ヂェゼビードの背後に続く触手が蠢いた。夕日色の茂みの中から現れたのは炎のような赤の髪、そして肌の白。ゼヒルダだった。

 ゼヒルダの姿が一変していた。というよりも、元に戻っていた。失ったはずの右腕がある。両脚の傷跡も消えている。短かった髪の毛は伸び、腰にまで達している。

 ゼヒルダの睫毛が震えて、目が開かれる。夢を見ているかのような視線が現実へと引き戻されていき、そして自身に起きたことに気がついた。

「これは……」

 ゼヒルダは確かめるように体を動かしていく。右手を開閉し、両脚を、体中を触り、顔に手を這わせる。

「左目も見える」

 ゼヒルダは再び両目で世界を見ていた。

「私の血肉をゼヒルダに分け与えて治した。進化生物である我々は全身が万能細胞の塊のようなものだ。これくらいは造作もない」

 得意げに言い放つヂェゼビードの両手首には、すでに腕輪型の拡張器である《キューリアスの両かいな》がはめられていた。

「さて、これにて我の目的は叶った。それでは最後の一つをなすとしよう」

 ヂェゼビードの鏖力が膨れ上がっていく。バチバチと、大気との衝突で破裂音まで聞こえてきそうなほどの威圧感があった。

 生徒たちの顔には一様の恐怖。足が震え、歯が鳴らされる。ヴェイルとディノは脚に力をこめ、圧倒されないようにと踏ん張った。反して元凶の隣に立っているというのに、ゼヒルダは微動だにしていない。

「同胞に仇なす貴様らを、皆殺しにする」

 ヂェゼビードの手がゼヒルダの首に回され、優しく首輪をはめていく。

「ゆくぞゼヒルダ。二人でやつらを皆殺しにする」

「はい」

 ゼヒルダは頬を上気させ、恍惚の表情で頷いた。

 二人は主人と従者のはずだ。だが、どこか仲睦まじい、心の通いあった長年の連れ合いのようにも見えた。

 ヴェイルの鼻が鳴らされる。ヂェゼビードのこれまでの苦労を嘲笑うかのように。

「残念だがそいつは誰にも使えない。未完成なんだよ」

「ああ、なんだそんなことか」

 しかしヂェゼビードの反応は素っ気なかった。ヴェイルの言い分など歯牙にもかけていないとばかりに。

「貴様も内面宇宙で対話したことがあるだろうが、キャリバーには天魔獣の残留思念、亡霊のようなものが宿っている。が、普通の人間はそれを感じることができない。キャリバーの残留思念を感じられる者など我々魔人か、貴様らのような特異な人間だけだ。

 それが失敗の原因だ。実験で死者が絶えなかったのは、単なる資質の問題なんだよ」

 ヂェゼビードが手を持ち上げ、指の二本を立てた。

「捕食生物である我々が二体以上揃えば、そこには厳然とした違いが生まれる。王と、従者という違いだ」

 ヂェゼビードの両手首に嵌められた腕輪が輝きを放つ。実験での失敗など最初から存在しなかったように、まったくなんの問題もなく完璧に起動していた。

「二体以上を同時に統べる王の資質を持たない者に、従者は従わない!」

 足音。ヴェイルが無造作な足取りでヂェゼビードへと歩いていく。横にはディノの姿もあった。こちらも数日間の付きあいのはずなのに、長年をともにした親友のように感じられた。

 弾かれたようにヴェイルとヂェゼビードが飛びだしていく。一足飛びに距離を詰め、まったく減速しないまま間合いが消失。二人は真正面から額を激突させ、額が割れて流血する。

「魔! 身!」

 面相を血に染めたままヴェイルが叫ぶ。ヴェイルが片手に握った長柄の先端には巨大な金属塊がついていた。打面は六角形。裏側からは二股の鋭い鉤が伸びる。得物は長大な戦鎚だった。

 対するヂェゼビードは両手にキャリバーを握っていた。腕輪の輝きが一層強くなり、ヂェゼビードの全身が魔装の光に包まれる。

「変! 現!」

 そしてヴェイルも魔身変現の光に包まれていった。

 先に変化が終わったのはヂェゼビード。籠手に包まれた右腕と、柄と触手に形成された熱線の剣は前回と同じ。が、新たにヂェゼビードの左腕の肘から先が皮手袋に包まれ、握った長刀からは水滴が舞い落ちる。

 続いてヴェイルの魔身変現が完了した。純白の体毛に包まれた体は細身。首周りは豊かな鬣が襟巻きのようになっている。両手は蹄の変化した手袋に包まれ、同じように両足も蹄の変化した長靴に包まれていた。頭部の左右からは虹色のヘラ角が王冠のように天空へと広がる。

 ヘラジカを基幹とする魔人級〈ルナエルク〉となったヴェイルが、ゼロ距離からヂェゼビードを睨みつける。魔身変現に伴って顔もヴェイルではなく魔人のそれになっているが、ヂェゼビードを見据える敵意の視線はヴェイルのままだ。

 額を突きあわせた睨みあいの均衡が崩れた。二人は息をあわせたかのように首の力だけで相手を弾きあい、後退。ヴェイルが右手の戦鎚を横薙ぎして、ヂェゼビードが左手の長刀で防御。続けて熱線の剣が切り返され、ヴェイルは左の蹄で弾き返す。

