⑥
飛びだしたのはメッシュだ。両腕は爬虫類の鱗に包まれ、鋸の刃の大刀で攻撃を防ぐ。
ドゥリルハウンドが左右の鋏を振り回す。鋏が爪となって突きだされ、円盤となって振られ、螺旋を描いて削りにくる。メッシュは猛攻に翻弄されて瞬時に押しこまれていった。
「まだだ! 俺はまだやれるんだあっ!」
叫んだメッシュが魔装の領域を広げていく。両腕だけではなく両肩まで、そして両脚まで。
「っ! いけません! 魔装に呑みこまれてしまいます!」
ゼヒルダの制止はしかし遅かった。メッシュの魔装がとどまるところを知らずに領域を広げていく。両肩だけではなく胸まで、両脚だけではなく腰まで。
「えっ? えっ? どうして? 止まらない」
メッシュの口から狼狽が零れる。もはやメッシュには魔装を制御することも解除することもできなくなっていた。
過剰魔装だ。通常、魔装される部位は全身の二割から三割、多くても四割強。下半身をすべて魔装しているエミーリオでも、厳密に計算して五割を超えないようにしている。
なぜなら魔装の領域が五割を超えると制御できなくなってしまうからだ。魔装された天魔獣が宿主を乗っ取ってこの世界に蘇ろうとしてしまうのだ。
「たっ、助けて!」
メッシュの両目からは大粒の涙が零れていった。
「こんなはずじゃ、こんなはずじゃなかったんだ。俺だって人間を守るために志願してこの学園にきたのに! 人間美味しそう。俺は今なにを言って? 人間どんな味がするかな? ああ、なんだこれ? 頭の中が天魔獣に塗り潰されていく? 駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ! なんで? なんでどうしてこうなった⁉ 人間食べたい。人間喰わせろおっ!」
メッシュの口から血塊が吐きだされる。エミーリオのランスが背中から突き刺され、心臓を貫いて胸から飛びだしていた。メッシュの両目から光が消え、全身を蝕んでいた魔装も宿主の活動停止に伴って消失した。
「せめて人間のまま眠れ」
メッシュを介錯したエミーリオが悲痛に呟く。
一方、グレンイッカクの砲撃を受けた旧校舎の屋上は燃えていた。
「う……ううん……」
不明瞭な呻き声を上げてミラジュリアが目を覚ます。茫洋とした視線が虚空を彷徨い、はたと自分の置かれた状況を思いだした。慌てて周囲を見回して惨状を目にしてしまう。
屋上の中央部には巨大な穴があき、屋内の床までもが破壊されてさらに階下が覗いている。左右に伸びた校舎の片翼は完全に崩落していた。転がる生徒たちからは苦痛の呻きが上がる。
「そんな……」
ミラジュリアの顔に自責と忸怩、それ以上の憤りが満ちていく。憎しみに燃える瞳がエルビキュラスに向けられた。
ミラジュリアは自分にのしかかる重さに気がついた。視線を下げると体に覆いかぶさったディノが目に入る。身を挺して自分を庇ってくれたのだ。ディノの頭からは血が流れていた。
「ディノ君!」
「これじゃ……駄目なんだ」
「え?」
ディノの口から弱々しい言葉が零れる。
「こんなんじゃ誰も守れない。誰の力にもなれない。命がけでようやく君の怪我を肩代わりすることしかできなかった。情けないよ」
ディノは己の無力さに、涙を流して悔しがっていた。
「もうすぐだぁぁぁ。多くの人間と天魔獣を喰らってきた我が、進化の高みへと導かれるのははぁぁぁ。小僧どもぉぉぉ、我の最終進化のための贄となるがいいぃぃぃ」
エルビキュラスに率いられた魔獣艦隊の猛攻が続けられていく。サイオオカミの重突撃を前衛系の生徒が肉の壁となって受けとめ、ニセウミヒツジが急降下。グレンイッカクの砲撃が流星雨となって降り注ぎ、後衛系の生徒たちが銃撃に砲撃に投槍に爆裂に雷を放って応射し、暗殺者によって悲鳴が上がる。混沌とする戦場をドゥリルハウンドと頭突き鳥が駆けていく。
