「よう、調子はどうだ?」

 気さくにかけられた声にディノが振り向くと、二人の少年が立っていた。

「ああ、なんだ。ケビンスにグラサンか」

 ディノの声には精彩がなかった。ケビンスとグラサンが顔を見合わせる。

 ディノは小高い丘の上から学園を見渡していた。グラサンとケビンスもディノの横に並んで、同じように学園を見下ろす。

 学園の惨状は筆舌につくしがたい。地面は抉られ、木々は倒され、旧校舎や体育館は全壊して瓦礫の山と化し、海岸から旧校舎へと血と灰の道が延々と続いていた。

「……なんか、酷いありさまだよな」

「おう」「まったくだ」

 ディノの呟きに、ケビンスとグラサンが同意を返した。

「この学園にきてからもうすぐ一週間だ。ここでの生活にも、ようやく慣れてきたと思ったのにな……」

 ディノが自らの胸に手を置いた。俯いた顔は悔しげに歪んでいる。

「苦しいな。二度も居場所を失うのなんて、嫌だ」

「故郷のことか?」

「ああ」

「……仇討ちはよかったのかよ?」

 ケビンスの問いに、ディノは「うん?」と疑問を浮かべる。

「どういう意味だよ?」

「村の仇が死んだっつっても、お前の手で倒したわけじゃないだろ? 大丈夫なのかって聞いてるんだよ」

「ああ、そういうことか……」

 ケビンスに指摘されて、ディノは内心のわだかまりに気がついた。そして首を傾げる。

「……どうなんだろうな? 気持ちが宙ぶらりん、ってのは自覚できているけど、それをどうしたいのかはまだよくわかっていない。怒りや憎しみをどこかにぶつけたいのか、無理矢理にでも自分を納得させたいのか、仇を奪ったあいつが許せないのか、自分が不甲斐なくて情けなくて泣きだしたいのか」

 ディノの顔には言葉のとおりに、感情を持てあましているやるせなさがあった。

 ケビンスの手がディノの肩を強く叩いた。

「決戦には俺たちも志願した」

 ケビンスの言葉にグラサンが頷く。

「今度は、今度こそは、俺たちの手で俺たちの居場所を守ろうぜ」

「ああ……」

 そうだ。あの日、自分は逃げだしてしまった。そしてもう逃げださないための力を、守るための力を求めてこの学園にきて、力を手に入れた。けれどそんなものよりももっと大切な仲間たちを、自分が生きていく居場所をもう一度手に入れたのだ。

 もう二度と逃げださない。もう二度と、居場所を奪われたくなんかない。

 それは二人も同じ気持ちだろう。二人も天魔獣に奪われてこの学園にきたのだから。

「ああ、そうだな!」

 ディノは力強く答え返した。

 そしてふと時計に目を向けて、目を丸くする。

「いけねっ! ジュリアさんと約束があったんだ」

 ディノは踵を返すと、「それじゃあ、また」と足早に去っていってしまう。二人はその背を不安そうに見つめていた。

「あいつは、あの女でいいと思っているのか?」

「さあ、どうなんだろうな? 確かに女の尻に敷かれそうな顔には見えるが……」

 ケビンスとグラサンは首を傾げあって、はたと気がついた。

「まさかあいつ、年上のお姉さまに苛められるのが好きとか、そういう特殊な願望を持っている……の、か?」

「確かにそういう顔をしている。そして、絵になっている……っ!」

 二人の脳内には、鞭を持った女王様の衣装で高笑いするミラジュリアと、犬の衣装で四つん這いとなり、彼女の椅子になったディノの姿が幻視されていた。

「……もう、追及するのはやめようぜ」

「そうだな。これ以上考えたら、俺たちはあいつの友達を続けていけるか自信がなくなる」

 ケビンスとグラサンは話の終わりとばかりに歩き始めた。



 厳重に封をされたカクリ石を玄室に叩きこみ、微調整を繰り返して回路を接続。さらに別の部品を手に取り、接続し、全体を眺めて歪みの有無を確認。微調整して、また全体を眺め、微調整を繰り返していく。

 ヴェイルは無言のまま魔人級キャリバーを組み立てていた。やがて全ての部品の接続と調整が終わり、最後にキャリバーの柄を握りしめる。中枢機関部から共鳴による発光が漏れたのを確認して、納得したように手をおさめた。

「終わった?」

 訊いてきたマユキに「おう」と頷いて、完成したキャリバーを机横の壁に立てかける。キャリバーの重みによって床が軋み声を上げた。

「それじゃあ次はこっちね」

 マユキはヴェイルの目の前に料理の乗った皿を差しだしてくる。

 ヴェイルは料理の皿を引っ手繰るように摑むと、口へと搔きこみ、また次の皿へと手を伸ばす。最初は汁物を中心にして弱った内臓の動きを戻していき、徐々に柔らかい煮込み料理、固形物へと変えていく。

