第二話 勇者のいない世の中

 鬱憤を晴らすように模造剣の素振りを繰り返してようやく落ち着いた俺は、休憩がてら町へ出る。西門の事件は相当人を引きつけていることがよく分かる。集まって話している人、西に向かう人が多く見受けられる。この様子だと、北の国の争いとやらの噂はすぐに流れていくことだろう。

 西門から離れるように東へ向かう俺にとって、西へ走っていく人々の波は厄介だ。それを避けるように、俺は脇道へ入る。細い通りで、あまり人もいない。ここなら考え事をしながら歩けると思い奥に進んでいると、焦ったような子供の声が響いた。

「たすけてください! 誰かあ!」

 通りの奥を見ると、背の低い少年が走ってきている。彼が声の主だろう。その子の後ろに二人、細身の少女と丸っこい少年が追いつき、後ろを振り返っている。怯えているように見えなくもない。丸っこい少年は何やら服の中に抱きかかえている。細い通りを見渡し、背の低い少年は近くにいる武装した青年にすがり始める。

「あ、勇者さん! 僕たちを助けて! お願い、早く!」

「んあ? そんな暇ない、他を当たれ」

 青年はすげなく断る。少年はすぐさま諦めると、別の武装した青年に懇願する。

「お兄さん戦える人ですよね? お願いしますっ! 変な奴らに追われてて、それで」

「おっとゴメンよ、急用あるんだわ」

少年がにべもなく断られている間に、少女ともう一人の少年も周りの人に頼み込んでいた。

「あの、お願いします! 私達を守ってください!」

「後ろから追って来てるんだ! 僕たちと、あと妖精さんが危なくて、助けてよお!」

 細い通りを駆ける三人の願いに応えてくれる者は現れない。そしてついに、背の低い少年が俺のところまで来た。慌てて前のめりになるあまり、俺の服を掴んで立ち止まり、少年の手汗がじっとりと服を濡らした。

「ああ! 勇者の劇の人だ、良かったあ! あの魔法剣とかで、後ろから追ってきてる奴らを追っ払ってよ!」

 その真剣な期待の眼差しは、勇者役者に対するものではないのは確かだった。声や手の震えは演技とは思えない。藁にもすがる思いで俺に声をかけているのだと分かってしまった。

「ま、待て待て。俺は役者で魔法剣とかは……」

少年の思いが分かっていてもなお、俺は反射的に自分が勇者ではないことを説明し始めていた。

「あああっ、来たっ!」

 丸っこい少年が真っ先に何かに気づいて、俺の背後の路地に転がり込むように隠れる。二人もその声に反応して、同じ路地へと隠れる。その様子を見て、俺は勇気を出して正面を向く。通りを向こうから男が走ってきていた。相手は一人のようだ。

 男は大人で、俺の三回りは大きい。体格はいいが、兵士や戦士のような鍛えられた体ではないのは、服装の上から分かった。手には農家が使っているような大きいフォークが握られている。彼が、あの子供達に危害を加えようとしているのか? そういえば、妖精さんとやらも一緒に狙われているらしいが、どういう事情なんだ? その疑問をぶつける心構えをしながら、とにかくまずは平静を装って立ちふさがる。

 男は俺の前で止まった。やけに血走った目をこちらに向け、口を開く。

「そこ、どいてくれないか?」

 向こうも至って平静な様子で話しかけてきた。そこがなおさら俺の不安を呼ぶ。落ち着け俺。人が良さそうな青年を演じてみろ。そう自分を鼓舞して、言葉を紡ぐ。

「まあ、待ってくれ。話を少し聞いたけど、あの子達があんたに何したんだ? 悪戯くらいなら、許してあげてもいいんじゃないか? 大人の寛容さってやつでさ」

 軽薄そうな物言いで男の気を削いでみるが、男は相変わらず変に落ち着いた声で喋ってきた。

「子供を庇うのなら、止めておけ。お前のような一般人は関わらない方が身のためだぞ」

 男の誘いは魅力的だ。正直言って、こんな厄介そうな状況で、逃げ出したい気持ちを抑えてここに踏みとどまっているだけでもかなりの勇気と度胸がいる。周りを見るが、人通りが減って助けが呼べそうもない。先ほど子供達が呼び止めた人々は、俺が子供達を助けるということで勝手に納得してどこかに行ってしまったようだ。

