「わかっている。僕も、あの天魔獣の中に人がいるのを見た」

 ディノは神妙な面持ちで頷いた。

「あの天魔獣は誰かの魔身変現だった、ってことなのか?」

「違うな。魔身変現は体そのものが天魔獣に変化する。人間の体の外側に天魔獣の体が形成されるわけじゃない。あの天魔獣、メタルフライシャークは寄生されて操られていたのさ」

「寄生、だって?」

 ディノは鸚鵡返しした。目の前の少年はなにを言っているんだ? 人間にそんなことが可能だと? いいや、できるはずがない。

「それじゃ、あいつは誰なんだ? なんなんだ?」

「そういえば、入学してからまだ授業がなかったんだったな。だったら順を追って説明してやろう。天魔獣、モログニエについてはどの程度知っている?」

「人間を喰らい、進化を繰り返していく魔獣だろ?」

「間違いではない。が、それは最大の特徴を端的に言い表しているにすぎない。まあそのくらいが世間一般の認識なんだろうな」

 ヴェイルは拳を握ると、すっと人差し指を立てた。

「モログニエは生物学的にはたったの一種類しか存在しない。ではなぜ世界各地で多種多様な形態、生態を持っているのか?」

 ディノは押し黙った。言われてみればどうやって天魔獣を倒す力を手に入れるかだけを考えていて、倒す相手である天魔獣のことを知ろうとしたことなど一度もなかった。

「それはモログニエの進化が喰らった生物の情報を取りこむことで起こされる摂食進化だからだ。例えばあの天魔獣、メタルフライシャークは鮫を喰っているから鮫の姿をしている。

 天魔獣の姿形や性質は捕食元となる生物に大きく似通っている。それは姿形や性質だけではなく、弱点までもってことだ。水棲のやつ、足の遅いやつ、特定の色を認識できないやつ、例えばタマネギなんかが致死の毒になるやつ。

 天魔獣の形態が地域によって異なるのも、捕食元である土着生物の違いに依っている。同じようにこれを調べることで天魔獣の出身地を割りだすことも可能だ」

 そこでヴェイルは言葉を区切った。ここからが本題だとばかりに。

「では、人間を喰らい続けてきたモログニエはどうなると思う?」

 まさかと、ディノは思った。本当にそんなことが起こりえるのだろうか?

「…………人になる、のか?」

 ヴェイルは無言。しかし神妙な顔つきがそうなのだと回答していた。

「それが魔人だ。魔人は人間を喰らい続けてきた天魔獣が人間の姿と知能を手に入れた、現時点での進化の到達点とされている。敵性指数はぶっちぎりの最優先討伐対象、レベル黒」

 ディノはごくりと喉を鳴らした。俄かには信じたくない事柄だ。しかし鉄鮫が言葉を使ったという事実が、人間の言語を理解する知能を持った存在である魔人の関与を証明していた。

「あいつには逃げられた。またくるぞ」

「どうしてまたくると言いきれるんだ?」

「魔人には知性がある。知性があるのなら、年端もいかない学生を大量殺害して敵視を煽るような行動は避けようとするはずだ。つまりあいつは敵視を煽ると理解した上で、それ以上に優先される目的を持ってこの聖ヴォルフガング学園を襲ったことになる。目的が達成されていない以上、またくるのは間違いない」

「なるほどね」とディノは頷いた。そして疑問を覚える。

「ところで、僕は天魔獣に詳しくないからよくわからないんだけど、そもそも魔人ってのはどのくらいの強さなんだ?」

 ディノのもっともな疑問に、ヴェイルは顎に手を添えて「ふむ」と口にした。

「そうだな…………まずは基準として、一般的に学生の戦闘力は敵性指数の下から三つめ、レベル紫と同程度だと言われている。野性のメタルフライシャーク、つまり群れの兵隊級だ」

 そういえば、鉄鮫に惨殺された女子生徒がそのようなことを口走っていた気がする。

「あの生徒会長や副会長だと一つ上、レベル青ってところか? いわゆる一人前というやつだ。

 戦闘教官は一線を退いた退役軍人や傭兵を中心に構成されていて、さらに一つか二つ上のレベル緑や黄に相当すると言われている。このレベルは俗に群長級と呼ばれ、自分の群れを持つ頭目を指している。

 間違っちゃいけないのが敵性指数は個体につけられる、ってことだ。群れ全体でレベル緑なのではなく、一体のレベル緑に複数のレベル紫が率いられている、ってことだな。加えて言うなら単独で活動するハグレの個体は、同種よりも敵性指数が一つか二つ上になる」

