五章

男たちと女たち ➀

 窓の外から斜陽が射してくる。学園の至る場所から聞こえてくるのは嗚咽と、恐怖や不安といった重苦しい息遣いばかり。昼間の戦闘から学園は落ち着きを取り戻せていない。学園中を沈鬱な空気が呑みこんでいた。

 口に銜えた葉巻に火をつける。小さく息を吸って、吐きだし、周囲に紫煙をくゆらせる。

 扉の叩かれる音が室内に響いた。

「失礼します」

「どうぞ」

 扉を開いたのはディノだった。後方にはヴェイルと猫目の姿もある。

「二人をお連れしました」

「ご苦労様です」

 ゼヒルダは執務机から労いの言葉を送った。両脇にはエミーリオとミラジュリアもいる。三人とも包帯に軟膏で手当てをした痛々しい姿で、戦闘の爪痕をまざまざと見せつけていた。

 ゼヒルダが促して、ディノは二人を伴って室内を進んでいく。そして首を傾げた。

「あの、それは?」

 ディノが尋ねたのは灰皿の上で紫煙を上げる葉巻だ。

「ああ、ごめんなさいね。普段は吸わないのですけど、気を落ち着かせたいときに」

「いえ。そうじゃなくて、年齢制限が……」

 ディノの村でも解禁年齢に達する前に煙草を吸っていた連中はいた。しかしここは公的教育機関だ。田舎の不良が隠れてというわけにもいくまい。

「それについてはご心配には及びませんわ。すでにご存じのように、この学園では生徒の負傷入院があとを絶ちません。つまり留年が常識なのです」

 ゼヒルダは自らの右腕と左目、そして両脚を示した。

「かく言うわたくしもその一人で、これでもわたくし、二十歳ですのよ」

 ゼヒルダは恥ずかしそうに微笑んだ。その微笑みは消えてしまいそうなほど寂しく見える。

 ディノの後ろから、猫目がゼヒルダの前へと進みでていく。

「まずはご挨拶を。私は《薔薇園の牙》の《猫目》こと」

「きゃっ⁉」

 そのときなぜかミラジュリアの胸のボタンが弾け飛んだ。たわわな胸が激しく揺さぶられ、胸の谷間があらわとなる。

「ふええええっ! や、やだー!」

 ミラジュリアは恥ずかしさから胸を寄せあわせて、さらに谷間が強調されていく。

「大丈夫ですか、ミラジュリアさん」

 と声をかけたゼヒルダの胸のボタンもついでに弾け飛んだ。

「あらいやだ」

 逆にゼヒルダはまったく動じなかった。大々的に半球を見せつけながら隠す素振りすらない。

 二人を見て、猫目はおもむろにボディースーツのファスナーを上げて胸元を閉じた。

「ふんっ!」

 そして気合の声を発して胸に力をこめる。極限まで胸を張らせるが、駄目だ。

「はああっ!」

 もう一度挑戦する。しかし、やはり駄目だ。一向に胸元の金具が弾け飛ぶ気配はない。猫目は目から血の涙を流し、噛みしめた唇から血を垂らした凄まじい怨嗟の顔をヴェイルに向けた。

 猫目は一つ咳払い。

「改めまして。《薔薇園の牙》の《猫目》ことマユキ・リニシルガーです。こっちは《自らの(ウロ)尾を喰らう蛇(ボロス)》のヴェイル・ゼルザルド」

 猫目改めマユキは胸の前で手を下ろし、ヘソにまで動かしたところで首を傾げた。もう一度手を下ろし、再び疑問顔。その後も何度も何度も手を下ろしては疑問顔を繰り返す。光のない目で、何度も何度も繰り返す。

 存在しない胸の谷間から扇情的に名刺を取りだそうとして、空振りを繰り返していた。

「あれー。おかしいなー。おっぱいの谷間がなくなってるぞー」

「お前は元々おっぱいないだろうが」

「どっひゃあー」と、マユキは諸手を上げて大仰に驚きを表現する。

 ヴェイルはへこへこと頭を下げた。

「すいません。こいつの持ちネタなんです。もう少しばかりお付きあいしていただけましたら幸いかと存じます」

 ゼヒルダは「はあ……」と気のない返事をした。目の前の二人が本当にあの《薔薇園の牙》だと、俄かには信じられなかった。

 エセルドレイデ伯爵。元々は小国の王族であったが、中世期に行われた領土拡大戦略の折りに帝国へと自主的に加盟。その際に伯爵位を授けられ、領地、領民もほぼそのままに統治を任されることとなった。近代になって領地が国有化され、爵位が形骸化した現在でも、政治や軍事、経済といった各方面に強い影響力を持つ数少ない大貴族である。

《薔薇園の牙》とは、数代前のエセルドレイデ伯爵が設立した対天魔獣組織である。潤沢な財力を基盤とした体制に、各方面からの情報や新技術の導入、貴族としての地位を利用した特権など。一個人が私設した対天魔獣組織の中では、帝国内でも有数の規模と戦力、なによりも行動力を有しているとされる。

 いつのころからか人々は畏怖と揶揄をこめて彼らを〝人外部隊〟と呼ぶようになった。

(噂では本当に人外の存在を集めているとされますが、彼を見る限り、あながち火のない煙でもないようですわね)

