エルビキュラスの巨塔のような脚が振り上げられ、空を飛ぶディノのすぐ隣を通りすぎていく。接触こそしなかったものの、あまりの巨大さに乱気流が発生した。飛行を乱されたディノが一瞬だけ意識を傾けて体勢を整える。

 その僅かな隙を突いてエルビキュラスがディノに脚を向けていた。脚の表面から突起が無数に出現する。最初から脚自体が擬態させたグレンイッカクの集合体だったのだ。

 エルビキュラスの腕から流星雨のような砲撃がディノに殺到した。ディノは翼を広げ、景色を置き去りにする高速飛行を開始。腕が大蛇となって伸び、握った大鎌が鉤縄の爪となって突き立てられ、急速方向転換を連続。出鱈目な飛行で照準を振りきる。

「おのれれれ、チョコマカと羽虫のよよようにいいい」

 エルビキュラスから悔し気な声が漏れる。

 対してディノは首を捻った。今の攻防で疑問が浮かんだのだ。

 おそらくは誰も考えてなんかいない疑問だ。エルビキュラスを憎み抜いている自分こそが最もエルビキュラスを観察し、分析していた自信がある。だからこそ至った疑問だ。

(だが、この疑問は漠然としすぎている……)

 なにか糸口が欲しい。ふと脳裏に浮かんだのはヴェイルの言葉だ。

『お前が最も想定していない攻撃はどこに対してか? お前のこの分厚い甲殻の下には、一番柔らかい肉が隠れているはずだ!』

(……となると、つまりはあそこか?)

 ディノが一気に上昇した。全身が細く絞り上げられていき、額にあった鷲の頭部が首を伸ばす。蛇の尻尾は舵取りのために平べったく潰され、ハルバードは大槍となって穂先を前方に向けて固定する。

 高速突撃形態となったカイザーキマイラが首を真下に向け、一気に下降を開始。瞬時にエルビキュラスへと激突し、大槍を肉に突き立てる。衝撃でエルビキュラスの体が大きく陥没し、擂鉢になったような錯覚さえ起きた。

「ぐぬああああああっ! やめ、やめろろろおおおおおおおおおおおおっ!」

 ディノが大槍を突き立てたのは背中の甲殻の割れ目、ヴェイルが破壊した部分だ。ディノの推進力は止まらず、大槍が深々と肉に埋まっていく。

 そして唐突に抵抗がなくなった。勢いあまったディノは雪崩れこむようにエルビキュラスの内部へと突入し、通常形態へと戻って地に足を着ける。

 薄い肉を突き破った先は空洞になっていた。周囲は光の入らない暗黒だ。カイザーキマイラの全身から蛇の頭が顔を出して、熱源探知で周辺状況を把握しようとする。

「……どうして我の秘密に気がついた?」

 微かな、ともすれば聞き逃してしまいそうなほどに小さな声だった。

 声は目の前から聞こえてきた。ディノは前方へと顔を向ける。

「それはお前が臆病だからだ」

 暗闇から息を呑む気配が伝わってくる。

「巨体で生存率を上げ、擬態で姿を隠し、軍団を従えて戦力を整えて。それだけの安全策を講じるお前が、果たして強大な力を持っているからといって自分自身が戦おうとするだろうか?」

 声は沈黙。答えを聞かずにディノは続ける。

「お前は脚の補修に配下を使った。そして別の脚は最初からグレンイッカクだった。だから考えた。他者に効果を及ぼす鏖力なら、他者を別の他者、つまり本当の自分を守る移動要塞に擬態させることも可能なんじゃないかってな」

「過去、何人かは我の秘密に気がついた」

 暗闇からは諦めたような声が聞こえてきた。

「だが、我の前に現れたのはお前が最初だ」

 エルビキュラスの体内が発光。暗闇が払拭されて周囲の光景が明らかとなる。

「これが我だ」

 目の前にいたのは生物以前の肉の塊だった。羊水を思わせる体液の中にぽっかりと、手も足もない頭部と心臓、それに僅かな内臓だけで構成された物体が浮いていた。目も口も耳もない。皮膚もない。頭部からは神経の、喉元には栄養と酸素を供給するための、そして下腹部からは老廃物を排泄するための管が伸びて、外部の巨大な義体に繫がれていた。

 長い年月を義体の内部で過ごし、進化を繰り返してきた果てに、手足や筋肉、目や耳などの感覚器官といった、使わない器官が削ぎ落とされていったのだ。

「体を使うことのすべてを義体に肩代わりさせていたのでな。我は最早自ら動くこともできぬ」

 エルビキュラスの言葉には僅かな自嘲が含まれていた。声は目の前の肉塊からではないどこからか聞こえてくる。おそらくは擬態の鏖力でどこかに発声器官を作っているのだろう。

「だが、ここが我の体内であることを忘れるな。この場の絶対的支配権は我にあるのだ!」

 エルビキュラスが言うと同時、肉の壁に動きが起こった。盛り上がった肉が巨大な拳となってディノに殴りかかり、上下からは顎となって噛み殺そうとしてくる。

「ちいいっ」

 舌打ちを放ちつつ、ディノは手に握ったハルバードと四枚の翼を振り回して次々に攻撃を切断していく。しかしこの場の上下左右前後のすべてがエルビキュラスの味方だ。前方の攻撃に気を取られれば足元、足元に気を取られれば上、上に気を取られれば左右、左右に気を取られれば背後と、すべての方向から一瞬の隙も見逃さずに攻撃が繰りだされてくる。

