第9話:食いしん坊で泣き虫なその子の名前は


 僕は心が広い男だ。

 常々そのような評価を自分に下してきた。要するに自画自賛である。


 【金龍皇シエルリヒト】が迷宮核ダンジョン・コアを用いて創り出した《金龍の迷宮オロ・アウルム》宝物庫にて、ゴールデンスラ子ちゃんの卑劣極まりない不意打ちを食らったにもかかわらず、心の広い男である僕はそれを水に流すことにした。


 その前に卑猥な触り方をした僕も悪かったしね。反省はしてない。


 え? 何?

 スライムが男の子だった場合? そんな野暮なこと聞かないでくれよ撲殺だ。


 女の子は正義。おっぱいは正義。とりあえず柔らかいって正義。


「それじゃあさっそく外に出ようよ。ゴールデンスラ子ちゃんも家族になったことだしさ! はい、シェルちゃんよろしく。迷宮ぶっ壊しちゃって」


 僕が理想とする『僕に奉仕するためのハーレム一家』へと順当に加わってくれたゴールデンスラ子ちゃんを正面から抱きしめ、ふにふにとその柔らかさを堪能しながら適当にシェルちゃんに言うと、腕の中で眼を細めていたゴールデンスラ子ちゃんがビクリと震えた。


 まるで「え、この迷宮壊すの?」とでも言っているかのように目を見開く。


 眼を細めていた段階で気づいたんだけど、蒼宝石サファイヤみたいなカチカチの宝石が眼になってるわけじゃなくて、その肉体同様に青眼も流動体なのらしい。


 眼を大きくすることも点みたいに小さくすることも、弓なりに細めることもできる。この分だと即座に眼を後ろに回して、振り向くことなく背後の敵に対応したりだとかできるんじゃないかな。視野が広いって大事。


「それは、まぁ予備の迷宮核ダンジョン・コアももっておるし、其方がいればここにある物全て持って行けるだろうから構わんのじゃが……その、ゴールデンスライムに名前はつけなくていいのかえ?」


「え? ゴールデンスラ子ちゃんじゃだめ?」


「いや長すぎじゃろうて」


 シェルちゃんはそう言う。けど、大事なのは本人の思うところなのだ!


 僕は腕に抱いたゴールデンスラ子ちゃんをじっと見つめた。ふにふにと籠手先は動かす。うん。なんていうか、けしからん弾力をしておる。


 僕はその名を呼ぶ。優しく、これでもかと慈愛を込めて。


「…………ゴールデンスラ子ちゃん」


「…………(ふりふり)」


 ……今いっちょ前にイヤイヤと頭を振ったような気がする。


 いやまさか。気のせいに決まってる。

 僕の完璧すぎるネーミングを受けて嬉しくないはずがないじゃないか。きっと見間違い。さっきの体当たりのダメージで脳が揺れて錯覚を見てるだけだ。


 僕は両腕に力を込めて、ゴールデンスラ子ちゃんが微塵も身体を動かせないようにがっちりとホールド。


 そして優しく笑いかける。


「…………君の名前は、ゴールデンスラ子ちゃん。それでいいね……?」


「…………――――~~~~~~っっ!?」


 しかし、次には蒼宝石サファイヤの瞳が肥大化、そして輪郭があやふやになり波打ったと思ったら――大泣きし始めた。それもアンリーズナブルに。


「~~~~~~~~~~~~~~っっ!?」


 大粒の涙が滂沱の如く溢れ出て……って溢れ出るとかそんな域じゃないから! 地脈から源泉を掘り当てた時みたいになってるから! 間欠泉みたくぶひゃーって勢いで噴出してるから! もはや虹がかかってるから! 綺麗だなおい!