不意に陽光が遮られた。翼を広げた巨大な影が天空を横切っていく。
「新手か?」
生徒たちの間に動揺が広がっていった。
「いえ、違いますわ。あれは……
空を飛ぶ羽バイクの背に人影は跨っていなかった。無人の羽バイクが機銃を掃射して、吐きだされた弾丸が次々にニセウミヒツジを撃ち落としていく。
崩壊はなんの前触れもなく起きた。突き上げるような衝撃が襲いかかり、旧校舎が根元から爆砕。一階に大穴が作られ、屋上の大穴と繫がり、中央部から真っ二つに割れた。最初から崩壊していた片翼は空中分解し、瓦礫となって山と積まれる。
旧校舎の崩壊に巻きこまれ、ディノやミラジュリアを始めとした生徒たちが地面へと転がり落ちていった。
「なんだ? 天魔獣の攻撃…………ではない?」
「あー。いや、悪い悪い」
疑問を口にするディノの目の前を、白い人影が申し訳なさそうに通りすぎていく。
「階段を駆け上がるのが手間だったんで、ぶち抜かせてもらった」
「うぬはっ……!」
エルビキュラスが目を剥いた。そうだ。あのエルビキュラスの惨劇の日に因縁のある相手はディノだけではないのだ。
「うぬはあのときの、喰い損ねたガキっ!」
「よう。喰われ損ねた爬虫類」
エルビキュラスの敵意の咆哮を浴びながら、ヴェイル・ゼルザルドが歩いていく。
(だが、あの地下牢をどうやって抜けだしてきたんだ?)
ディノの疑問はすぐに晴れた。ヴェイルの両拳が血を流していたのだ。
「まさか、単純に殴り壊して脱出してきた、のか?」
ヴェイルの手には缶が握られていた。空いているほうの指で上部のつまみを起こすと、内部から管が伸びてくる。
ヴェイルが管に口をつけて缶の中身を吸い上げていく。半透明の管を駆け上がっていくのは赤い液体だ。ときどき小さな粒が混じる。おそらく天魔獣の血と、すり潰した肉だろう。ヴェイル専用栄養補給缶、通称[エー]缶を、美味くもなさそうに飲んでいく。
「会長」
「お待ちなさい」
エミーリオの発言はゼヒルダによって止められた。ゼヒルダは思案顔。この場でどう動くべきなのかと自問自答していた。
「気をつけろ。あいつは、いや、あいつらは手強い。連携を駆使してくるんだ」
「知っている。大体の戦況は聞いていたからな」
ヴェイルの指先には多機能生徒手帳が摘ままれていた。誰のものかもわからないそれで通信を傍受していたようだ。
「まずは暗殺者を片付けて後顧の憂いを絶つ。猫目!」
ヴェイルの呼びかけに応えて羽バイクが変形を始めた。両翼が前方に向けて折れ、車体下の垂直翼も前方に伸ばされる。後部から伸びたのは柄。
羽バイクが三枚刃の大剣となって一直線にヴェイルへと下降。地表に激突する寸前にヴェイルの腕が閃き柄を握る。
同時に空中で歪みが生じた。歪みは濃さを増していき、女の姿となって顕現。女の頭頂部では三角形の猫耳がぴこぴこと動く。猫科の天魔獣に魔装した女が空中で姿勢を整え、四足となって危なげなく着地した。
「……普通は女の子のほうを受けとめるものじゃないの?」
女の小言で苦い顔となったヴェイルが右拳を魔装。天魔獣の手はキツネ色にこんがりと焼き上がっていた。ヴェイルが拳を大地に叩きつけ、周囲に波動が広がっていく。
「痛っ?」
ディノの隣でミラジュリアが不快感を口にする。生徒たちも次々と、静電気に感電したかのように微細な痛みを口にしていく。しかしディノはなにも感じない。
ヴェイルの握った大剣が旋回、同時に銃撃音。生徒たちの真っ只中の地面が吹き飛び、円盤のような形と鮮血が飛び散る。
