第十二話 敵はそこに

 役場に向かって走って行く。すれ違いに逃げていく人の数は減ってきたが、まだいる。逃げ遅れた人や今も戦っている人がいるかと思うと気が気でない。しかし、役場前が主戦場である以上、この辺りで襲われてもおかしくない。自分の身も案じなければならないと気を引き締めた矢先、脇道から誰かが飛び出してきた。反射的に俺とマグスは後退して、飛び出してきた者から距離を取る。

 出てきたのは男女二人。男が火かき棒を、女はナイフを持っている。少なくとも穏やかな様子ではない。

「待て待て! 俺達は魔王軍じゃない! 武器を下ろしてくれ」

 手に持つ道具が護身用であってくれと祈りつつ、敵意がないことを示す。だが二人は、俺の言葉に反して道具を振り上げ、叫んだ。

「うおあああ!」「いやあああ!」

 叫ぶ二人の目は据わっていた。これから自分達がやろうとすることに間違いなどないと言わんばかりの、凝り固まった表情だった。以前見た、魔王軍の男の目にも似ていた。

 道具を振り回しながら、二人が襲いかかってくる。とにかく距離を空けながら、俺は言葉を投げ続ける。

「止めてくれ! あなた達を傷つけるつもりなんて、ない! 止めろ!」

 俺の言葉はヒュンヒュンという火かき棒が空を切る音で打ち消されていく。説得で口を回していると、距離を取るための動きがおろそかになり、ナイフや火かき棒が迫ってくる。

「何で、なんで! 争わなきゃいけないんだっ!」

 苦し紛れにそう叫び、腰の短剣に手を伸ばしかけたところで、突風が吹いた。俺の脇を、風の塊が通り過ぎた。

 風をまともに受けた女は、宙を少し舞った後に地面を転がり、近くの家の壁へ叩きつけられる。後ろを確認すると、マグスが手をこちらにかざしている。魔法を撃ってくれたのだ。まだマグスの赤髪や外套がはためいている。まだ魔法を撃つつもりらしかった。

 思い切って真横に飛び退り、マグスと男の間を空ける。

 再び突風が吹き荒れ、土埃を立てながら風の塊が飛ぶ。男も身をよじって避けようとするが、その身を風に掴まれ、為す術もなく全身を振り回され、家の角に激突してようやく止まる。

 安心してマグスに近づこうとすると、マグスは腕を横に振った。すると、マグスの前で風が集まって火の玉へと姿を変え、今し方建物に激突した男の元へと直進していった。俺は思わず叫ぶ。

「待てマグス!」

 制止の甲斐もなく、火は男の身に当たり、服や露出した肌から燃やし始めた。

「はあっ! あああ! うあああああ!」

 風に吹き飛ばされた痛みよりも身体の燃える痛みが優ったのか、男が悲鳴をあげて地面を転がる。しかし、魔法の火は中々消えない。俺は少しの逡巡の後、男に駆け寄った。

「今消す! 誰か水を!」

「ダメ! 近くに見当たらない!」

 ラウラが辺りを見ているが、水場は見つからないらしい。こうなったら俺が水を作るしかない。そう決心して、火に包まれて悶える男に両手をかざす。

「世界に満ちる息吹よ、この手に集まって、炎を消し、熱を奪う水となれ!」

 熱を帯びる身体を撫でるように風が集まるのを感じる。いつも使っている井戸水を思い出しながら、手に力を入れる。すると水が手のひらからこぼれてくる。出来るだけ両手を近づけて、多くの水を火元の男の服や身体にかけていく。少し消えかけたところで、後ろから肩を強く掴まれ、無理矢理振り向かされる。

「何やっとるんやお前!」

 俺が振り向くと、怒鳴るマグスがいた。集中が途切れて、手のひらの水はちょろちょろと途絶えていく。男の悲鳴が続いている。

「せっかくとどめをさそうとしたっちゅうに、消してどないすんねん!」

「だけど、この人は」

「この人がなんや? ただの一般人やないやろ。良くて暴漢か狂人、悪くて魔王軍の一味か火事場泥棒や!」

「だからって、こんなむごいことをする必要ないだろ!」

「知らん! ここはもう戦場みたいなもんや。わしの命を狙う輩は皆敵で、殺されて当然や」

「でも、でも人だぞ! 狼の時は我慢出来たけど、人を殺すのはさすがに見てられない!」

「いまさら、今更相手の命を気にするんか! お前はさっき言うたやろ。戦わなきゃならないんやと。お前が守りたいもんは、こういう奴らを斬って、殴って、魔法ぶつけて止めでもせんと、守れないもんなんやないんか!」