 ヂェゼビードの触手が熱線の剣を四方八方から繰りだしてくる。カイザーキマイラとなったディノがヴェイルの隣に並んだ。腕は六本に増やされ、それぞれに白骨の手甲を装っている。

 熱線の剣が嵐のように振り回され、二人とヂェゼビードが剣戟を繰り広げていく。両者の中間で凄まじい火花が舞い散り、鏖力抵抗の閃光が弾ける。二人の全身が長刀に切り刻まれ、熱線に焼き焦がされ、ヂェゼビードの全身に爪牙が突き立てられ、触手が切断され、蹄の靴に踏み潰されていく。あまりにも激しい攻防に零れる血の一滴までもが解体され、霧散していった。

 小規模の怪獣大戦争となった中心に臆せず飛びこんでいく姿がある。ゼヒルダだ。

 ゼヒルダが隷従の首輪に指を這わせて魔装。全身が踊り子を思わせる薄緑色の優雅で華美な装束へと変化した。背中と両肩からはいびつな形状をした三体の小人の上半身が生えている。腰の後ろと左右からは蝶の翅と、透き通った翅と、花弁の翅が、リボンのように風に舞う。反して両手両足は生物を引き裂くことに特化した鋭い鉤爪となっていた。

 完全魔装とまではいかずとも、それに近い全身魔装だ。肉体の修復に使われたヂェゼビードの細胞によって、天魔獣への適合率と耐性が跳ね上がっているのだろう。

 ゼヒルダが錐揉みするような回転から上段回し蹴り。これはディノの掲げた腕によって防御される。さらに地に足を着けてからの中段突きを放ち、ヴェイルの戦鎚が弾いて、低空回し蹴りをディノが跳躍して回避と、目まぐるしく攻め立てていく。

 拮抗状態にゼヒルダが加わったことによって、徐々にだがヴェイルとディノが押されていく。

 ヴェイルとディノの視線が交錯。直後、なんの合図もなく後退した。翼を広げたディノがヴェイルのヘラ角を引っ摑んで、そのまま間合いの外へと離脱していく。

「それで私の手から逃れたつもりか?」

 言い放ったヂェゼビードの触手が鎌首をもたげて熱線を放出した。熱線は二人に雨霰となって襲いかかり、地表を抉って弾けさせる。

 二人を追いかけていく熱線は、しかし突如として横合いから殺到した鏖力の豪雨に撃たれ、ことごとく撃墜させられていった。

 ヂェゼビードの目がぎろりと横に向けられる。視線の先にいたのはヴォルフガング学園の生徒たちだ。顔には確かな手応えがあった。非力な自分たちでも戦いかたを考え、力をあわせれば一矢を報えるのだと実感したのだ。

 ヂェゼビードが生徒たちに注意を向けたのはほんの一瞬にすぎない。しかしその一瞬でヴェイルとディノは再びヂェゼビードに接近していた。速度を落とさぬまま体当たりを仕掛ける。

「ぬぐぐうっ!」

 ヂェゼビードは両手の得物を交差させてヴェイルの戦鎚とディノのハルバードを防御した。

しかし勢いまでは抑えられず、踵で地表を削りながら後退。ゼヒルダから引き剥がされていく。

「俺たちもいくぞおっ!」

 雄叫びが上がり、生徒たちがヂェゼビードへと雪崩れこんでいく。

「ご主人様、ゼヒルダが今参ります!」

「させません!」

 ヂェゼビードの援護に駆けつけんとしたゼヒルダの前にいくつかの人影が割って入った。その先頭に立つのはミラジュリアだ。

「そう、そうですか。ミラジュリアさん、あなたがわたくしの前に立ちはだかるのですね」

「会長…………いえ、ゼヒルダ・ハーネスト。あなたは私が止めてみせます!」

「よろしい。わたくしにあなたがたの覚悟のほど、存分に見せてみなさい!」

「おおお! おおおおおおっ!」

 後退を続けていたヂェゼビードの全身が膨張した。一気に全ての膂力を開放し、ヴェイルとディノを弾き飛ばす。

 ヂェゼビードの右腕が大蛇となって伸び、握られた熱線の剣が二人へと牙を剥く。触れれば即座に焼き殺されるはずの刃は、しかし両者の間に割りこんできた影によって弾き返された。

 四角顔の男子生徒が身にまとっているのは甲羅。南方の火山諸島を住処とする〈マグマクラブ〉の魔装だ。その甲羅は加工されて火災現場や溶鋼作業の防護服に使われるほど抜群の耐火性能を有していた。

 ヂェゼビードが得物と無数の触手からの熱線をやたらめったら繰りだしていくが、そのことごとくが甲羅に防御されて弾かれていく。生徒が魔装した部位は全身の三割程度にすぎないが、頭から頭巾のように広がる甲羅が左右と背後を覆い、前方は甲羅に包まれた両腕が自在に動いて防御していく。

 溶岩の温度は精々が千二百度程度だが、対して蒸気化した金属粒子を放つ熱線の温度は三千度を超える。足りないぶんの耐熱性能は鏖力の過剰放出で補っているのだろう。

 消耗が激しいはずだ。長くは持たない。数分を凌げばいいという算段だ。

「さすがに対策くらいは考えてくるか」

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