第二章 生まれた時から勇者様

第三話 魔法使いと妖精

 途切れた意識をなんとか手繰り寄せた俺は、反射的に目を開いた。物置だろうか。生活用具やカーペットが隅に追いやられている。少し高めの位置で横になっており、外套が体に被さっている。どうやら木箱を並べてベッドのようにし、俺を寝かせているようだ。

「!」

 頭を回すと、左肩が少し痛んだ。

「いっ……てぇ」

 思わず悶絶するが、痛み自体はあまりなかった。急に痛みが来たせいで身体が驚いただけのようだ。肩の傷は既に無く、麻の服に小さな穴が空き、ほつれ、血で汚れている。

「あっ、起きたかな?」

 すぐ横にある扉の向こうからどこかで聞いたような少女の声がする。取っ手が傾くと扉がこちらに開き、力を込めて取っ手を押している妖精が姿を見せた。

「ふいー。やっぱり扉開けてればよかったかな。具合どう?」

ひらひらと舞うと、俺の耳元まで来て話しかけてくる。

「まだちょっと肩が痛いけど、他は大丈夫みたいだ。心配ありがと」

 左肩をあまり動かさないように上半身を起こす。この痛みもいずれ引くだろう。

「おー、起き上がれるんだ。だったら安心だね。すぐに魔法で治しておいてよかった」

「やっぱり、魔法か」

 魔法の中には、人を癒すものもある。だが非常に専門的な部類の魔法であり、残念ながら俺には使えない。逆に俺が先ほど放った火の玉は、人を傷つける魔法の最たるものであり、教われば誰にでも使える。

 左肩を少しさすりながら、魔法の治癒力に驚嘆する。

「割と深く刺さったと思うんだけど、よく治ったもんだな」

「これくらいはね! でもあの時は油断してごめんなさい。本当はわたしが守らないといけなかったのに」

 深々と頭だけを極端に下げる妖精。だが彼女のせいではないことは俺が一番良く知っている。

「俺の方こそ、すまない。あいつらを止められなかったばかりに怖い思いをさせた。そういえばあの男達は? 子供達は?」

「みんな、マグスがなんとかしちゃったよ。わたしが全部話したら、騒ぎに駆けつけてきた兵士さんに男の人達引き渡して、家直す約束と怪我人治す約束した後に、子供達を家まで送って、お兄さんもとりあえず自分の家に運び込んだの。今は十軒の家と九人の怪我人を治してるかな」

 どうやら寝ている間にマグスという人が片付けてしまったらしい。窓から差し込む光の高さから、昼近くだと思われる。長居してしまったようだ。外套を体の上からどけて、床に足を下ろしながら話を続ける。

