ディノは首を傾げた。そしてケビンスとグラサンに目を向ける。

「僕は、生意気なのか? まだ授業初日のはずだけど?」

「入学式の一件で有名になったってことだろ」

「ますます意味がわからない。僕はわちゃわちゃと右往左往していただけの、その他大勢の一人だっただろうが」

「謙遜するなよ。あの先輩ちゃんを助けるために飛びだしていったお前の姿、同年代だってえのに痺れたねえ」

 グラサンは「くう~っ」と唸り声を絞りだした。

 教室を見回せば、ディノに注がれているのは称賛と羨望、そして僅かばかりの嫉妬の視線。さっきからこちらを見ているメッシュは、大っぴらに敵視してくる少数派のようだ。

「ふむ」と、ディノは一応は納得したというふうに頷いた。

「つまりあれか? こいつは泡食って尻尾を巻くだけだった情けない自分を認めたくなくて、目立っていた僕をこき下ろして自己顕示欲を満たそうという、言うなれば底抜けのおバカさんってことか?」

「お前何気に凄まじく煽ってくるよな……」

 ディノの発言にはケビンスも呆れ顔だ。

「こっ、この、こいつっ……!」

 反して虚仮にされた当人であるメッシュの顔色は茹でダコよろしく真っ赤になっていた。今にも頭の天辺から湯気が噴きだしてきそうな勢いすらある。

「このっ、生意気な一年坊主め! 俺はお前よりも年上なんだぞ!」

「ところでさっきから気になっていたその弁当」

 ついにはグラサンもメッシュを無視してディノに話題を振ってきた。

「自分で作ってきたのか?」

「いや。朝登校したら下駄箱に入っていた」

「……おおっ?」

 一瞬で場には浮足立った。今の今まで憤慨していたメッシュですら口を閉ざす。

 どうやら入学式の一件でディノは周囲に一目置かれただけではなく、好意を持つに至った女子までもが出てきたということなのだろう。

 しかし自らに向けられた恋慕の感情になど気付く素振りもなく、ディノは弁当箱の中身をむしゃむしゃと小動物のように平らげていく。

「きっとどこかの妖精さんが拵えてくれたんだろう。田舎ではよくあることさ」

(こいつは一体なにを言っているんだ?)という疑問を、全員が共有することになった。

「あ、そうだケビンス。購買に便箋とか売ってないかな?」

「そりゃ売っているだろうけど……なんでまた?」

「妖精さんにお返しの手紙を書くのに、ノートの切れ端ってわけにもいかないだろ」

「うああっ!」とケビンスは思わず自分の目を両手で塞いでいた。なんだこのくっそ眩しい生物は? 眩しすぎてディノを直視することができない。

 ちなみにグラサンは、グラサンをかけていたから平気だった。

「…………?」

 ふと、動かされていたディノの口が止まった。口の中に指を突っこんでなにやら探り始める。

 やがて指が引き抜かれて異物が摘まみだされた。それは床にすら届きそうなほど長い黒髪だ。それも一本や二本ではなく、十本以上も。

 その場の全員の背筋を特大の悪寒が駆け抜けていった。体中に鳥肌が立っている。誰もが瞬時に理解したのだ。これはアカンやつや、と。

「この島の妖精さんはドジっ子だなあ」

 ただ一人ディノだけが、まったく頓着せずに箸を進めていく。



「よおーし。雁首揃ったようだな口をきく豚どもめ」

 広い体育館中に、罵声とも恫喝ともとれる言葉が響き渡る。

 体育館には一年の全生徒が集められ、教室ごとの列になって並ばされていた。

 生徒たちの前方に立ち、軍刀のように竹刀を床に突き立てているのは中年の男だ。

「ありがたくも貴様らに教鞭を執ってやる俺の名は、ガルジオ・ガルジオである」

 ガルジオは今どき古臭すぎる鬼軍曹方式の教官だった。

(それにしても、親はなにを考えてガルジオを連呼させる名前にしたんだ?)と、ディノは首を傾げた。ガルジオに限らず、あの世代は珍妙な名前が流行していたと聞いたことがある。

「それではこれより、魔身キャリバーの適性検査を行う!」

 ガルジオの背後には何台かの机が並べられ、その上には箱のような小型の器具が置かれていた。それぞれに一人ずつ教師がついている。

「本来ならば基礎座学が終了したのち、二学期に行われるものであるが、知ってのとおり現在は非常事態だ。よって前倒しとなった」

 ガルジオが最前列中央の生徒を呼びだし、器具の前に立たせた。箱型をした器具の上部には手の枠線が記されている。ガルジオが促して、生徒が手を置いた。

 途端に生徒の頭が揺れた。膝が崩れ、倒れそうになったところをガルジオが支える。

「気を抜くな。死ぬぞ」

(えっ? 検査で死ぬの?)という動揺が生徒に広がっていく。

「この器具で貴様らの生体情報を読み取り、我が校の保有するキャリバーとの照会を行う。そして適合率の高いものが選出され、目録が多機能生徒手帳へと転送される仕組みだ」

 生徒が多機能生徒手帳を確認すると、いくつかのキャリバーが表示されていた。

「それでは順次、検査を開始しろ!」

 ガルジオの号令に従って列が進み始めた。

「それでは検査の合間に、魔身キャリバーとはなにかについて簡単に講義をしてやろう」

 列に並びながら、生徒たちは耳を傾けていく。

「どのような仕組みで人間が天魔獣の肉体を得るのか? 重要な点は、キャリバーが天魔獣から作られているということだ」

 ディノは息を呑んでいた。

(天魔獣から人間を守るために、天魔獣を利用するのか?)

