第七話 身支度

 家に帰った俺は、三年ぶりに戦うための身支度をしていた。

 ベッドの下から箱を取り出し、剣と皮鎧を出す。鞘から引き抜いた長剣はシャランという研ぎ澄まされた音を立てた。久しぶりに聞き、背筋がぞわっとする。例え人を傷つける武器だとしても、剣の音と刃の輝きはどこか芸術品のように綺麗だった。勇者への思いを募らせるあまり、勢いで砥石を買って剣を研いだ昨日の自分を褒めてやりたい。皮鎧は三年の年月で小さくなって付けられないかと思っていたが、昔大きめの鎧を買ったのが功を奏して、丁度の大きさだった。

 皮鎧を身につけ、胴と肩と腹と背中を覆う。流れ落ちる汗への対策のためにバンダナを額に巻く。護身用に役者の時も持っていた短剣を腰のベルトに差す。剣の鞘に堅い紐を通し、その紐の輪を体に斜め掛けで結び、背中に剣を背負うような形にする。装備の重みは、また勇者という夢を追いかけられるのだという実感を、じわじわと与えてくれていた。

 マグスの家の向かう途中で、鎧に合った皮の籠手を買う。膝当ては足取りが重くなるので、今回は購買を見送った。試しに付け、握ったり開いたりと具合を確かめる。籠手といっても、手の甲と腕を守るぐらいで指は動かしやすくなっているようだ。店主に礼を言って、俺は多少興奮する心を抑えながら、道を急いだ。

 昨日辿った道を思い出しながら向かい、マグスの家がある広場に着く。

 外には姿が見えず、二人はまだ中にいるようだった。俺は二階建ての家の二階を見やる。マグスは二階の部屋を間借りする身であり、一階には家主が住んでいると聞いた。

 取りあえず来たことを伝えようと窓に向かって声を掛けようとすると、二階の木製の窓と扉が全て、大きな破砕音とともに木っ端微塵に吹き飛んだ。木片が辺りに散らばると同時に、危険を感じた俺は飛び退いて離れた。

「な、なんだ?」

 すわ魔王軍の爆破活動かと身構える。一階からドタドタと人が走る音がして、少し腹が出た中年ごろの男が出てきた。恐らく家主だろう。

「マアグスウウ! また壊しやがったな、破壊しか能のない勇者め! 今度という今度は兵士に突き出してやるぞ!」

 家主が叫ぶと、何も遮る物がない窓からマグスが顔を出す。

「事故や、事故! ワシのせいやない! 家主さん、堪忍や!」

「うるさーい! 金払いがいいから貸してやっていたものを、こう何度も何度も壊しおってからに! そこで待っておれ、今兵士を呼んでくるからな!」

 そう言って家主はどこかに走り去っていった。たぶん兵士を呼ぶために、近くの詰所にでも行ったのだろう。俺は窓のマグスに向かって声を掛ける。

「おーい、大丈夫なのか!」

「心配いらん! 話は後や! 逃げるで、リヒト!」

「その窓はどうするのさ!」

「今直す! 走る準備して、兵士が来ないか見といてくれ!」

 俺としても、重要な雇用主であるところのマグスが捕まるのは避けたいので手伝うことにする。罪に問われたりは、しないと思う。家は直すらしいし、うん。

広場の真ん中で兵士が来ないか通りを見張っていると、辺りに散乱する木片が光る風に乗り、宙に浮かび始めたかと思うと、導かれるように二階に空いた穴に戻っていき、複雑なパズルが出来上がる頃には、木の窓と扉は元通り閉じた姿となっていた。

「すごいもんだなあ。どうやったらあんな魔法が使えるんだ」

 感嘆の呟きを漏らしていると、二階の扉が素早く開き、マグスがラウラと外套を抱えて出てきた。

「ようし、よくやった、リヒト! 取りあえず西に走るで! 知り合いが依頼をくれる!」

「そろそろ来るんじゃないかな、兵士さん! 音も大きかったし」

「くっ、甲冑の音やあ! 西門向かえ西門! 話は途中でする!」

「お、おう!」

 聞こえてくる甲冑や武器の金属音に背を向け、三人は西へ走り始める。しばらく走ったところで速さを緩め、少し疲れを見せるマグスの走りに合わせて隣に並ぶ。マグスが無言で銅貨を二枚握らせてきたので受け取り、話し始める。

