第八話 せめぎ合い
城壁の外に出てしばらく行くと、魔物はすぐに見つかった。四つ目狼だ。文字通り目が顔の左右に二つずつ並んで付いている。視野が普通の狼より広いらしく、彼らは霊が見えるというおとぎ話も出来るくらいには、奇妙な顔だ。街道に三匹座り込んでいる。依頼書に書かれている通りの数だが、もっといる可能性もある。下手に突っ込まないほうがよさそうだ。
四つ目狼を遠くに捉えた俺は、道を挟んで立ち並ぶ石垣の陰に身を隠しながら言った。
「これ以上近づくと確実に気づかれる。辺りの安全を確認してから、ってマグス!?」
マグスは堂々と街道を踏みしめ、四つ目狼に接近していた。ラウラが近寄ってきて、俺に忠告してくる。
「まずは数を減らすから、隠れて隠れて。マグスに近づくと危ないよ」
「え、いや、だからって狼に近づくのは危険だろ!」
そんな俺の言葉を無視し、歩みを進めるマグス。それに気づいた四つ目狼達は立ち上がり、うなり始めた。周りを見渡すと、石垣や木の陰、茂みからも四つ目狼が顔を覗かせているのが見えた。
「まずい! 数が多いぞ!」
思わず石垣の陰から飛び出ようとした俺は、しかし動きを止めた。
マグスの真上に燃え盛る太陽があることに気づいたからだ。いや、本物の太陽はすでに西の方へ傾いている。だから偽物だ。火球に過ぎない。だが、太陽かと思いたくなるほどに赤々と燃え、じりじりと熱気を伝えていた。
「なんだ……あれは」
四つ目狼も気づいたようで、マグスと火球を四つの目で追い、警戒している。一方マグスは身動き一つしない。よほど自信があるのだろう。
いつどちらが攻撃するのか。その駆け引きが行われるかと思った瞬間、火球が六つに散らばったかと思えば、道と茂みの四つ目狼めがけて飛び込んだ。小さな震動が連続し、辺りの木々を揺らす。
俺にも、近くの茂みに落ちた火球の熱気が草木をかき分けて襲ってきた。思わず腕で顔を庇うが、息を吸ったことで口へ入り、むせてしまう。
「あっちゃあ。こっち飛ばさないでよ、もー」
ラウラも熱がっている。茂みの向こうから繰り返し聞こえるかすれた鳴き声もする。燃やされる四つ目狼の断末魔だろうか。可哀想そうだ、などという思考を閉め出し、石垣を飛び越えて道の様子を窺う。先ほどと変わらずマグスは立っており、正面で焼け焦げている四つ目狼達を平然と見つめていた。
「な? 楽勝やったやろ?」
そう言ってこちらを向いたマグスの顔は誇らしげだ。
「確かに凄いな。竜巻も家の修理も含めて、尋常じゃない魔法の力だ」
しかも、四つ目狼に放った火は周りに燃え移っていない。そこまで制御しているのだ。勇者の力というものを改めて思い知らされる。
「ほな、町に帰るで!」
四つ目狼に背を向けて帰ろうとしたマグスに、声が投げつけられた。
「待ちなさい! そこの魔法使い!」
女の子と思われる高い声は遠くから聞こえた。町とは逆の方角からだ。そちらを見ると、誰かが街道を走ってきている。太陽を背にしていて見えにくいが、白と藍色の修道服で身を包んでいるように見える。
彼女は道に横たわる四つ目狼の側に立つと、小綺麗な顔を上げ、棍のような細長い棒をこちらに、マグスに突きつけて言った。
「この有様はどうしたのですか? なぜこのようにむごたらしく、生き物の命を奪っているのですか? 食料にするとしても、あまりにも酷すぎではありませんか?」
そこまで一息に言うと、マグスを鋭く見据える。だが、そんな視線をものともせず、マグスは淡々と返す。
「うるさいやつやな。こいつは依頼や。街道行き来するやつが困っとるんやから、殺しても構わんやろ」
その答えに納得がいかないのか、修道女のような身なりの彼女はつかつかとこちらに近づき、さらに話を続ける。
「魔物の命を奪うことの意味を考えていますか? 彼らも生き物です。同じ魂と命を持ち、生きているんですよ。あなたも、あなたに依頼した人々も、それを少しでも考えたのでしょうか?」
「一々そんなこと考える訳あらへんやろ。こちとら生活懸かってんのや。獣の命気にしてたら、埒があかん」
「神は昔、こう仰いました。『いかなる生き物も、人と同様に命と魂を持つ。だがそれを知ることが出来るのは人のみ。だからこそ、人はあらゆる生き物に思いを遣らねばならない』と。ですから、」
「黙れや、司祭風情が! 神に隠れてしか物も言われんような奴がぐちゃぐちゃ抜かすんやない! どいつもこいつも命食って生きてるくせに、俺だけに言われてもなあ!」
