第十話 月夜の下で

 夕食と勇者話を終え、俺は満足気な足取りでイノンを案内する。星や月、兵士の焚いたかがり火のおかげで通りは判別が出来、迷うことはなかった。遠くに教会の塔が見えてくる。

「あれが教会ですね?」

「ああ。この町はイルジオ教の信者が多いから、皆通えるように教会は町の中心の方にある。これを覚えておけば、後は塔を目指せばいいだけだ」

「リヒトさん。本当に、お世話になりました」

 ゆったりと止まると、イノンが礼を言ってくる。俺も身体を向けて、礼を受け止める。

「構わないって。これでも勇者を目指す身だから、人を助けるのは当然だよ」

「当然、ですか」

 ふと、イノンが横を向き、ヴェールで顔が隠れる。

「ん? 何か気に障った?」

 もう一度向き直ったその顔には、さして感情も読み取れない淡い笑顔だけがあった。

「いいえ。良い心がけですね。神や勇者の話をあれほど真剣に聞いて、話してくれる方は初めてで、私、嬉しかったです。そういう意味でも助かりました」

彼女が隠すようなら、詮索はしないことにする。知り合ったばかりでそこまで聞く訳にもいかない。

「そりゃあ良かった。でもあれは序の口だよ? 神託勇者の歴史は宗教の歴史。もっと色んな勇者がいるからね」

 話の切り換えに合わせておどけた調子で言ってみると、イノンの笑顔に感情が混ざった。

「へえ、そうなんですね。それじゃあ、また今度聞くことにします」

 イノンが歩き出したので、俺も前に進み始める。

「いいねえ。暇があったら教会を訪ねることにすっ!?」

 急に鐘が鳴った。びくっと身体が動く。件の教会からだ。鐘は時刻を知らせる役目があるため、夜に鳴ることは珍しくはない。だが、夜の鐘にしては音が大きく、何度も何度も鳴っては辺りに轟音を響かせていた。

「何かあったのでしょうか?」

 いぶかしむイノン。俺の胸も早鐘を打ち始めた。

「まずいかもしれない。先に行く!」

 焦燥感が波のように押し寄せてきて、背中を突かれたように走り始めた。

「私も行きます!」

 その声とともに、駆ける足音が付いてくる。走りながらも、鐘が鳴る塔を目印に近づこうと見上げると、塔が傾いた。鐘の音の向こうで石がこすれ合っているような音が幾重にも重なって聞こえる。地響きもだ。

「リヒトさん! 塔が!」

「分かってる!」

 教会が面する大通りへ飛び出すと、そこにいつも家屋を越えて見えていた石造りの教会は瓦礫へと姿を変えつつあった。教会の前半分がごっそりと消え、通りを埋めかねないほどの石材として崩れ落ちている。

今なお続く大きな一塊ずつの振動、地響きが教会をさらに瓦礫にする。ここまで導いてくれた塔は鳴り止み、根元の崩壊で滑るように傾き、鐘を鳴らしていた人間ごと辺りの家の屋根へ飛び込んでいく。 家が破砕される音と教会が崩れきった振動は、しばしの静寂を招いた。

教会へと走り寄っていくにつれて、人ならざるうめき声が聞こえてくる。うめき声の主は、辺りへ地響きを伝えながら、教会跡から姿を現した。

側の家の壁を大きな土の手で掴み、同じく土の巨体を家の陰から見せる。それは人を模した巨大な土人形、ゴーレムと呼ばれる類いの化け物だった。二階建ての家をもしのぐ体躯の上に頭のような土塊があり、目や鼻をかたどるようにヒビが入っていた。

「グヴォ、グヴォ、グヴォ」

 ゴーレムが身体を動かす度に、掛け声のようにうめいては、口のようなヒビから土がこぼれる。まさか、書物の中でしか見たことのないゴーレムに、こんなところで出くわすとは思いも寄らなかった。

ゴーレムというのは要するに、土人形へ魔法で一時的に命を吹き込むことで作る、人工の生物だ。生み出した魔法使いが適宜命令を与えると、動くことが出来ると聞く。これほど大きなゴーレムがなぜこんな町中にいるのか、なぜ教会を壊しているのか、疑問は尽きないが抱いている暇もないようだった。