確かに逃げたいのは山々だが、何故か俺の心の隅っこが、逃げるのを嫌がっていた。そして、背後の路地から感じる息を潜めた子供達の微かな気配が、俺の心の隅っこを後押ししていた。

「ずいぶんと、子供達が大事そうな言い回しだなあ。悪戯でもなければ、子供を追いかける変人って訳でもなさそうだし、どうしてそこまで必死なんだ? まさか、皇帝の妾の子があの中に紛れ込んでるなんて言わないだろうな? よくある物語じゃあるまいし」

 語尾が震えそうになるのを、どうにか抑えて言い切る。すると、男は「皇帝」という言葉のあたりで反応して体を小さく震わせ、こちらに向かって一歩踏み出してきた。

「……俺の前に立ちふさがるということは、帝国に与し、魔王軍に仇なすと考えていいんだな?」

そうゆっくりと吐いた男の言葉は、まるで演劇の台詞のように聞こえた。それほどに、俺には非現実的に聞こえた。俺は思わず軽薄な口調を捨て去り、呆然と問いかけた。

「今、魔王軍って、言ったよな? なんでその名前が何故出、うごっ!」

 問いかけが言い終わらない内に男が詰め寄り、俺の服の胸ぐらを掴んできた。手近な家の壁へ強引に押し当てられる。背に固い壁がぶつかり、揺さぶられた頭もぶつかる。

「知りたいか? そうだろうなあ? お前らは何も知らないんだもんなあ! 無知なお前達は二十年の間ずっとずっとのんきに暮らしてきたからなぁあ! その報いだよ、報い」

 俺は二十年も生きてはいない。俺だけではなく、まるで多くの人に向けて話しているような口ぶりだった。

「話してやるものかよ。お前達は自分がやってきた罪を知らないまま、身に覚えのない断罪に襲われ、恐怖に呑まれる。今まで世界中で苦しんできた人間と同じ目に遭えばいい。そうやって苦しむべきなんだよ、お前らはあ!」

話している内に興奮してきた男は、俺を壁と地面の隅へと勢いよく叩きつける。深く息を吐いて落ち着いた男はまた淡々と呟く。

「妖精は頂く」

 すぐそこの路地を見やり、不敵な笑みを見せる男。

座長から聞いた魔王軍復活の話とこの男の発言に関係があるかは分からないが、危険な奴だということだけは即座に理解出来た。危なそうだと分かった以上、武器になるフォークを持つ男を俺にも子供達にも近づけるわけにはいかない。

俺はとにかく身を起こそうとしたが、背後の壁にフォークが勢いよく突き立てられ、鈍い金属音が鳴った。体を硬直させた俺に、男は言葉を投げかけてきた。

「これ以上邪魔するなら、こいつで串刺しにしてやる。分かったならじっとしていろ……」

 俺はフォークの刃先を見て冷や汗をかきながらも、時間稼ぎという策を辛うじて思いついた。妖精ならば羽くらいあるはずだ。子供達だって隙さえあれば逃げ出せるはず。武器や力のない俺に出来るのは、時間稼ぎだろう。とにかく稼ぐんだ!

