四章
対(つい) ➀
「種は〈ヒドラジオワーム〉。東方では〈ヤマタノヅチ〉とも呼ばれる。歳は……記憶が定かな範囲では八十ほどか? 仲間内からは〈不落の〉ヂェゼビードと呼ばれている」
ヂェゼビードと名乗った魔人は胸元に手を添え、物静かに自己をつまびらかせていく。その所作から滲みでるのは高い知性と思慮深さだ。
目の前のヂェゼビードからは他の天魔獣が発するような野生生物の凶暴さは見られない。魔人とは人間と同等以上の高度な知性を有し、人間と同じように考えて、感じ、振る舞う、人類の相似生物なのだ。
そして発言からいくつかわかったことがある。
「八十歳以上……となると、第五次大陸戦争世代か」
ヴェイルは苦々しく呟いた。
天魔獣、モログニエは人間を喰らい、人間に近付いていく。その性質上、戦争や紛争、疫病などによって大量の死人が生まれると、その死体に群がり、後年に爆発的に出現するのだ。
ヂェゼビードは現行魔人の大多数と同じように、八十年前に起こった史上最大最後の大戦争、第五次大陸戦争に端を発する魔人だった。
出身地は不明。ワーム種は世界中に分布していてどれが基幹かはわからない。
仲間内という言葉からは、他の魔人と横の繫がりを持っていることが窺える。
そして最も重要なのは、ヂェゼビードは意味のないことしか喋っていない点だ。種族名に大多数の魔人と同じ年齢、二つから導きだされる出身地は世界のどこか。
隠すべき情報は隠し、隠さなくてもいい情報は口に出している。計算して発言しているのだ。
ヂェゼビードは人間を相手に油断していない。世に普遍する魔人のように、人間を下等な存在だと見なして驕り、侮っていないのだ。
ヴェイルはごくりと唾を呑みこむ。緊張だった。
ヂェゼビードがエルビキュラスに目を向ける。
「いけるか?」
「今はいけぬううう。完全回復にはまだ時間が必要だあああ」
「そうか……」と相槌を打ったヂェゼビードは、どこか気にかかるものでもあるかのような憂慮を滲ませる。
それからヴェイルに目を向けた。そして唇が歪められる。他人のおもちゃで遊ぶことを楽しむ、邪悪な子供の笑みだった。
「では少し、待っていろ」
「やめっ……」
ヴェイルの頼みはしかし聞き届けられない。
ヂェゼビードの姿が消えた。次に現れたのは生徒たちの目の前だ。瞬時にヂェゼビードの両手が二人の生徒の頭を鷲摑みにして、雑草のような力任せさで首をもぎ取る。
姿が消える直前、ヂェゼビードの両脚が異様に太くなったのが一瞬だけ見えた。全身の肉を両脚に落とし、その反動で毬が跳ねるように予備動作なしの高速跳躍をしたのだ。
「貴様らは選択を二つ間違えた」
ヂェゼビードが右手に摑んだ生徒の頭部を無造作に投げ捨てる。触手の蓬髪が怒髪となって鎌首をもたげ、一気に伸びた。何十本にも及ぶ触手が毒蛇の群れとなって生徒たちに襲いかかる。触手の先端に開かれた口が生徒たちの顔面を食い千切り、首に巻きついて頚骨を折り、胸を貫き、腹を抉り、手足が飛び散っていく。
「一つは、私に会話する時間を与えたこと。問答無用で攻撃してこなくてどうする」
ヂェゼビードへと反撃の弾丸や鏖力が殺到! しかし触手は襲いかかる攻撃へと逆に食らいかかった。触手は炎も冷気も電撃も強酸も音波も爆撃も光線も重力も弾丸もなにもかもをまとめてひっくるめて頬張り、噛み砕いて呑みこんでいく。
「もう一つは、さっさと私の前から逃げていかなかったこと。勇者だろうが愚図だろうが、私の前に立つものは殺す。皆殺す」
ヂェゼビードが左手に摑んでいた生徒の頭部を投げ捨てた。両掌を向かいあわせ、中間に光。光は瞬く間に巨大化して小型の太陽ほどになる。喰らった鏖力をそのまま混ぜあわせて放出させたのだ。生徒たちの表情が絶対死の絶望によって漂白されていく。
ヂェゼビードが鏖力の太陽を投擲。数十人分の人体など一瞬で蒸発し、跡形も残らない。
「やめろと、言っているだろうがっ!」
その進行方向にヴェイルが割りこんできた。大剣で受けとめ、全身の筋肉が隆起。渾身の力で鏖力の太陽を押し返し、明後日の方向へと弾き返す。
「言ってはいない。貴様がそれを言う前に私が動いていたからな!」
ヂェゼビードの腕が蛇のように伸び、弾かれた鏖力の太陽に手を届かせた。五指が鉤爪となって摑み、血管が浮かび上がって膂力を全開。前進する勢いを力ずくでねじ伏せ、押し戻し、鏖力の太陽を再びヴェイルへと投げ返す。
ヴェイルが大剣を縦横無尽に走らせて鏖力の太陽を賽の目に解体。さらに大剣の機銃が火を噴き、解体された鏖力の弾幕をヂェゼビード目掛けて弾き返す。
「これでは決着が着かんな……」
ヂェゼビードの口からは呆れたような呟きが漏れた。数十本の触手が動き、弾丸と鏖力に食らいついて呑みこんでいく。
「ならば!」
「肉弾あるのみ!」