 教会や周りの家々から、人々が出てきている。早くゴーレムから遠ざけなければ、確実に被害が増える。あのゴーレムの目的、正確にはあいつを操っている者の目的ははっきりしないが、あの巨体の挙動に巻き込まれれば人間の身体など無事ではすむまい。怪我が無い者は走って離れていくが、傷ついている者はそうもいかない。取り残された人をすぐにでも担ぎ出すべく、足に力を入れて走ろうとしたところで、イノンが声をかけてくる。

「リヒトさん。私の合図でゴーレムの所へ行って、負傷者を担いで来てください」

「今行くべきだ! なぜ待つ?」

「あの土人形を絶対に止めます。それに合わせて下さい」

 早口で説明し、イノンは両手を胸の前で祈るように合わせる。すると、イノンの胸の辺りが衣服の下から輝き始め、続いて身体中がぼんやりと光を放っていき、袖や裾や襟から光が強く漏れ出てくる。明らかに、何か魔法を使おうとしている。

 今すぐにでも駆け出せるように、左足を後ろに引き、右足を少し屈めて体勢を整える。視線を巡らせ、ゴーレムの足元近くに這いつくばっているイノンと似た白と藍色の服の女性に目標を定める。恐らくは、イルジオ教会の女司祭だろう。

「神の眼差しよ! 見据えたまえ!」

 イノンが唱えた言葉が夜の通りへ明朗に響くと、魔法が動くのを感じた。誰かの視線を感じ始めたのだ。俺にすら、何者かの拭い去れない視線が注がれている。ゴーレムに至っては動きを止め、声も発せられない状態にあるようだ。

「今です、リヒトさん!」

 名前を呼ばれる前に、俺は飛び出した。どのような魔法かは見ても分からないが、とにかくイノンの「止める」という言葉を信じるしかない。彼女もきっと、俺を信じてくれているのだろうから。

 石畳を蹴り、瓦礫を飛び越え、踏み越え、ゴーレムの足元に辿り着く。まだゴーレムは動いていない。側に倒れ込んでいる女性に駆け寄る。

「大丈夫か、背中に、早く!」

 彼女の目の前で背を向け、しゃがみ込み、背負おうとする。だが足を怪我したらしく、腕の力だけでは俺の背中に乗ることが出来ないようだった。それに気づくと、彼女にまず肩を貸して身体を浮かす。

「俺の肩に手を置いて、そう、そして首を抱いて」

そこから滑るように、彼女の身体の下へ自分の身体を入れ、背で持ち上げる。

「右手も肩に乗せて、首に回して! よし、行くぞ!」

 女性の手が首の両側に来たとみるや、すぐさま背を曲げたまま立ち上がり、前へ二人分の体重で加速を付けて走り出す。ゴーレムに関しては祈るしかなかったが、幸いイノンのところまで女性を運べた。

「私はまだいけます! 続けてお願いします!」

 彼女がゴーレムを見据える目には、強い使命感のようなものが見えた。ともあれ、人を救助するなら今しか無い。俺は折り返した。

 そのやり取りを三回ほど繰り返したところで、ついにゴーレムが動き始めた。どこからか注がれている視線も止む。再びゴーレムの付近へ行こうとしていた俺は急制動をかけ、つんのめりながら止まった。

「……っはあ! すみません、時間切れです!」

 膝に手をつけ、その場で疲れを見せるイノンに賞賛の視線を送りつつ、ゴーレムの動きに気を配る。すぐさま辺りの家を破壊しだすかと思いきや、踵を返し、散々妨害したこちらにも家々にも人々にも見向きせず、通りを歩き始めた。戦々恐々としながら動向を見守っていると、突然角を曲がった。腕が建物の角を削っていくが、破壊とまではいかない。

「後を追う。イノンは?」

「私は、はあっ、皆さんの治療をします」

 俺が担いで来た四人に加え、周りには傷や痣が出来た人が呆然としている。確かにイノンは必要になりそうだ。

「ゴーレムの行方を確認したら、すぐに戻ってくる。それじゃ!」

 イノンを置き、ゴーレムの曲がった角へと向かう。周囲の家から人の気配を感じたが、彼らが出てくる様子はない。相当怯えているようだ。

 削れた街角に辿り着き、足元の瓦礫に気をつけながら角の先をのぞき込む。

「グーヴォ、グーヴォ」

 やはり掛け声のように発声しながら進むゴーレムの背が見えた。一応見つからないように建物の陰へ隠れながら追ってみるが、一切振り返る様子がない。まさしく一目散に、という感じだ。まるで、教会の破壊だけが目的だったかのような無駄のない動きだ。それともイノンの力に恐れをなしたのだろうか。

