ヂェゼビードに負けじと、ヴェイルも自らを叱咤して立ち上がる。水の中にいるような鈍さで構えを取り、ヂェゼビードを睨んだ。一人と一体の間で一触即発の睨みあいが続けられる。

 ヂェゼビードは横に動いた。直後、残像のヂェゼビードへとハルバードが振り下ろされる。

「そういえば誤算があったな。大きすぎる誤算だ」

 ヂェゼビードの体が回転し、回し蹴りがディノに叩きつけられた。ディノは両腕を交差して防御しつつ、後方に跳んで威力を受け流す。着地と同時に横へ跳躍、触手の追撃をも回避。

 ヂェゼビードの視線は依然としてヴェイルに向けられたままだ。

「本来であれば、エルビキュラスの始末はもう少しあとに行う予定だった。ここの学生どもではあいつを追い詰めることなどできんからな。それは貴様の役目だった。そしてエルビキュラスとの戦いで消耗した貴様を倒すのも容易だったはずなのだ」

 ようやくヂェゼビードの視線がディノへと向けられる。

「貴様のせいで計画を再考しなければならなくなった。さてと、どうしたものかな?」

 しかし不意に、ヂェゼビードの瞳から戦意が消失した。

「が、この場は退いてやる」

 右腕の魔装が解除され、熱線の放出も止められた。

「ここであなたを逃がすわけがありません!」

 宣言とともにゼヒルダが、ミラジュリアが、再び魔装したエミーリオが、一斉にヂェゼビードを取り囲んだ。

「普段のあなたに対して我々では手も足も出ませんが、消耗している今なら話は別。全員でかかれば倒せます!」

 ヂェゼビードが静かにゼヒルダを見た。解剖刀のように冷静で、無慈悲な視線だった。

「……本当に、そう思っているのか?」

「きゃっ!」

 悲鳴はどこでもない場所から聞こえた。ヂェゼビードの傍らに猫目が出現する。猫目の手は焼け焦げていた。

「物質透過をも可能にする隠蔽能力なら、当然体の内部、つまり脳か心臓を狙ってくる。だが、物理的損傷を与えるためには限定的にせよ隠蔽を解かなければならない。だから私は体内に鏖力を張り巡らせて防御していたのだ」

 ヂェゼビードの拳が猫目に叩きこまれた。猫目の姿が搔き消え、次に現れた先はミラジュリアの眼前だ。猫目はミラジュリアに激突し、二人して転がっていく。

 二人に注意を奪われた一瞬の隙に、ヂェゼビードはエミーリオの傍らに接近していた。エミーリオの土手っ腹に膝蹴りが叩きこまれ、悶絶して沈黙。

 ヂェゼビードの体が地を這うように伏せられる。背後から接近してきたゼヒルダのパイルバンカーが空を切っていた。ヂェゼビードは両腕で地面を摑んで体を固定させ、跳び上がるように両脚を後方に伸ばし、足裏でゼヒルダの両脚を蹴りつけて破壊。

「きゃああっ!」

 転倒したゼヒルダへと、さらに追い打ちの拳が振り下ろされて右の二の腕を粉砕。完全なる戦闘不能へと追いこんだ。

 ヂェゼビード一人によって瞬く間に四人が沈黙させられていた。ヂェゼビードの視線がディノへと向けられる。

「で? まだやるかね?」

「もちろんやるに決まって」

「いや、やらないね」

 今にも飛びださんばかりに激昂するディノとは反対に、ヴェイルの声は静かだった。

「ここは退かせたほうが得策だ。こちらも態勢を立て直すことができる。それにわざわざ迎え撃つ準備をさせてくれるってんだ。断る理由がない」

「そういうことだ」

 ヴェイルの言葉にヂェゼビードも頷いた。

 ヴェイルの言はそのままヂェゼビードにも当てはまる。つまり両者ともに、現状での勝率は五分五分だと見積もっているのだ。ならば一度仕切り直して、周到に態勢を整えたほうに軍配が上がるのを目論んでいるのだろう。