「うわ……其方、泣かせたのじゃ。いけないんじゃ~」


「ぶべぶばぶぶ……ぷはっ! いやいやいや、これ泣いてるってレベルじゃないからねこのままだと宝物庫が水浸しになる勢いだから! そんな悠長なこといってないでどうにか――ぶべぶぶばぶぶべ」


 間延びした物言いで僕を責めてくるシェルちゃん。

 僕は降り注ぐ滝のような雨に打たれながらも、時々隙間を見つけて顔を出し、必死に宥めるように要求した。お宝が錆びちゃうから、ねぇ錆びちゃうから。


「だから我は言ったであろ。尋常でない泣き方をしておったと。その時そこら一帯の森は水浸しだったのじゃ……まぁ、我は其方が悪いと思う」


「ぶぶぶべば、ぷはっ、ケツ毛! 引っこ抜くばぶばばばば……」


「ごめんなさいなのじゃ其方がもっとマシな名前を考えるべきではないかと思うのじゃ」


 無駄に早口で捲し立てたシェルちゃん。


 でも、そうか。ゴールデンスラ子ちゃんが泣き始めたのは僕がナイスなネーミングを強引に認めさせようとしたのが原因。ということは彼女が納得するような名前を考えればいいのだ。


 ――いやなんで拾ってきたシェルちゃんがつけないんだよ。

 なんて無粋な突っ込みはご退場願おう。


 いやでもゴールデンスラ子ちゃんも悪くないと思うんだけどなぁ。ゴールデンスラ子ちゃんゴールデンスラ子ちゃん――冗談抜きで室内に水が溜まり始めたので真面目に考えようと思う。


「ぼべべべべべ、ぷはぁっ! わ、わかった、わかったからゴールデンスラ子ちゃん! 別の君の名前を考えた! ナイスなセンスがびりびり感じられる一級品のやつをばぶぅ!!」


「~~~~――――…………(ぷるぷる)」


 半ば自棄になりながらそう叫ぶと、ゴールデンスラ子ちゃんの癇癪が収まった。両目は元の大きさに戻り、溢れ出る水量は激減。その蒼目はじっと抱きついたままだった僕を見据えている。


 ――空気がピリリと張り詰める。


 場の緊張が高まり、誰もが僕の次の一言に全神経を集中させていた。

 まぁ僕の他にはちょろごんとゴールデンスラ子ちゃん癇癪バージョンしかいないんだけどね。


 一度、深呼吸。

 息を大きく吸い(何も吸えてない)、ゆっくりと吐き出す(何も吐けてない)。


 涙をガードしていた面甲ベンテールをガチャコンッと上にスライド。

 これで僕は無防備。何が無防備なのかしらないけど、僕なりの礼儀。挨拶時に帽子を取るような感じ。


 紫紺の双眸をキリッと細めて告げた。


「君の名前は――おっぱいボールスラ子ちゃんだ」


「!? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっ!?」


 ぐべらぁばばばばばばば――ッ!?


 眼から発する間欠泉もかくやの涙が僕を直撃する!


 何でだよ。言いじゃんかおっぱいボールスラ子ちゃん。何が嫌なんだよ何が気にいらなんだよ! 我が儘か! 三百年も生きてるらしいのに、いい年して我が儘か! このおっぱいだけが取り柄の雌スライムめ! なにそれ最高僕の宝物にします一生大切にします。


「うわぁ、それはないのじゃ。其方そちはほんとにいい性格しとるのぉ……女の子だというのに可哀想。目も当てられないのじゃぁあ……」


 その女の子を三百年独りぼっちにさせていた君がそれを言うなよ。

 突っ込むとともに、仕方なく次の候補を考える僕。もちろん洪水のような惨状は続いているし、大物量の涙は僕を強かに打ち付けている。


 ……良い感触だなぁ。


 僕はそれでもなお、おっぱいボールすら子ちゃんを離さないのであった。




 ****** ******




「それじゃあ君の名前は――『ルイ』。それでいいね?」


「…………っ!(ぷるぷるぷる!)」


 あれからというものの、『泣き虫スラ子』から始まり『青いねスラ子』に終わるまで、実に多岐にわたるネーミングセンスを披露していた僕だけど、結局無難な『ルイ』という名に落ち着いた。


 しかもこれ、僕じゃなくてシェルちゃんの発案である。


 泣き虫だから『涙』。半端ない量の涙を流すから『ルイ』。


 僕としては名前に『スラ子』を入れたかったんだけど、どうやらルイはその部分が終始気に入らなかったようで。最後のシェルちゃんの鶴の一声で、あっけなくルイは頷いた。凄い勢いで頷いた。ブンブンブンって。


 と、このような経緯でゴールデンスライムの個体名は『ルイ』に決定。

 まぁ安直だけど良いんじゃないかなって思うよ。スラ子はやっぱり入れたかったけどね。名残惜しいことこの上ない。


「…………♪」


「おお、喜んでる喜んでる」


 僕の腕の中から解放されたルイは嬉しそうにぴょんぴょん跳ねる。いや、ぼいんぼいん跳ねる!