 段々と彼我の距離を狭め、建物一つ分の距離まで迫る。ここまで来ると、ゴーレムを操っている奴が気になる。近くにいるのではと辺りを見回すが、見当たらない。ゴーレムが少し離れるとともに、遮蔽物から身を出して進む。

 しかし、小川沿いの道に出たところで急にゴーレムが立ち止まり、俺は驚いて近くの物陰に隠れる。尾行がバレたのだろうか。しばらく続いた沈黙を、大きな波音が切り裂いた。思わず陰から顔を出すと、ゴーレムの姿は無く、代わりに水滴が舞っており、俺のところまで飛んできた。辺りの地面があっという間に湿って色を暗くしていく。

「なっ、まさか川に?」

 石で土を補強した川岸まで駆け寄り、小川をのぞき込むと、川をせき止めかねないほどの土塊が川に溜まっていた。既に巨体は形をとどめておらず、水に浸かった土の島が段々と削れ、流れ始めるところであった。ゴーレムをわざわざ水に浸けて崩しているらしいが、何が目的かはさっぱり分からない。ともかく兵士達に事を知らせるために振り返ろうとして、背後から来る足音に気づいた。

「な……にっ!」

 迷わず振り向きざまに左手で腰の短剣を抜き、身体の前面を守るように刃を斜めに倒して、順手で構える。正面に来たのは、紺の外套を着た人影。建物の影で顔は見えない。状況からして、恐らくはゴーレムの繰り手と考えるのが自然か。

「誰だ。このゴーレムについて何か知っているのか?」

 相手の答えは、抜剣だった。なんとも単純明快である。知りたくば死ねという訳だ。

外套の下から抜いたのは細剣。刃先が極端に細い、刺突用の剣である。剣を持つ右半身を前に出し、半身でこちらに向けてくる。随分と綺麗な構えは、剣技を身につけたのではなく、学んだものであることを思わせる。

 背中の剣を抜く間も与えられず、俺は細剣を突き込まれた。鋭く迫る刃が月明かりの元に出てきて、一筋の光を見せる。反射的に左手の短剣を細剣の刀身へ当て、俺の身体の右側へ逸らし、俺は身体を左へずらす。結果、細剣は俺の身体の右の虚空を突く。

 再び人影は大きく踏み込み、右半身が影から出て、刺突を放ってくる。襲撃者であるにも関わらず、剣技は堂々としたもので、正確だ。今度は思い切り下から細剣を払うように切り上げ、俺は少し上体を傾ける。すると、細剣は俺の上空を突き通る。

 相手は細剣を引き寄せると、月明かりの下に全身をさらし、左手も添え、身体全体で突き込んできた。その中性的な相貌には鬼気迫るものがあり、相手の勢いのあまり短剣の迎撃が間に合わず、弾こうとした短剣と反射的に避けられた首の間を細剣が通った。

 首元を過ぎ去った冷たい刃から逃げるように俺の頭はのけぞり、身体もそれに続いて後ろに倒れる。背後には俺を受け止めてくれる地面はなく、手を伸ばすが何も掴めない。最後に残っていた足も離れ、必死に身体中で制動しようとするもむなしく、急斜面の岸の表面を撫でるように数回転しながら、川へと落ちる。しかし水中ではなく、刻一刻と沈みつつあるゴーレムの土の島へ運良く落ち、水しぶきと土を軽く散らしながら湿った土の上で何とか身体を止める。ゴーレムの足辺りが岸のすぐ下で固まって溶けていたようだ。

 身体を起こして顔を上げると、既にあの襲撃者は岸からいなくなっており、走り去る足音だけが川面の音に混じって聞こえただけだった。それでも警戒しつつ、石の隙間を掴んで斜面を上がり、道に這い上がる。だが、誰も襲ってこない。ちらほらと辺りの川岸に人が集まり始めてきたが、襲撃者の姿はない。俺は近くの人に兵士を呼ぶように伝えると、周辺を捜索した。短剣を構えつつ路地を見て回るが、見当たらない。目撃者の俺を襲ったのは、ただの時間稼ぎだったのだろうかと考えつつ、服と鎧に付いた湿り気のある土を叩き落とす。