「それなら良かった。このまま俺も帰った方がいいかな? 迷惑でなければここで待って、マグスって人にお礼を言いたいんだけど」

「いても大丈夫だよ! ん? 噂をすれば……」

 扉の向こうに見えるもう一つの扉越しに、木の板がきしむような音が連続して聞こえてきた。

玄関らしき扉を開いて現れた薄着で赤髪の青年は、外から直接床に倒れ込んだ。半袖から出る左腕の奇怪な傷が目に付いた。

「……確かに、竜巻の魔法の実験で家壊したのはワシや。やけど、なんでここまで苦労せにゃならんのやああ」

「そりゃ、自業自得だよ」

 妖精は振り返ると、静かに青年を諫める。青年はがばっと起き上がり叫んだ。

「自由に魔法の研究してなにが悪いっちゅうねん! なんの因果でガキやそれを追いかけ回してた変態の世話までせなあかんのや!」

「人の家壊すのはいけないよー。他のことには関してはおつかれさまだねー」

 やはり妖精は諫める。思う存分叫んだのか、青年は一旦落ち着いて深呼吸をすると、こちらに向かい合った。

「まあ、人様が助かるなら、苦労もやむなしか。大丈夫か、兄ちゃん?」

「ああ、おかげさまで。寝てる間に色々やってもらったみたいだな。ありがとう」

「礼は別にええ。そっちこそ、ウチのラウラが世話になったらしいやないか。ほんとすまんな」

「いや、俺は大したことは……」

自分の不甲斐ない立ち回りを思い出し、反射的に謙遜する。だが、そんな俺の謙遜など知らないとばかりに青年は自己紹介を唐突に始めた。

「ワシはマグス。堅苦しい呼び方はいらんから、呼び捨てでいこ。そこの妖精がラウラ」

「よろしくー」

 そう言うとマグスは玄関を閉め、部屋を歩き始めた。ラウラもついて行く。

「兄ちゃんの名も聞いとこか? 人脈作りや、人脈。ラウラ、カップはどこにやった?」

「そこの本の上に一つあるけど。他は……」

 守り切れなかったことを責められるよりはましだと思い、俺も自己紹介をする。

「俺はリヒト。劇団で役者をやってる」

「ほう、リヒトやな。じゃあ、リヒト。掛けてた服こっちまで持ってきてくれるか? くっそ、カップどこや」

 言われた通りに木箱へ載せていた外套を持って、隣の部屋に入る。マグスの家は大きめの一部屋と物置だけのようだ。部屋のそこかしこに魔法研究で必要そうな材料、道具、書物、魔法陣等々が散乱している。こちらも物置と言っても差し支えはなさそうではある。

 本などを極力踏まないように、部屋の中央にいるマグスへ近づいて外套を渡す。

「お、ありがとさん。ワシは魔法使い兼勇者や。この傷が、勇者の証拠」

 マグスは左腕のヒビが入ったような傷を見せながら続ける。

「ここで魔法の研究しながら、ちょくちょく勇者として依頼もやってる感じやな。あ、この話し方気になるやろ? 親ゆずりなもんでな、あんま気にせんといてくれ」

「わたしはマグスの助手! カップないみたいだよー」

「ないわけあるかい。茶出すの諦めるか」

「そこまでしなくても大丈夫だよ。俺すぐ帰るから」

「いや、帰すわけにはいかへんのや。ちっと面倒な話を兵士から聞いたもんで、お前からも話聞こう思ってな」

 俺は話が気になり、扉に向けていた足を止めると、マグスの方を向く。

「面倒な話?」

「魔王軍。お前も名前くらい聞いたことあるやろ?」

「二十年前のはもちろん知ってる。最近のやつも話には聞いた。ラウラと子供達を追いかけてた奴からも、少しだけ。何か関係あるのか?」

 マグスは俺の言葉を聞くと、黙ったまま外套を羽織って椅子に座り、重そうに口を開いた。

「まず、魔王軍復活は本当の話らしい。ワシも新聞は読んどったが、捕まえた二人が尋問する前から、堂々と魔王軍の思想や決起した背景とやら語ってくれたおかげで現実味が出てきた。当の新聞は読んだか?」

「読んではいない」

 マグスが机の上の羊皮紙を差し出してきた。長方形一枚の羊皮紙に、規則正しく並んだ文字列の見出しが目に入った。

『魔王軍 復活』『二代目魔王出没』『北の三国陥落』『帝国兵前線へ』

 名は帝都新聞。日付は昨日、つまりは一日遅れの新聞。座長が読んでいた新聞と同じようだ。

「やっぱり、なのか」

「なにせ帝国の北にある国がまるまる三つ落ちる一大事や。兵士連中も今朝方知らされたらしゅうて、西門倒壊もあってピリピリしとったわ。『お前はこの非常時になんて騒ぎを起こしてくれるんだ!』やて。魔王軍と名乗る二人を突き出したら許してはくれたがな」

「オルミーは皇帝直轄の帝国領土では西の辺境だからな。情報が伝わるのが遅いのも無理はないんだよ」

「町のみんなは平和そうだよ?」

 カップを探すのを諦めたラウラが机の上に下り立って疑問を口にする。マグスは頭を掻いて呆れたような口調で答えた。

「当たり前やがな。兵士が今朝知ったのに、一般人にまで確実な情報いくはずないやろ。内容の薄い噂くらいや。ちゃんと分かってんのは、帝都新聞を常に受け取ってるような知識人か金持ち、あとは町長と偉い役人程度やろ」

 ついに世界を脅かす災厄が来たのだ。世界はどうなってしまうのかと、俺の心は不安で揺れる。そして同時に、その災厄へ直面している自分がどこか物語の登場人物にも思え、興奮を抱いていた。

「魔王軍本隊は気にすることあらへん。向こうは北の国で、こっちは帝国の西。帝国軍がちゃんと国民の血税で働いて止めてくれるやろ。問題なんは、ワシらが出会った方や。ラウラから聞いたが、あいつらに面と向かってたリヒト、お前から聞きたい」