「このフォークで、あの子達に何をするつもりだ?」

「脅すだけだ。俺は妖精が手に入ればそれでいい」

「妖精だって物じゃないんだ。危害を加えるべきじゃない。何に利用するつもりなんだ?」

「お前に話してやることはない。無関係の人間にどうこう口を出されたくはないな」

「関係ないだって? 確かに俺はただの通りすがりだが、あの子達に助けを求められた。それで充分だろ、関係なんて」

「俺には関係ないんだよ!」

 口答えが腹に据えかねたのか、男は膝蹴りを見舞ってくる。しゃがんでいた俺は全身でその衝撃を受け、再び背が壁にぶつかる。痛みが背中にジンジンと集まってくる。

「お前らだって今まで散々無関係な顔をして、今まで人の苦しみも見て見ぬふりだったくせに、今更庇いに出てくるんじゃねえよ、赤の他人がっ」

 溜まる鬱憤を晴らすように、今度はつま先で腹を蹴り上げられる。男の汚れた靴が腹を一瞬圧迫し、戻る。今度は靴の裏が腹へ飛び込んでくる。何度も、何度も鋭く蹴り込まれる。口から空気が押し出されて、苦悶の声しか出ない。

「あぐ、が、はっ、はうっ」

「分かったろうが。お前なんかが関わるべきじゃないってことが!」

 何とか頭を上げるが、締めくくるように拳が放たれ、頬に当たり、伴うように身体も揺れ、壁と地面の隅へ追いやられる。

頭が少しくらくらする。左頬の内側は歯で切れ、外側は腫れているのを感じる。染みるような痛みと砂利の味と臭いが、俺の無力さを際立たせる。だが、今だけは無関係を決め込んではいけないことは、嫌なくらいに分かりきっている。関係の無い俺にこれだけ暴力を振るう奴を、子供達の前に立たせちゃいけない。人を見捨てられないという執念だけで、腕を動かし、上半身を起こそうとする。

「ちっ」

 舌打ちだけして、男が後ずさる。その直後、砂利を踏みしめる音が聞こえて、起き上がりかけた背中に鈍い衝撃と痛みが走った。思わず地面に倒れ伏すと、フォークの柄で俺の背中を突く男が視界の隅に見えた。

 言葉じゃ止められない。力ほど雄弁なものは無いと言わんばかりの横暴だ。人を守ることも忘れ、痛みを紛らわせるように泣き、許しを乞いたくなる。しかし心はまだ、自分の恐怖と子供達に降りかかるであろう未知の恐怖との間でぐらぐらと揺れ続けている。迷っている内は、まだ逃げる訳にはいかない。何とか身じろぎする。

懲りぬ俺に男が追撃をもたらそうかというところへ、突如勇ましき言葉が投げかけられた。

「それ以上、その人に手を出さないで!」

 その声は高く、幼い少女の声だった。しかし、声に込められた決意は確かに届いた。それほどに堂々とした声だった。路地から羽を動かし、光る鱗粉を散らして飛び出てきたのは、妖精だ。手のひらほどの背丈で、薄い透き通った二対の羽を持ち、飾り気の無い服を着ている。その容貌は人形のように整った可愛さと綺麗さを併せ持ち、今の俺には女神のようにも見えた。

 彼女は続ける。

「わたしが目当てなら、その人も、この子達も関係無いよ! だから暴力は止めてって!」

 男の気がそれたので何とかして体を起こしながら路地を見ると、子供達が心配そうに顔を出していた。俺の稼いだ時間は、妖精が皆を庇うために飛び出す勇気を振り絞るために使われたようだ。情けないことだ。庇っていたのは俺の方じゃなかったのか。

「自分から出てくるとは利口な妖精だ。妖精はどいつもこいつも頭がお花畑なのかと思っていたが、そうでもないみたいだな」

 男はしめしめとばかりに妖精へと近づく。男の手が妖精に届きかけたその時、妖精は言葉を発した。

「草花に力を! お願い、萌えて!」

 その言葉と同時に、男の足元がぼんやり光ったかと思うと、草が生え始めた。

「なっ! この妖精め、魔法を!」

 男が驚く間にも背の高い草や蔦がどんどん生い茂り、ついに男を覆い始めた。

小癪こしゃくなあ!」

 男はフォークを振り回し、草の覆いを引き千切ろうとするが、次から次へと生命力逞しく伸びる草に手も足も出ないようだ。男のわめき声は段々草に阻まれて、聞こえなくなっていく。