 帝国兵士が松明を持って集まってくる。大まかな状況を伝え終えると、俺はイノンの元へ戻った。


「リヒトさんっ……大丈夫でしたか? その身体は?」

 俺を見るやいなや俺の汚れた姿を認め、水桶を差し出してくる。取りあえず礼を言って、顔を洗い、目立った汚れを水で落としながら返答する。

「ゴーレムは川に飛び込んで流れてる最中だ。あと、側にいた誰かに襲われて川に落とされた」

 簡潔に言うと、イノンも大まかに把握出来たらしい。

「怪我は?」

「ない。それよりこっちを手伝うよ。状況は?」

 辺りを見回す。教会に程近い空き地に負傷者が集まり、俺が担いだ女司祭や帝国兵士などによって治療を受けている。司祭の人は足の傷が癒えたようで、精力的に動き回っている。実は痛みが残っていて、やせ我慢している可能性もあるが。

「治療は、重傷の方を先に済ませたので、今は落ち着いて軽傷者の治療に当たっています。続々と家から負傷者が出てきますが、手当が出来る方にも手伝ってもらっているので当面は問題ありません。それよりも、もっと深刻なことがあります。向こうで話しましょう」

 イノンが空き地の端へ行くので、付いていく。端に立てられた燭台の側まで寄ると、イノンは半分ほど明かりに照らされた顔をこちらに向けて、明らかに震えた声で言った。

「……教会が無くなったせいで、住人の皆さんが心を痛めています」

「それは、そうだろうな。皆の身近にあったんだ。壊れれば気落ちもするさ」

 燭台の火が揺れ、イノンの顔へさらに影が差す。

「ここに来る皆さんの多くは、受けた傷以上に、怯え方が深刻です。中には絶望している人もいました。必死に、神の救いはあるのかと私に尋ねてきました」

 イノンはうつむき、両手を軽く合わせた。

「神の地上での居場所とされる教会が壊されたということは、神とイルジオ教徒の間のつながりが断たれたようなものです。皆さんの心の拠り所が失われたことに他なりません。このような緊張状態が続けば、いずれ……」

 口にすれば現実になると思ったのか、口をつぐむイノン。彼女の言う通りなのだろう。

 教会もまた、西門と同じシンボルだ。皆が良く目にし、当たり前のように存在し、利用していた。ましてや教会は宗教の要の一つだ。皆の生活や日常の隣にあって、神をより一層近くに感じられる場所、聖域なのだ。それを失い、もはや頼れないとなれば、イルジオ教徒の心労はどれほどのものになるか。自分の大事なものが失われることを例にするといい。たぶん、生きていくことが辛くなることだろう。

 俺は、それが痛いほど分かる。勇者という夢をいまだ手放していないのは、失ったら辛くなることが分かっているからだ。イルジオ教徒から勇者と神を一緒にするなと言われそうだが、俺のような人間にはまだその区別がつかないのだから仕方ない。

「だったら、早く日常を取り戻そう。皆が怖がらなくて済む毎日に、少しずつ戻してあげるしかないさ。そのために、今は目に見える傷を癒してるんだろ? な?」

 先行きが不安ばかりで進めなくなるくらいなら、せめて今を大切にしながら少しずつ進もう。俺はそう、本の中の勇者達に教わった。

「そうですね。頑張りましょう」

 イノンが顔を上げてくれる。まだ、頑張れそうだった。

 俺はイノンの側に付き、空き地を拠点として、人々の治療や避難誘導、瓦礫撤去や松明の設置、兵士が足らない分の護衛などをとにかくやった。時折遠くの空で争いの音が響き、空が赤くなっていることにも気づいたが、目の前のことで精一杯だった。


 ついにオルミーに朝が訪れ、人手が多くなり、兵士も集まってくる頃には、俺は空き地の隅で座り込んでしまうほど疲れていた。もはや休憩というよりも睡眠と言った方が近く、目の前の空き地は傾ぎ、まぶたが閉じる度に意識が離れそうになった。

 イノンに声をかけられ、何とか意識を繋ぎ止めて応対した。彼女も動きが鈍く、言葉も硬さが抜けていた。そうなると年相応の少女である。互いに健闘を讃えて、力なく笑い合う。イノンはあの司祭の女性の家に厄介になると聞いて安堵する。司祭の女性と合流して、歩き出す。

 失望に打ちひしがれた様子で地面に伏せたイルジオ教徒。彼らでごったがえした教会前の大通りで、俺達は別れた。

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