第一章 勇者役者

第一話 勇者のいる世界

 勇者がいた。

 大昔から幾度となく襲いくる災厄から、世界を救ってきた者達のことだ。人々はその災厄に立ち向かう勇気と災厄を終わらせる強さを持つ彼らを「勇者」と呼び、讃え、後世に伝えてきた。二十年ほど前の魔王軍崩壊を最後に災厄は途絶え、人類史上類を見ないほど世界は平和となり、勇者の名声は形だけのものが大半となっていった。

 それでも、昔の勇者達の冒険譚に武勇伝、伝説や叙事詩は今なお根強い人気を誇り、平和な世の中になったことで、それらを娯楽として享受する者も増えている。

 かくいう俺、リヒトも勇者の物語の劇に参加し、演じることで娯楽として物語を伝承する人間の一人だ。そのおこぼれで劇団の公演料などから給料を貰って生活する役者でもある。そろそろ劇団加入から三年経つが、先ほどのような急場に何とか対応出来るようになった新参者だ。

 例えば、この劇団を率いる座長さん。劇場を兼ねるこの広い酒場の壁際で景気よく飲んでいる彼は、この道五十年の役者だそうだ。子供の時から劇に出ていると話に聞いている。役者としても、人間としても尊敬出来る大先輩だ。

「おーい、話聞いてる? リヒト」

「あ、すまない。考え事してて」

 この町、オルミーで最も大きい劇団の主役すなわち勇者を演じていれば、当然老若男女問わず演劇が好きな人は寄ってくる。劇が終わるとともに席へ着いた俺を中心に、わんやわんやと賑やかになるのは見慣れた光景だ。そして今は、夜も更けて興奮がようやく落ち着き、客が少し減ったところであった。

 俺が席に着いたテーブルを囲んで十人ほどが酒とともに言葉を交わしている。

「この不景気な世の中で、勇者の劇ほど面白いもんは無いよなあ、おい」

「あれだ、あれ。劇と勇者に励ましてもらってんだよな。俺達」

「勇者の名言に、どれだけ元気を貰ったかしら……」

「子供向けの単純な内容が、大人の心に刺さることもあるってもんさ」

「今回の劇は勇者が死ぬ結末だが、ああいう悲壮感のある終わりも悪くないな」

「特にリヒト! あなたの演技最高じゃない! もう新人卒業ね! 私も昔から応援してた甲斐があったってものよ。おばさん嬉しくて嬉しくて涙が出たわ!」

「勇者の演技は相変わらず堂に入ったもんだ。本物みたいな気迫でよ」

「あれか? なにかコツでもあるんだろ?」

 話の流れがこっちに回ってくる。気分が良いので本音を話してみよう。

「いや実はね、劇団に入る前は勇者を目指していたことがあってさ」

「おいおい初耳だぞ」

「劇団に入る前ってことは、十五くらいの時か」

「そう、十五の時。田舎の村で育った俺は、勇者の物語を聞いて育ってね。物心ついた頃にはもう棒きれを振ってたよ。親から剣と魔法を教えてもらって、十五の誕生日に村を出た」

「十五かあ。俺は女の子をよく追いかけまわしてたな」

「お前を引き合いに出すんじゃねえ。まったく、俺の息子もその歳に勉強していたらもっと……」

 他の人の十五歳も色々あるようだ。俺は少し笑いながら話す。

「まあ、十五歳はそういうやんちゃな時期なんだろうな。俺も結局勢いだけで、勇者にはなれなかったし」

「世の中が平和になって、勇者の出る幕は無くなったからな」

「でもって競争が激しいんでしょ? 正統な勇者じゃないと、まともに依頼も受けられないで貧乏暮らしだって聞いたー」

 オルミーに来た当時を思い出すが、その日生きるだけで精一杯だったものだ。寝泊まりはもちろん馬小屋。その馬小屋で馬の鳴き真似の練習をしていた座長さんに、俺は助けられたのだ。その話を笑い話として交えつつ、俺は思いを話した。

「勇者が好きで、一時は目指していた。でもその道は諦めたからこそ、舞台の上では堂々と悔いのないように憧れの勇者になってやろうって、そう思ってる。コツなんてそれだけさ」

「頑張った、お前は頑張ったよ!」

「夢を目指して破れても、勇者になっちまうとは見上げた男だぜ! 今日は俺がおごってやる! さあ、食え食え!」

「じゃあ遠慮なく! すいません!」

「はーい!」

 給仕の女性が来たところで、値段高めの肉料理を頼んだ。給仕が下がると、またテーブルを越えて、話に花が咲く。本物の勇者でなくとも、こんなに楽しい人達や劇団の仲間と日々が過ごせているのだ。今の生活に不満なんかあるものか。そう改めて思いながら、俺は話に加わるのだった。