 マグスの言葉が突き刺さる。分かっていたことだった。何かを守ることは、別の何かを壊すことにもなる。その最たる例が、戦いだということは。

「でも殺すなんて!」

「そんなことはなぁ、覚悟してから言え! 敵に殺されてもええくらいの覚悟をな!」

 マグスを止めようとしている自分ですら、自分の説得が空々しい響きを持っているように聞こえた。さっきもマグスに助けてもらわなければ、相手の攻撃が俺に当たっていただろう。そうでなければ、俺が短剣を抜いて防ぎ、相手を斬りつけていたか。どちらにしろ、誰かが傷つくのは目に見えていた。

「……だって、命は大事なはずだろ? お前も俺も、この人も」

「だからなんや? 物騒なもん持って人に殴りかかった時点で、こいつの方が先に、人の命を軽く見とる。そんな奴にかける情けはない」

 もっとはっきりした敵であれば、俺もそう言っただろう。しかし、彼らの見かけは一般人だ。武器の振り慣れていない感じからして、戦闘に従事していた人間ではないことも分かる。それは、俺にとって、どちらかといえば守る対象にあたる人々だ。そうだったはずなのに、俺は、彼らから襲われた。

「なんで、なんで勇者が、町の人を殺さなきゃいけないんだ。そんなの、間違ってるって」

「ワシらは間違っとらんわ! あいつらも襲ってはきたが間違ってる訳やない。どっちも正しいんや。自分でやりたくて、やるんやからな」

「でもやっぱり、この人を燃やす必要はない!」

 肩に置かれたマグスの手を振り払い、もう一度魔法の水をかけようとする。そこで、足音が耳に入った。顔を上げると、向こうの方に吹き飛ばされたはずの女が、ナイフを向けて走ってきていた。魔法の詠唱を中断し、集中を解いて後退しようとするが、間に合わない。

 女は前傾姿勢と腕を思い切り伸ばすことで、一息にナイフをすぐそこまで突き込んできていた。懸命に身体を反らしながら、身体の前に左手を挟み、ナイフを受け止めようとする。皮の薄い手のひらの部位にナイフが突き立ち、手に痛みが走る。血が漏れ、熱が集まり始める。視界の隅に見えた女の顔には、何の表情も見えなかった。

 さらに体重をナイフへ掛けようとしてくる女に押され、後ずさりそうになる。だが脇からマグスが女の前に滑り込み、赤く燃え盛る左手を女の腹に突き入れる。その瞬間、火花や火の粉が女を中心に散り、腹に大きな火球が現れる。女の服と皮膚と空気を燃やしながら、火球はマグスの手を離れ、女を屋根に届くほどの高さまで打ち上げた後、火だるまの状態となって地面へ落下する。今度は女の悲鳴が、通りに響いた。

 カランと音を立てて、手から抜けたナイフが石畳に落ちる。血が滲み始めた籠手を素早く外し、手のひらの傷を見る。貫通はせず、表面にナイフの先端が刺さっただけだが、血の流れは多い。

「リヒト! 今治すから待ってて」

 ラウラが空から降りてきて、俺の手のひらに風を送りこむ。風が次第に光の粉へと変わって血を止める。今度は、粉が集まって暖かな光の塊となり、傷を塞いでいく。傷を負ったことによる興奮状態も収まってくる。

「ありがとう、ラウラ」

「うん。危なかったね……」

 凄まじい火力だったのか、女は悲鳴もあげられなくなり、パチパチと爆ぜ、異臭を放ちながら、動かなくなっていく。その光景に呆然としながら、男を見る。そちらは燃えた服を脱ぎ捨て、土塗れのただれた肌をさらしながら横たわっていた。上下する身体は、まだ息をしていることを示していた。

「ラウラ、あっちの男の人も、助けてやってくれないか?」

 そうラウラに乞うと、ラウラは逡巡しながらマグスの方を見る。

「助けたかったら勝手にせい。また襲いかかられても知らんぞ」

 吐き捨てるように言うマグス。俺はラウラとともに男に近づく。近くの荷を固定していた縄をほどき、男を縛っていく。同時に、ラウラが火傷を光で癒していく。放心状態の男は痛がりながらも、抵抗しなかった。

「付いてきてくれるか?」

 そう尋ねると、男は縛られた状態で静かに立ち、付いてきた。少しの間焼かれた女を見た後、途中で会った兵士に引き渡すまで、ずっと黙っていた。

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