 手狭な部屋は提供された学生寮の一室だ。室内にはヴェイルが一心不乱に料理を頬張っていく咀嚼音と、マユキが備えつけの調理台で鍋を振る音だけが響いている。

 今のマユキは仕事用のボディースーツではなく、動物の絵の襟なしシャツにジーンズという部屋着姿だ。

 ヴェイルはマユキの後ろ姿を眺めつつ料理を口に運んでいく。空腹が満たされていくに従って、体の隅々にまで命が染み渡っていくのがわかった。

 拳を握る。腕には大樹の根のように太い血管が浮かび上がり、拳にも充分に力がこめられて復調が実感できた。

 ヴェイルの目の前にノート大の液晶端末が滑りこんでくる。

「食べながらでいいから、それ、確認しておいて」

 ヴェイルは匙を片手に液晶端末に指を滑らせた。最終作戦の概要を目で追っていく。

「学園側の選抜と志願者、あわせて三十人もいないのか……」

 本来ならば熟達した生徒の数はもっと多かったはずだ。エルビキュラスとの戦いによる死者と負傷者、そして戦意喪失者が多すぎる。常なら三百人の生徒と十数人の戦闘教官をかかえていたはずの一大戦力が、たった一度の交戦によって事実上の消滅に追いこまれていた。それもまだまだ守られる側であるはずの新入生を投入し、失っておいた上で、だ。

 ヴェイルは苦々しい顔で個々の役割と隊列を割り振っていく。

 マユキが最後の料理を持ってきてヴェイルの向かいに座った。マユキはじいっとヴェイルを見つめる。ヴェイルも食事の手を止めてマユキを見た。

「……美味しい?」

「ああ。…………おそらく、多分。自信を持って言えないところがアレだけど」

「本当? 天魔獣ってさ、味見できないのが難点なのよね」

 マユキはほっと胸を撫で下ろす。そして自分を凝視しているヴェイルに気がついた。

「なに? 味に問題でもあった?」

「いや、そうじゃなくて、エプロン姿が可愛いな、って」

 当初こそきょとんとしたマユキだったが、やがて腕を組み、得意げな顔になる。

「ふふん。そうだろそうだろ。私は可愛い女だろ」

「…………お前単体だと、意外とウザいんだよなあ」

「そのウザい女がいいくせに」

「否定してやらないでもない」

 ヴェイルも「ふふん」と、したり顔で笑みを浮かべた。

「……明日は決戦ね」

「ああ」

「……勝てると思う?」

「絶対に勝つ。…………とは言えない」

 ヴェイルの顔色から自信は窺えない。両目にあるのは決意だけだ。

「だが、勝つための準備はしている。勝つか負けるかじゃなくて、勝たなくちゃいけない」

 ヴェイルはマユキに顔を向けた。すっと手を差しだす。

「俺はお前を守りたい。お前だけじゃない。この島にいる連中全員を守りたい」

「それじゃあ、ヴェイルは私が守らなくちゃね」

 マユキもヴェイルに手を伸ばした。二人の指先が触れ、絡められていく。

「この手、離したりしないからな」

「私もよ」

「それじゃあ胸を揉ませてくれ」

 マユキはその手を拳にしてヴェイルをぶん殴った。



 波が寄せては引き、そしてまた寄せては引いていく。海を見下ろす岬の上、頭上は満天の星。二つの人影が草むらの上に座って肩を寄せあっていた。

 ディノとミラジュリアだ。二人に身長差があるので、姉と弟のようにも見えた。

 二人は長いこと無言で夜の海を眺めていた。一見して言葉が必要ないほど通じあっているように見えるが、どこか今にも壊れてしまいそうな脆さがあった。

 緩やかな、そして張りつめた時間が流れていく。

「ジュリアさんに、どうしても伝えておきたいことがあるんだ」

 なんの前置きもなくディノが言葉を紡いだ。ミラジュリアの肩がびくりと跳ねる。

「ジュリアさんから付きあってるって言われて、正直、最初は戸惑った。どうして僕なんかのことを好きになってくれたのか、こんな素敵な人に僕なんかが吊りあうのだろうかって。それに、その…………ちょっと怖かったってのもあったし」

 ディノの言葉が続くに従って、ミラジュリアの胸は不安で押し潰されそうになっていく。

 また、やってしまったのだ。今まで何度も経験してきた。自分が暴走した末の、当然の破局だ。だから自分はもう恋愛なんてしてはいけないんだと心に決めて、それでもあの日、彼に助けられた瞬間に、誓いなんてかなぐり捨てていた。

 だって彼を好きになってしまったこの気持ちは、どうしたって抑えることなどできないのだ。

「それで少し落ち着いたときに、一度よく考えてみたんだ。そうしたら気付いた」

 ディノの手がミラジュリアの手に重ねられた。ミラジュリアの手を包みこむように、優しく握りしめる。

「ジュリアさんが僕のために作ってくれたお弁当、初めて食べたのに懐かしくて、涙が出そうになるほど美味しかった。故郷の味にそっくりだったんだ。僕のために必死に調べて、材料も限られている中で味を再現してくれているんだって。それに気付いたら、なんというかその、あなたのことが頭から離れなくなっていたんだ」

 ミラジュリアは思わずディノに目を向けた。しかし、当のディノはそっぽを向いて後頭部しか見えない。それでも、耳まで真っ赤になっているのだけはわかった。

「僕は、あなたが好きです」

「ディノくん……」

 ミラジュリアはディノの背中にそっと体を預けた。そのまま、二人だけの時間が流れていく。

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