好機を逃さず、ヴェイルの拳が連続で繰りだされていく。受けるヂェゼビードは内臓の負傷で完全に足が止まっていた。ヂェゼビードの腹部に拳が叩きこまれ、体毛で拘束し、衝撃で背中が何度も何度も跳ね上がる。口からは血反吐が吐きだされた。

 ヂェゼビードの口が大きく開かれ、歪み、歯を食い縛り、そして犬歯を剝いて笑った。

 ヴェイルの両目が見開かれる。放った拳がヂェゼビードの掌に受けとめられていた。

 ヂェゼビードがヴェイルのヘラ角を摑んだ。ヴェイルがぎょっとする暇も与えずに頭突きが繰りだされ、ヂェゼビードの額がヴェイルの額を強打。

「ぐああっ!」

 脳髄に響き渡る衝撃に、ヴェイルはたまらず仰け反っていた。

「今のは、死ぬほど痛かったぞ!」

 怒号とともにヂェゼビードが剣を一閃。剣はヴェイルの右のヘラ角を叩き割り、そして右の肩口を走り抜けていく。切断された右腕が舞い上がり、空中で円を描いた。

「んな馬鹿な……。なんであれだけ殴りつけたのに元気いっぱいなんだよ……」

 先ほどとは逆に、今度はヴェイルが疑問を口にする番だった。ヴェイルは右肩の傷口を左手で押さえつつ、よろよろと後退。途中、手放していた戦鎚を拾い上げていく。

「確かに貴様の目論見どおり、一撃めはまともに食らってしまったよ」

 ヂェゼビードがヴェイルに追撃しようとするが、周囲の生徒たちから鏖力が降り注いでその場に釘付けにされていた。逆にヂェゼビードからも熱線が放たれ、ヴェイルの援護へ駆け寄ろうとするディノを牽制し、生徒たちの四肢や首や胴を切断していく。

「が、一撃めだけだ」

 ごどんと重い音。ヂェゼビードが腹をすぼめ、体毛の拘束が緩んで地面に落ちていた。拘束の下に隠されていたヂェゼビードの肉体は鋼のように引きしめられている。

「衝撃を受け流せないのなら防御力を上げればいい。腹に力をこめ、筋肉の鎧で守ったんだよ」

 盲点だった。まさか軟体が特徴であるヂェゼビードが、そんな当たり前の方法で対処してくるだなんて思いもしなかったのだ。

「……長所を過信していたのは、俺も同じだったか……っ」

 周囲に熱線を放っていたヂェゼビードの触手が一斉に後方へ向けられた。ヂェゼビードの体が熱線を放出する反動を利用して高速で駆けだしていく。

 一気に間合いへと飛びこんだヂェゼビードが両手の刃を突きだしてきた。ヴェイルは左手だけで戦鎚を操り、長刀を弾くが、そこまでだ。残った熱線の剣が左肩を貫き、間髪入れずにヂェゼビードが激突。推進力もそのままにヴェイルを押しこんでいく。ヴェイルは体内から熱線で焼かれぬように鏖力抵抗を総動員し、戦鎚と蹄の靴で長刀と触手を迎撃するので精一杯だ。

「私がタネの割れた手品に騙されてやるとでも思ったか!」

「ヴェイルっ!」

 駆けつけたディノがヂェゼビードにハルバードを振り下ろす。ヂェゼビードは抵抗せず、ヴェイルを突き放して後退した。ヴェイルを支えたディノが翼を広げてヂェゼビードから離れ、逃げる二人をヂェゼビードが追いかけていく。

 ヴェイルは指先でディノの体をとんとんと叩いた。気付いたディノが横へと進路を変える。ディノの動きが変わったことにヂェゼビードも気がついた。

「なんだどうした? 次はどんな小細工を用意してきた?」

「……残念」

 ヴェイルの顔は悪辣な笑みを浮かべていた。ヂェゼビードが楽し気に三日月の笑みを浮かべた直後、ヴェイルの鏖力で生みだされた鎖が紗幕となって前方に噴出。ヂェゼビードの足が一瞬だけ遅くなる。

「小細工じゃなくて大細工なんだよ!」

 その瞬間、ヂェゼビードの足元が爆発した。

「……なにっ?」

 地雷かとも思ったが、違う。爆発が引き金となって地面に亀裂が走り、瞬く間に崩落。校庭に突如として開いた大穴の中にヂェゼビードの体が吸いこまれていく。

「ご主人様!」

 ゼヒルダがヂェゼビードに向かおうとするが、その足首にミラジュリアの箒が巻きついて援護を阻んだ。

 穴を落下していたヂェゼビードの足が床を踏む。明らかに人の手によって舗装された床と壁、そして天井の、広い部屋だった。穴は意外と浅い。地上は手が届かないほどに遠いが、さりとて地獄の底というほど深くもない。