 マグスは俺に問いかけてきた。不安や興奮など抱いている場合ではない。問題は近くまで迫っているのだ。

「あいつら、どうやら魔王軍の三国強襲を合図に立ち上がった集団の内の二人らしゅうてな。西門の爆破もそいつらの仕業らしい。まだ仲間がおるとは、厄介な話やで。そういう話してへんかったか?」

 記憶を思い返しながら、話してみる。

「そういえば、家が壊れていく音がしてる時、まだ他の仲間がいるような言い方をしていた。同胞とかなんとか」

「やっぱりかあ。仮に奴らのハッタリやとしても、二人にしては被害が多すぎる。仲間がいると見て間違いないか」

「あの二人、どうして魔王軍に合わせて立ち上がったんだ?」

「そりゃ簡単やろ。あいつらも、魔王軍の一員やからや。本人らもやたら叫んどったし」

 そこが不思議だった。魔王軍を名乗るのならば、何故北にいる本隊と合流しないのか。

「本隊は北なんだろ? 何でオルミーにいるんだ?」

「少し考えてみい。これは一種の革命や。軍とか戦争の定石は関係ない。国民の間から雑草のように生え出して、国を足元から揺らがすことこそが本命や。それやったらわざわざ一塊になって戦場におる必要はない。それぞれの街角で破壊活動をする方がよっぽど効果的や。二人の話によると、オルミー以外にも大きな町には魔王軍がおるらしいし、伝令の兵士も隣町の被害状況で騒ぎ立てとった。本当にふざけた戦い方やで」

 マグスが長く息を吐く。俺も合わせて一息吐く。

 座長の話を思い出す。奇襲を繰り返して疲弊させると言っていたが、そんな作戦が無防備な一般人にまで繰り出されたら、とんでもないことになる。幾度も、どこの町でも暴れていては、人々は誰も気を休めることが出来なくなる。日常はどこかへ行ってしまうだろう。思わず俺は、三年以上帰っていない故郷の村を心配してしまう。

 マグスの言葉が事実だとするなら、現在北の三国を奪っている魔王軍本隊だけでなく、世界中に魔王軍の手先が蔓延っているということになってしまう。そしてこのオルミーに至っては、西門を壊し、ラウラを追いかけ回していた以上、すでに動き始めているのだろう。

 目の前に迫っている、いや現に迫っていたのだ。俺はそれに幸か不幸か出くわしてしまった。話を聞かされた今でも、まだ当事者ではないという意識が残っている。平和ボケしていたのか、余りにも危機的な現実から逃がれたいのか、現実を受け止め切れないでいるのか、判然としない。

「まあ、ワシの実験の失敗のおかげで、奴らの作戦を邪魔してやった訳やけどな」

「だからって、家壊したり、人に怪我させちゃダメだよ」

「怪我はしっかり治したがな! 痛みはちいと残るけど! 家だって魔法で元通りや! 材木飛び散って、一回り小さくなったけどな!」

 少しの沈黙が流れ、マグスがわざとらしい咳払いとともに仕切り直す。

「ともかくや! そないな危なっかしい奴らがおると分かった以上、勇者としては放っとけん。はよ何とかせなな」

「勇者の助手としても、放っておけないよ!」

 勇者として。その言葉が俺の心の隅を揺さぶる。奮起している二人の姿を羨ましく思う自分がいた。また、勇者を目指したい。まだ、勇者になるという夢は捨てられない。魔王軍の男達と向かい合っていた時のように、勇者らしくなりたい。俺の心の隅にあった勇者への憧れが、燃え始めていた。

