく僕は全然知らなかったのだけど、やっぱり今のヒースヴァルムって文明が進んでる感があるよね。不思議。


 冒険者組合の迷宮案内パンフレットにこの場所の写真がのっていたため、エルウェの言葉はそれと比較してみての感想だろう。そして僕もその意見に激しく同意だ。


 僕もエルウェの隣に座り、彼女と同じように膝を抱いた。

 迷宮とは命を失いかねない危険な場所であると同時に、こうした絶景を産みだしてくれるから攻略のし甲斐があるというものだ。


「いや~、綺麗だねぇ……うんうん、綺麗だぁ……」


 迷宮ダンジョンの神秘と言ってもいい光景を前に、僕たちは三人並んで座り込み、暫しの間ぼーっと黄昏れた。本当に無意味な時間だが、こういうのは深く考えたらダメだ。貧相な語彙力じゃ表しきれないのだから、せめて全身で感じようという、多分そんな試みなのだろう。


 僕らは悟りを開いたようにぼーっとする。

 背後に生じた影は、隙間なく寄り添っているのだった。

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