 ディノにはそれが、ひどく汚らしい手段に思えてしまった。だけどヴェイルやゼヒルダたちは、その手を汚らしさにまみれさせながら戦っているのだ。ディノはぐっと唇を噛みしめた。

「キャリバーの心臓部には命を吸い取る石、カクリ石が使われている。カクリ石によって命を吸われた天魔獣が、人間の肉体を媒体として一時的に復活していると考えるといいだろう」

 ディノは拳を握ったり開いたりしてみた。確かゼヒルダは魔装の前後、人間の肉体と天魔獣の肉体に繫がりはないと言っていた。

(人間の肉体が天魔獣に変化したというより、天魔獣の幽体とか霊体とかが人間の体と入れ替わって実体化した、と考えたほうがいいのだろうか?)

「この検査機〈みえ~る君〉にもカクリ石が使われていて、ほんの少しだけ吸い取った貴様らの命の形を波形として出力し、照合に用いているわけだ」

 それで死の危険があるということかと、新入生たちは冷や汗まじりの納得を浮かべた。

「しかし天魔獣と人間は違う生物だ。人間を天魔獣に変えるためには、天魔獣に人体との融和性が求められる。つまり相応に人間を喰らい、人間に近付いてきた天魔獣からしかキャリバーは作れない。ゆえにキャリバーは貴重であり、我が校のような教育機関も少ないのだ」

(それでゼヒルダ会長は、『ウサボルトのキャリバーが使えるはずない』と言っていたのか)

 ウサボルトは人間を喰わないから、人体との融和性がないという意味だったのだ。ではどうしてヴェイルはウサボルトのキャリバーを使えたのだろう?

(ヴェイルは天魔獣を喰い続けて魔身変現の力を手に入れたと言っていた。つまりヴェイル自身が天魔獣との融和性を持つようになったってことだろうか?)

 だったらヴェイルは、相性に関係なくすべての魔身キャリバーが使えるのかもしれない。

「やった! やったぞ!」

 歓喜の声は隣の列から聞こえてきた。見るとメッシュが諸手を上げて喜びを表現していた。

「今日、ここから俺の伝説が始まるんだ!」

「あいつ、昼間に『自分は年上だ』とか言っていただろ?」

 ケビンスがディノの耳元でこそっと囁いた。

「さっき隣の教室のやつらに聞いたら、どうも去年の検査で適合するキャリバーが在庫になくて、授業をさぼって留年しているらしい」

「なるほどねえ」

 ディノは納得したというふうに頷いた。実際、戦士を育てる学園で戦う力を持たないとなると、それは凄まじい劣等感と疎外感、焦燥を生むだろう。メッシュが陰湿に出てしまうのもわかるというものだ。

 ディノが同情とも哀れみともつかない感想をいだいていると、目の前から生徒がいなくなっていた。ディノの順番が回ってきたのだ。

 ディノはごくりと喉を鳴らしてから、みえ~る君の筺体に手を置いた。途端に凄まじい虚脱感が襲いかかる。視界が滲み、浮遊感。世界の上下左右がわからなくなり、自分は立っているのか倒れているのか、それすらも認識できなくなっていた。

 しかしそれも一瞬のこと。直後にはディノの意識は明瞭さを取り戻していた。軽く頭を振って思考を切り替える。

「もういいですよ」

 教師の言葉で机から離れる。次に検査を受けたのはケビンスだ。みえ~る君に手を置いて、ディノと同じように虚脱感で朦朧とする。

 ディノは早速とばかりに多機能生徒手帳を取りだした。画面に指を滑らせて検査結果を呼びだす。果てしないとすら思える読みこみの時間を挟んで、画面に表示されたのはたった一言だ。

『該当キャリバー なし』と。



 窓からは夜風とともに潮の香りが運びこまれてくる。

 部屋は簡素だ。二台の勉強机と箪笥、そして二段ベッドしか存在しない。聖ヴォルフガング学園の学生寮の一室、先日の騒ぎで入居者のいなくなった空き部屋だった。

 人影は壁際の椅子に腰を下ろし、左手で頬杖をつき、右手は本を開いていた。人影の手は動かされず、しかし本の頁が捲られていく。

 人影が顔を上げる。窓の外に見えるのは一面の漆黒。空も海も水平線も、なにもかもが闇に塗り潰された暗黒の夜景だ。

 風は心地よく、海は凪いでいる。

 暗黒色をした大海原の彼方に異物が見えた。海面から顔を覗かせた岩山の一部だ。

 人影が眺めている前で岩山が徐々に大きくなっていく。いや違う。岩山が近付いてきているのだ。まるで鮫の背鰭のように海面を割りながら、岩山が学園島へと進んでくる。

 やがて岩山は海に沈んでいき、跡形もなく消え去った。

 人影は読んでいた本を閉じる。

「それでは総攻撃を始めるとしようか」

 にやりと、笑みを浮かべた。

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