「ごめん、お兄さん! この子達を、お願い!」

 妖精が俺に向かって言う。妖精の勇気に奮い立たされた俺は迷わず路地に入り、子供達を確認する。三人いる。路地は行き止まりで、家が塞いでしまっている。だから逃げられなかったわけだ。

「よし、早く逃げるぞ、みんな!」

 子供達に路地を出て通りを逃げるように促すが、妖精の心配をして中々逃げようとしない。

俺は妖精に質問を投げる。

「君はどうするんだ?」

「わたしはこの人と、もう一人の相手を、キャッ」

 そう答える途中で、妖精は何か大きな物をぶつけられ、地面へと叩き落とされた。ガシャンと音を立てて妖精の側に落ちたのは、鉄製の鳥かごだった。鳥かごが飛んできたのは、子供達や男が来たのとは反対の方向。そこには、鉄製の棍棒であるメイスを手にした中背の男が立っていた。

「当てたぞ! おい、いつまで草にくるまっているつもりだ!」

 メイスの男がどなると、生長が途絶えた草の茂みを引き千切ってフォークの男が再び出てくる。

「遅いぞ! 変な奴と妖精に手間を取らされた」

「お前がいらん無駄口を叩いているからだ。だが、妖精の注意を引いたのはよくやった」

 路地の入り口を挟んで左からフォーク男、右からメイス男が路地を目指してじりじりと近づいてくる。子供達は妖精を抱えると路地の奥へ逃げ込む。男達を怖がりながら何度も振り返っては、妖精を気遣うように声をかけ続けている。

「妖精さん! しっかり!」

「ラウラ! 死んじゃやだ!」

「早く起きないとあいつらが!」

 俺は、握り締める力すら湧かない臆病な拳を振るわせながら考える。

くそくそちくしょう! 何を言えばいい! どうすればいい! あいつらをどうすれば止められる! 既に路地の入り口に立たれて万事休すだ。物語の勇者なら、堂々と何か言い放って、剣構えるだけでどうにかなるのに。魔法を使おうとするだけでどうにかなるっていうのに。俺程度の人間じゃ止めることすら出来ないのか!? いや待てよ、魔法? そうか魔法がある! 俺にだって!

頭の中で轟々と燃え盛る炎を思い浮かべながら、息を深く吸い込み、魔法の呪文を唱える。

「世界に満ちたる神の息吹よ」

 俺の周りの空気が動き始め、体を取り巻くようにそよ風が吹いているのを感じる。

「我が両手に集いて、万物を焼き尽くす業火へと変われ……!」

 身構える男達に風が集まる両腕を向け、力を込めると、目に見えぬ風は火の玉という形を持って手のひらに現れる。手のひらと同じ大きさで思ったよりも小さいものだが、贅沢は言えない。

