上昇するドゥリルハウンドと入れ替わりに下降する影があった。上下逆様となって一直線に落ちてくる。頭から地面に激突し、地表が爆砕。土塊が飛び散った。

 今のはいったいなんだったのだろうかと生徒たちが疑問符を浮かべる。

 直後に影が飛び起きた。

「ア~ッ? アァァァッ! アアアッアァァァッ? アッア~ッ!」

 吐きだされたのはすこぶる不機嫌なガラの悪い鳴き声だ。怪鳥音というやつだろうか。狂ったように首を振り下ろしては頭部を地面に叩きつけている。

 ニセウミヒツジの群長級、〈ハンマーヘッドイーグル〉が翼を広げて飛翔。顎鬚の生徒目掛けて頭から突っこんでいく。

 標的にされた生徒の対処は冷静だ。向かってくるハンマーヘッドイーグルへと剣による刺突を放ち、切っ先は吸いこまれるように脳天へと命中。そして根元まで一気に砕けた。間髪入れずにハンマーヘッドイーグルが頭から生徒の腹部に激突し、生徒は口から内臓破裂の鮮血を吐きだして絶命する。

 ハンマーヘッドイーグルの頭頂部は完璧な球体。羽毛が一切なく陽光を反射している。早い話が凄まじい石頭で頭突きをかましてくるのだ。古代に絶滅した堅頭竜が順当に鳥類へと進化していたらこうなっていたかもしれない。

 頭突き鳥が再びの頭突き。同時に飛びだす影。拳闘士風の生徒が手甲に包まれた拳を放ち、頭突きと激突。押しきって頭突き鳥の体が後方へと回転する。

 生徒に殴り飛ばされてしまった頭突き鳥は目を血走らせ、天へと憤怒の咆哮。『もう完全にトカサにきた!』とばかりの剣幕で拳闘士風の生徒へと再突撃する。

 激昂して勢いに任せた頭突き鳥の動きは以前にも増して単純だ。容易に迎撃できる。頭突き鳥は生徒の手前で首を振り上げ、その瞬間、首が凄まじく伸びた。体長の五倍以上はある。力点と作用点の間隔を広げて遠心力を増幅させてきたのだ。

「アアアッア~ッ!」

 頭突きは易々と生徒の拳を砕いた。

「アーッ! アーッ! アーッ! アーッ!」

 さらに頭部が右に左にと振り乱され、生徒の顔面を滅多打ちにした。生徒の歯はボロボロに抜け落ち、眼球は破裂。頭蓋骨が砕けて頭部はぶよぶよの水風船のように歪められていた。

「くそっ! こうなったら総大将を潰すしかねえ!」

 発言に応えて生徒たちが頷きあった。十数人の生徒が防壁を飛び越え、決死隊となって敵陣の中心を突き進んでいく。

 決死隊へとサイオオカミが襲いかかり、前衛系の生徒たちが自身の体を壁にして仲間を守る。動きの止まったその瞬間をニセウミヒツジが強襲。生徒たちの腕や頭が飛び、サイオオカミの角で貫かれ、押し倒され踏み潰されて轢き殺される。

 サイオオカミの包囲を突破した時点で、十数人もいた決死隊はすでに半数に減っていた。

 決死隊の頭上に飛来する無数の影。グレンイッカクによる砲撃だ。遠距離系の生徒たちがやたらめったらに攻撃を放ち、弾幕が牙に命中。爆裂を起こして次々と撃墜していく。

 しかし撃ち漏らした牙の一本が生徒を貫き、爆裂。爆風で隊列が崩され、決死隊が散り散りになったところへさらなる砲撃とニセウミヒツジの遊撃が降り注ぐ。

 エルビキュラスの足元に辿り着いた時点で、生き残りは四人だけとなっていた。

「これだけ図体がデカけりゃ足元は見えないだろ!」

 エルビキュラスの腹の下に潜りこむことは造作もなかった。生徒たちは逆転の一手を打つべく無防備な腹部に得物の矛先を向け、そして息が止まった。

 エルビキュラスの腹部、甲殻の隙間から無数の円が見下ろしていた。甲殻の繫ぎめに沿って一列に、何十何百もの目が地上を見下ろしていた。

 目から涙が落ちる。不用意に頭からかぶった生徒が悲鳴。肉が異臭を上げて溶けていた。瞬く間に髪の毛が、皮膚が、骨が溶かされていき、脳髄までもが桃色の肉汁となって溶解。顎から上を失った体が倒れる。

