第33話
おとうさまはわるくなかった。
くしゃくしゃのかおでわらいかけてくれるあのひとは、わたしのえいゆうだったんだ。
わたしは、わたしたちはだまされたのだ。あの、いのちをかけてたすけてやった〝 ーー〟たちに!!
ぜったいにおまえたちをゆるさない。
まおうをころさせ、ゆうしゃをころし、わたしもけしてしまおうとするおまえたちを。
私は。
死んでも許しはしない。
▲▲▲▲▲
「っっっっはあ!! はあ、はあ、はあ……」
目を覚ました私が一番にやったのは、汚泥の底から空気を求めるように口を大きく開く事だった。
なんて、悲しい夢だ……いや、よそう。
もうこれがただの夢ではない事に、私は気付いている。
これはジュジュアンのーー『義娘(むすめ)』の記憶と感情だ。
『燃ゆる赤熱の魔眼』を開眼した事により、前の持ち主だった彼女の記憶と感情が夢として私に見せているんだ。
となればやっぱり、お父様と呼ばれていたあの魔族は……
「新しく獲得した〝称号〟もあるし、ジュジュアンは前世だと……魔王と呼ばれる存在だったんだな」
「称号とは何の事でしょう?」
「っハーミアレム!!」
気配も何も無かったのに耳元で聞こえた声に、私は反射的に剣の名前を呼んだ。
確信は無かったけど剣は矢のように飛んで私の手に収まり、その勢いのままベッドを転がり落ちる。
『燃ゆる赤熱の魔眼』も発動させて中腰で部屋を見回せば、いつも借りている宿の部屋だと分かる。
と、ベッドの隣にある棚の影が不自然に揺らいでおり、迷う事なくそこに切っ先を突き刺した。
「おっと危ない。いきなり攻撃するとは穏やかではありませんね、メイヤ様」
「……やっぱりセバスチャンさんか」
影から現れた腕が二本の指でハーミアレムの切っ先を摘んでいる。たったそれだけで剣は微動だに動かせなくなり、内心冷や汗をかきながら、腕に次いで影からヌルリと現れた人物ーーセバスチャンへと声をかけた。
涼やかな顔でこちらを向いているが、その紅い瞳は私を見ている気がしない。
「女の子の部屋に無断で入るなんて、非常識だと思わないか?」
「申し訳ございません。ですがどうしても確かめたい事がございましたので」
「……ジュジュアンは知っているのか?」
「知っていると思いますか?」
剣の切っ先を握ったまま、こちらの問いかけに問いかけで返すセバスチャンは今までの雰囲気とかけ離れた印象であった。
魔眼が教えてくれる。これが、『魔王の側近』としての本来の姿なのか……同じ魔族でも、フミとは桁違いの強さだ。
「……何をしに来たんだ?」
「はい。あなたを殺しに来ました」
瞬間、あまりにも自然に伸ばされる腕(かいな)。ハーミアレムすら紙切れのごとく切り裂く鋭利な爪が、柔らかな首筋に何の抵抗もなく食い込んでいきーー
「ーー!!!!?」
「おや、これを防げませんか? という事は〝完全には思い出していない〟ようでございますね。それは重畳(ちょうじょう)」
嫌な汗がドッと溢れ出し、立っていられなくなり膝から崩れ落ちてしまう。
今のは……ただ、殺気を飛ばされただけ?
魔法でも何でもない、あんなもの、どんな化け物でも防ぐ事なんて出来ない……
「失礼いたしました。おかげで知りたい事は知れました。ただ、そうですねーー忠告を一つだけ」
華奢にも見える白い指が顎を掴み、這いつくばる私の顔を上に向けさせる。間近で見つめ合うセバスチャンの瞳は……一瞬だけ、悲しみに曇った気がした。
「例え〝何か〟を思い出してもーーアマオウ様にそれを告げるのはおやめください。それが出来ない場合は、そうですね。あなたの大事なものを全て、壊して差し上げましょう」
「……ジュジュアンが聞いたら嘆きそうなくらい下衆(げす)な脅しだな」
「世の中は単純です。守りたいものと、どうでもいいもの。ただ、それだけしかありませんーーだからこそ、もどかしい」
口の端をほんの少しだけ上げた、下手くそな笑みを浮かべるセバスチャン。いつも無表情と思っていたけど、こんな……こんな、自虐的な笑みを浮かべるとは。
「あなたは、何をそんなに後悔しているんだ?」
「今のあなたには関係のない事ですよ」
摘んでいたハーミアレムの切っ先を離し、慇懃(いんぎん)な仕草で手を差し出すセバスチャン。私はなけなしの意地でその手を払い、ガクガクと震えながらも自分の足で立ち上がった。
「今の私には、セバスチャンさんが何を言っているのかよく分からない。けど、私が炎帝鳥ホロアを倒した時に獲得した称号がーー〝魔王を殺した義娘(むすめ)の眼〟という称号が、私に何を示そうというのか……確かめたいと思う。私の大事なものを壊すだって? 〝ーーふふふ〟」
途端に視界が赤く染まり、私でない意識が、旧知の仲に語りかける気軽さと嘲(あざけ)りを含んで喉を震わせた。
「〝セバス、あなたのような臆病者にそれが出来るというの?〟ーー今、何を、」
「ふむ、意識が少しずつ混ざり合っているようですね。さて、どちらの意識が生き残るのでしょう。大変興味深くはありますが、明日この街を発つ身としては過程が見られない事残念でなりません」
そう言うと胸ポケットに挿していた白バラを抜き、反応する間もなく茎の先端を私の瞳に突き刺した。
驚きで瞼を閉じた時には白バラは光と消え、何をされたのか分からないまま目を瞬かせるしかできない。
気付かない内に魔眼も閉じてしまったようだ。
「きっと、当時の顛末を知ったらアマオウ様は心を痛めるでしょう。自分の選択が大事な者を傷つけたとなれば……六百六十六年前、夥(おびただ)しい屍岸血河(しがんけつが)の上に築かれた平和の裏側を覗いた時、それでもあなたの伝える気持ちが揺るがなければ……どうぞ、ご自由に」
深々と礼をしてまるで水に溶けるように影へと沈んでいくセバスチャン。
完全に姿が見えなくなっても私は身じろぎ一つせず、もう大丈夫と思ってベッドに倒れ込んだ時には窓の外に夕陽が射していた。
「何だったんだ、一体……」
この魔眼が見せる記憶と感情。
セバスチャンの脅しと忠告。
時おり私の意識を掠めとる幼い少女の影。
「英雄ってこんなに大変なんだな〜〜〜〜」
おそらく関係ないと歴代英雄に言われそうだが、そう思わなければやってられないだろう。
ふと視線を自分の手に移せば、ハーミアレムを強く握りすぎて白くなった指があり苦笑してしまう。
かじかんだように動かない指を、もう片方で一本一本
外しながら、小さく鳴ったお腹の音にポツリと呟く。
「ああ、ジュジュアンの作ったお菓子が、また食べたいな」
その言葉だけは、もう一つの意識とまったく同じ気持ちだったような気がしたーー
【称号〝勇敢なる弱き者〟を獲得しました】
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