結論に達した両者が一息に距離を詰めていく。先に間合いに入ったのはヂェゼビード。数十本の触手が唸りを上げる鞭となってヴェイルに殺到。ヴェイルは地面に大剣を叩きつけて破砕し、土埃を舞い上げる。
直後にヂェゼビードは天高く跳躍していた。
「煙幕が遠い。ならば遠距離攻撃を仕掛けてくる」
煙幕を突き破って大岩が飛びだし、瞬前までヂェゼビードが立っていた空間を貫いていく。
同時にヂェゼビードの目の前にはヴェイルの姿があった。
「私が避けようが避けまいが、二兎を得られる手を放ってきたか」
ヂェゼビードは感心したように呟いた。そして優越の笑みを浮かべる。
「が、甘い」
ヂェゼビードの後頭部、触手の一本が地面に食らいついていた。触手に力がこめられ、ヴェイルが大剣を振り抜くよりも早くヂェゼビード本体を地表へと引き戻す。
同時に眼下の煙幕を突き破って数十本の触手がヴェイルへと襲いかかってくる。最初に放った触手が追撃をかけてきたのだ。
同時にヂェゼビード本体からも新たに触手が放たれた。
ヴェイルは空中でなんとか触手を回避していくが、無尽蔵にも思える数の触手を回避し続けることなどできっこない。体を掠めた一撃をきっかけに体勢を崩し、腹部に重い一発を叩きこまれ、全身を殴られ、ついには手足を、胴を、そして首を触手に巻きつかれてしまう。
「私の優位性は手数だ。人間の身では同時に二手か三手しか打てぬところを、私は同時に何十手と打つことができる」
猫目は空中で磔刑となったヴェイルを崇高な表情で見上げていた。猫目の脳内に浮かべられるのは、今まさに無数の触手に巻きつかれてしまった年端もいかぬ男の子の姿だ。
『触手さん気持ち悪いよう。そんなところ触んないでえ。入ってきちゃらめえええ! んほおおお! 触手さんしゅごいよう。ボクの男の娘穴、触手さんの形になっちゃううう!』
(触手、悪くないかも……)
思わず鼻血と涎、もとい乙女汁を垂れ流してしまいそうだった。妄想の世界に浸れるほど、猫目には余裕があったのだ。
現実の世界ではヴェイルが魔身変現の光に包まれていた。出現したのはウサボルトの矮躯だ。体格が小さくなって生じた隙間をこれ逃さじと触手から脱出。同時にヴェイルを拘束していた触手がウサボルトの鏖力によって軒並み凍り始めていた。
「といっても、この程度をしてくる手合いならば何人も相手にしてきたのだろうな」
ヂェゼビードは冷静に、凍結が本体に到達するより先に手刀を振り下ろして触手を切断した。
ヴェイルが校庭に着地する。右手にはウサボルトの剣を、左手には羽バイクの大剣を握った二刀流となっていた。
その場に轟音が響き渡る。生徒たちが絶望の顔で空を見上げた。
「もはや完全に治ったぞおおおおおお!」
間の抜けた大音声を上げて、エルビキュラスが生徒たちへの攻撃を再開した。
「無粋な。勝負に水を注す田舎者め」
不愉快そのものといった顔で呟いたヂェゼビードが突然に言葉を途切れさせる。感じたのは僅かな衝撃だ。視線を下ろすと、自らの腰に体当たりをしてきたディノが見えた。
「……なんだお前は?」
ヂェゼビードは心の底からの疑問を口にする。埃を払うように腕が振られ、裏拳がディノに叩きつけられた。
「ごあっ!」
直撃を受けたディノが小動物のようにふっ飛ばされていく。地面に仰向けに落下して、動かなくなった。
「戦う力を持たぬのに私へ立ち向かってきた勇気は認めてやるが、それは蛮勇というものだ」
「ディノ君!」「ディノ!」
ミラジュリアが、ケビンスがグラサンが、悲痛な声を上げた。助けに飛びだすが遠すぎる。
「勇者かそれとも愚者か。どちらにせよ自分の行いに責任を持って、死ねいっ!」
ヂェゼビードの触手が無慈悲に襲いかかろうとして、止まった。ヂェゼビードが一歩を引き、引いてから自分の行動を不思議がる。触手は怯えたように震えるだけ。
なにが起きているのか? ヂェゼビードにはわからない。だが、この感覚は覚えている。頭ではなく体が覚えている。
違和感があった。視線を下ろすと、腰に吊り下げていたはずのキャリバーが一つなくなっていた。なにをなくしたのかと考えを巡らせたところで、ヂェゼビードの顔が強張っていく。
「なぜ……だろうな……」
ヂェゼビードの一撃で沈黙したかと思われていたディノの口から、妙に落ち着いた声が聞こえてきた。
「なぜかはわからないけど、一目見た瞬間にわかった。こいつは僕の声に耳を傾けてくれるような気がしたんだ」
ディノが倒れていた上体を起こした。両手が握りしめるのは銀色に光る棒だ。銀の棒から共鳴の輝きが発される。
初めて、ヂェゼビードが目を剝いて驚愕した。
「よりにもよって、そいつに適合するのかっ!」
「僕は力が欲しい。皆を、自分自身も、なにもかもを守り抜く力が欲しいんだ!」
ディノの体が強烈な光に包まれていった。
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