「ぷはあ」

 顔に冷たい井戸水をかけると、春のまだ肌寒い空気も助けて、ようやく意識がはっきりしてきた。空に日が昇り、すでに町の人々の生活の音が流れ始めていた。

 家に帰ってきた時のことを思い出してみる。普段控えている肉料理を久々にたくさん食べ、演劇の話をし、満ち足りた気分で店を出て家路についた昨夜のことをうっすらと覚えている。楽しすぎてあまり記憶が残っていないようだ。

「今日の予定は……なかったか」

 俺はそう呟いて、胸をなで下ろす。いつもは劇の個人練習や集団での打ち合わせなどと、やることは色々あるが、昨日の劇で公演は一段落し、今日から数日間は休みとなっている。この休みに好きなことをするなり、演技を磨くなり、何をしようと自由だ。

「劇団の方に行って、稽古でもするか。久しぶりに剣の素振り、とか、な」

 朝の運動がてら目に見えない剣を振る動作をする。縦、横、突き、突き。体の調子は悪くなさそうだ。

「でも昨日は食べたからなあ。朝食は軽くてもいいだろう」

 共同の井戸から離れると、俺はこぢんまりとした木造小屋の我が家へ入り、スープと堅いパンを腹に入れると、午前の町に出た。


 役者はあらゆる人を演じるために、あらゆる人を観察する。絵描きが物を細かく見て描くように、役者は人の動きや表情を見て真似るのだ。あの人の腕はこんな感じで動かしているのだろうか、そこの人の足はどうやったらあの形で組めるのだろうか、と。

 そのように人を見ながら歩いていると、立ち話をしている人達を見かけるのが多いことに気づく。通り過ぎながら聞くと、遠くの都市で争いがあったそうだ。いつの話かと誰かが尋ねると、三日くらい前に聞いた話だと誰かが答える。物騒ねと誰かが言うと、俺達には関係無いよと誰かが言う。それよりも最近仕事がねと誰かが愚痴をこぼすと、ウチも厳しいよと誰かが愚痴を繋げる。

 争いとは、あまり聞かない言葉だ。客を取り合う店の競争やちょっとした喧嘩ならまだしも、人と人が血を流すような争いは、今はもうない。賊が出たところで、勇者や兵士が出ればすぐに鎮圧される。争いの芽など生えはしない。その遠くの争いも、とっくに終わっていることだろう。平和は続いていく。きっと、勇者などになりたかった俺は生まれる時代を間違えたのだ。戦いのない世の中ほど、勇者が必要ない世もあるまい。だから俺は、勇者役者の道を歩んでいるのだ。

 どこか自分に言い聞かせるように自分の思考を止め、劇場へ向かう足を速めた。こういう内向きの考えになった時は、練習に没頭するのが一番なのだ。


 昨日劇を行った大きな劇場酒場の陰に隠れるように、事務所と稽古場が隅へ併設されている。稽古場は倉庫も兼ねているためにこちらも多少は大きく、事務所はそれにおまけのごとくくっついている。

 まずは朝の挨拶と、事務所に入った俺は声を張る。

「おはようございます!」

 今日も元気に決まった挨拶は小さな事務所に響いた。しかし、返ってきた挨拶は一つだけだった。

「おはよう。今日は休みだぞ。寝ぼけてるなら帰って寝ろよー」

 事務所にいたのは、座長だけだった。新聞を読んでいる。

「休みだからこそですよ、座長! 剣技とかは毎日練習しないと鈍っちゃいますからね」

「他の奴は誰も来てないのに、熱心なことだ。若いってのはいいね」

「稽古場にもいないんですか?」

「おらんよ。どいつもこいつも酒や肉を食って寝てるんだろうさ」

「座長は早いですよね。毎日ってくらい来てるし」

「この歳になると早くなるもんだ。これが、日課だしな」

 一枚の羊皮紙新聞を掲げて言う座長。彼曰く、役者は世の中の流れを知る必要があるらしく、帝都でしか印刷されない帝都新聞をわざわざ取り寄せている。早くても一日ほど届くのは遅れるが、この町の中では帝国の情報をいち早く掴める。

「そうだ、座長は見聞きしました? 遠くの都市で争いが起こったって話を聞いたんですが」

「……新聞に載っていたな。それがどうした」

「いや、少し気になって。その続報とかはなかったんですか?」

「乗っ取られたそうだ」

「へ?」

「その都市は帝国領の北の端にある国の首都だ。守りの隙を突かれて制圧されたんだと。『我々は新魔王軍。帝国の支配を打ち砕くために、舞い戻ってきた』という宣言が、捕虜にされた兵士の伝令で伝えられたらしい」

 唐突な事実を告げられたが、どうにも現実感が湧かない。劇の台本の話と言われた方が納得出来る。

「魔王軍って、昨日まで俺達が演じてきた勇者劇の、あの魔王軍なんですか?」

「二十年前と全く同じかどうか俺にも分からんが、新とまで銘打って名乗っている以上、やはり魔王軍を意識しているだろうし、関係があってもおかしくはない。ただの模倣の可能性もあるがな」