「それで、どうしたんだ?」

「はあ、はあ、いやなに、手早く魔法薬の実験を片付けとこうしたら、いつの間にか没頭しとってな。約束のことをラウラが思い出した途端に手を滑らせて……」

「魔法で空気が膨らんで、風が起きて、窓を吹き飛ばしちゃった、というわけで」

「何を研究してたら、あんな風が起こるのさ」

「魔法に限らず、科学や学問というもんは実験が基本なんや。時には、失敗もある」

「わたしたちの場合は、失敗が多すぎるけどねー」

 そのラウラの一言が気に入らなかったのか、マグスは飛んでいるラウラを恨めしげに見つつ反論する。

「ラウラ、それは物事の一面に過ぎんで。失敗の積み重ねから見えてくるものもある。つまり、失敗がやたら多いワシらはそれだけ真理に近づいとるんや。まるで人を失敗だらけの間抜けみたいな言い方すな」

「でも、失敗は失敗でしょ?」

「ちがあう! 失敗は成功の母や!」

 ラウラとマグスの軽快な言い合いを聞きながら小走りを続けていると、西門正面に位置する大通りに出る。

 大通りに来ると、遠くには大きな城壁と西門が見えたものだ。今や西門があったところには、赤らみ始めた空と黄ばんだ太陽だけが城壁に挟まれて見えていた。

 近づくごとに見えてくるのは、大きな瓦礫が山となって塞ぐ、跡形無き西の玄関口。手前に広がる西門前広場にはどうやら瓦礫はなく、人や馬車の往来は可能となっているようだった。それでも、広場の石畳の隙間に詰まった石ころ程度の黒い瓦礫は石畳の灰色を浮き立たせ、西門崩壊の余韻を感じさせる。

「はいすいません馬車通りますよー」「オルミーにようこそ!」「石の瓦礫はそっち! 木片はこっちに集めて!」「今日は稼いだ、稼いだ」「ヒヒーン!」「おーい、そろそろ交替の時間だぞ」「オルミーの飯といえば西門の『ローマン亭』へ!」「俺はコインの表に賭ける!」「はい寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!」

 シンボルの西門を失ってもなお、広場が賑やかさを維持しているのは、驚嘆の一言だ。むしろ活気が出ていると言ってもいい。

 役者になる前、俺がこの町に初めて入ったのは、この西門だった。人や物や動物が行き交うこの喧騒の中で、俺は勇者になる決意を一層固めた。また勇者を目指そうとしている今の俺には、なかなかいい出発点ではないか。当の西門が壊れているのは、気にするまい。

「ふいー。リヒト、遠い目してどうした? ああ、西門な。ずいぶん派手に壊れたもんや」

 隣のマグスが肩で息をしながら話しかけてきたので、思考を止める。

「マグスの魔法とかで、門は直せるのか?」

「誰が直すかい、めんどくさい。ワシが壊したわけでもないし、そもそも大きすぎる」

「そっか。やっぱり厳しいか」

「誰も出来んとは言ってへんけどな。面倒なだけや。さっ、そこの店に入るで」

 マグスが指差す先に、二階建ての大きな酒場がある。名はローマン亭。斡旋所も兼ねているので、俺も来たことがある。西門前広場に面しているだけはあり、酒場としても斡旋所としても人気の店だ。

「ワシの知り合いがここで仕事しててな、時々仕事回してもらっとる」

「へえ、それはいい待遇だ」

「まあ、向こうも向こうで、回さなきゃあかん仕事の数とか決まっとるらしくて、処理に困った依頼を俺に押しつけてるみたいやけどな」

「持ちつ持たれつってやつだーね」

「斡旋する方も苦労があるものか……」

 会話をしながら、ローマン亭へ近づいていく。入り口に立つと、客引きをやっていた男がこちらに来た。

「いらっしゃいませ、ってお前かよ。入りたきゃ入れよ」

「んじゃ、遠慮なく」

 少し刺々しい口調の男を気にするでもなく、マグスとラウラは店に入った。俺もそれに付いて入ると、男の小さな呟きが微かに聞こえた。

「……魔法狂いめ……」

 その言葉が、俺の耳にやけにこびりついた。

 俺に言ったというよりは、マグスかラウラに向けたものだろうか。それとも他の誰かに言ったのか。気になったものの、目の前の仕事に向けて集中することにする。

 マグスがカウンターで羊皮紙を見ているので、俺も横からのぞき込む。知り合いから斡旋してもらう依頼は、四つ目狼という魔物の駆除らしい。街道に出没しているが、魔王軍の噂や西門の騒動のせいで帝国兵士の手が回らず、斡旋所に持ち込まれたのだという。今は餌を撒いている内に強行突破しているらしいが、既に馬や人が襲われているらしく、緊急の案件のようだ。