「うおおおおおお!」

 渾身の叫びとともに火の玉を押し出すと、二つの火の玉は標的の二人へ向かって飛んだ。

「ぬあっ!」「うおっ!」

 二人は辛うじて建物の陰に入り、火の玉を避ける。

「てめえも魔法を使うのか。邪魔くさいぜ」

 男の声が角から聞こえる。素早く息を吸い、次の魔法の呪文を唱える。

「世界に満ちる息吹よ、土壁へと姿を変えて、彼の者の侵入を防いでくれ!」

 両側の建物の壁へ向かって右手を振ると、一陣の風とともに壁から、さらなる土くれの壁がせり上がってくる。

「げえ、閉められるぞ」「だが袋の鼠には変わらんよ」

 両側から作り上げた土壁が中央で交わって一つになり、路地を塞ぐ。やはり時間稼ぎだ。この争いを見つけた誰かが兵士か勇者を呼ぶのを待つしかない。それまで耐えるんだ。

後ろではぐったりした妖精とべそをかく子供達の声が聞こえる。

「う……うあ、ごめん、みんな」

「ラウラは、ラウラは悪くないよ」

「もっど、もっとぼくの足が速かったら、えぐ、みんなの足手まといにならながっだのに」

「大丈夫だって……だいじょうぶ、だって、だっておれが、ついてる……」

 土壁の向こうでは、男達の声が聞こえる。

「くっそ、土が滑って登れねえ」「だったら壊すだけだ」

 ガツガツと土壁が削られる音が路地に響く。俺の魔法の力では、壁を維持することすら出来ないようだ。メイスが壁を突き破って顔を出す。フォークの先端も通り抜けてきた。

「頼む! 頼む、保ってくれ!」

 土壁を押し、支えるように念じる。壁の向こうで金属が弾かれる音がする。

「おい急に固くなったぞ」「力押しだ、続けろ」

 さらに力の込められた打撃が土壁を襲う。壁の表面がえぐれていくのをひしひしと感じる。穴の空いた箇所から土がぼろぼろと落ちていく。そして、壁に大きなひびが入った。俺がどれだけ壊れるなと念じようと、ひびは留まることなく数を増やし、壁全体を覆う。壁は力を失ったように中央から崩れ去り、地面に小さな土の山を作った。

 俺は立ち尽くすしかなかった。しばらくぶりに魔法を使う俺は、錆びた刃物も同然。使える魔法の強さも数もなにもかも劣化してしまっていた。呼吸が整わない。どれほど念じても風が起こらない。もはや魔法すら使えなくなったようだ。

 フォーク男は額の汗をぬぐうと、土の山に足をかけて、ようやくといった様子で言った。

「観念しな。妖精を渡せ」

 渡すことなど出来ない。こうなれば、俺が身を挺して、武器を持つあいつらを止めるしかない。確かに怖い。怪我や死は怖いが、それ以上に怖いことがある。

「……通しはしない」

 ここで逃げれば、俺は本当にもう二度と勇者になれなくなるかもしれない。助けを求める人を見捨てた恥ずべき人間となってしまう。その恐怖が俺に意地を張らせていた。それほどに、俺はいつの間にか勇者へ固執していた。危機に瀕する人を救うことに固執していた。

 恐怖に駆られる俺を追い詰めるかのように、遠くで轟音が聞こえた。建物がまるごと一気に崩壊するような音だった。

「おおう? 聞こえるか、我が同胞の破壊の音が。貴様ら愚民の目を覚まさせる音が!」

 メイス男は訳の分からないことを言いながら笑みを浮かべ、メイスを振りかぶる。開き直ることに決めた俺は、自分を捨てるように飛び込んだ。俺に向かって振られるメイスをすんでのところで回避し、左手でその柄を押さえながら、右の拳を素早く一回、メイス男の顔へ叩き込む。互いの皮膚が擦り切れるのを感じながら、もう一度強く、男の骨の硬さを感じるほどに強く殴った。

「ぐぅ!」

 メイス男はのけぞり後退るが、割り込むようにフォーク男がこちらの左半身を突いてきた。懸命に体をよじるも、左肩に先端が鈍く突き刺さる。

「っづう……!」

 突然の痛みと衝撃で思わず身体が跳ね上がり、後退してしまう。フォークが抜けた後も、痛みが肩から身体中へ流れ続けてきて、思わず屈み込む。

 轟音は度々連鎖するように響いては、次第に近づいてきていた。どれほどの建物が破壊されているのだろうか。今の無力な俺には、あの破壊は止められない。それでも、こいつらを全力で止めることくらいなら、やれる。やらなきゃならない! 見捨てることなんて出来ない!