 結論は出た。それでもディノは納得できぬというふうに唇を引き結んでいたが、やがて渋々と魔装を解除する。

「次で最後だ」

 ヂェゼビードの指先が、すっとヴェイルに突きだされた。

「次で貴様との決着を着けてやる」

 そしてヂェゼビードの姿が消失。足元に穴が掘られ、地の底へと消えていく。

 そこで生徒たちの緊張の糸が切れた。どこからともなく安堵と弛緩の吐息が漏れてくる。全身から力が抜けて、放心したようにその場に座りこむ者もいた。

 海風に混じって嗚咽が聞こえてくる。今さらになってこみ上がってきた恐怖と、失われた友への哀惜の涙だった。

 思いだしたようにディノもその場を走りだした。脇目も振らずにミラジュリアの元へと駆け寄っていく。そして動きが止まった。

 不審に感じたヴェイルが近寄っていき、視線を下ろして、途端に顔を難しくした。

 地面に仰向けとなったミラジュリアは、胸の下で手を組んで、タコのように唇を突きだしていたのだ。ディノの脚は生まれたての仔山羊のように震えている。

「これ、絶対に舌まで入れてくるやつじゃんか」

「いいじゃねえか。女の妄想くらい叶えてやれよ」

「そんな死んだ魚のような目で言われてもなあ……」

「男と女は違う生き物だからな。女の願望を叶えるためには、自分の中の男という正気を殺さなきゃいけねえんだよ」

「僕の正気はどうしてくれるんだよ」

 二人があーだこーだ言いあっている後ろ姿を、エミーリオに支えられたゼヒルダが見ていた。

「エミーリオさん、早く準備をして下さい」

「迎撃態勢を整えるのですね」

「いえ、そうではなく、早くキャメラを!」

「カメラ?」

「二人の決定的な口付けの瞬間を写真におさめて贈呈し、ついでに世界中にバラ撒くのです!」

「やりませんよ?」

 ディノの冷たい拒絶に、ゼヒルダは「ちっ」と舌打ちした。

「それはともかく置いておきまして」

 ゼヒルダは片手で『置いといて』の仕草をした。

「わたくしには生徒会長として、早急に明らかにさせねばならないことがあります」

 ゼヒルダの視線が一直線にヴェイルへと注がれた。

「あなたは、何者ですか?」

 ヂェゼビードの撤退で弛緩していた空気が再び張りつめていくのがわかった。

「会長、彼は」

「ええ、味方でしょう。少なくとも私個人としてはそう信じています」

 ゼヒルダはディノの言わんとしていることに対して鷹揚に頷いた。半面、瞳には氷のような冷静さが宿っている。

「ですが、生徒を預かる生徒会長としての立場はまた別です。素性も目的もわからない、その上天魔獣を喰らうような人物を容易に信用するわけにはいきません。彼らを御覧なさい」

 ゼヒルダの左手が後方に並ぶ生徒たちに向けられた。

「彼を信じる人たち、疑う人たち、判断できない人たちと様々です。彼は不協和音です。例え最大戦力だとしても、彼を作戦に組みこんでは不和が生まれることは必至。彼の魔人に対抗する以前にこちらの空中崩壊を招きます」

 ディノはゼヒルダの主張に対してなにも言い返せない。

「ですから、明らかにしてください。今この場で、あなたの素性と目的を! 秘密にしていることのすべてを!」

『そこまでです』

 響き渡った声は威厳に満ちていた。

 いつの間にか猫目が手に端末を持って立っていた。端末を操作すると、光が溢れて空中に像が結ばれる。

 一見すると背景は執務室のようだった。背にした壁には学園が所属している帝国の国旗と、家紋を描いた旗が掲げられている。

 立体映像の中央、純白の執務机に座るのは年老いた女性だ。若々しく張りのある肌は、とても八十歳を超えているとは思えない。精々小皺が散見されるくらいか。色褪せた白髪は豊かに結い上げられ、大小様々な宝石のあしらわれた髪飾りが左右から貫いている。反して顎の下で組まれたのは枯れ木のような腕と指だ。身にまとうのは一目で高級品とわかる上品なドレス。

 魔女と形容するに相応しい、ただならぬ雰囲気の老婦人だ。

「あなたはまさか、エセルドレイデ伯爵であらせますか?」

 ゼヒルダの問いに、老婦人は威厳に満ちた動きで顎を引き、頷いた。直ちにゼヒルダはエミーリオの手から離れ、自らの脚で立ち、姿勢を正す。エミーリオを始め、他の生徒たちも同様に慌てて姿勢を正していく。

 ヴェイルはあくびをしていた。映像の後ろに立っていて視界に入っていない猫目は、踵でもう片方の脚を搔いている。

 田舎育ちのディノには意味がわからない。横腹をミラジュリアにつつかれて、ようやく周囲に倣って姿勢を正す。同じように意味のわかっていない生徒たちが遅れて姿勢を正した。

「ということは、もしかして彼らは」

『そのとおり。彼ら二人は《薔薇園ばらえんの牙》の一員。私の愛しい番犬たちです』

「あの名高い、〝人外部隊〟!」

 ディノはちんぷんかんぷんで首を傾げた。どうやらこの場についていけていないのは少数派であるらしい。他の生徒たちは恐れ慄いたように、端的に言って一目置いた顔でヴェイルたちを見ていた。

 当のヴェイルはつかつかと、エセルドレイデ伯爵の元へと歩いていく。

「……マム」

 話しかけてきたヴェイルに、エセルドレイデ伯爵は片眉を持ち上げて疑問を呈する。

「取り急いで二つほど申請したいことがある。一つめは、魔人名ヂェゼビードの敵性指数の引き上げに関してだ」

『ほう。それはつまり?』

「あいつは月並みの魔人じゃない。魔人の中でも戦闘を得意とする戦士階級、レベル黒黒、魔人長だ」

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