「ほら、やっぱりこうなった」

 呆れたような声はドゥリルハウンドの背中から聞こえてきた。

 突如として虚空から女の腕が出現し、ドゥリルハウンドの顎と首に回されて拘束する。ぎょっと目を見開いたドゥリルハウンドが鋏を繰りだすが、女の両脚に根元を蹴られて弾かれた。

 女が両腕を捻り、鈍い音。ドゥリルハウンドの首がありえない方向を向けられていた。地面に落ちたドゥリルハウンドは血泡を吹いて絶命している。

 目の前で起きた突然の出来事に、ディノは呆然となって腰を抜かしてしまう。

「あ、あり、ありがとうございます」

 ようやく出てきたのは、女への礼の言葉だった。

「えっと、ヴェイルの仲間の人……で、いいんですよね?」

 尋ねるディノに対して猫目は無言。ぶっきらぼうに横を指差す。疑問符を浮かべたディノが顔を向けて、

「ディノ君っ!」

 ミラジュリアがディノに飛びついてきた。

「うごっ」

 特盛の胸に顔面を強打されて、ディノの口から呻き声が漏れる。

「大丈夫? 怪我してない? どこも痛くない?」

 ディノの体の隅々までを舐め回すように調べながら、ミラジュリアは矢継ぎ早に捲し立てた。

「だ、大丈夫。どこも怪我してない」

「……本当に?」

「うん。本当に」

「…………よかったあ~」

 ディノの言葉を聞いて、ようやくとばかりにミラジュリアは胸を撫で下ろした。緊張の糸が切れてその場にぺたんと腰を落とす。ミラジュリアは透明な涙を流して泣いていた。

「彼女を心配させるものじゃないぞ~」

 猫目は「にしし」と悪戯っぽく笑いかけた。

 そのとき、ディノはようやく気がついた。

「そうか……。そうだったんだ。僕が傷ついたら、彼女も傷つくんだ……」

 今の今までは我武者羅に誰かを守ればいいと考えていた。なのに自分には力がなくて守られる側になっていた。それがどうしようもなく情けなくて腹立たしかった。

 だけどそうではなかった。他の誰かから見れば、自分も守るべき誰かだったのだ。

「どこかの誰かだけじゃない。自分自身を守る力もなくちゃいけないんだ」

 どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのだろう。いや違う、最初から知っていたはずだ。なのに、なにもかもを失った自分には心を痛めてくれる人などいないのだと決めつけて、自分自身のことなど見ようともしていなかったのだ。

 ディノは目の前で涙を零すミラジュリアを見つめた。彼女は自分のために泣いてくれていた。彼女だけではない。まだ数日の付きあいといえど、きっとケビンスもグラサンも、もしかしたらヴェイルだって泣いてくれるかもしれない。

 ディノは胸の奥が熱くなっていくのを自覚する。同時に無鉄砲だった今までの自分がいかに愚かで、恥知らずだったのかを理解した。

「そろそろ向こうも終わりそうね」

 猫目が視線を向けた先では、二つの巨体が激闘を続けていた。

 ゴズタウロスの四つの拳がエルビキュラスのワニの頭部を連続して殴りつける。エルビキュラスも反撃の脚を突きだすが、どんなに凄まじい威力の一撃もあたらなければ意味がない。ヴェイルは素早くエルビキュラスの側面に回りこみ、四つの手が光輪を摑んだ。光輪の中から四振りの大刀が出現。大刀が振り抜かれて、八本あるエルビキュラスの脚の二本を切断する。

「なぜ我が、四百年の長きに渡って人間を喰らい続けてきた我が押されているのだあああっ⁉」

「それが原因だ」

 エルビキュラスの怒号に、ヴェイルの冷静な声が返された。

「お前は防御と隠蔽、そして対人戦に特化しすぎている。同程度の巨体を相手にするには速度と破壊能力がなさすぎるんだよっ!」

 エルビキュラスにはシャドーパンサーに準じる隠蔽鏖力がある。その鏖力は潜伏、すなわち待ち伏せる狩りのために獲得したものだ。だからこそエルビキュラスは、縄張り争いにも討伐からも不戦の一手で応じ続けることができた。だが、

「お前は自分と同程度以上の力量を持つ相手と真正面から戦った経験がない。だから対応策も決定打も持っていない。お前には経験値が足りない。お前は、弱いんだよ!」

 ヴェイルが大刀を振るい、さらに二本の脚を切断。片側の脚をすべて失ったエルビキュラスが傾斜し、巨体が校庭に落下した。

 ニセウミヒツジたちがけたたましく鳴き声を上げる。同族同士で話しあっているのだ。出された結論に従ってニセウミヒツジたちが反転。背を向け、学園の上空から遠ざかっていく。

「逃げ、た、のか?」

 生徒たちは信じられぬとばかりに呟いた。しかし考えてみれば当然の行動なのかもしれない。首領であるエルビキュラスはヴェイルを相手に劣勢。直接の主であるハンマーヘッドイーグルも、他二体の群長も死んだ。もはや群れは壊滅状態だ。

 だったらこれ以上の被害を出さないために逃げるというのが、生存本能としては妥当な回答だったのかもしれない。

「おのれええええええええええええっ!」

 エルビキュラスの喉からは怒号がほとばしった。

 逃げるニセウミヒツジを尻目に、ゴズタウロスの背負った炎の光輪が翼のように広がる。炎の翼はニセウミヒツジたちに追いつき、左右から回りこみ、包みこんで一瞬で焼き殺した。

