②
焚刑から解放されたディノはぐったりとなって椅子に沈んでいた。椅子がふわふわふぁんしーなウサギ意匠であるのがせめてもの救いか。
(どうして僕がこんな目に遭わねば? いや、女性の裸を見たのは悪かったけども……)
と、そこまで考えたところで、ディノは自分が呼びだしを受けていたことを思いだした。
「そういえば、なんの用でしょうか?」
「その前に、お疲れになったでしょう? お茶でもいかが?」
「え? あの、えっと、その……」
ディノは言葉に詰まった。躊躇いがちにゼヒルダを見る。ゼヒルダは左手で操縦桿を倒して車椅子を移動させていく。その体でお茶を淹れられるのだろうかという疑問が口に出せない。
「お気になさらず。片腕になってから最初に覚えたのは字や署名の書きかたでも、服の着かたや身嗜みの整えかたでもなくて、美味しいお茶の淹れかたですから」
言葉のとおりに、ゼヒルダは片手であるにもかかわらずてきぱきと紅茶の用意を進めていく。陶器の薬缶で湯を沸かし、紅茶杯を並べて、茶葉を選ぶ。
しかし、ただ待っている時間というのは暇なものだ。
「あの、授業に遅れるんじゃないでしょうか?」
「気にしなくてもいいですわよ。先日の襲撃で……その……座学の教師のかたが大勢いなくなってしまいましたから」
ゼヒルダは視線を泳がせて言い淀んだ。苦痛と喪失感に耐えるように黙々と作業を続ける。
「教室の再編成が終わるまでは開店休業状態、早い話が自習ですので」
「……すみません。軽率でした」
「いいんですよ。それにここでは日常茶飯事です。あなたも早く慣れたほうが楽ですわ」
『会長はもう慣れたのですか?』と訊くほどディノは馬鹿ではない。慣れていないからこそのゼヒルダの動揺だ。
砂時計が引っくり返されて、茶葉の蒸らしが始められた。砂がさらさらと音を立てて流れ落ちていく。
どうにも間が持たない。ディノは室内をきょろきょろと見回した。部屋の一角にある魔境を直視しないように注意しつつ。
「それにしても、なんて言うか、立派な部屋ですね。生徒会室っていったら、長机とパイプ椅子が置いてあるだけの殺風景な部屋を想像してました」
ディノが口にしたように、執務机は黒塗りのウォールナット、応接椅子は本革だし、絨毯や壁の絵画も見るからに値段が高そうだ。
「この学園の生徒は実習として天魔獣の討伐に赴くこともあります。生徒会長とは言うなれば学生部隊の指揮官。それなりの威厳や体裁を整えねばならないのです。もちろんこれらは学校の備品であって、わたくしの私物ではありませんけど」
どう考えても各種の拷問器具が学校の備品であるわけがない。話題を逸らそうとして逆に闇の深淵を覗いてしまったのかもしれない。
ディノは焦りつつ別の話題を探して頭を回転させる。
「そういえばさっきの女の人ですけど……」
「あら? 気になっちゃいますの?」
ゼヒルダは茶化すように物言った。ディノはバツが悪そうに顔を歪める。ゼヒルダの口振りでは、まるで自分が下着姿に興味をそそられた性欲の権化のように思えたのだ。
「いえ、そうではなくて、どこかで見たような気がするんですけど……」
「……覚えておりませんの?」
ゼヒルダは信じられないものでも見たかのように右目をぱちくりとさせた。
「彼女は入学式でわたくしの介助をしていたかたでしてよ」
「あっ……。ああ!」
ようやく思いだした。ゼヒルダの車椅子を押していた女子生徒が、確か彼女だったのだ。
「彼女にはわたくしの身の回りの世話や執務の手伝いなど、秘書の真似事のようなことをやってもらっていますの」
「へえ~。秘書子さんだったんですね」
「……あなた何気に不躾ですわね」
「それで、どうして裸だったんですか?」
「さっ。お茶が蒸れましたわ」
どうにもはぐらかされてしまった。やっぱりなにか裏がありそうだ。
(だけどなんか怖いから聞かないことにしよう)
ゼヒルダは卓上に紅茶を置くと、自らはディノの向かい側に車椅子を移動させた。ディノがカップに口をつけた途端、鼻腔にふわりと花のような香りが舞いこんできた。
「あ、美味しい」
「でしょう? よい茶葉が手に入りまして。わたくしはレインローズの蜂蜜を加えたものが好きですの。学生の身でできる贅沢といったら、このくらいが関の山ですから」
