六章
ヒトとケモノ ➀
「な……んだそりゃ」
ヴェイルはようようと言葉を絞りだした。顔にはありありと動揺が見て取れる。彼も生徒たちと同じようにまったく状況が呑みこめていないのだ。
「最高責任者が敵の手先だと? 最悪の状況じゃねえか」
「一応は手がかりを与えてやったぞ?」
にやりと、ヂェゼビードが口の端を嘲りに歪める。
触手の一本が体の前へと伸びてきた。触手の根元が膨らみ、膨らみは先端へと移動。口腔から球体を吐きだす。透明な球体の内部には女の右手と眼球が閉じこめられていた。
誰もが瞬時に理解する。
「ま、さか、会長の……?」
ヂェゼビードの手がゼヒルダの体を這い、両脚と右腕を撫でていく。ヂェゼビードに触れられている間、ゼヒルダの唇からは熱っぽい吐息が漏らされていた。
「昨日の戦闘で私はここを破壊した。偶然だと思っていたのか? 同じ人物が破壊したのだと示唆してやったのにな」
ディノが「ああっ!」と声を上げた。
「そういえば、会長はメタルフライシャークのことを『彼』って呼んでいた!」
ディノの発言でヴェイルも気付いた。
「そりゃつまり、最初から鮫の中身がヂェゼビードだと知ってたってことじゃねえか」
あの場には自分もいた。だが、戦闘のさなかでたった一言の違和感に気付けるわけがない。
「生徒会長の立場ですら拡張器のありかは調べられなかった。だから教えてもらうことにした。上位者である教師を全員殺害し、自らが学園の最上位者になることによって」
マユキが事態の裏にあった思惑を予想して口にする。
「わた、私が気付かなくちゃいけなかったんだ」
混乱と動揺の中で、ミラジュリアが口を開いた。
「会長の一番近くにいた私が、気付かなくちゃいけなかったんだ……」
ミラジュリアの目から透明な涙が溢れて頬を落ちていく。ミラジュリアが気付いていれば生徒たちが死ぬことはなかった。教師たちが死ぬこともなかった。エミーリオが死ぬこともなかった。その責を一身に背負おうとしているのだ。ディノはそっとミラジュリアの手を握った。
「でも、どうして、どうしてですか会長。あなたは私たちと一緒に、人間のために戦ってきたんじゃないんですか?」
「ええ、そうです。わたくしも最初は人間の剣となるべく戦ってきました。戦おうとしました」
ゼヒルダは重々しく頷いた。
「でも、結局できなかったんです」
一転、ころりと晴れやかな笑顔となる。
「わたくしはあるとき疑問に感じてしまったのです」
全員が注視する前で、ゼヒルダは自らの動機を語っていく。
「わたくしには三人の兄と、二人の姉がおりました。この学園の卒業生です。わたくしは兄様と姉様、そしてご学友のかたがたを尊敬していました。みな、自らの身を挺して人々を守ろうとする、強くて優しくて高潔な人たちです。
ですが彼らに守られる側の人間に、果たして守る価値などあるのでしょうか?」
問いを投げかけたゼヒルダの目はぞっとするほど冷たい。すでに『否』と、自らの答えを出している目付きだった。
「人間は弱い。肉体的にも、精神的にも。このわたくしを含めて。
わたくしには理解できませんでした。どうして天魔獣に立ち向かっていける強さと優しさと高潔さを兼ね備えた人々が、弱い人間たちを守って死んでいくのかが」
ディノは首を傾げた。
「強い人が弱い人を守るのは、当然じゃないのか?」
「それではあなたは弱い存在を守るために強い存在が、言い替えるなら劣った存在を守るために優れた存在が犠牲になるのは当たり前だと仰るのですか?」
「いや、それは……」
ゼヒルダの弁にディノはたじろいだ。言われれば確かにそのような気がしてしまったのだ。
「わたくしの兄も、姉も、学友も、みんな死にました。天魔獣の襲撃に震えるだけの弱い人々を守って、果敢に戦って、そして喰われて死にました。だけど当の守られた人々は、身を挺して守ってくれた彼らの遺体に、被害が出たからと石を投げつけた!