 目の場所は腹部、胃の真下だ。胃酸の涙が生徒たちに降り注いでいた。

 さらに生徒たちから悲鳴が上がる。生徒たちは目や鼻や口や耳といった粘膜から血を流し、喉を搔き毟りながら息絶えていった。おそらく性器や肛門からも出血しているだろう。

 胃酸の涙は常温で蒸発し、毒ガスとなって生徒たちを蹂躙しているのだ。

 生徒は一人だけ生き残っていた。魔装した天魔獣に僅かだが毒物耐性があったのだろう。しかし頼みの綱の無効化も体の一部位だけ。全身からは血を流して虫の息だ。せめて一矢を報いるべく、手にした大槍の先端をエルビキュラスの腹部へと向ける。

 生徒の目の前に影が降り立った。生徒の顔に絶望が射す。

 ずんぐりむっくりとした体に、白と黒の羽毛。鰭状の翼に短足、そして嘴。グレンイッカクの群長級〈ハッスルペンギン〉が翼を振り乱し、足踏みして、流れるような動作で演武を披露。

 ハッスルペンギンの掌底が生徒の腹部に叩きこまれ、生徒の体が爆散して上半身と下半身に引き千切られた。破壊された内臓が降り注ぐ中でハッスルペンギンは再び勝利の演武を舞う。

 エルビキュラス自身が堅牢鉄壁であるのに加えて、執拗なまでの用心深さで護衛まで配置していたのだ。

「撤退! 撤退です! 戦線を下げて態勢を立て直すのです!」

 ゼヒルダの号令が響き渡り、生徒たちが引き潮のように後退していく。

「会長、助けて下さい! 彼が、彼が動けないんです!」

 ゼヒルダが視線を下ろした。黒髪の女子生徒が恋人と思われる男子生徒をかかえて座りこんでいる。男子生徒の頭部は半分だけになり、脳漿が零れていた。女子生徒は必死になって、零れ落ちた脳漿を男子生徒の頭の中に戻そうとしている。

 ゼヒルダは唇を噛みしめた。女子生徒の襟首を摑み、強引に男子生徒の死体から引き剝がして撤退に合流する。

「いや! いやあ!」

 泣き叫ぶ女子生徒の目の前で、恋人の体がサイオオカミによって貪り喰われていった。

「……おかしい」

 エミーリオはがぽつりと疑問を口にした。

「通常、レベル紫の天魔獣は人間を喰わない。と言うよりも喰えない。群れの厳然な序列によって、人間を喰えるのは群長級以上と決まっているからだ」

 なのに目の前のサイオオカミは、三体の群長やエルビキュラスなど群れの上位者を差し置いて人間を喰っていた。この群れはなにかがおかしい。

 エミーリオの疑問はすぐに答えを示された。校庭に累々と転がる生徒やサイオオカミの死体が、次の瞬間にはエルビキュラスの大口に掬われたのだ。口が開閉され、エルビキュラスが生徒とサイオオカミを一緒くたに咀嚼していく。

「馬鹿な。手下であり同胞でもある天魔獣を喰らっているだと?」

 よくよく目を凝らしてみると、エルビキュラスの通ったあとには一切の死体が転がっていなかった。生徒だけではなく、サイオオカミやニセウミヒツジの死骸までもがだ。

 エルビキュラスの進撃速度が遅々としていた理由がわかった。エルビキュラスは戦場に転がる遺体を逐一喰らいながら進んでいたのだ。

「なにも不思議ではないぃぃぃ」

 エミーリオの困惑に、エルビキュラスは「かははははっ」と笑い声を返す。

「我らモログニエは喰らった生物の情報を蓄積させて進化を繰り返すぅぅぅ。ならば進化を重ねたモログニエには、数多の生物のより優れた情報が貯めこまれているということだぁぁぁ。ゆえに我は同胞を喰らぁぁぁうのだぁぁぁ」