饒舌に語り終えて、ゼヒルダはほうと溜め息を吐きだした。
「今まで当たり前にできていたことが、ある日突然できなくなってしまう。それはとてつもない苦痛でした」
ゼヒルダはおそらく、自身の体について言っているのだろう。
(わかるような気がする……)
ディノも一晩ですべてを失っていた。いや、彼だけではなく、この学園に通う生徒の何割かが同じ場所に立っているのだろう。
「そんなときはお茶を飲んで一息入れるの。そうするとそれまで詰まっていたはずの問題が、するりと解決してしまうのよ」
「……ありがとうございます」
ゼヒルダの言葉は彼らに向けての助言だったのかもしれない。だからこそ礼を述べるのが自然だと思ったのだ。
ゼヒルダは杯を置いた。その瞬間に空気が一変する。
「彼の処遇に不服があるそうですね」
「……はい」
ディノも紅茶の杯を置いて、一直線にゼヒルダを見つめる。
「どうして彼が拘束されなくちゃいけないんですか? 彼は僕たちを救ってくれました。勇敢に天魔獣と戦い、そして仇を討ってくれました。その彼が拘束され、あまつさえ軟禁されるなんておかしいです」
あの日以来、ディノは再三に渡って訴え続けてきた。だけど教官たちに取りつく島なんてなかった。一介の若造であるディノの言葉なんか誰も聞いちゃくれなかったのだ。
「あなたの言い分はわかります。そして、おそらくそれはとても正しい」
ゼヒルダは長い睫毛を伏せた。どことなく、後ろめたさを感じる仕草だ。
「しかし生徒会長といえども所詮は一生徒。教師の決定を覆せる権限などありません。それに戦場において上官の命令は絶対です。わたくしが部隊を指揮する下士官であるなら、教師は命令を下す将校でしょうか。逆らうことなど許されません」
「ですがっ!」
「なにより…………なによりわたくしは怖いのです。彼は天魔獣を口にしました。それは間接的とはいえ人間を喰らう禁忌の行為です。だからわたくしは彼が怖い。恐ろしい」
ディノは気付いてしまった。ゼヒルダの言葉に反論することができない自分がいることに。
「……僕も、怖いです。今思いだしても震えてしまいます」
言葉を証明するようにディノの手は小刻みに震えていた。両手で互いを押さえつけるようにして、なんとか震えを止まらせる。
「だけどこの震えは、多分、僕がなにも知らないからです。僕は得体の知れなさを怖がっている。だから僕は、彼を知って怖がるか怖がらないかを見極めなくちゃいけない気がするんです」
「……あなたは強いのですね」
ゼヒルダは感心したように言葉を漏らした。
「ですが、彼の拘束の理由はそれだけではありません。教官がたは今回の件がまだ終わっていないと考えているのです」
「それは、どういう?」
「この聖ヴォルフガング学園は絶海の孤島にあり、何重もの防衛網によって守られていて侵入は不可能。にもかかわらず、メタルフライシャークは防衛網をすり抜けて襲撃してきました。そして同時期にもう一人、防衛網に引っかからずに学園島に侵入してきた人物がいます」
ディノにはゼヒルダの言わんとしていることがわかった。
「彼と天魔獣は同じ経路を共有して学園島に侵入した。そう考えれば辻褄があいます」
「彼が天魔獣を連れてきたと言いたいんですか? 馬鹿げている! 彼は天魔獣を倒してくれたんですよ!」
「それはなにがしかの演出であったというのが教官がたの考えです」
語気も荒く憤慨するディノを前にしても、ゼヒルダは落ち着き払って紅茶を一口した。
「もちろん、わたくしはそうとは考えていません。とはいえ無関係や偶然でもないでしょう。少なくとも彼の真意がわかるまで監視下に置いておくことは必要な措置だと思います」
ゼヒルダの意見は至極もっともだ。反駁の余地もない。生徒会長として不確定要素や危険性に留意し、排除するのは当然のことだろう。ディノは肩を落とし、項垂れてしまう。
「ですが、面会まで禁止されたわけではありません」
続くゼヒルダの言葉を耳にして、ディノの顔が跳ね上がった。
「彼と話してきたらいかがかしら?」
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