 ディノは防戦一方どころか、いつ致命的な一撃を受けてもおかしくない窮地にあった。

「そうか、貴様はそこにいたのか」

 声がすると同時、肉の壁を突き破って手が飛びだした。手は保護液を突き破り、エルビキュラスの頭を鷲摑みにする。

 手は燃える夕日のような色、ヂェゼビードだ。瞬時にヂェゼビードの手が引き戻されてエルビキュラスを連れ去っていく。

 慌ててディノもエルビキュラスを追いかけた。再び肉の壁を突き破って外部へと脱出。巨大なエルビキュラスの外部義体の背中に降り立ち、周囲に視線を巡らせる。

 最初に、地に倒れ伏したヴェイルの姿が目に入った。

「大丈夫か? あいつにやられたのか?」

「…………腹が……」

「腹が? 殴られたのか? それとも切られた……まさか穴でもあけられたのか⁉」

「いや、お腹が減って力が出ない」

 魔物の唸り声のような、腹の鳴る音がその場に響いた。

 そういえばヴェイルはここ数日間なにも口にしていなかった。戦闘という運動で残されていた力も使い果たし、極度の栄養失調で動けなくなってしまったのだろう。

 猫目がヴェイルに差しだしたのは、穀物植物系の天魔獣を練った生地に、黒いあれやこれを詰めて焼き上げた、通称闇(あん)パンである。ヴェイルは闇パンにかぶりついた。

「…………なにか乳成分的なものが欲しい」

 ヴェイルは猫目の胸を見上げ、そして、しょぼんとなった。

「出るか!」

 猫目のグーパンがヴェイルの脳天に叩き落とされる夫婦漫才の落ちも見届けずに、ディノの目は校庭の隅に立つヂェゼビードとエルビキュラスへと向けられる。

「なにをっ? ヂェゼビード、なにをする⁉」

「まだわからんのか。貴様はとことんおめでたいやつだな」

 ヂェゼビードの言葉には、彼にしては滅多に見せない侮蔑、いや、冷たい軽蔑があった。

「まさか同胞を喰らう貴様が危険視されていないとでも思っていたのか?」

 ヂェゼビードの顔には怨敵を前にしたような怒りと憎悪が見る見る溢れ返っていく。

「貴様はすでに粛清対象なんだよ。誰が同胞を喰う輩と手を組むか。私がお前と手を組み、学生とぶつけたのは、私でさえも手こずるお前を消耗させて本体を引きずりだすためだ」

「な、なにを言っている? お主も同胞を殺してキャリバーにしているではないか。我とお主のなにが違うというのだ!」

 エルビキュラスは怯えたように反論するが、ヂェゼビードは軽蔑した視線を注ぐだけだ。

「勘違いするな。彼らは戦士として私と戦い、気高く散っていった。私は彼らの生きた証を残すためにキャリバーにしている。彼らと貴様を一緒にすることは私が許さぬ」

 ヂェゼビードの烈火の言葉がエルビキュラスへと叩きつけられていく。エルビキュラスの顔には恐怖と、縋るような希望があった。

「わ、我を殺して、キャリバーにするのか?」

「いや、貴様は殺す。ただ殺す」

 エルビキュラスの顔が絶望一色に染められた。

「貴様のようなやつのキャリバーなどいらぬ。キャリバーにして復活される可能性も残さぬ」

 エルビキュラスが次の言葉を口にするのも待たずにヂェゼビードの拳が閉じられ、エルビキュラスの頭を握り潰した。首から下が落下して、指の隙間から脳漿と血液が溢れる。ヂェゼビードは汚らしいものにでも触れたかのように手を振って脳漿と血を払い落とした。触手がエルビキュラスの胴体へと向かい、熱線を放って焼却処分する。

 さらにヂェゼビードは剣と触手をエルビキュラスの巨大義体へと向けた。鏖力が消えた巨大義体はサイオオカミやグレンイッカクに戻りつつある。なにをするつもりなのか瞬時に理解したディノがエルビキュラスの上から飛び立っていく。

 ヂェゼビードの顎がくいっと動かされた。ディノは顎の先に視線をやって、気付いた。身を翻し、地上すれすれまで高度を落とす。ヂェゼビードとエルビキュラスの間には生徒の遺体が放置されていたのだ。

 ディノは過ぎ去りざまに生徒の遺体を拾い上げていく。遺体はメッシュだった。

「私は用心深くていけないな。復活の可能性は残さぬと言った手前、完全消去させてもらおう」

 ヂェゼビードの数十にも及ぶ触手から数十にも及ぶ熱線が放たれた。一筋一筋が柱の太さの熱線が空中でまとめられ、よじりあわされて、天をも貫く光の大河となって疾走。エルビキュラスの巨大義体が呑みこまれ、光の中に溶けていき、そして跡形も残らず蒸発した。

「…………ぶはあっ!」

 ヂェゼビードの口から大きく息が吐きだされる。肩が大きく上下し、全身から滝のような汗を流している。柄と触手の熱線も糸のような細さになっていた。エルビキュラスの超巨体を消し去るほどの鏖力放出は、ヂェゼビードにも相当の消耗を強いていたのだ。

「……さて」

 それでもヂェゼビードはヴェイルに視線を向けた。疲れ果てた体とは裏腹に、両目に宿した戦意は爛々と燃え上がり続けている。

「……一つめの目的、危険分子の排除は終わった。では引き続いて残り二つの危険分子」

 ヂェゼビードがヴェイルを、そしてその背後にいる聖ヴォルフガング学園の生徒たちを見た。

「貴様らの排除を続けようか」

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