 シェルちゃんは可愛らしい孫でも見るかのような微笑みを浮かべている一方で、僕は興奮のあまり鼻血が噴き出そうだった。


 だってぼいんぼいんて。ねぇ……ぼいんぼいんてぇぇえええ……っ!!


「よほど嬉ばしいのじゃな。ふふ、スライムがこんなに愛くるしい魔物だったとは……なんだか我、子供が出来たみたいでそわそわするのじゃ」


 三百年放置したくせにどの口がほざくか。ぷんすかちん。


「結局シェルちゃんが考えた名前だからあんまり気に入らないけど、まぁこの弾力さえあればいいよね。人化できるようになったら巨乳の美少女になってもらうんだ。最高」


「其方のネーミングは壊滅的であったからのぉ……ルイよ、我がいて良かったであろ?」


 シェルちゃんが面白半分で聞けば、ルイは全身を使って頷く。その度に柔らかいスライムの身体が波打つのだからよきよき。でも、


「…………っっ」


「なんでそんなに全力で頷くんだルイ? ほらおいで、僕の腕の中に……」


「…………」


「なんでそんなに全力で逃げるんだルイ? ほら、未来の旦那さんはここにいるよ……」


 手を広げて見ても首(身体)を凄い勢いで横に振るばかり。

 上下に揺れるのがありきたりなのでそれは非情に眼福であったが、僕が一歩近寄るとルイも一歩後退るのだ。これではまるで僕が変態みたいじゃないか。


 しばらく追いかけっこをしていた僕とルイだけど、そこでシェルちゃんの制止が入る。


「其方、いい加減にするのじゃ。早くここを出て外の世界を見るのであろ?」


 正論過ぎてぐうの音も出ないです。


「おっと、そうだったそうだった。だよね、おっぱい追いかけてる場合じゃないよね。よし、とりあえずここにある財宝とか全部も収納するけど問題ない?」


「ああ、全部持って行くがいいのじゃ。手伝うかえ?」


「重すぎるのとかお願い。できれば一カ所に集めてくれたら収納しやすいかなぁ」


「ふむ、承ったのじゃ。ほれ、ルイも手伝うのじゃ。なになに、ルイはもう我の可愛い娘。もしもの時は我が守ってやるのじゃ。それなら安心であろ?」


「…………♪」 


 もしもの時ってなんだよ。

 あれれ、僕ってもしかして本当に危険人物だと思われてる感じ? それはまずい。恋仲とまではいかないものの、「え~い」と冗談で胸を揉んでも「きゃぁ、もう。うふふ」となるくらいの友好関係は結んでいなくてはいけないのだ。


「…………しばらくは我慢するか」


 シェルちゃんに近寄って楽しそうに跳ねるルイを見ながら、なんだか寂しいような、いたたまれない気がして、僕はそう決意した。

 強かに激しく、醜い情欲を持って揉むのはやめようと。


「……優しく、無心で揉む、いやいや、言い方が卑猥だ。そう、無心でむにむにするくらいは……いいよね……」


 今からすでに我慢できるか不安である。

 それが我慢と呼べるものなのか、実に不安である。




 ****** ******




「あれ?」


 事の重大さに気がついたのは。

 ルイをむにむにすることをやめ、真面目に宝物庫内の金銀財宝を『鎧の中は異次元ストレージ・アーマー』という不可思議な固有ユニークスキルで専ら収納し終えた頃。


「――『神域武装エクセリア』、なくない?」


「何を馬鹿なことを言って――な、ないのじゃ」


 宝物庫の床をまばらに散っている硬貨の一枚一枚を丁寧に収納しながらも、ふと気がつき溢れた僕の言葉に、ルイを背に乗せてあやすように揺らしていたシェルちゃんが目を剥いた。