「…………待てよ。噂に聞いたことがあるぞ……」

 エミーリオは神妙な面持ちとなって考え始めた。

「天魔獣喰いの天魔獣。それに突如として現れては霧のように消える山のような巨体。なんてことだ。どちらも四百年以上も昔から目撃例のある、伝説級の天魔獣ではないか」

 エミーリオの言葉で生徒たちの間に絶望が満ちていく。

 サイオオカミを屠っていくゼヒルダの隣にエミーリオが並んだ。

「会長、このままでは壊滅は時間の問題です。学園からの撤退も視野に入れる時期です」

「緊急脱出策、プランBですわね」

 エミーリオのランスがニセウミヒツジを撃墜し、ゼヒルダの生体パイルバンカーがサイオオカミを貫く。戦場の騒乱に搔き消されぬようにと、二人とも自然と怒鳴り声になっていた。

「いいえ、この場合はプランC。奪還を目的とした一時的な島外脱出ではなく、学園島を放棄したのち、上陸してきた天魔獣を島ごと消し去る最終手段」

 学園島の地下には巨大な発電設備がある。それを暴走させて爆発を起こせば、理論上はエルビキュラス諸共、学園島を影も形も残さず消滅させることができるはずだ。

 ゼヒルダは頭を振った。

「ですがそれは上位者である学園長と教官たちの決定がなければできません。なにより命令のない敵前逃亡などあってはならない」

 エミーリオの顔には苦渋が広がっていく。

 しかしゼヒルダは違っていた。浮かべているのは自信に満ちた笑みだ。

「それに、その必要はありませんわ」

 旧校舎の屋上から一斉に生徒たちが現れた。援軍の中心に立ち、指揮しているのはミラジュリアだ。ミラジュリアの魔装は舞踏会のドレスのような華やかさ。植物型の天魔獣だった。手にしたキャリバーは竹箒で、中世の魔女を思わせる。

 エルビキュラスの爬虫類の瞳孔が細められた。

「最初から我をこの場所に誘いこむ手筈であったかぁぁぁ」

 ミラジュリアの手にする箒の先端から誘導の鏖力が照射され、エルビキュラスの顔面に固定された。屋上に並んだ生徒たちが一斉に最大出力の鏖力を放つ。

 無数の鏖力は空中で混ざりあい、統合され、光の濁流となってほとばしった。鏖力の濁流は空中を旋回していたニセウミヒツジの群れを呑みこみ、肉片一つ残さず一瞬で消し去っていく。慌てて頭突き鳥が回避し、巻き添えを免れた残党が散会した。

 鏖力の濁流がエルビキュラスに肉薄し、その鼻先で突如として周囲へと拡散。滑るような曲線を描いて虚空へと逸れていく。

 ゼヒルダもミラジュリアも、エミーリオも、すべての生徒が呆然とした。

 ドゥリルハウンドとハンマーヘッドイーグルは、にやにやと侮蔑の笑みを浮かべる。

 エルビキュラスの背後では地面も海面も、そして天空すらもが抉られ、消滅していた。

「我の巨体に対しては戦力を集めての一点斉射、誰もがよくやることだぁぁぁ」

 完全に動きを止めてしまった生徒たちに、エルビキュラスの言葉が降り注いでいく。

「だぁぁぁがぁぁぁ、いまだかつて我の鏖力抵抗を突破した攻撃など一つたりとてないぃぃぃ」

 最初に気付くべきだったのだ。鏖力は鏖力で相殺される。エルビキュラスの超巨体が有する鏖力は尋常ではない。生徒数十人が振り絞った死力ですら比ではないのだ。

 幸いは、鏖力が攻撃ではなく擬態という隠蔽能力に割り振られていたことだろう。もしも攻撃力を有する鏖力であったなら、学園の戦力など今頃は壊滅していたはずだ。

 グレンイッカクの砲撃が旧校舎へと飛んでいき、爆裂が起きた。

「ミラジュリアさん! 皆さん!」

 思わず叫んだゼヒルダにドゥリルハウンドが襲いかかる。

「会長は俺が守ってみせるぜ!」

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