「魔王軍のためには犠牲もやむを得ん。お前の死は尊いものになるはずだ。潔く、逝け」

 フォーク男は俺を殺す覚悟をしたようだ。血の付いたフォークを振り向け、こちらに来る。俺は男達の片方だけでも倒して血路を開くべく、左肩の痛みを無視し、フォーク男に飛びかかる準備をする。

 フォークの分だけ二人に距離が出来ている。俺は男ではなくフォークに向かって斜め左前に飛んだ。近づかれることを嫌がったのか、腰を入れずに小さく突かれた刃先は当たらず、逆に刃の付け根を右手で掴むことに成功する。そのまま両手で柄を持ち、男に近づいていく。男はフォークで自分を守るように引き寄せ、俺は男とフォークを挟んで相対する。

「くそっ、まだ抵抗するか! 小僧!」

 歯を食い縛ってフォークを奪おうとするが、今までの痛みで上手く力が入らない。ついに左手から柄が離れ、男が柄を強く奪い返すとともにフォークの刃の裏が自然と押し出され、俺の右腕をしたたかに打つ。皮膚と服とフォークの間で空気が潰れ、鈍い音を立てて、俺は路地の隅へ倒れ込む。

 押し合いの力がそのまま打撃となって襲ってきたため、痛みで腕が痺れる。長袖の下では赤く腫れあがっているはずだ。フォーク男の後ろにメイス男も見え、ここまでかと諦めかけながらも、脚に力を入れる。

 その瞬間轟音が鳴り響き、路地を震わせた。新たな身の危険を感じてそちらを向くと、路地を塞いでいた家を半壊させながら、大量の瓦礫を纏った小さな竜巻が現れた。けたたましい音を立てながら家を突き破り、路地でしゃがんでいる子供達の上空を抜け、こちらへ来る。俺は全身を投げ出し、迷わず地面へ這いつくばる。もはや土の味は慣れっこだった。

 竜巻は巻き上げる風で俺の体を少し浮かせ、風に乗せた石材で俺を打ちすえながら、過ぎ去る。立っていた男二人を巻き込んだ竜巻は、そのまま路地の対面にある家へ勢いよく突っ込んでいった。家の崩れる轟音と震動と砂煙、治まった竜巻の風が辺りへと広がった。俺は這いつくばりながら、それをただ見ていた。

子供達の声も止んでおり、沈黙が生まれた。しかし、その沈黙はすぐに終わる。

「だああああ、くっそ! やっと止まったで。何軒壊したんや?」

 路地奥の崩れた家の中から、妙な口調の青年が出てきた。薄汚れた灰色の外套を着ている。

「ひいふうみいよういつむうななやこのとお、十軒かい! はああ、また修理と治療せなあかんのかあ!」

赤い髪を掻きむしる青年はふと立ち止まる。そして少し辺りを見渡した後、叫んだ。

「なんや、この状況! え、男二人が前の家に突っ込んどって、あんちゃんが一人寝そべって、ガキが三人おって、妖精が一人……」

妖精に目を留めた青年はさらに叫ぶ。

「ってラウラやないかい! なに魔法の研究放りくさして、ガキと遊んどんねん!」

 子供達と妖精は一目散にマグスという青年に飛びかかって抱きつくと、感謝の言葉を口にしながら泣きじゃくり始める。

「なんや、なんやねん! ワシゃ泣かせてへんぞ! こいつら勝手に泣きよってからに。泣き止まんかい!」

 その光景を見て緊張の糸が解けた俺は、安堵とともに体の力を抜いた。

「ちょ、兄ちゃん!? この状況でワシを置いて寝るんやないやろな!? 待てい、今起こす! やからお前ら、手離さんかい! 汗と涙と鼻水でべちゃべちゃやがな! 砂まで混ぜんでえい!」

 彼の特徴的なしゃべり方が耳の中をぐるぐるまわっていき、俺の意識は途切れた。

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