「ところで気になっていたんだけど」と、ディノが口を割りこませてきた。

「そちらの彼女さんは、ヴェイルの彼女さんなの?」

「……んなっ⁉」

 マユキが顔を真っ赤にし、口元を隠しつつ一歩を引いた。ミラジュリアとゼヒルダが、(おやっ? これは……)と顔を輝かせる。

「わ、わた、わたた私とヴェイルが付きあってるかって……。そ、そんな個人的なこと教えるわけないでしょうっ!」

「あー、言われてみれば、まーどーなんだろうなー」

 取り乱すマユキとは対照的に、ヴェイルの態度は昼行燈そのものだった。

「好きだとか付きあっているだとか、はっきりと明言したことはないなあ」

「そうなのよねえ。こいつ、はっきりしないのよねえ」

 マユキは腕を組み、しみじみと呟いた。ゼヒルダとミラジュリアの目には同情が浮かぶ。

「俺としちゃ彼氏だ彼女だ分類することにあまり意味を感じていない。とりあえずはこのままの関係で不自由はないからなあ」

 ヴェイルの手がおもむろにマユキの胸を揉もうとして、はたき落とされた。マユキはじろりとヴェイルを睨みつける。

 ヴェイルはなにが起きたのかと、不思議そうにマユキと自分の手を交互に見る。無意識の行動だったのだろう。理解したというように手を握った。それでも逆の手はマユキの隙を窺い続けているが。

 マユキは露骨に不満顔をする。将来、関係が進展したとしても、交際や入籍とかではなくて内縁関係で済まされてしまいそうな気がした。

 ごほん、とエミーリオが一つ咳払い。それで全員が会話の脱線に気がついた。

「それでお二方はあの魔人を追ってこの学園にいらしたと、そう認識してよろしいかしら?」

「はい」と、マユキが頷いた。

「あの魔人、ヂェゼビードを追う過程でエルビキュラスとの接触を知り、」

 マユキはちらりとディノに視線をやった。ディノは理解する。ヴェイルが自分たちの村に現れたのは、ヂェゼビードを追う中でのことだったのだ。

「最終標的と目されるこの学園に内通者がいる可能性が浮上しました。誰が内通者かわからない以上、正体を伏せて秘密裏に探る予定でした。ですが」

 入学式への襲撃ですべての予定が狂ってしまった。生徒たちを見殺しにはできないとヴェイルが介入し、結果として地下牢に拘束されて動きを封じられてしまった。捜査は進まず、エルビキュラスの侵攻に教師の全滅と、打ちたい放題先手を打たれてしまったのだ。

 ヴェイルは拳を強く握った。自分の不甲斐なさと情けなさにきつく奥歯を噛みしめる。

「実際に彼の魔人と相対して理解したと思いますが、追跡は困難を極めました。地中を移動する能力に加えて、他の天魔獣への寄生。我々は何度か戦闘に突入したものの、そのたびに追跡を振りきられて逃げられてきました。お恥ずかしい話ですが、ヂェゼビードという名前と姿を確認したのも今回が初めてなのです」

「だから絶対にここへ舞い戻ってくるとわかっている今が最大の好機だ。なんとしてでもこの学園をやつとの最終決戦地にしたい。そのためなら、微力ながら俺の持てる力のすべてを貸すことを惜しまない」

「その申し出、むしろこちらから出したい所存ですわ」

 言ったゼヒルダの眼光が鋭く細められた。脳裏に生徒や教師たちの死が思い起こされる。

「あの魔人に一矢を報いたいのは我々も同じなのです」

 エミーリオとミラジュリアが頷いた。ゼヒルダの言葉に頷くのは、おそらく彼ら彼女らだけではないだろう。

「ただ問題があるとすれば、あいつがレベル黒黒の魔人長級だってことだが……」

 珍しくヴェイルは歯切れも悪く呟いた。ディノの顔には疑問と恐ろしさがあった。

「ただの魔人でさえ厄介なのはわかったけど、その上の魔人長ってのはどれだけ厄介なんだ?」

「魔人長級ってのは、全世界に数千体はいるとされる魔人全体でも僅か二百体程度しか存在していないとされる戦闘型の魔人だ。その戦闘力は並みの魔人三体以上を同時に相手するのに等しいと言われ、実際に大都市を壊滅させたとか、軍事基地と相討ちになったとか、歴史上での逸話は事欠かない。ここ何十年かで魔人長を討伐した人間なんて業界でも有名人として語り継がれている。俺としても戦うのは初めてだよ」

「そんなやつ相手に勝算はあるのか?」

「そのためにこいつの使用許可を申請したんだ」

 言って、ヴェイルは執務机の上に箱を置いた。

 箱の大きさは一抱えほど。表面は金属質に輝き、上部には取っ手がつけられている。

 一見しただけでは何の変哲もない箱だが、なぜだか近寄りがたい雰囲気あった。一瞬だが、箱が骨壺のように見えてしまう。

「やつがこの世に二百体といない魔人長なら、こちらもこの世に二百振りとない力で対抗してやるまでだ」

 ヴェイルが箱を開き、内包物が白日の下へと晒された。

 ディノが、たじろぐ。エミーリオとミラジュリアも緊張感に喉を鳴らした。ゼヒルダは目を細める。

 箱の内部には厳重な封を施された黒光りする石が鎮座していた。一目見ただけで意識が希薄になっていくかのような、魂を吸いこまれてしまいそうになる引力がある。

「こいつが魔人級キャリバー、その中枢機構にあたるカクリ石だ」

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