「食事を制限しろとまでは言いません。命を奪うのが避けられないからこそ、それ相応の覚悟と考えを持って命を奪うべきだと言っているんです。……改めて問います。今回の殺戮は、本当に必要だったのですか? 避けようのないものだったのですか?」
「あのなあ、この道を通る奴が一日にどんだけいると思っとるんや。いくら辺境の町言うても、ここらの交易の要所や。山ほど人が通る。その道に獣が居座られたら、交易どころやない。こちらの命や生活が脅かされんのじゃ! 神の言うこと聞いてる暇なんかあるか!」
二人の間で口論に圧倒されながら、所在なさげに立っていた俺は思った。結論は出るのだろうか。非常に大事な話であるのは分かるが、日が暮れそうだ。町に帰って話すべきではないかと思いながら辺りを見渡す。
ラウラが上空を飛びながら見回しているのが見えた。なんとも真面目な妖精さんだと感心していると、急に空中で腕を振り回しながら制動した。何か見つけたようだ。
「すぐ横! まだいるよ!」
ラウラの声とほぼ同時に茂みが揺れ、地面を蹴る音が鳴った。丁度、口論中の二人を挟んで正反対の石垣からだ。
考える暇も声をかける暇もなく、マグスと修道女の間に入って二人を押しのける。石垣を大きく飛び越えてきた四つ目狼を見やりつつ、その着地点に滑り込む。俺の体の上に丁度乗っかってくる四つ目狼。噛まれてしまう前に暴れる首と胴体を押さえて、右足で腹を蹴りながら後転し、後方の石垣へと飛ばす。
「キャウン!」
石垣にぶつかった四つ目狼は甲高い鳴き声を絞り上げ、じたばたとしながらも着地し、再び立ち上がる。俺も素早く体勢を立て直し、マグスと修道女が退く間に剣を背から引き抜く。やるしかない。
お互いに止まっていたのは一瞬で、四つ目狼は俺に向かって迷い無く飛びかかってくる。俺は左に飛びすさりながら、そのよだれを散らす口の軌道の先へあてがうように、剣を寝かせ、滑りこませる。
「!!」
鳴き声にもならない息を鋭く吐きながら、四つ目狼の口は裂ける。剣は容赦なく頭や首、胴体まで裂き、体外に出て、血の付いた刀身を見せつけた。
交錯を終え、四つ目狼は地面に落ち、その横で俺はかがんだ状態のまま動けずにいた。何も言わず、荒い呼吸をくり返す。凄まじい速度で鼓動を鳴らす心臓は当分収まりそうにない。
皆の視線を感じる。当然だ。あのような口論の直後に魔物から襲われ、魔物を傷つけたのだから。
「……見たか? さっきはリヒトが何とかしたからええものの、ここにいたのが普通の人間やったら食い殺されとる。ワシらも無事ではすまんかったかもな」
先ほどまでの興奮は冷めたようで、マグスはまた落ち着いて言った。修道女らしき彼女もそれは分かっているようで、何も言い返さない。
だがこちらへ近づいてくると、俺の隣で横たわる四つ目狼の側にしゃがみ込み、反論の代わりと言わんばかりにその傷口へ手をかざす。すると、口から前脚の付け根にまで至っていた切り傷が癒えていく。魔法だ。余りにも滑らかに傷がふさがっていくのを見て、四つ目狼を斬った瞬間と同様の気持ち悪さが込み上がってくる。
「おいお前! なに治しとるんや!」
マグスの声に振り向きもせず、修道女は完全に傷を治してみせる。しかし、四つ目狼は息をしているものの、中々立ち上がらない。人間以外でも、傷が治った後に痛みなどが残るのだろう。とにもかくにも、傷つけた本人である俺は、四つ目狼が息をしている様子を見て複雑な安心感を得た。そっとしておくように俺は四つ目狼から離れて、マグスの前に立つ。
「依頼は完了したようなもんだよ。あの狼は手負いだ。ラウラ! 他に仲間は見えるか?」
辺りを見回っていたラウラは俺の方を見て手を振りながら返してくれる。
「いないよー。その子で最後みたい!」
「もう、一匹しかいない。群れがいなけりゃ、街道にも出て来にくくなるはずさ」
マグスは頭をかきながら、また町の方へ足を向ける。
「そいつは殺さんとく。これに懲りたら街道には近づかんやろ。焼けた狼は勝手にせえ」
ぶっきらぼうに言うと、マグスは歩き始めた。
俺はその後、ラウラに教えてもらった所にいた四つ目狼の死体を探し、道まで運び出して、町へと持ち帰った。三匹で銅貨一枚半だった。残りは、修道女が黙々と魔法で土を被せて埋葬していた。マグスを通じて受け取った依頼の報酬は銅貨十枚に当たる、銀貨一枚だった。
手負いの一匹は、いつの間にかいなくなっていた。
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