 ヂェゼビードは事前にゼヒルダから知らされていた学園の見取り図を脳内に展開する。瞬時に思いあたった。

「ここは……緊急避難用の地下壕か」

 昨日の戦闘でも多数の非戦闘生徒がここへ逃げこんでいたはずだ。

 呟くと同時、ヂェゼビードは駆けだしていた。一目散に壁へと向かい、間髪入れずに穴を穿つ。地下壕の天井が崩落したのは、ヂェゼビードが穴に飛びこんだ直後だった。

「まさか墜落死を狙ったわけでもあるまい。ならば追撃があるのは決まっている」

 触手を使って地中を掘り進みつつ、ヂェゼビードは「さて」と顎に手を添える。

「私を埋め殺せるとも思っていないはずだ」

 実際にヂェゼビードは生きていた。ヴェイルがヂェゼビードの地中移動能力を失念しているはずがない。

「順当に考えるなら、地上に出てきたところを一斉攻撃か?」

 だとするなら感知系の生徒を用意しているはずだ。

 ヂェゼビードが四方八方に触手を放つ。それぞれの長さを調節し、本体の位置がわからないように細工を施してから地上へと向ける。触手が地上へと顔を出し、先端に有した感覚器官で周囲の様子を確認して、ヂェゼビードの顔に疑問が浮かぶ。

「ご主人様!」

 ゼヒルダは足首に巻きついた箒によってその場に繫ぎ止められていた。

 ゼヒルダ以外には誰もいない。校庭からは生徒たちが、ヴェイルもディノも消えていた。

 ゼヒルダの顔には焦燥がある。

「…………まさかっ!」

 最悪の筋書きを予感したヂェゼビードが慌てて触手を上空に伸ばしていく。石橋を叩かずに河を埋めるような用心深さを逆手に取られた。穴に落ちてから僅か数十秒とはいえ、やつらに見す見す時間を与えてしまったのだ。

 触手は校舎の高さを飛び越えて遥かな高度へと到達。周囲を見渡して、ようやく見つけた。

 ヴェイルを始めとした生徒たちの姿は遥か彼方、海上にあった。何隻もの小型高速艇に分乗し、猛速度で島から離れていく。

 臨戦態勢を解いて魔装を解除したヴェイルの手には、小さな装置とボタンが握られていた。

 ヂェゼビードがもう少し防衛戦力以外にも気を配っていれば、島に残っていたのが最初から彼ら三十余人だけだったと気付けたはずだ。彼ら以外の全ての人間が島外に退避していたのだ。

「この島をお前の棺桶にするのが贅沢だとは思わない」

 ヴェイルの指がボタンを押す。

 劇的な変化などない。それでも、たったそれだけで戦いは終わったのだ。数十秒後には学園島は跡形もなく消し飛んでいることだろう。ヂェゼビードと、ゼヒルダも道連れにして。

 誰もが勝利を確信していた。

「うるをおおおおおおおおおおおおっ!」

 雄叫びは地獄の底から聞こえてきたと思えるほど凄絶に響き渡った。

 学園島の中心、学園のあった位置で爆発が起きたかのように粉塵が舞い上がった。ようにではなく、本当に校庭が爆散して、その土埃がキノコ雲のように広がっていた。

 粉塵を貫き、校舎の壁を駆け上がっていく校舎よりも巨大な塊が見えた。それは校舎地下に埋設されていた発電装置、兼、学園島の自爆装置だ。

 そしてそれを担いだヂェゼビードの姿だ。

「はっ? 嘘だろ? はああああああっ⁉」

 ヴェイルは手の中のボタンを連打するが、爆発までの時間が短くなるわけでもない。

 発電装置を担いだヂェゼビードが校舎の屋上に到達し、その双眸がヴェイルたちを見た。

「そ! こ! かああああああああああああっ!」

 ヂェゼビードの全身が隆起する。体躯が二倍にも三倍にも膨れ上がり、触手の半数を上に伸ばして発電装置を持ち上げ、もう半数を足場に伸ばして重量を分散。

 ヂェゼビードの上半身が振られ、発電装置をヴェイルたち目掛けて放り投げた。

 それは島が空中を泳いでいるかと思えるほどに現実離れした光景だった。最初は砂粒のように見えていた影が、瞬く間に天空を覆いつくす巨大な大陸となる。

 自爆を止めても意味などない。これだけの質量だ。人間の体や高速艇など一瞬で轢き潰され、生みだされた渦潮に呑みこまれて海の藻屑となり果てるのが関の山だろう。

 ケビンスが、グラサンが、生徒たちが、漆黒の絶望を浮かべて膝を折る。

 ディノが、歯軋りを鳴らして天空を睨みつけている。

 ミラジュリアが、最後の瞬間までともにあろうとディノの隣に立つ。

 ヂェゼビードが、勝利を確信した笑みを浮かべる。

 ヴェイルが、なすすべを見いだせずに呆然とする。

 そしてマユキが、ヴェイルを見上げる。

 彼らを光が包んだ。

「……ぬ?」

 ヂェゼビードが体をずらし、腕を掲げて防御行動を取ったのは、ほとんど無意識に近かった。

 その直後だ。ヂェゼビードの右腕と触手の何本かがまとめて消し飛ばされたのは。

「ご主人様!」

 叫んだゼヒルダの前に影が降り立つ。両腕にハルバードと戦鎚を握ったカイザーキマイラだ。

「え?」と、ゼヒルダは困惑した。どうしてディノがヴェイルの戦鎚を持っているのだと。

 空中に弾き上げられた熱線のキャリバーを触手が銜えて回収。そしてヂェゼビードは右隣に首を回し、右腕を消し飛ばした元凶を目にする。

 そこには見たこともない存在が立っていた。

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