「これは…………微弱な鏖力を全方位に照射して居場所を炙りだした?」
円盤の正体は〈サバクエイ〉だ。眉間には弾痕が穿たれている。尻尾のようにも見える尾鰭からは太く鋭い毒針が伸びていた。
ヴェイルが生徒たちを突っきってエルビキュラスへと向かっていく。一瞬で暗殺者を屠ったヴェイルを危険と判断し、ドゥリルハウンドとハンマーヘッドイーグルが同時に飛びかかった。
先にヴェイルへ到達したのは頭突き鳥。首を伸ばして頭突きの構えを取る。
「そ、そうか! 首だ! 無防備になった首を狙えばいいんだ!」
生徒の一人が口にした妙案に、次々と同調の頷きが返されていく。
頭突き鳥の頭が振り下ろされ、ヴェイルがさらに踏みこんで懐へと潜りこんだ。
「誰がそんなにもあからさまに弱点してる部分に手を出すかよ」
ヴェイルの拳が頭突き鳥の胴体に叩きこまれた。鳥類の骨格は軽量化のために中空で脆い。焼き菓子を折ったような小気味よさで骨折の音が連続し、内臓破裂による血反吐が吐かれる。
「いくら頑丈だろうが脳の入れ物で攻撃なんかするか。首を伸ばしたのもやりすぎだ。多少ならともかく、脊椎動物の頸椎が自由自在に体長の五倍も伸び縮みできてたまるか。
結論。頭に見えている部分は本当の頭部から生えた伸縮自在のトサカで再生可能。本当の頭部は首元に埋まっている」
注意して観察すると、確かに目のように見えていたのはただの模様だった。
離脱する頭突き鳥と入れ替わりにドゥリルハウンドがヴェイルへと肉薄。三叉の鋏が突きだされ、大剣が弾き、円盤が腕を狙い、ヴェイルが避ける。逃げたところへ渦を巻く鋏が突きだされ、大剣が受けとめて、回転力を抑えきれずに弾き上げられた。がら空きとなった腹部に牙が襲いかかり、足が跳ね上げられ、ドゥリルハウンドが仰け反って回避。
ヴェイルは防戦一方だ。猛烈に突きこまれてくる鋏から後ろへ後ろへと逃げていく。しかしその表情には余裕すらあった。
「凄まじい膂力と回転力だ。だが、その力を生みだすのに必要な熱量に対して、蓄えておくべきお前の体は小さすぎる」
ドゥリルハウンドの動きが徐々に鈍くなっていく。足取りは重く、繰りだされる鋏にも力が入っていない。口から舌を垂らして荒く息を吐いている。
「つまり持久力がないか、都度の補給を必要としている」
ドゥリルハウンドが後方跳躍し、生徒の死体の傍らへと着地。口を開いて喰らいつこうとするのを、読んでいたヴェイルが銃撃。ドゥリルハウンドは危なげなく回避するが、走りこんできたヴェイルに腹部を蹴られてふっ飛ばされた。「キャイン」と犬の悲鳴が漏れる。
「小癪なガキがぁぁぁぁぁぁっ」
轟音。エルビキュラスがヴェイル目掛けて突進してきた。巨塔のようにも思える脚が逆様の大瀑布となって天高く掲げられる。
「踏み潰してくれるわああああああああああああっ!」
神罰の鉄槌のように脚が振り下ろされ、大地が破裂した。ただの一撃で地表には巨大な穴ができ、土塊が間欠泉となって噴き上がる。生じた風圧だけで生徒が、サイオオカミが、一緒くたになってふっ飛ばされていく。
爆心地に立っていたヴェイルは肉片一つ残っていないだろう。
「あそこだ!」
グラサンが一点を示した。エルビキュラスの脚を駆け上がっていく影がある。ヴェイルは瞬く間にエルビキュラスの肘から肩へと駆け上がり、跳躍。背中の甲殻に着地する。
「今が好機ですわ!」
すかさずゼヒルダの号令が響き渡った。
「敵の頭は彼が押さえました。戦線を立て直して戦闘を続行します!」
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