第四話 分かれ道
「勇者になるために、劇団を辞めたい?」
マグス達と別れた足でそのまま劇場に併設された事務所を訪れた俺が座長に話を切り出すと、座長は苦い顔でそう答えた。
「はい。三年間お世話になったこの劇団を去るのは心苦しいですが、俺はやっぱり、勇者になりたいんです。認めてもらえますか?」
「辞めるのは自由だ。公演中でもないしな。だが今辞めるとなると、前回の給金は渡せなくなるな。次回から出てもらえない奴に渡せるような金はウチもない。金は自分で稼ぐことだ。それくらいの覚悟は出来ているんだろうな、リヒト?」
座長は俺の目を真っ直ぐ見ながら言う。俺の覚悟を試しているようだ。
「世界にまた災厄が迫ってるんです。新魔王軍のことですよ」
「……あれを何とかして、勇者になろうっていうのか?」
「なれるかどうかは分かりません。でも、新魔王軍によって沢山の人が傷つくことは分かりきっています。もう既に、俺は人が傷つく現場を目にしました」
ラウラと子供達が襲われたことを考えると、準備段階で新魔王軍の被害者が既に出ていてもおかしくはない。すぐに剣を取るべきだろう。マグス達に、俺も続くのだ。
「だから、俺は行きたいんです。少しでも皆を守るために。それが勇者ってもんです」
なかなか勇者っぽい言葉が出た。俺もやれば出来るじゃないか。だが、座長の顔はなお渋い。長い髭をさすりながら座長は言ってきた。
「その決意は立派なもんだ。若者で、そこまで人のために戦おうとする奴は少ないだろうな。だが、俺が聞きたいのは、お前の逃げ道についてだ。また勇者になれなかったり、金に困ったりしたら、都合良くウチに帰ってくるんじゃないだろうな? ウチの劇団は、演劇を逃げ道にするような奴を入れる気はないぞ」
鋭い目つきで俺を睨んできた。間違いなく、俺を役者にするために三年間修行を共にした師匠の目だった。心の中を見透かされているようで思わず圧迫され、反論する機会を失ってしまう。師匠は続ける。
「演劇はただの作り物じゃない。本物だ。史実の勇者や魔王や悪魔の言動と違えども、その物語は人の心を打ち、盛り上げ、励まし、楽しませる。本物になるのが駄目だったから作り物の勇者役で我慢しようなどと中途半端なことを思っているようなら、お前は役者に向いてないと何度も言ってきたはずだ。俺はな、お前が勇者になれず諦め、未練を切ることによって、勇者に対して極端に客観的になって演じるからこそ、お前の勇者役には細部まで生命が宿るんだと思っている。勇者本人よりも勇者らしさってのが分かっているからな。その才能を見込んで、俺も雇っているつもりだ」
俺は単純に嬉しくなった。それほど自分が評価されているとは思いもよらなかった。隠していた俺への評価を晒してでも、俺を試したいようだった。座長の口調は少し柔らかくなる。
「出来ることなら考え直さないか? 戦いが始まれば、勇者の劇も需要が増える。お前の勇者の演技に心を励まされる人間も増えるだろうさ。その役者の道を全て捨ててでも、お前が勇者を目指すと言うならば、俺は背中を押す。二つに一つだ。勇者か、勇者役者か。悩むぐらいなら辞めるなと、俺は言っておこう」
生半可な覚悟で行くのは止めろと、座長さんは言ってくれている。子供の頃からの夢と三年間の努力の結晶を比べることは、難しかった。それほどに、勇者の演劇も俺の大きな一部となっていたことに気づいた。
「……考えさせてください」
「ああ。まだ演目が決まるまで時間はある。待ってるぞ」
思いとどまることを諭してくれた座長に感謝を述べると、俺は帰路に就いた。
通りで巡回中の帝国兵士に出会った。魔王軍が動いていると分かった以上、気は抜けないのだろう。いつになく鋭い目で辺りを見ていた。声をかけると、
「何かあれば教えてくれ。我々は君達の命を守るためにいるんだからな」
と頼もしく返してくれた。俺が勇者志望の身となれば、彼らと共闘することもあるに違いない。
昼飯を買いに寄った市場で親子連れに出会った。勇者役者の俺を知っていた。男の子が魔王を倒した勇者をやってくれとせがんできたので、
「俺の心が燃える限り、イグザラッドの光は消えやしない!」
と名場面の台詞を言い放つと、親子ともに本物だと喜んでくれた。俺も嬉しかった。
机と椅子とタンスと申し訳程度の台所と小さいベッドしかない家に帰ると、俺はベッドの下を探った。細長い木箱が出てくる。中身は片手剣と皮鎧と外套だ。三年前、この町に来た時に身につけていた。皮の籠手や膝当ても付けていたのだが、当時生活に行き詰まり、泣く泣く売ることにしたのをつい先日のように覚えている。
中から剣を取り出す。柄に巻いていた布はぼろぼろだった。鞘から出すと、刃は曇り、欠け、錆びも見え始めていた。最後に手入れをしたのはいつだっただろうか。
勇者になりたいならば砥石も買わねばと思いつつ、剣を鞘に収めて箱にしまい、ベッドの下に入れる。椅子を引き寄せて座った俺は、勇者の仕事と役者の仕事について考えてみる。
役者仕事は世の中の職業からすれば不安定の部類に入るが、勇者劇は人々から需要があるために中々収益はあるようで、公演は途切れることはない。加えて俺が所属するのはオルミー、引いては帝国でも指折りの劇団だ。貴族は引っ切りなしに来るし、皇族も来たことがある。少なくとも今現在は安定した職業だ。
一方勇者は、平和な世にある少ない依頼を取り合う、競争の激しい職業だ。名前は格好良く、自由に生きられることが魅力であり、自らが勇者であることを証明出来れば誰にでもなれるという間口の広さも相まって、若者を中心に人気を誇っている。勇者の証拠が無く、勇者だと偽ることもしたくなかった俺は、当然彼らのような勇者になることは出来なかった訳だが。
これから新魔王軍のせいで依頼が増える可能性がある。しかし勇者はこぞって名声や金のために依頼を求めて奔走することだろう。むしろさらに競争が激化することはありえる話だ。そもそも収入源がほとんど依頼者からだけなので、不安定なのは分かりきっている。
さて、どちらにしたものか。
「……迷った時は行動しろ、そしたら道は見えてくる、か」
なんとなくどこかで読んだ勇者の名言を思い出す。誰がいつどこで言ったのか覚えてないし、本当に言ったのかも怪しいが、精神は見習うべきだろう。そう考えて俺は椅子から離れて扉に向かう。
「劇団にしても新魔王軍にしても、時間は限られている。まずは勇者の仕事事情でも調べてみようか。意外と俺が知らない内に改善されているかもいれない。うん。いい案だ! 早速斡旋所を回ってみよう」
俺は取っ手を捻り、外に出た。心持ち、颯爽と。
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