「ええっとつまり、この学園の総戦力は戦闘教官が十数人に戦える生徒が百人以上で、十数群を相手に戦える、ってことなのか?」

 ヴェイルは顎を引いて頷いた。

「で、群長級のレベル黄からさらに四つ上が魔人のレベル黒だ」

「……………………は?」

 ディノは呆けたように、口を半開きにして固まった。

「この学園には半端な地方都市を上回る戦力が集結しているが、それでも魔人ならたった数人で壊滅に追いこむことができる。加えて強力な個体ほど率いている群れの頭数も多いし、従えている敵性指数も高い」

 ヴェイルは苦い顔を浮かべた。

「正直、初戦で仕留められなかったのは手痛い失敗だ。次は必ず群れを率いてやってくる」

「か……んたんに言ってくれるなよ」

 あまりの精神的衝撃によって、ディノの舌は固まっているかのように動きを鈍めていた。

「この学園を壊滅させられるんだろ? その上、次は群れを率いてくるんだろ? そんなやつを相手にどうすればいいっていうんだよ」

「安心しろよ」

 ヴェイルの指が、自分自身に向けられた。

「俺がいるじゃないか」

 ヴェイルの瞳は一点の曇りもない自信に満ちていた。

 目の前の少年とは出会って間もない。友達ですらなく、顔見知り程度の関係だろう。なのにディノの中にはなぜだか納得して、安堵している自分がいた。

「それを教官に言えばいいんじゃないのか?」

「だから連中は話を聞く耳を持ってないんだよ」

 ヴェイルは呆れたように肩を竦めた。

「それに天魔獣が喋ったって報告を受けたのなら、魔人が関わっていると気付かないはずがない。つまり誰かが情報を統制し、思考を誘導して、結論をねじ曲げさせた」

 ディノははっと気がついた。ゼヒルダとの会話を思いだしたのだ。

(ヴェイルが魔人の協力者でないのなら、彼とは別に本物の内通者がいるってことか)

「だけど、どうしてそんなに重要なことを僕に打ち明けてくれるんだ?」

「理由はいくつかあるが、まず第一に、少なくとも新入生は内通者である可能性がない。そして一番の理由は、お前が信用できそうだと感じたからだ」

 ディノは「……そうか」とだけ口にして立ち上がった。ディノはヴェイルの素性も目的も訊こうとはしない。

「敵が魔人だとしても僕のやることは変わらない。天魔獣から人間を守るだけだ。そのためには教官たちよりも君に協力したほうがよさそうだ」

『秘密を打ち明けて信頼を得て、学園内に協力者を作ることが君の狙いだったんだろう?』とは口にしない。それこそヴェイルの信頼を裏切らないためだ。

「僕もなにか気付いたことがあれば報せるよ」

 ディノとヴェイルは共犯者の笑みをかわす。長年をともにした、悪友のような笑みだった。

 ディノは背を翻して地下牢を去っていく。その背中が見えなくなったのを見計らって、ヴェイルは虚空へと呟いた。

「猫目、いるか?」

「ええ、ここに」

 答えもまた虚空から返ってきた。

 空間に歪みが生まれる。人の形をした歪みが徐々に濃くなっていき、やがて女の姿となって目の前に現れた。

 女の全身はなめし革のように光沢のある毛皮に包まれ、頭頂部では三角形の猫耳がぴこぴこと動いていた。女の肌が魔装されているのだ。

 女は誰も行き来できないはずの牢獄の内側に、突如として姿を現していた。

「〈シャドーパンサー〉。ありとあらゆる観測を無効化し、この世界から完全に消失することで物質透過すらも可能にする完全隠蔽鏖力か。相変わらず反則的だな」

 ヴェイルは隣の床を叩いて女を促した。女はヴェイルに向けて一歩を踏みだし、魔装を解除する。女が着ているのは胸元の大きく開いたボディースーツだ。扇情的な服装にもかかわらず、平坦な肢体は肋骨が浮き上がっている。

 女はヴェイルの目の前でしゃがみこむと、そっと頬に手を添えた。

「少し瘦せた?」

「水しか飲んでないからな。そりゃ多少は」

 女は尻に手を回して数錠の栄養剤を取りだした。ヴェイルが受け取って、口に放りこみ、水もなしに噛み砕いて呑みこんでいく。

「多少の時間稼ぎにはなるが、ジリ貧に違いはないか……」

「シャドーパンサーの完全隠蔽鏖力はどんな天魔獣の鏖力も欺くことができるけど、自分以外の天魔獣を隠蔽することはできない。だからここに天魔獣の肉を持ちこむことはできない。無茶はしないでよ」

「わかっている。死にたくなくて天魔獣を喰ったのに飢え死にしちまったら、本末転倒もいいところだろ」

 女はヴェイルに微笑み、隣に腰を下ろした。

「あいつを見て、どう感じた?」

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