「ほら、依頼を確認したならさっさと行ってくれ。お前とは契約上だけの関係だ。親しいと思われたくない」

 知り合いの男は忙しそうに手元を動かしながら、辛辣な言葉を吐く。わざわざ忙しそうな演技をしている辺り、よほど立ち去って欲しいようだ。

「言われんでも行くわ、ぼけ。報酬用意しとけよ、すぐ片付けて帰ってくるで」

「……」

 もはや返事すらない。マグスも無言で去るので、俺も続いて店を出る。

「ほなら、西門の方から出ようか。出没するところは近いし、徒歩で大丈夫やろ」

「でも西門は壊れてるぞ」

「どうしても西門の方から出たい奴のために、城壁へ上がることが許可されたんやと。城壁の中を上がって、屋上や途中の窓から縄梯子で下りる」

 西門の脇を親指で差しながらそう言うと、マグスは西門に向かう。その背中を追いながらも、俺は横を飛んでいるラウラに密かに尋ねた。

「思ったんだけど、マグスが斡旋所に行く時は、いつもあんな感じなのか?」

「……うん。知り合いの人は皆ああいう態度。兵士さんにも評判が知れ渡ってるし、マグスの噂を知ってる人も大体似たようなこと言うよ。勇者の中でも一番自分勝手な奴だ、って」

 ラウラは少し悲しそうな顔をする。人形だというのに表情は豊かだ。魔法の一種だろうかと思いながら、俺は話を続ける。

「まあ、家壊したりしていれば、変だと思われても仕方がない」

「最近では、若いからとか勇者だからとか、何もしてなくてもバカにされてた。そのせいで意固地になって、わたしがいくら注意しても、実験繰り返して」

「また壊したり、傷つけたり、ってわけか」

 俺の言葉に、ラウラはこくっと頷く。前を歩くマグスは腕を回したり、手を握ったり開いたり、時々火の粉を指先から出したりしている。危ない危ない。周りに火薬や薪を運んでいる人はいないようで安心するが、そもそもマグスの周りに人が寄りついていない様子を見て、別の意味で不安になる。

「リヒトは、なんで勇者を目指してるの?」

 マグスを見ていた俺に、ラウラがぼそっと尋ねてきた。

「どうしてそんなことを聞くんだ?」

「勇者が、目指すほどすごいものなのかなって、思っちゃって。あっ、ゴメン! リヒトの夢をバカにしたんじゃなくて、その……、勇者ってなんなのかなって考えたら、つい」

 ラウラの言いたいことは分かる。彼女が子供達とともに魔王軍の男に追いかけられていた時、勇者はおろか他の者も助けようとしていなかった。たぶん、皆自分のことで精一杯なのだろうけれど、見捨てられたことに変わりはない。加えて、マグスを筆頭とした自分本位な勇者の振る舞いを見ていれば、自分の中の「勇者」というものに自信を持てなくなるのも当然だ。それを踏まえた上で、俺はあえて素直に言う。

「かっこいいものだろ? 勇者って」

 俺の言葉をどう受け取ったのか分からないが、ラウラは少し考えて言った。

「昔のお話とか聞くと、かっこいいとは思うよ。ドラゴン倒したり、お姫様救ったり」

「俺は、昔のおとぎ話や歴史書に出てくるような勇者になりたいんだ。何かを守るために立ち上がれるような、そんなかっこいい奴にさ。それが、勇者を目指す理由」

「……」

 これは本心だ。自分より大事なものを見つけて戦える人間。それが俺の目標であり、夢だ。

「俺にとっての勇者も誰かの別の夢にしても、何か目指すものがないと、そこで人は止まる。今勇者になってる人も誰でも、それを見つけるためにもがいているか、見つからずに困っているんじゃないかって思うんだ。マグスだって、あいつなりの迷い方をしているんだ、きっと。みんな、悩みがあるもんさ」

 心の中で「もちろん俺にも」と付け加え、再びマグスの背中を見る。ラウラも、マグスの薄汚れた外套を見ている。

「そうなのかな……うん、そうだよね。きっとそうだよ! だったら、わたしはマグスを応援する! リヒトも応援するよ!」

「ありがとう、ラウラもその意気だよ」

 ラウラの声が聞こえたのか、マグスは怪訝そうな顔で振り返る。

「何を話しとんねん、二人とも。話す暇あったら、はよ行くで! 勇者様を待つ人らのためになあ!」

「わかってまーす!」

「右に同じだ。行こう!」

 俺達は駆け足に切り替え、城壁へと向かった。

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