どうしてあんなにも強く、優しく、高潔だった彼らが死んで、どうしてあんなにも弱く、醜く、愚かな人々が守られ、生き続けねばならないのか。こんな世界は間違っている。わたくしはこの世界が、たまらなく憎い」
血を吐くようなゼヒルダの訴えに、誰も答えを与えられない。ゼヒルダは未来の自分たちなのだ。誰もが考えている。もしも自分がゼヒルダと同じ状況に置かれたとしたら、やはり人間に絶望してしまうのだろうかと。それは誰にもわからない。
「その点、魔人は違いました。何者にも依らない強さを持ち、思慮深く、同胞への慈愛を有し、悪しき者を断罪する公正さがありました。弱者がいないからこそ、弱者の犠牲になる強者のいない世界。平等で、良き人々が正当な幸せを手に入れられる、正常な世界。人間では決して手に入れることのできない世界。わたくしの望む世界がそこにありました」
ゼヒルダの指先が集まった生徒たちへと向けられた。
「あなたがたも」
ディノを、ミラジュリアを、ケビンスを、グラサンを、全員を指さしていく。
「弱き人々を守るためにこの学園にきて、過酷な訓練を積んでいる。それは素晴らしいことです。ですが、まったく価値のない人間を守るために、自らの命を捨てられますか?」
生徒たちが沈黙する。ゼヒルダの言葉を自分たちなりに考えているのだ。
「ち、違う!」
生徒の一人が声を荒らげて反論する。
「確かに生徒会長の言うように人間は弱い! だけど弱くても力をあわせれば」
「弱い人間は力などあわせない!」
生徒の反論は、ゼヒルダの怒号によって打ち砕かれた。
「弱いからこそ力をあわせる、という言い分は理解できます。その結実がヂェゼビード様の前に立つ三十人だということも。なにせわたくしも力をあわせる側の弱い人間なのですから。
ですが力をあわせられるのは、それが強い人間、良き人間だからです。真に弱い人間とは、強き人々が戦っているその後ろでただ怯え、震え、逃げることしかしない。
わたくしはそんな人間のために戦い、守って死にたいなどとは思えない。どうせ死ぬのなら自分よりも強い人間、価値のある人間を守って死にたい」
ゼヒルダは献身的な、そして破滅的な願望を口にする。
「それにわたくし、気付いてしまいましたの」
語るゼヒルダの表情は一変していた。瞳は潤み、頬を上気させ、半開きにした唇からは熱い吐息を漏らす。顔にうっとりとした恍惚を浮かべ、手を下腹部へと伸ばしていった。
「ご主人様に両脚の自由を奪われ、右腕を千切られて喰われ、そして組み伏せられた瞬間、とても興奮しました。お恥ずかしい話ですが高揚で失禁までしてしまいましたの。その瞬間に気付いたのです。わたくしは殿方の圧倒的な力にねじ伏せられるために生まれてきたのだと」
被虐性を口にしたゼヒルダが、左手でアサガオの眼帯に触れる。
「この左目はご主人様に抉られたのではありません。わたくし自身が忠誠の証として抉り取ったのです」
誰もが理解してしまった。ゼヒルダをこちら側に引き戻すのは不可能なのだと。価値観がすれ違っている上に、ヂェゼビードに心酔しきっている。ゼヒルダは完全にあちら側の人間になってしまったのだ。
ゼヒルダはヂェゼビードへと、腕輪の乗った掌を差しだした。
「ご主人様、どうぞ受け取って下さいまし」
「その前に」
ヂェゼビードの手がゼヒルダの頭の後ろに回された。力強く抱き寄せ、髪の毛を撫で上げる。
「えっ? あっ? ご主人様、なにを?」
ゼヒルダはまるで少女のように顔を真っ赤にして狼狽える。
「よくできた飼い猫には、褒美をやらねばなるまい」
ヂェゼビードはゼヒルダの手を取ると、指からキャリバーの指輪を抜き取った。ゼヒルダの魔装が解除され、戦士からただの女となる。
「これはもう要らない」
ヂェゼビードが笑う。ヂェゼビードの手にはゼヒルダの右手と左眼球を封じた球体が握られていた。手に血管が浮かび上がり、忠誠の証の球体を握り潰して破壊する。
次の瞬間、ヂェゼビードの全身が太陽のように光を放った。ヴェイルや生徒たちはそれぞれの仕草で強烈な光から目を守る。グラサンはグラサンだったのでやっぱり平気だった。
発光が終わると、二人の立っていた場所には虹色に輝く結晶体が出現していた。二人の姿はどこにもない。
ヴェイルは怪訝に呟く。
「ここで〈再誕の揺り籠〉、だと?」
「先ほどのゼヒルダの言い分には私も賛同するが、私からは一部付け加えることがある」
結晶体の内部からヂェゼビードの声が響く。
「弱いことが、弱者が罪なのではない。私も貴様も最初から強者だったわけではない。誰もが最初は弱者なのだ。弱者が弱者のままであり続けること、それこそが罪なのだ。
では強者に罪はないのだろうか? いや、強者にも罪はある。弱者を放置しているという罪だ。強者には弱者を強者へと導いてやる責任が、弱者には強者へと成長する義務がある。それこそが正常で正しき世界というものだ」
言葉の終わりとともに、結晶体に亀裂が走った。結晶体は瞬く間に砕け散って、内部から再びヂェゼビードが姿を現す。進化のための繭であるはずが、ヂェゼビードに目立った変化は見られない。ただ、全身の負傷がなくなっていた。
「進化の過程で一度体が分解されるのを、治療のために利用したのか」
「再誕の揺り籠にはこういう使いかたもある。ただし貴様らも知っているように、次の使用までには数か月置かねばならないがな」
ヂェゼビードが人差し指を立てる。
「そしてもう一つ」
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