マグスとラウラはやる気十分という様子で話す。

「人のためなんて柄やないけど、ようやっとワシの勇者としての出番が来た訳や。腕が鳴るでえ」

「まずはー、斡旋所とかに伝えに行く?」

「せやな。まずは情報広めて、武器使える奴に警戒してもらうのが先決やろ」

 マグスは立ち上がると、俺の方を見てくる。

「ちゅうわけでリヒト。お前さんには世話んなった。困ったことがあったら来てくれや? 相談乗ったるさかい」

「お茶出せなくてゴメンねー。そうだ! 途中まで一緒に行こうよ。危ないこともわかっちゃったし。話もしたいし」

「それええなあ。リヒトもそれでええか?」

「ありがとう。じゃあ一緒に行くよ」

 二人の掛け合いは、なんとも頼もしいものだった。力があれば、勇者というやるべき役割があれば、俺も会話に加わることが出来たのに。密かに俺は歯噛みした。

魔王軍から勇者へと思考を移した俺は、扉を開けて外に出ようとするマグスに質問を投げる。

「なあ、マグスはどうやって勇者になったんだ?」

「なんや突然。ワシの話聞いてもつまらんで? まあ聞きたいちゅうなら、話すのはやぶさかでもないな」

 気さくに答えるマグスは外套の左腕を捲った。腕輪は勇者の立場を示すために帝国が配布しているものだが、二の腕の奇怪な模様の傷も勇者の証拠だと先ほどマグスは言った。

「ワシの出身の村やと、何十年かに一度こういう傷持った奴が生まれて、どいつもこいつも優秀な魔法使いに成長して、災厄鎮めて勇者になるんやと。やからこの類いの傷は『勇者の傷』って呼ばれるようになって、傷持ってる奴はみんな伝統的に勇者っちゅうことになった。ワシはその二十二人目の勇者に、生まれた途端なった」

「つまり、生まれついての勇者か」

 『勇者の傷』といえば、勇者の物語ではそこそこ有名だ。確か今までの勇者二十一人はもれなく偉業を成し遂げているとどこかの本で読んだ。

 マグスは腕捲りを戻し、扉から続く外階段を降りながら答える。

「そういうことや。笑うてまうやろ? 何もしてへんのに勇者様とはね、へっ」

「でも実はね、マグスはすごいことしたんだよ!」

 ラウラは階段を先に降りて、こっちを振り返りながら言った。純粋に気になるので俺は問うてみた。

「すごいこととは?」

「マグスはねー、わたしの命の恩人なんだよ」

「へえ、命の恩人。詳しく聞かせてくれよ」

「昔旅しとった時、こいつが魂だけの状態で記憶喪失のまま迷子になってたとこを助けただけの話や」

「……それって、かなり危なかったんじゃないか?」

「まあな。妖精の本体は魂だけで、体は作り物っちゅう話を聞いたことがあったんで、とりあえず宿に連れてって、魂に飯食わせてから、体を作ってやった」

「魂に飯って……。体もそんなに簡単に作れるものなのか?」

「その時は粗末なぬいぐるみ程度のもんや。今のこいつの体は本職の人形師に頼んだ特注品」

「かわいいでしょー」

 そう言って飛びながら、空中でくるりと回る。長い服の裾がフワッと広がる。ラウラはお人形さんみたいではなく、人形そのものであったのだ。

「記憶無い状態で放り出すわけにもいかへんから、ずっとワシが面倒見とる。妖精だけあって魔法が得意なんで、助手にしたんや」

「そゆことー」

 最近の勇者が名前だけ先行しがちであることを考えると、マグスは優秀な勇者だと、俺は思った。魔法の実力は聞いての通りだし、ラウラも仲間にいて、研究熱心なところや勇者の役目から逃げないところも評価が高い。家を壊した云々を除いて、ではあるが。

 俺は本物の勇者とあまり話したことはない。勇者を目指していた頃は、周りが勇者を名乗る人間ばかりで競争が激しく、俺のような勇者の証拠すら持たない勇者未満の人間と口を聞く余裕がある奴はほぼいなかった。いるとしても、大抵は俺をからかうために話しているだけ。だから俺の勇者に関する知識は全部本や伝承や噂話で知ったものだ。これを機に、他の勇者と話をするのもいいのではないだろうかと思う。

 俺が勇者の役者である話やマグスの過激な魔法研究、ラウラのドジな笑い話をしたところで、最寄りの斡旋所、詰まるところの仕事や依頼を人々から集めて、勇者や傭兵などの自由が利く職種の者へ仕事を斡旋する業者がいる建物に着いた。三年前はよく通ったものだ。

「ほなら、ここで別れよか」

「それじゃあ、元気でねー」

「そっちも気をつけて!」

 マグスは手を挙げ、ラウラは手を振って見送ってくれる。俺も手を振って返す。互いに手を下ろしたところで、俺は心を決めた。再び勇者を目指すと。

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