 ――『神域武装エクセリア


 それは武器であり、防具であり、装飾品でもある。

 惑星『アルバ』に存在する幾億の武装の中でも、極めて稀なレア度10。

 神の器――『神器じんき』へと最も近づいた頂点にして究極の武装。


 で、あるのだが。

 ……そういえばこの伝承のドラゴンはダメダメなヤツだった。


「はぁ。なんだ、シェルちゃんの痛い妄想だったのか。はたまた冷え切った見栄か。いやはやドン引きだよ。はぁ。はぁ。はぁ」


「まっ、待て! 待つのじゃ! この我がそんなしょうもない虚言を吐くと思うかえ!?」


 僕がジトーっとした冷めた目で黄金のドラゴンを見つめると、彼女は慌てたようにそう釈明する。

 彼女はこの宝物庫に足を踏み入れる際、確かに神域武装エクセリアと言ったのだ。僕は心の隅っこの方で期待してたというのに……。


「ど、どどどどどういうことじゃ!? あ、あれは易々となくして良い品物ではないのじゃ!? 我の宝具は三百年前、確かにこの場所に……適当に投げて」


「適当に投げた? 伝説級の武装を? ははは、そりゃ伝説のドラゴンさんにとっては武装の一つや二つなくしたところで取るに足らない損得ですよね。ははは、良いご身分ですこと」


「い、嫌じゃ、こやつにいじられるのはもう嫌なのじゃぁあ……ど、どこに、ええ……本当にないのじゃぁあ……グスン、どうして、エグっ」


 軽くなじってやったら泣き始めた伝説のドラゴンさん。

 究極の泣き虫なルイと良い勝負なんじゃないか?


「泣くなよ。ないものはないんだ。それは君の妄想だったんだ……ね? 元気だしなって。明日は何かいいこと……あるかもよ?」


「そ、そんな哀れんだ目で見るでない~っ!?」


 シェルちゃんは床に散らばる硬貨の下まで探したいのか、床に腹ばいになってほふく前進のような格好で動き回る。鼻先で硬貨やアクセサリーをずらして探し回るも、その姿はまるで這いつくばる虫だ。惨めだ。実に惨めだ。


 あらかたは収納を終えているため、室内は全域を見渡せるというのに。

 馬鹿なの?


「いやいやいや……硬貨の下にあるほど小さいものだったの? それはないだろ……こういう時は、当時の光景を順当に思い出せばいいんだ。宝物庫まで持ってきた記憶はあるんでしょ? なら落ち着いて考えて。はい、シェルちゃんは帰ってきました」


「う、うむ。帰ってきたのじゃ」


「そこの入り口から宝物庫に入ってきました。まずそこで何をしましたか?」


「う、うむ。そうじゃな……なんとなくしか覚えてないが、恐らく……疲れてうたた寝をしたのじゃ」


 怠慢なやつめ。羨ましい。


「やっぱりだらしないドラゴンだな。返った途端寝るなんて」


「そ、その時は辛かったから仕方なかったのじゃ!!」


 ま、そう言うのだからいじるのはやめておこう。

 シェルちゃんにとって何かしらの事件があったのは、少し前に話に聞いたばかりだからね。こういうのはあまり深く突っ込むもんじゃない。


「はぁ……まぁ、それで? 起きた後どうしたの?」


「むむむ……そうよな、そこで宝具を脱いで。そこの真ん中にあった玉座に投げて……恐らく魔力を吸ったんじゃろうな、いつの間にか治療されてたスライムを宝物庫に住まわせ――あ」


「あ」


 間抜けな声が重なる。

 僕とシェルちゃんは、二人して振り返った。


 先までシェルちゃんの背中に乗っていたが、急に振り落とされたゴールデンスライム――ルイが、きょとんとした何食わぬ顔でそこにいた。


 一度お互いに顔を見合わせると、何か確信めいたものが生まれるから不思議。

 それから再び視線をルイに戻し、仲良くはもらせて聞いてみた。



「「ルイ。もしかして……食べた(のかえ)?」」

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