「人間の味を覚えた天魔獣は必ず人間を襲う。一体も逃がすわけにはいかねえんだよ」

 ヴェイルが頭上で四本の大刀を組みあわせる。大刀から炎の剣身が伸びていき、エルビキュラスすら一刀両断可能な超弩級の剣となった。炎の剣が発する熱波によってゴズタウロスの体毛が靡き、四本の腕が香ばしく焼き上がっていく。

「終わりだ」

 炎の照り返しがエルビキュラスの顔に絶望の陰影を浮かび上がらせた。ヴェイルが大剣を振り下ろし、エルビキュラスの脳天へと叩きつける。

「っ!」

 寸前で刃が反転。そのまま後方の空中に向かって投げられた。赤い炎の尾を引いて青い空を大剣が飛んでいく。

「逃げろっ!」

 ヴェイルの怒号を遮るように顎が閉じられた。ヴェイルが注意を離したその一瞬で、エルビキュラスがゴズタウロスの肩に喰らいついて腕を喰い千切っている。

「くそ……がっ……」

 腕の断面から滝のように流血するゴズタウロスが大地に横倒しとなり、魔身変現が解除。息を荒らげながらもヴェイルは即座に立ち上がり、しかし激痛の余韻に膝を着く。

 エルビキュラスは完璧に行動不能に陥っていたはずだ。なのにどうやって近付いてきた?

 答えは簡単だ。エルビキュラスが失ったはずの四本の脚が復元されていたのだ。しかしその形は酷く不格好だ。

 エルビキュラスの元に生き残りのサイオオカミたちが集まっていく。サイオオカミたちはエルビキュラスの脚に張りつき、そして同化していった。

 サイオオカミの軍団はエルビキュラスの口の中から出てきた。エルビキュラスの鏖力は他者にも効果を及ぼす種類であり、普段はサイオオカミたちを自身の肉体の一部に擬態させて格納しているのだろう。同じようにサイオオカミを自身の脚に擬態させて復元したのだ。

 遠く、本校舎のさらにその先から飛翔体が姿を現した。炎の剣が空中で飛翔体に激突! しかし飛翔体が渦を巻いて回転し、炎の剣を粉々に粉砕。

 飛翔体の回転は止まらず、無数の球体がばら撒かれる。

「敵の新手だっ! 応射しろ!」

 地上から反撃の弾幕が放たれ、球体を次々と撃墜。空中に血霧が広がっていく。

「え? なんで血が?」

 生徒の疑問はすぐに答えが示された。生徒の足元に球体が落下。なかば地面に埋まった状態から絶望の視線で生徒を見上げてくる。

 球体は人間の頭部だった。

「ひいっ!」

 短く悲鳴を発した生徒が頭部の意味に気付いて愕然と空を見上げる。天から降り注ぐ夥しい数の球体すべてが引き千切られた人間の頭部なのだ。そして顔には見覚えがあった。

「ガルジオ教官にイブナシオ教官、それにチェダーニ先生。まさか、まさかこれ全部、教官たちの首なのか……?」

「如何にもおおおっ!」

 エルビキュラスの口から優越の咆哮が放たれた。

「貴様らは勘違いをしていたのだだだあ。貴様らは大人たちが到着するまで我を足止めしようと考えていたようだが、足止めされていたのは貴様らのほうだあああっ!」

「どういう……ことですの……?」

「我と貴様らが戦い始めるよりも早く、大人どもはあやつに襲われていたのだあああ。我の役目は貴様らを大人の加勢に向かわわわせぬことだったのだ」

「なっ⁉ それではっ!」

 教官を襲った相手がこちらにきたということは、すでに学園最大戦力である教官たちが全滅したということだ。

 ゼヒルダの、そして生徒たちの顔に絶望が射していく。

 弓なりの軌道を描いていた飛翔体が校庭に落下した。四肢を地面に突き立て、地表を抉り、津波のように土煙を巻き上げながら制動をかけていく。

「彼らは強く、誇り高かった。だから死んだのだ」

 朦々と巻き上がる土煙の中心から聞こえた声は穏やかだ。

「逃げればよかったのだ。助けを呼べばよかったのだ。だが、生徒たちに無用な犠牲を出させないために退かず、報せもせず、私に挑み、そして玉砕した。自らの強さを自負していたからこそ、総戦力で挑めば勝てると思ってしまったのだろうな」

 土煙が静まっていき、内部から人影が現れた。巨体でも、長身でも、肥満体でも、痩身でも、小柄でも、矮躯でもない中肉中背。肌は夕日のような赤と橙の中間色。耳まで裂けた口には尖った歯が並ぶ。と言っても耳はないが。腰に巻かれた巨大な銃帯には戦利品のように無数のキャリバーが吊るされていた。

「おま……えはっ……」

「ああ、そういえば、本体の姿で話すのは初めてだったな。よろしい。知らない仲でもないからな。軽い自己紹介でもしておこうか」

 人影がヴェイルに視線を向けた。後頭部からうなじにかけて生えた無数の触手が長い蓬髪のように体にまとわりついている。切れ長の目はぞっとするほど冷たい。人間を動いて泣き叫ぶだけの、生きた肉の塊だとしか認識していない目だ。

「御機嫌よう、人間諸君。ヂェゼビードだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る