「また、戦いが始まるんですかね」

「分からん。帝国の軍事力を前にどこまでやれるかってところだろ。すぐに鎮圧されるか、あるいは……」

「あるいは?」

 座長が言葉を切ったので、俺は促すように言った。だが、座長は答えない。じっと座っている。目は新聞に向けておらず、もちろん俺の方も向いていない。まるで見ることを放棄して、別の何かを探っているようだ。座長の不思議な態度を観察していると、急に辺りをキョロキョロと見始めた。

「どうしたんです、座長? 何かありました? 具合が悪いなら医者でも呼んで」

「リヒト。さっき揺れなかったか?」

「揺れ? 感じませんでしたけど。立ってたせいかな。揺れたんですか?」

「ああ。だが大地の揺れにしては、やけに短い」

「きっと遠いところで起きたんですよ」

「そうかもな……俺の考えすぎか」

「それより、さっきの話ですよ。新しい魔王軍とやらが鎮圧されるかそれともって話」

「ああ、そうだな。帝国軍が鎮圧出来なければ、きっと泥沼の戦いになるだろうって、思ってな」

「泥沼?」

「わざわざ帝国一強のこの時代に争いを起こすんだ。ある程度勝算があるんだろ、こいつらは」

 座長がそう言いながら、薄い新聞を手の甲で叩く。

「でも、さすがに正面での戦いは厳しいだろう。だったら、今回のように奇襲したり、潜伏してはまた奇襲なんてのを繰り返す。そんなところだろう。よくある手だ」

「そんな戦い方で勝てるんですか?」

「こういうのはな、敵が大きい程効果的なんだよ。続けてりゃ確実に疲弊する。そんで弱ったところを大奇襲で大将首取ったり、交渉に持ち込んだりするのさ」

「へえー、勉強になります」

「役者には歴史の勉強も必要だ。まあ、お前の場合、勇者の知識は十分だろうがな」

「十二分ですよ!」

 二人してニカッと笑い合う。勇者のことなら俺に任せて欲しい。世界一の勇者役者だって目指せなくもない。そう心の中で意気込んだ時、扉の外から足音が聞こえるとともに、扉が叩かれた。

「座長さん! ちょいと耳に入れたい話が!」

「入れよ。開いてるぞ」

 座長の返事を聞くやいなや、事務所へ飛び込んでくる細見の男。確か、ウチの劇団によく来る情報屋だ。新聞と同じく、座長の情報源の一つである。

「今日は遅かったな。リヒトと話して暇を潰してたとこだ」

「い、いつもの報告しに来よう思ってたんすけど、えらい騒動見ちゃいましてね」

「騒動だと?」

「なんでも、ついさっき西門が爆発したって騒ぎがあってですね? 屋根登って単眼鏡で覗いたら、こいつが大変! ものの見事に崩壊って有様で、そのまま慌ててここに来たんですよ」

「爆破……さっきの揺れがそうか」

「被害は? 怪我人とか!」

「単眼鏡でも見えるものには限界がありますって。でも、馬車とか埋まってたのは見えたような」

 にわかに、俺の血が沸き立った。すぐさま事務所から出ようとすると、座長に止められる。

「どこに行くんだ、リヒト」

「西門です!」

「何をしに行く?」

「手助けですよ! 巻き込まれた人を少しでも助けてきます!」

「今は行くな。野次馬になって邪魔をするだけだ」

「でも!」

「現場の騒ぎに巻き込まれて怪我する可能性があるだろ。座長としては行かせられない。身体は大事にしろ」

「……」

「なに、その場のいる人間や兵士がちゃんと救出するはずだ。お前が行って混乱を増やす必要もないだろう?」

「それも、そうですね」

 今にも駆け出さんとしていた姿勢を崩したものの、このやり場の無いやる気はどうすればいいのか。

「剣でも振ってこい。その勇気は次の機会まで取っておくことだ」

 座長の言う通りにしよう。こんな勇気や勇み足じゃ、俺には何も出来ないことは分かっている。剣でも振っていればそのうち落ち着くはずだ。

「それじゃ、稽古場の方に行ってきます」

俺がその場を去っていくと、座長と情報屋の話が始まる。

「とりあえず、西門爆破については詳しく調べておいてくれ」

「分かりました。あと前回頼まれた、えーと新、魔王軍のことなんですが……」

 ただ胸騒ぎがした。根拠などないが、嫌な事件を二つも聞けば、嫌な予感もするものだ。でも、その胸騒ぎを握りつぶすように、俺は胸を押さえた。このまま胸騒ぎが胸の高鳴りへと変わり、西門の方へ走り出したくなりそうだったからだ。そうやって思いに任せて助けに行っても徒労に終わるだけだ。そう何度も言い聞かせ、自分の良心と勇気を落ち着かせた。

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